愚かである事は罪であると、私はその女のお陰で身に染みて理解することが出来た。その事だけは感謝してやろうという気にはなるが、けれどもそれをそのまま伝えたならば、あの女は己が功績を掲げて得意気にするのだろう。不名誉なことであれ誰かの役に立ったという事実のみに執着し、その事実を以てして他人を見下すあの女らしい、愚かとしか思えない習性だ。恩でも何でもない事ですら恩と言い張り、恩返しを求めるなど本当に救えないし馬鹿げている。
 けれど、非常に業腹な事ではあるが私はあの女に恩というものがあった。そんな物など一切求めていなかったし、恩などと口が裂けても言いたくなかったが、世間一般の倫理観に当てはめると私はあの女に恩がある。
 ──あの女が母親であり、私が子である限り、忌々しいことだが私には産んでもらった恩とかいうものが一生ついて回ってくるのだ。
「ねえ百合、教祖様にお会いしましょう? 賢い貴女ならあの方の御言葉の有難さを理解できるはずよ」
「しつこい。というかこの前はコノエサマが何だのって言ってたのに、今は教祖様? 乗り換えが随分と早いんだね」
「近衛様も確かにすごい方だったけれど……教祖様は本当に素晴らしいお力を持った方なの。あの方と出会ってから私、ちっとも体が重くないのよ」
「それコノエサマの時も言ってたでしょ。いい加減他人に縋りつくのは止めな」
 コノエサマの前はどっかの金持ちのおばあさん。その前は山で修業したらしい坊主で、その前は神社の跡取りのおじさん。ああ、高名な賢者だとかの子孫を名乗る一族に縋っていたこともあったっけ。母の今までの歴代の寄生先を頭に思い浮かべるが、私が覚えているだけでコレだけの人間がいるのだから、覚えてもないようなのも含めれば両手でも足りない数になるだろう。むしろ、どうすればそんなに怪しげな人間を見つけられるのか。その上何度縋っても結局失敗しているのに、よくそこまで盲目になれるのやら。学習能力を母親の腹の中に置いてきたとでもいう様な鳥頭具合。反吐が出る。
 誰も彼も、何にも見えちゃいない偽物でしかなかったというのに。
「百合、貴女なら解るでしょう?」
「分かるわけないでしょ。いい加減しつこいから電話切るね」
「貴女は特別な子なの!!」
「五月蠅いなぁ」
 勝手にヒートアップして興奮しているのか、電話の向こうで大声を出し始めた母の甲高い声が耳障りで、手に負えないと判断した私は電話を切った。ついでにそのまま電源ボタンを長押ししてスマホの電源を落とす。私が一方的に電話を切ったと見るや否や、あの女は気でも狂ったかのように何度も電話を掛けてくるのだ。まあ、もとから気の狂ったような女ではあるが、鬱陶しい事この上ない。
 ……ならばどうして律儀に電話してやるんだという話になるのだが、理由は単純明快。私があの女を無視すれば、あの女は他人への迷惑など一切考慮せずに大騒ぎするからだ。前に私があの女からの連絡を無視した時なんて、あの女は警察に「娘が行方不明になった」と泣き喚きながら駆け込んでいた。あの時は怒りや羞恥心でブチ切れそうになったけれど、何とか努めて冷静に警察に電話をした自分を褒めてやりたいぐらい。だから、私はあの女からの出たくもない電話に出てやっている訳だ。稀に我慢しきれない時は無視しているけれど、連続で無視しない様に気を付けてさえいれば警察沙汰にまで発展することはなかった。
 一体どうして私があの女に気を使ってやらねばならないのか、という思いはずっと抱いている。あの女の奇行の所為で散々な学生時代を過ごしたし、働き始めてからは勝手に金を持ち出すような事もされた。それを許しがたいと周囲に訴えても、旦那に逃げられて可哀想な自分の母親に対して何て事を言うんだ、と真面に取り合ってくれないし、何ならあの女自体が私が可哀想だと思わないの、と泣き落としをしようとしてたくらいだ。気持ち悪い。
