Who am I



 ムカつく監督エゴイ・ソレルを見る。視る。観る。彼が今まで撮った作品も、現場での逸話も、果ては幼少期の出来事まで全部頭の中に詰め込んでいく。彼はどうしてアタシの事が気に入らないの? きっと性格が合う合わない、なんて単純な話じゃない筈。彼が敵意を示す相手がアタシである明確な理由はなんなのかしら。それを知る為に、彼の全てを見て、視て、観る。
 同時に、プロデューサーエミリオ・ラゴの好みもインプットしていった。彼が立ち上げる企画に呼ばれやすい、彼がよく必要とする人間の特徴は? どういう立ち居振る舞いの人間を彼は好ましく思う? 見つけた要素で上から下まで全て彼の好みに成るのではなく、アタシをベースにその要素を上乗せしていった。だって全部成ってしまえばヴィル・シェーンハイトである意味がないもの。アタシでありながら、彼の心を擽る人間じゃないと。
 そして最後に、脚本家ベン・レヴィの作品を読み漁った。彼の好きな展開と言い回し、服装だってプロデューサーの好みと彼の好みに近くなるものを選ぶ。彼らに気に入られる為に徹底的に調べ上げて、ヴィル・シェーンハイトにそれらを纏っていくの。主役がアタシで、彼らの好きなファクターはただのアクセサリー。そもそも本質は変わらないし、変えるつもりはない。何せアタシは唯一無二のヴィル・シェーンハイトですもの。
 当然、簡単にできる事じゃなかった。ひとりひとりをじっくりアタシのものにするのなら、今までと変わりないから簡単だったでしょう。でも今回は三人同時。かつ、ドラマの撮影の為に役柄マークをアタシに落とし込む作業もある。今までにないくらい忙しかったわ。ついでに助監督の好みも探ったりしてたしね。
 でも、それがなんだっていうのかしら。だってアタシはヴィル・シェーンハイト。成りたいものに成る為ならなんだってしてきたアタシが、誰かに成る事に余りある才能を注ぎ込んでるんだもの。その程度の障害を乗り越えられないはずがない。

「おはよう、ヴィーくん! 今日もよろしくね」
「ええよろしくね、ネージュ。良い一日にしましょう」

 キラキラとしたエフェクトでも使っているのか、と勘違いしそうなほどの可愛らしい笑顔を見せるネージュに、ツンと顎を上げながら薄い笑みを返す。これがいつも通りの皆が好きなアタシ。綺麗で美しくて、どこか女性的な魅力を醸し出している少年の顔よ。ただまあ、監督はアタシのこの顔が気に食わないみたいだけれどね。
 今だってネージュの笑顔のそばにアタシの顔がある事を嫌って、苦々しげな顔を隠そうともしてないもの。アタシが監督の表情を少し気に掛けている素振りを見せれば、プロデューサーに疑念を抱かせるには十分なくらいのカオ。ホント、分かりやすいったら。
 ──監督エゴイは、悪役が嫌い。彼が手掛けてきた数々の映像作品から、その事は即座に理解できた。この監督の作品に登場する悪役は犯した罪以上の罰を与えられ、徹底的に惨めったらしくひとりぼっちで地面に這い蹲る様な終わりを迎えるの。原作のあるドラマですら悪役の悪事が誇張され、原作以上の罰を受けることが多い。
 対して、彼は主役や善人にはとても甘かった。多少の困難に見舞われようが、善人たちは必ず報われる。花が咲き誇るような笑顔を見せる主人公は誰からも愛され、全てが祝福されているような人生ばかり。ホント見事なまでの勧善懲悪。だからこそ大衆に好かれる作品を彼は作ってきたのだろう。アタシとは気が合わないけど。
 ……つまりは。アタシがなにを言いたいかというと、監督は悪役アタシが嫌いということ。アタシは悪役を演じている役者でしかないのに、ネージュっていうどう足掻いても主人公でしかない光≠フ様な人間がいるからか、監督はアタシを悪役と同一視してアタシを嫌っていた。アタシ悪役の存在感がネージュ主人公より大きいから、それだって気に食わなさに拍車をかけているのだろう。
 バカみたいよね、いい年した大人が空想と現実の区別がついてないって。でも監督は大真面目にアタシを悪役と思って嫌っている。主人公であるネージュと仲良くしていれば、悪役の影響を受けないようにって引き離すぐらい。アタシの演技力が勘違いを起こさせているって思えば良い事かもしれないけど、こういう厄介事が齎されるのなら考えものよね。
 天才ってホント大変、なんて事を考えながらネージュに一歩だけ近寄る。そうすれば普段よりもアタシとネージュはずっと近い距離になって、監督の顔がさらに歪む。うん、想定通りの顔ね。このまま監督の決定的な言動を引き出す為、いつも以上にあの男を刺激するとしましょうか。なんてったって今日はプロデューサーと脚本家が撮影現場に訪れてるのよ。今までの仕込みを活かすのに、うってつけの日じゃない。

