今日もあの男は私の家に侵入しているらしい。仕事終わりに夏油の動向を視る、という最近のルーティーンを実行してみれば、袈裟を着たデカい男がソファに寝っ転がってくつろいでいるのが視えたのだ。まだ半月も経っていないというのに、今月はもう5度目である。教祖をしているのならもっとやるべきことがあるだろうに、わざわざ時間を作ってまで私の家に上がり込む男の気が知れない。
 そうやってしつこく家に侵入してくる男のせいで、本来なら気楽に過ごせるはずの自宅で気を休める時間が減ってしまって実に憂鬱だ。実家を出た私が、まさか家に帰りたくないと思う日がまた来るだなんて想像もしていなかった。でも非常に面倒なことに、家に帰りたくないからと言ってホテルに泊まったりするのも出来やしない。
 少し前、夏油が忍び込んでいる自宅に帰るのが嫌だからとホテルに泊まろうとした時の事。あの男が私に憑けたミミズの怪物が、私の腕を締め上げたのだ。家の反対方向へと進もうとすればするほど力は強まり、骨が折れるのも時間の問題じゃないかと思ってしまったぐらい。でも、だからといって彼の思い通りにするのは癪だ。そう思って家から離れようとすると、今度はみみずの怪物が脚にまとわりついてきた。そして脚を締め上げて、一歩も前に進めなくしたのだ。
 そんな事をされてしまえば、怪物を殺す手段のない私にはもうお手上げ。あのまま突っ立って一晩明かしてやろうかなんて事もその時には頭を過ったものの、最終的に面倒くさくなって大人しく家に帰った。仕事終わりに立ちっぱなしは脚にくるし。そういう訳で、あの日以降帰宅するのに無駄な抵抗はやめたのだ。あの男の事だから、どうせあの時私が突っ立ったまま帰宅しなければ、目の前に現れて家に引っ張っていったに違いないだろうし。そんな光景を知り合いに見られたら堪ったものじゃない。
「やあ、おかえり。今日もお仕事お疲れ様」
「はいはい」
 夏油と対面したくないなぁ、とため息を吐きながらドアの鍵を開けようと鍵を取り出す、その直前。内側から鍵が開かれて、夏油がひょっこりと顔を出してきた。……出迎えをするだなんてご苦労な事だ。その程度で私は懐柔されないと彼だって分かっているだろうに。
 私のカバンを奪おうと差し出された手を躱し、靴を脱いでリビングへと足を向ければ、夏油は私の後ろをひょこひょこと着いてきた。動作がイチイチわざとらしくて、好意的に見られようとしているのが丸分かりだ。自分の体躯と顔付きに似合わない仕草でギャップ萌えとか狙ってるんだろう。
「私のお手伝いをしてくれたら会社に行かなくったって養ってあげるよ。君、あの会社好きじゃないんだろ?」
「そもそも労働が嫌いなので会社はイヤですよ。でもあなたの所の方がもっと嫌いなのでイヤです」
「……本当に毛嫌いするねぇ……」
 そこまでの事かな、なんて背後にいる男が呟くが、あなただって視えない人たちの事を為人を知ろうともせず嫌ってるじゃないか。私からすればそっちの方が「そこまでの事かな」だ。
 ……などと反論してしまえば彼は嬉々として猿、もとい非術師≠ノついて話し始めるのは目に見えている。少しでも興味を、彼に対する理解を見せれば終わり。あっという間にそちら側へと引き摺り込まれるだろう、なんて、勘でしかないけれど。
「ああそうだ。今日君を待っていた時に思ったんだけどね、あのソファちょっと小さくないかな。もう少し大きい方がくつろぎやすいよ」
「そうなんですね」
 あなたの体がデカいから小さく感じてるんじゃないか? という突っ込みは心の中に留めておいた。わざわざ会話のキャッチボールをしてあげる理由はないのだ。適当が1番いい。まあ、返事なんてせずに彼の存在自体を無視をしてもいいけれど、そうすると私の気を引くために何をしでかすのか想像がつかないのがこの男の厄介な所だ。いま腕についてるミミズの怪物の他に、変なのを付けられたら堪ったものじゃないし。
「新しいソファを買うから置いてくれる?」
「私にはぴったりの大きさなのでいらないです」
「でも大は小を兼ねるって言うだろう。大きい方が君ものんびりできるだろうしさ」
 ホラ見てくれよ、と帰宅したばかりの家主を差し置いて夏油がソファに寝転んだ。……まあ、確かに二人用ソファの肘掛けから彼の脚が盛大に飛び出しているから、彼にとって小さすぎるというのは理解できる。でも、この家は私の家である訳で、どうして彼のサイズに合わせたものを用意しておかねばならないのか。
 寝転がりながら私を見上げて謎のアピールをしている夏油のお腹にカバンを置いて、キッチンへと向かう。お腹も空いていることだし、彼に構っている時間が惜しい。想定外の衝撃を受けて「」と唸った夏油を後目に、手を洗ってから冷蔵庫を覗き込んだ。
 うーん、米は朝の残りがあるから良いとして、おかずは……作り置きの煮込みハンバーグとサラダで良いか。さっと皿に盛りつけたものを電子レンジで温めてしまえば、もう完成だ。テーブルの上に皿を並べて麦茶だとかお箸を用意して、とせかせか動き回っていると、何故か夏油が私のカバンを抱えたままこちらに近づいてきた。そして茶碗をもっている私の隣に立つと、体を屈めて炊飯器の中を覗き込んだ。
「……あんまり量ないね」