 あの女の旦那である私の父が、あの女のもとから逃げたのだって殆ど自業自得なのに、本当によく言える。父が家……というか母を捨てた切欠は、母が宗教に傾倒したことだというのに。
 宗教家から買った(本人は貰ったと主張していた)一枚数千円もする御札を家の壁中に貼り付け、その札に対して狂ったように拝礼しながら、家中の窓を全開にした上で大声で呪文を唱えるだとか。毎度最後の方は感極まって泣き叫びながら呪文を唱えるし、挙句、私や父にそれを強要しようとするしで迷惑極まりない。しかも朝昼晩と一日三回。ついでに言えば一回二、三時間ぐらい掛けてたな。
 当然、拝礼が何よりも重要だからと一切の家事はせず、自宅はゴミだらけ。私や父が片付けようにも、ゴミを必要なものだと五月蠅い母の所為でまともに片付けられないし、そのくせ何も手伝ってくれないという被害妄想で泣き喚く。
 更には父の友人や私の友人の親にまで札だの何だのを押し付けようとしたり、頭が足りないから何も考えずに違法のマルチ商法に加担したり。ああ、そういえば学校を休ませて宗教のイベントに参加させられた時もあったな。普段から勉強しろやらしんどかろうが学校に行けと言うのに、あの女の都合がいいときだけは勝手に休ませられるのにはいい加減うんざりだった。
 そんな風に、傍から見れば気が狂っているとしか思えない行動をする母を、父はどうにか咎めようとした。お前は間違っていると、家庭を顧みなさい、と。けれど母は間違っているのは父と私であり、真実を見通す目を持っていないから母を邪悪と断ずるのだ、と言って一切聞く耳を持たなかった。ホント、全く以て馬鹿らしい。お前に真実を見通せる目が備わっているとでも? ……なんて。
 いくら父が言おうと私が諭そうと母は私たちを「真実を見通せない愚か者」と見下し、より一層私たちが教えに目覚めるようにと宗教にのめり込んでいった。だから次に父がとった手は、活動資金を絞ることだった。家に入れるお金を生活費のみにし、母が集会へ出向いたり、高価な御札等を買えないようにしたのだ。そうすれば多少冷静になって落ち着いてくれるだろう、と。
 だが、そう上手くはいかなかった。母は、祖父母が私の為に遺したお金に手を付け、それだけに留まらず義父母に金の無心をしたのだ。父が生活費をくれない、こんなこと誰にも相談できない、父に知られると怒られる……。口から出まかせの口八丁で義父母を騙して金を手に入れて、それを使って母は宗教の活動を行ったのだ。
 流石にここまでくれば堪忍袋の緒が切れたのだと思う。父は母を見限って家に寄り付かなくなり、母は父が悪魔に取りつかれただの何だのと言って更に宗教にのめり込んでいった。そうすれば父は余計に家に帰ってこなくなって、最終的には別の宗教に嵌った挙句に不倫をして一人で家を出て行った。……そこでお前も宗教に嵌るのかよ、なんて思ったが父はまだマシだ。母よりは考える頭を持っているし、何より私に宗教を強要することがない。私に害がないというだけで充分だ。不倫はどうかと思うけれど。
 そんなこんなで現在。件の宗教から目を覚ましたかと思えば別の宗教家に嵌り、別の金持ちに嵌り……と、学習せず同じことを繰り返す母のもとを、私は成人すると同時に飛び出して一人で生きていた。不倫してる父のところに行くのは癪だし、母といれば気が狂いそうになるのだし。独り立ち以外の選択肢なんてあってないようなものだ。
 時折母が掛けてくる勧誘の電話と泣き落としを無視し、父に対する恨み言を聞き流して。たったそれさえ我慢すれば良いだけの、今までとは比べ物にならない程の快適な生活。ヘンテコな呪文を唱える声も聞こえないから、自宅で集中して物事に取り掛かれる。そのお陰で今まで積んでいた本を読みきることが出来た。家中に札が張られていないから、友人を好きに自宅へと招待できる。小学生のころなど、人を呼べない様な自宅が恥ずかしくて堪らなかったから、本当に嬉しく思う。
 人から見れば何気ない事でも私にとっては嬉しくて、今までにない満ち足りた毎日を過ごしていた。過ごすことが出来ていた。