「今日は実技試験と成績発表を演る日だね! ピアノを弾く演技、ちゃんと出来るかなぁ……」
「アタシが貸したDVD観て練習したんでしょ? なら出来るわよ、アンタなら」
「ヴィーくんが言うなら出来そうな気もするけど、でも僕、今までピアノ弾いたことすらなかったんだよ?」

 いつもより近くにいるアタシが稀で甘えたいのか、アタシの腕を掴んだネージュがあからさまな弱音を溢す。珍しいこともあるのね、ネージュがお芝居に対してこういう事を言うなんて。一体なにを考えているのかしら、と彼の顔を見つめるがイマイチ真意が分からなかった。それこそ、本当に珍しい≠アとに。
 ネージュは頭がお花畑みたいにぽやぽやして鬱陶しい子だけれど、でも全く何も考えていない訳じゃない。アタシには理解できない思考回路だろうが、ネージュだってちゃんと自分で考えている。彼は彼なりに考えて、その上で真っ直ぐな言葉を返してくるのだ。その発言があまりにも能天気に聞こえようがね。
 だからその思考が理解できずとも、今のネージュは何かの目的があってアタシに弱音を吐いているはず。そこまでは分かるんだけど……。

「アンタが本当に不安なら、本番当日じゃなくてとっくの前にアタシに泣きつくでしょう? 慣れないことウソはするもんじゃないわ」
「わぁ、バレちゃった。やっぱりヴィーくんはすごいね!」

 そう言って、ネージュはアタシの体に抱きついてきた。もう、歩きにくいったらありゃしない。監督が嫌そうな顔をしてるから止めはしないけど、なんだか気になるわね。どうしてウソを吐いてまでくっ付くのやら。
 あんまり大きな声で聞くのもなんだし、とネージュにこっそりと尋ねる。

「ねえ、アンタなにがあったの?」

 そうすると、やっぱり珍しく嫌そうな、悲しそうな顔をしたネージュが耳元で囁いてきた。

「この前、監督にヴィーくんの悪口を言われたの。ヴィーくんは悪い子だからあんまり近寄るなって。でも嫌だからいっぱいヴィーくんと一緒にいようと思って……。嫌だった?」

 へぇ。ふぅん。そう。アイツ、そういうことするんだ。へえー。

「嫌じゃないわ。アンタとアタシの仲じゃない」

 ──絶対潰す。

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 学園の中庭に設置されている掲示板。中間考査の成績が張り出されているその場所は、己の位置≠知ろうとしている生徒たちでごった返していた。もちろんヘンリーネージュも己の成績を確認する為にその場所を訪れており、──例の彼もまた、当然の様にそこにいた。

「ハッ、随分と大口を叩いていたけれど、口程にも無いじゃないか。それでよくもまァ……ボクの前に立てたものだな」
「ま、マークくん……」

 すれ違いざま、ヘンリーの足を引っ掛けて転がした彼……マークヴィルは、そう言ってヘンリーを見下ろした。その目には、隠し切れない侮蔑の色が浮かんでいる。貴族の家に生まれ、この学園に於いて最上位の成績を収めているマーク悪役からすれば、一般家庭の生まれで平均以下の成績しか残せていないヘンリー主人公は嘲りの対象。彼がヘンリーを見下し、嫌悪感を抱くのは当然の事だ。ヘンリーだってマークのその行動の理由は理解している。
 ただ一つ、解せない事があるとするならば。ヘンリーを見下すマークの蔑んだ瞳の色に、別の感情の色が幾つか浮かんでいる事だろうか。ヘンリーに今まで向けられた事のない、初めて見る感情だ。マークの美しく輝く瞳に浮かぶその感情の色を、ヘンリーはもっと良く見ようと目を凝らし──。


 ∽∽∽∽∽∽∽

「カットカット! 違うよ、ヴィル君。そこはヘンリーに対してもっと意地悪な顔をしないと! 他の感情は混ぜないで!」

 アタシを見上げるネージュから目線を外し、メガホンを振る監督を見つめる。ホラやっぱりね。ここでアタシの演技を止めると思ったわ。だって監督は徹底的なまでの勧善懲悪を好んでいる。悪役アタシに混じる主人公ネージュへの恐怖や羨望なんていう悪意以外の不純物≠望んじゃいない。脚本には明言されておらずとも、悪役が複雑な感情を抱いているって誰だって察することが出来ようが関係なしなのよ。