「あー……お腹空いてるんですか?」
「うん。いやぁ、今日は猿共に会う予定もなかったから、ずっとこの家でくつろいでたんだ」
 夏油の言葉に唖然とする。何をしてるんだこの男。てっきり私の退社時間とかに合わせて家に侵入しているのかと思えば、口ぶりからして日中から家にいたようだ。全く、くつろぐんだったらそれこそ自分の家でくつろげばいいのに。
 そうやって呆れてみても、目の前の大男が空腹であるのは変わりない。別に彼を放置したまま自分だけ夕飯を食べてもいいのだけれど、私はお腹が空いている人間の前でこれ見よがしに食事をするほど人間性は捨てていなかった。
 ただ、彼の為にあれこれ手間暇をかける道理もないから適当でいいだろう。
「素うどんならすぐ作れますけど、どうします?」
「えっ……作ってくれるの?」
「別に茹でるだけですし良いですよ」
「じゃあ、お願いしてもいいかな」
 私が夏油の為に料理……と言ってもうどんを茹でるだけだけど、それをするのがよほど意外なようだ。目を瞬かせた彼にまじまじと見つめられた。いや、いくら嫌いな相手でもお腹空いてる人間に何も食わせない訳ないだろうに。どうやら夏油は私のことを随分意地悪な人間とでも思ってるらしい。嫌いな人間相手に会話してあげてるんだから、相当優しい部類だと思うんだけどな。
「何か手伝うことはあるかい?」
「邪魔なのでおとなしくソファに座っててください」
「…………」
 今一度自分の図体のデカさを考えてみたらどうだろうか。縦に長い程度ならまだいいが、この男は鍛えているからか横にも分厚い。そんな男に横でうろちょろされれば邪魔でしかないって少し考えればわかると思うが。私の言葉に不服そうな表情を浮かべた夏油は暫くの間カバンを抱えたまま背後からこちらを見ていたが、私が何も反応しないとみるや、すごすごとソファへと逆戻りしていった。そろそろそのカバンも置いていいと思うのだけど、どうして律儀に抱えているのやら。
 背中に彼の視線を感じつつも、さっさとうどんの準備をする。あれだけ体が大きいのだし、うどん一玉で足りるだろうか。彼の年齢は知らないもののかなり若そうだから、二玉でも案外ペロリと食べてしまいそうな雰囲気がある。まあ、残そうとしても無理矢理食べてもらえばいいしね。
「……あれ、もしかして多めに作ってくれた?」
「見た感じあなたはいっぱい食べそうですから」
「待って。勘違いしてるようだけど私太ってないからね。この服装が着膨れして見えるだけで私はデブじゃない」
 何やらショックを受けたような顔で「腹筋だって割れてるよ」なんて夏油が弁明してくるが、別に誰もあなたが太ってるだなんて言ってないじゃないか。それに彼が太っていようが太っていまいが私には関係ないのだし、そんなに必死にならなくても。いっそ余計に本当は太ってるんじゃないかと思ってしまう程の慌てよう。
 案外太っている、もしくは着膨れして見えるのを気にしているのだろうか。髪型がいつも同じで必ず前髪が一房垂れてるところを見るに、見た目には気を遣ってそうではあるから、気にしてるのは強ち間違いではないのかも。
 そんな事を考えながら、懸命に痩せている事を訴えてくる夏油の話を聞き流す。その話はもういいから、そろそろうどんを食べてくれないだろうか。折角作ったっていうのに麺が伸びてしまうだろう、お腹すいたって言ったんならさっさと食え。それにいい加減、私だってご飯を食べたいのだ。
「いただきます」
「ああもう、また無視する。ご飯を作ってくれるくらい優しいなら、少しぐらい私の話聞いてくれたっていいじゃないか」
「いただきます。ね?」
「……いただきます」
 両手を合わせていただきますと繰り返す私に根負けして、夏油の方も渋々といった表情で手を合わせた。
「そのハンバーグって自分で作ったの?」
「そうですね。……まさか、これも食べたいんですか?」
「だから私はそこまで食いしん坊じゃないって。ただ、君は料理が出来ないって聞いてたから少し驚いてね」
 ああ、まだ≠サれをしてるのか。夏油の言葉を聞いて項垂れる。本当、どこまでいっても私の人生の足を引っ張る女だ。
 お前は何もできない、と。家事すら満足にできない人間だから、お前は独り立ちなんて出来ないのだと私に言い聞かせるのがあの女の常套手段だった。一人暮らしなんてすれば野垂れ死ぬに決まってる、なんてのもよく言われた記憶がある。
 そういう事を言い聞かせ続ければ己が産んだ特別な人間が一生親元を離れず、ずっと自分のアクセサリーでいてくれると夢見てたのだろう。まあ私がこういう性格に育ったせいで目論見は破産した訳だが、それでもまだあの女はそれを吹聴して、子供を心配している献身的な母親を演じているらしい。
 そろそろ現実を見てほしいけれど、馬鹿は死んでも治らないって言うから一生治る事はないんだろう。ほんと嫌になる。
「あの人の話は話半分に聞いた方がいいですよ」
「心配しないで。猿の言葉を私が聞くはずがないだろう?」
「その猿の言葉を信じて私に接触してきたのって、どこの夏油さんでしたっけ?」
「…………私だね……」



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