 その、筈だったのに。
「こんにちは、君が里見百合さん……だよね?」
 その日、怪物が私の目の前に現れた。
 正確に言うならば怪物を背負った袈裟を着ている男だ。それも、私が視てしまう程の強い力を持った怪物を、まるで侍らせるようにその身の近くに漂わせている男が私の目の前に現れたのである。拙いと思ったその時には男に私が視える≠ニいう事は気取られていて、既に誤魔化しが効かない様子だった。
 ……ああ、折角今まで視えないようにしていたというのに。普通の、何の力も持たない人間の振りをする為に弱いものは視えなくして、だけど危険に近寄らないように、なんて理由で中途半端に強いモノだけは視えるようにしていたのが仇となった。
「どちら様ですか」
「ああ、すまないね。私は夏油傑。……君の母親から何か聞いてないかい?」
「いいえ」
 やっぱりあの女が原因か。何も聞く気がありませんよ、さっさと話を切り上げたいですよ、というアピールの為に言葉尻をとらえて否定の言葉を返せば、男は想定外だったのか切れ長な目をきょとりと丸くさせた。もしかして視えるもの同士、仲良くやれると思ったんだろうか。もしくは、私が、私と同じ視える人間という存在に飢えている、だとか考えていたかもしれない。
 確かに、誰だって仲間外れは嫌だろう。どんなに普通に過ごした所で、視界の端に蠢くナニカを自分だけが認識して怯えている生活は誰にも理解してもらえないし、相談なんかも出来ないのだから、ずっと疎外感を抱えて生きる羽目になる。私も随分昔はそうだった。
 けれど今は違う。私は視る≠烽フを選ぶことができたから普通になれた。今の私は特別じゃない。
「ええと、最近君の母親から教祖様、なんて呼ばれている人間なんだけれど……」
 目の前の男は、どうやら私が彼へと興味を持つことを望んでいるらしい。ニコニコと人好きのする笑顔を浮かべて、私へと一歩近付いてきた。……なんて面倒な。こういう、あの女を騙す様な手合いとはお近付きになりたくないというのに。
 確かにあの女の他人に対する依存性もおかしいが、それを良しとして利用している彼らにだって問題がある。大抵そういう奴らが私にまで近付いてくるのは親子共々金蔓にしようとしているか、もしくは若い女を手に入れたいからのどっちかだ。この男はそのどちらでもなさそうだけれど、まず何より人を騙くらかして金を受け取っている時点で生理的嫌悪感を覚える。本当に近寄って欲しくない。
「知りません」
「そうか。なら今からお話しをしよう」
「結構なのでお引き取り願います」
「つれないね。……君は気にならないかい? 視界にうつるコレだとか、自分の持つ力がなんなのか、とか」
 そう言った男は身体に纏わせていた怪物に指示を出した様で、醜悪なソレが私の眼前にまで近付いてきた。どうやら、夏油と名乗った男はどうしても私と話がしたいらしい。でも私は嫌だ。何が嬉しくてこんな怪物を近付けてくる男と喋らなければならないのか。
 一体、どうすればこの男は私の前から消えてくれるのだろう。彼が私に興味を失くせばいいだろうか? だけど、その方法が思い付かなかった。恐らく彼は私が怪物が視えるから興味を持っている訳で、視えているとバレている以上どうする事もできない。もしもいま視えなくしたとしても、逆にその原理に興味を惹かれる可能性だってある。……まあそもそも、視えているとバレた時点で詰みのようなものか。だったらシラを切って知らぬ存ぜぬを貫き通した方が、何もしないよりはまだマシかもしれない。
 そう思ったなら即行動だ。彼の使役しているらしい怪物を見つめて、それからゆっくりと目を閉じる。視えなくするやり方は結構簡単だ。目にフィルターを掛ければいい。弱っちい怪物を視えなくするフィルターの上に、怪物自体を視えなくするフィルターを掛けるのである。
 そうすれば、ホラ。目の前にいる怪物の姿なんて視えなくなって、端正な顔立ちの男がよく視えた。