「マークがヘンリーに色々な感情を持ってるって分かる様にしなくて良いんですか?」
「ヴィルくん。このマークは意地悪な同級生なんだ。他の感情の演技なんて必要ないし、そもそも他の感情を混ぜるだなんて事をしちゃったら、キミは意地悪な顔ができないだろう?」

 やっぱりこの男ってば息をするかの様にアタシの演技をこき下ろすんだから。アタシのプライドでも折りたいのかしらね。折れるつもりは一切ないけど、鬱陶しいったらありゃしない。

「出来ます。出来ているから監督はぼくの演技を止めたんじゃないんですか」
「出来ていないから止めたんだよ。それに他の感情は要らないから」
「じゃあどうして撮影を止めた時に他の感情は混ぜないで≠チて言ったんですか? 他の感情が混ぜられてるって分かる演技が出来てたから、そう発言してぼくの演技を止めたんでしょう」

 アタシに文句を言う事が目的だから、言ってる事が意味不明でもお構いなしみたいね。アタシが複雑なカオが出来てない、ってどこ見て言ってんのかしら。他の感情が必要ないっていうのも納得できないし。もはや脚本に関係なくアンタの好みでしょって感じよ。

「それは君が意地悪な顔が出来ていなかったからで」
「監督はもっと∴モ地悪な顔をしてとも言いましたね。つまり意地悪な顔自体出来ているのでは?」
「──ヴィルくん。自分の演技に自信があることは良いけれど、自惚れるのは良くないね。君の技量は複雑な感情を表現する程のものに至っていないんだ。もっと演技の勉強をしなさい」

 アタシを諭すように、それでいて馬鹿にした発言をする監督に苛立つ。演技の勉強なんてしてるに決まってんでしょ、この節穴。親バカの気があるとはいえ、演技に妥協なんてしない実力派の超人気俳優であるパパが、役に呑まれているんじゃないかって勘違いするぐらいの演技が出来てんのよ。まだまだ発展途上とはいえ、アタシの演技は一流にも通じてる。そのアタシの技量が足りてないですって?
 そんな事を言われてしまえば、アタシは……。いいえ、アタシのファンだったら口を出さずにはいられないでしょうに。

「監督」
「おや、ベン先生。どうされましたか」
「先程の監督がNGを出されたフィルム、そのままドラマに使っていただけませんか?」
「……はい?」

 一週間ほど前だったかしら。マークを演じる事に不安≠覚えたアタシは、脚本家のベン・レヴィに役柄の解釈の正誤を尋ねに行ったのよ。そこで今日演技するマークの顔を彼に見せたのだけど……ね。
 彼ってば、アタシがドン引きするぐらいに喜んでくれちゃったの。彼の好みになるような服装と言動をしていたとはいえ、上手くいきすぎてびっくりよ。キミは正に理想のマークだ、キミのマークならいくらでも外伝を書きたいよ、なんて大騒ぎ。最終的にはヴィル・シェーンハイトに相応しい脚本を書いてみせるから楽しみにしていて、なんて言われたわ。これぞ棚からぼたもちってやつね。
 と、まあそれくらい彼が好んだマークがまさかのNGになったのなら……そりゃあ脚本家のベンは黙っていられない。彼はアタシのファンにもなってくれたみたいだし、余計にね。

「あれがNGなんてとんでもない! あのマークこそ私が書いたマーク・ロメロそのものなんです。羨望と恐怖が混ざった、ヘンリーを見下すあの顔! あれは私が思い描いていたままの顔です。あれを放送してください」
「ベン先生、お言葉ですがあのシーンのヴィルくんの演技は未熟すぎて、放送するだなんてとてもとても……」
「ヴィルくんの演技が未熟?! あんな大人顔負けの演技をするヴィルくんが未熟な訳ないじゃないですか!」

 アタシの思惑通り……というかそれ以上にぎゃんぎゃんと監督に向かって吼えたてるベンから少しずつ距離をとり、蚊帳の外にいたネージュの隣に立つ。するとやっぱり監督の顔が歪むものだから笑っちゃいそう。ホント、アタシの事が嫌いよね。あとネージュの事が好きすぎ。

