01

 満開の枝垂れ桜だ。夏の季節に合わぬ満開の桜が、その山にはぽつんと一本だけ立っていた。周囲にはその桜以外の草木の一本も生えておらず、まるで桜が辺り一帯の栄養を根こそぎ奪い取ったかのよう。花開いている桜と季節が合わないこともあり、異様とも言える景観だ。しかし薄らと全体が発光している桜の花弁が、夜風に吹かれて無数に散る様は幻想的で美しくも恐ろしい。
 その美しい風景を見上げるように、一組の男女が樹の根元に立っていた。一人は浴衣を身に纏った男で、一人は黒のワンピースを身に纏った女。どこかチグハグな印象を受ける彼らは、満開の桜を前にして何をするでもなく、ただぼけっと間抜け面を晒して上を見ながら突っ立っていた。幻想的な風景が台無しである。
 ──それから暫くして、桜を見飽きた様子の男の方が口を開く。

「ええ……全然綺麗ちゃうやん。もっと派手になるか思たのに。ショッボ」

 男の形の良い唇から飛び出したのは罵倒の言葉だった。端正な顔を心底どうでもいいと言いた気に歪め、彼は同意を求めて傍らの女に目を向ける。どうせオマエもつまらん思っとるんやろ、なんて。
 しかしながら女の方は、男の言葉と視線を受けて肩を竦める。彼女は内心、何言ってんだこいつと思っていた。男に情緒のカケラもない事は百も承知であったが、この美しい光景を前にして随分と酷い言葉だ。母親のお腹の中に倫理観というものや、人間に必要なものをいくつか置いてきた男らしいと言えば、らしいかも知れないが。
 それにしたってもう少し情緒と言ったものぐらい持ち合わせていても良いだろうに。女はそう思って、男に反論するように口を開く。

「ええやん季節外れの桜。空気読めてへん感じが最高にイカしとるやないの」
「空気読めてへんのはお前のほうやろ。そこはつまらん言うとき」

 まあ、男を内心でこき下ろしていた女も女で感性が人とズレているので、男と程度の変わらない発言をした訳だが。何ゆえ幻想的な風景を前にしてその様な言葉が出てくるのやら。まあ、ある意味では似たもの同士な二人なのであろう。
 そんな風に目の前の桜を晒す様な言葉の応酬を続けながら、二人は傍に置いていた荷物に手をかけた。男はスコップで、女はチェーンソーだ。

「えー、この度はァ、父ィ、八色与七の十回忌にお集まり下さった皆々様にィー……」
「早よ切りぃやドアホ。あとお前のおとんの名前、ヨシチちゃうやろ」
「こういうのは形が大事やん。折角のキリのええ十回忌やで、十回忌」
「そういうんええから早よしぃ。つまらんからさっさと終わらせて先斗町行こ」
「……しゃーないなぁ。ほな直哉サマの言う通りにさせていただきますぅ」

 薄らと光を放つ花弁が舞い散る中、巫山戯た物言いで一頻り男と戯れ合った女は、徐に手にしたチェーンソーの電源を入れた。ヴヴン、ヴヴン、というけたたましい音が周囲に鳴り響き、隣にいた男は顔を顰めて耳を抑える。あまりの五月蠅さに、うっさいねん、と男は抗議の声を上げたが、彼女には一切聞こえていないらしい。女は男を無視したまま桜を見つめ、グリップを握りしめてチェーンソーを大きく振りかぶった。
 そして、一呼吸を置いて女がチェーンソーを振り下ろし、その刃が桜の木の幹に食い込む。──次の瞬間、幹の切り口から血飛沫が舞い上がり、美しい枝垂れ桜は大きく唸り声≠上げた。チェーンソーのエンジン音といい勝負が出来るほどの大音量。しかも、垂れ下がった枝の一本一本から声が発されているかと勘違いしそうなほどの無数の声が混ざり、重なり合っている不協和音である。当然、増えた騒音に男の整った顔は一層顰められた。
 ……と、ここで遂に彼の苛立ちは頂点に達したらしい。男は手にしたスコップを木の根に突き刺して、ザクザクと土を掘り起こしはじめた。その行為にすら何故か痛み≠感じている様子の桜の木は、余計に大声で唸りを上げる。見事な悪循環であるが、やらねばいつまで経っても終わりはしないのだから仕方がない。

「うっとしぃなぁこの木偶」
「なんてぇ?」
「鬱陶しいなこの木偶言うたんや!」
「もっかい言うて直哉くん」
「聞こえとるやろがボケナス」

 隙あらばボケようとするこの女は、もしや大阪人ではなかろうか。じとりと女を睨め付けた男であるが、女が大して何も考えずに言葉を発する脳足りんと知っていたので、向う脛を蹴り上げるだけで勘弁してやる事にした。ただ、この男は容姿や言動に似合わぬ筋肉量の持ち主なので、蹴られた方からすればたまったものではない。女は鋭い痛みに思わずチェーンソーを取り落としかけたが、ギリギリ持ち堪えた。
 なんて事をしてくれるんだ、と女が憤然とした様子で男を見つめるがなんのその。男は女を無視して土を掘り続けていた。全く、酷い男である。

「直哉くんのいけず、けちんぼ、ぼんぼん!」
「お前にだけやから感謝せえ。あとその語彙の無さどうにかならんの」
「やーいドカス」
「ど突き回したろか、このクソアマ」

 スコップを持って女を罵倒する男、禪院直哉。チェーンソーを振り翳す女、八色朝陽。互いに言いたい放題言っているが、まあ破れ鍋に綴じ蓋というか、こんな夜更けに二人で山登りを決行する程度には仲が良いのであった。

「てかなんでこいつ血ィ出しとんの」
「アレちゃう? 埋めた≠ィとんの血ィ吸ってこんだけデカなったからとか。知らんけど」
「血ィ吸ぅたとかそう言うレベルの出血ちゃうやろ。お前のおとんの術式が何か作用してるとかちゃう?」

 ザク、と直哉が木の根を断ち切る様にスコップを突き刺している、そのずっと奥深く。
 ──そこには、八色朝陽の父である八色西蔵の死体が埋められている。



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