「何の話ですか」
「分かっているだろう? 今君の目の前にいるコイツのことだよ。君だけが見えて周りの猿どもからは見えないモノ……呪霊って言うんだけどね」
「何のことだかさっぱり分かりませんね」
「ふふ、惚けるんだ。うーん、じゃあどうしようかな……」
 わざとらしい笑みを作った男が、私をどうしてやろうかと首を傾げる。だけどその笑みは徐々に崩れていった。
 そりゃそうだ。彼がシラを切る私の反応を引き出そうにも、今の私には一切視えていないのだから意味がない。きっと、さっきの怪物を使って何かをしているんだろう。もしかしたら私の顔とか体に貼り付けてるかもしれない。だけど今は視えないのだから、反応のしようがないのだ。
「…………おかしいね、確かに君は猿じゃない筈なのにな」
 切長な目を細め、男はこちらを観察するように見つめてくる。彼の言う猿とは一体何なのだろうか。彼の言い方から推測するに、視えない人の事を指していそうだけれど……。
 やっぱり、あの女が引っ掛かる宗教家は信用ならない。今までと違ってちゃんと視える$lであっても性格が最悪だ。人間を猿と表現する上に、それを面と向かって言うだなんて。
 先ほどまでよりも更にこの男に対する嫌悪感が湧いてきて、この場を離れたい気持ちが強くなってきた。
「もう帰っていいです、か?」
 黙り込んで私を見つめている彼に、首を傾げながらそう言ったその時だ。右頬に焼けるような熱さを感じたと同時に、目の前の男の顔が驚愕で彩られた。
 頬が痛い。思わず手のひらで頬を抑えようと腕を動かせば、そこにも焼けるような痛みが走る。男に攻撃をされた? いや、それならば彼が驚いたような顔をする訳がない。きっと彼にとっても想定外のことがあった筈だ。
 じゃあ何が? 混乱しながらも現状を把握しようと目に力を込めるが、それよりも先に視界がぐるぐると回りはじめる方が早かった。視界が歪んだかと思えば平衡感覚がなくなり、私は膝から崩れ落ちた……のだと思う。
 ──気付いた時には、私は胡坐を掻いた男に横抱きにされて空を舞っていた。…………空、飛んでる。
「拉致ですか?」
「人聞きの悪いことを言わないでくれよ。人助けさ」
 恐らく傷を負ったであろう頬は、どうやら彼が布を押し当ててくれているらしい。腕の方をちらりと伺うと、布でぐるぐる巻きになっている。まあ、人助けというのは強ち間違っていないのかもしれない。でも、どうせなら普通に病院に連れて行ってもらいたかった。強制的に空中散歩なんてされてしまえば、逃げ場がないじゃないか。
「どうにか私の目を誤魔化そうとしていたけれどね、その呪力量で呪霊が視認できないというのはまずありえないんだ。だから見えている上で、呪霊を纏わりつかされても無視できるくらいの度胸の持ち主かと思ったんだけど」
「……」
「君、視界に関する術式を持っているよね。きっとあの時、君は本当に呪霊が見えていなかったんだ。そうじゃないと、わざわざ尖ってる呪霊に触れるわけがない。それにあの呪霊はどう見たって毒があるってわかる見た目だから、無駄な危険なんて犯さないだろう?」
 私の目の下を親指でなぞり、顔を覗き込みながら断定したようにそう述べた男に、詰みを確信した。私が知らない部分で視える≠ニ判断されてしまったなら、もうその理由や原理を知らない私はどうすることもできない。それに、視界に関して私がなんらかの力を持つと看過されてしまったし。
 ……あの女、本当に面倒な事をしてくれるな。今までのように何も視えていないただの詐欺師だったら私も遇らえただろうに、ここにきて本物を引き当てた。しかも今回の男は想定以上に頭が回るし、恐らく私よりも圧倒的に格上。今まで私と同じように視える人間と出会った事はないが、それでも視るものを選ぶ事しか出来ない私に対して、彼は怪物を操る事ができる。どう足掻こうが勝ち目がない事なんて分かりきっていた。
「……そうですね」