「ヴィーくん」
「なぁに、ネージュ」
「監督に言われたことをプロデューサーさんに言ったらね、すごく顔真っ赤にして怒ってたよ」

 良いことしたでしょ、と得意げにしているネージュの背中をポンポンと叩く。良くやったと頭を撫でてやっても良いけど、そうするとせっかくセットした髪がボサボサになってしまうしね。これで満足して欲しい。
 ネージュに告げ口してもらったプロデューサーはというと、どうやら監督に文句を言うのはベンに任せて助監督となにやら話し込んでいる。パソコンを前にして何かの映像を観ているようだけど、一体何かしらね。アタシの予想じゃ、今まで監督がアタシの演技にNGを出してきたシーンでも見返してるのかしら、なんて。
 ──あのプロデューサーにも当然、脚本家のベンにしたような仕込みをしてある。監督に渾身の演技をNGにされる事が増えて、アタシは徐々に自信を無くしてきたという事にした≠フ。そこで役柄の解釈を不安に思ったアタシは、プロデューサーにそれとなく内心を吐露して、脚本家に繋いでもらって解釈が合っているか見てもらった……と。そういう訳。
 だからプロデューサーからすると、不安そうにしていた稀代の天才子役が、自分が引き合わせたドラマの脚本家と会ってから自信を取り戻したかと思えば、まさかの監督の難癖で頭を押さえ付けられているのだ。しかも別の子役にアタシの悪口を吹き込んでいるとまできた。もしや今までのNGもヴィルという子役を嫌って、言いがかりでNGにしているんじゃないかと、そう判断しても不思議じゃない。

「何度も言っていますが! あのシーンは悪役であるマークが卑劣な人間であると印象付ける為のシーンなんです! 羨望も恐怖も必要ありません!」
「羨望や恐怖が混ざってなければヘンリーがマークの態度に疑問を持たないでしょう!」
「必要ないです! マークは惨めに学校を追いやられるのだから、ヘンリーからの救いの手だって要らない!」
「なんですって?!」

 プロデューサーの様子を伺っているうちに、監督と脚本家の喧嘩が更にヒートアップしてきた。監督が冷静にならない様、わざわざ彼の視界の端でネージュとこそこそ話をしていたから、然もありなん。手が出てないだけマシかもしれないが、互いに怒鳴り合ってどうしようもなさそうだ。意見も平行線みたいだし、どうやって止めようかしら。プロデューサーが止めてくれると嬉しいんだけど。
 チラとプロデューサー……エミリオの様子を伺うと、彼とばっちり目が合った。そしてにこりと微笑まれる。彼はどうやら映像の確認を終えたらしく、助監督を伴って監督の元へと足を向け、そのまま別室へと移動していった。よしよし、アタシの思い通りに事が運びそうだ。どうかあの監督をコテンパンにとっちめてちょうだいな。
 ──それから数日後。webニュースの芸能欄のトップを飾る記事のタイトルを見て、アタシはにんまりと笑みを浮かべた。

【ドラマ「箱庭の旋律」監督交代! PDとの対立が原因か?】

 プロデューサーと脚本家、どちらか片方だけに絞って仕込みをしていたらここまでうまくいく事は無かったと思う。脚本家に対しては、アタシが台本にたくさんの書き込みをして、脚本の解釈のメモをたくさん貼って。その上でアタシの思うマークを脚本家の前で演じたから、彼はアタシのマークを理想と認めてくれた。もし認めてもらえていなければ、脚本家が多少思う事はあれど、数々の実績≠フある監督の思う映像が出来上がっていただろう。悪意以外の感情のないマーク・ロメロは堕ちる所まで堕ちて、一欠片の救いのない終わりを迎えた筈。
 そしてプロデューサー。彼にはアタシ自身の努力の痕跡を見せて、もっと頑張りたいという意思をみせていた。彼に気に入られるような振る舞いもね。それがなければ、ただNGをよく出す子役としか思われていなかっただろう。彼がアタシをよく見るきっかけを作ったから、彼はアタシが間違ってないって思って監督と話してくれたの。
 だからあの二人には感謝しなくちゃ。どうにかしてお返ししないとだけど、どうしようかしら。アタシの事気に入ってくれたみたいだし、彼らの望むアタシを演じるのもありね。恩返しするならそれくらい苦じゃないもの。それに彼らに更に気に入って貰えたら、彼らを通じて人脈が増えるかもしれないし。
 そんな風に未来を思い描きながらニコニコしていると、記事が気になったのかパパが背後からタブレットを覗き込んできた。そしてじっと内容を読み込んだかと思えば、すごく神妙そうな顔でアタシを見る。

「もしかしてだけど、ヴィル……なにかやったのかい?」
「嫌だわ。パパならまだしもただの子役のアタシが監督を降ろせる訳ないじゃない」

 アタシの言葉にパパは納得いかないような顔してるけど、アタシはただ脚本に相応しい演技をしただけよ。それ以外は上≠フ人に気に入られるように振る舞っただけ。監督を降ろして欲しいだなんて一言だって言ってないし、降ろされたのは彼の自業自得よ。

「……父さんはヴィルならいつかやると思っていたよ」

 もう、人聞きの悪いこと言わないでよパパ!


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