「やっぱりそうなんだ。じゃあ、あの猿が言っていた千里眼のようなものも使えると思っても良さそうだね。ふふ、素晴らしい。高専より先に見つけられて良かったよ」
 そんなことまで喋っていたのかあの女。最悪じゃないか。
「とりあえず治療の為に私の家に向かうからね。信者たちもいるからあまり騒がないように」
「結構です。行きたくありません」
「ワガママを言わないでくれよ。それに空を飛んでいる今、あまり私に逆らわない方が得策だと思わないかい?」
「承知の上です。私に触らないでください」
 落とすぞ、と暗に脅されようが知ったことではない。そんな事よりもこういう男に触れられている事の方が重大だ。この男が私に接触してきた理由が今までの奴らと違っていても、他人を食いものにすると言う点はあいつらと一緒だろう。だから嫌だ。関わりたくない。ましてや家に連れていかれるだなんて吐き気がする。だったら落下死した方がよっぽどマシじゃないか。
 私を抱えている男の胸を怪我していない方の腕……左腕でグイグイと押してどうにか離れようと身を捩り、ついでとばかりに脚もばたつかせる。けれど、突然脚に柔らかな何かが巻き付いたかと思えば、脚がぴくりとも動かなくなり、同時に私を抱きかかえる男の腕の力が強くなって腕まで動かせなくなった。まだ視えるようにしていないから視認はできないけれど、怪物で拘束でもされているのだろう。……ああ、参ったな。
 どうしてこんなに拒絶している私にこだわるんだろうか。よっぽど視える人間の数が少ない、だとか考えられるが……さっき彼が言っていた高専≠ニ言う言葉がどうも気にかかる。人の名前ではなさそうだからなんらかの組織なんだろうが……。口振りからして、きっと彼のような視える人間でも所属しているのだろう。ついでに言うと彼はそことは方針の違う、あるいは敵対している存在……だったりして。推測でしかないけれど、そう外れてはいない筈だ。だってどう見たってこの男は胡散臭い。
 そして私の想像通りにこの男が何かしらの存在と敵対しているのなら、彼に見つかってしまった私が巻き込まれる可能性だって相当高くなる。時すでに遅しかもしれないが変なのには巻き込まれたくない。だって、平穏こそが一番なのだから。
「そんなに嫌がる事なのかな。君は私の事を何も知らないだろう」
「あなたの事を知ったとしても無理なものは無理です。それに、あなたにそれを言う資格があるとでも?」
 言葉の端々から感じ取れる程に彼は視えない人を差別しているようだったし、私の考えに文句なんて言わせない。彼を睨みつけてそう言ってやれば思うところがあったのか反論できないようで、彼は押し黙ってしまった。この調子でいけば素直に解放してくれるかもしれないし。逆ギレをしてくる可能性もある。その場合カッとなって私を手放してくれるだろうし万々歳だ。
「……怪我させるつもりは無かったんだよ。だから治療くらいはさせてくれ」
「病院に行けば済む話でしょう。もう降ろしてください」
「その傷で病院へ行かれて警察沙汰になるのは困るんだ。それに、私が傷付けたんだから責任くらい取るよ」
 もしかして、彼はここまで拒絶されるだなんて思ってもいなかったのだろうか。抱え込んだ私の顔を見つめる男からは初めに接触してきた時の余裕ぶった表情は消え去っていて、なんだかとても傷付いた様な表情を……。というか落ち込んでいる……? まさか、と信じられない気持ちでまじまじと彼の顔を見上げた。
 すると、私と目が合った事で何か誤解したのだろう。彼の顔がパッと明るくなって、上機嫌な様子で口を開いた。
「やっぱり一緒に──」
「行きません。離してください」
 嫌だって言っているのに何を勘違いしてるんだか。ノーを突き付けて私は断固として拒否したものの、最終的には男が私の家に来る羽目になった。いつの間に免許証を盗ったんだ。



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