助演の女

 人ってああも化ける事が出来るものなのね、とヴィルは素直に感心した。あんな子がどうやってこの役を演じ切るのだろう、という杞憂は無駄だった様だ。

 ……ヴィルの目の前に広がっているステージでは、女が這いつくばって高らかに己の愛を歌い上げていた。惨めったらしく、哀れな程に声を震わせて。けれども、それでも、彼女は美しかった=B


※※※


 有名なミュージカルを映画化するにあたって、ヴィルに珍しく主演の依頼が届いた。久しぶりの主演かつ、あのネージュ・リュバンシェが居ない。その事に喜んだヴィルであったが、その作品の名前を聞いた瞬間に眉を顰めた。

 ヴィルがあまり好きじゃない作品だったのである。

 長い間親しまれ続けたその作品を、ヴィルはその昔両親に連れられてミュージカルで観た事があった。太古の実話を物にしたその作品の主人公は、美しく高貴な騎士のエリオット。彼は隣国に囚われた王女を救う為に旅をし、様々な試練を軽々と乗り越えて見事王女を救い出して恋に落ちる。まあそこまでは勧善懲悪の、シンプルながらもいい舞台だとヴィルは思っていた。主人公エリオットが熱血漢ではなく、理性と知性を以って試練を乗り越えるところも好ましかった。
 が、ヴィルにとっては続きがなんとも気に食わない。エリオットが国に戻り、一度故郷の町に足を運んだ際に現れる女、ソフィア。彼女はエリオットに心底惚れており、彼が両親に王女との恋の話と結婚について告げているところを盗み聞きしたのだが、そこからが問題だ。
 エリオットに縋りながらソフィアは恋心と愛を打ち明け、けれどエリオットは当然その愛を受け取らない。しかしソフィアとしても簡単に諦めきれる筈もなく、王女の待つ王都へと向かうエリオットをソフィアはしつこく追いかけてくる。つまるところストーカーだ。
 しかし。恐ろしい程に己に執着心を見せるソフィアに、なんとエリオットの心が揺れるのである。ソフィアが気になる、とエリオットが歌い上げた瞬間ヴィルは何だこいつ、と口に出して言いそうになった。

 アンタ、王女との結婚の話をしに故郷に帰ってきたのに、なんで別の女に心を乱されてんのよ。昔好きだった女だとか、故郷で1番美人だと有名な女だったならまだ展開的に分からないでもないが、この女は普通の村娘。エリオットの視界に入ることすら無かった筈の女。そんな彼女に追い縋られて、心が揺れる? 試練を乗り越えて救い出し、恋に落ちた王女はどうしたのだ。
 しかも実話らしいと聞いて、余計にヴィルは憤慨した。

 が、結局エリオットは王女と結婚し、ソフィアは失意のまま狂い死ぬ……なんて、なんとも後味の悪い結末。エリオットがソフィアに靡く素振りをしなければ、純愛物語としても美しいミュージカルになっただろう。なのに、どうしてソフィアにエリオットが靡く描写を入れたのか。……実話でも靡いたのかしらこの男。
 ヴィルにはエリオットの気持ちが全く分からない。女の敵だこんな男なんて、とまで思っていた。

 なのに、何の因果かエリオット役がヴィルのところへと回ってきたのだ。確かに前半部分のエリオットは文句無しに格好良い。王女の為に策を巡らし、時には武勇で以て敵を蹴散らす。冷たそうな顔を普段からしておいて、恋に落ちれば甘い顔すら見せる。……確かにその部分は演じ甲斐があるのだが、後半部分がやはりヴィルには気に食わない。


「ヴィル、一度騙されたと思って今上演しているミュージカルを観てみない? 昔と今じゃ感じるものが違うかもしれないし、最近は昔以上に評判がいいのよ、この作品」


 ヴィルのマネージャーであるアデラがその言葉と共に、国立劇場で上演されている件のミュージカルのチケットを彼に手渡してきた。昔に見た地方の小さな劇団のミュージカルではなく、選りすぐりの役者を集めた歌劇団の公演だ。
 ついでに受け取った公演のフライヤーに書かれている名前も、超一流が揃っている。ヴィジュアルも流石国立劇場で上演しているだけあって、古代の服装を取り入れつつも実に華やかなものになっていた。ヴィルが幼い頃に見たものとは随分違う。
 ……でも、ヴィルが好きじゃない展開は変わらない。フライヤーに写っている凛々しい顔立ちで剣を掲げている主人公は、ただの村娘に心揺らされるのだ。恋仲になったばかりの王女がいながら。

「そ・れ・に、彼女! エヴァ・ランベール。彼女だけは映画にも同じ役で出演するから、観て損は無いわよ」
「エヴァ・ランベール……? 聞いた事ないわね。ソフィア役の子?」
「ええ。彼女、このミュージカルがほぼ初舞台だそうよ」

 フライヤーの左下。舞台上でぺしゃりと崩れ落ちている様子しか写っていない為、顔すら分からない女。恐らくこの写真の彼女がエヴァ・ランベールなのであろうが……。
 ヴィルは少しだけ眉間にシワを寄せる。劇中後半のエリオットが気に食わないのもそうだが、ヴィルはソフィアもあんまり好きでなかった。男に一途なのはまあいいだろう。が、どうしてあそこまで惨めなままで追いすがるのか分からない。もう少し綺麗に整えて追いかけなさいよ、とヴィルは思うのだ。好きな男を射止めたいのなら、自分を美しく見せるぐらいしたらどうなのか、と。……つまるところ、己の美意識に合わない役柄の女なのだ。
 前半部分が面白いだけに、余計に後半のエリオットとソフィアのやり取りがヴィルには合わない。アデラが推してくれるのはありがたいけれど……と、断りの文句を述べようとしたヴィルは、けれどもその言葉を発しなかった。
 何故ならば、このオファーは久方振りのヴィルの主演。最後まで舞台に立ち続けたいという彼にとって、逃したくない大役だ。けれど、自分の考えを曲げて好きじゃない役を演じるのだって真っ平ごめん。
 主演をしたいけど、演じたくない役柄。出演するかしないか、どちらを選ぶとしても後悔が残るだろう。

 なので、取り敢えずヴィルは業腹ながらも結論を後回しにする事にした。オファーへの返事は急がなくても構わないとの事だったし、件の最近評判が良いミュージカルを観て、自分の感情を再確認してからでも遅くはないだろう、と。


「今度、コレ観てくるわね」
「ああ良かった! きっとエヴァが演じるソフィアを観たら、貴方もエリオットを演じるのに前向きになるわ……!」


 満面の笑みでそんなことを言っていたマネージャーを思い出しながら、ヴィルは目の前の少女を見つめる。第一印象は目が大きくて可愛い子、だった。

 ヴィルが混雑を避ける為に少しだけ早く劇場に訪れた際、何故かスタッフに誘導されて楽屋に通された。恐らくアデラが予め手を回していたのだろう。それにしたってアタシに何か言ってくれたっていいのに、と面食らったヴィルであるが、澄ました顔で役者たちと顔を突き合わせた。
 エリオット役はテレビでの露出は少ないが、天才子役として有名だった男。王女役は、有名歌劇団で何度も座長を務めたことのある女。2人ともヴィルとまではいかないが美しい顔立ちなので、舞台で寄り添う様はさぞや映えることだろう。
 そして。件のソフィア役のエヴァ・ランベール。舞台上での彼女を見て判断してやろう、と事前に何も調べてこなかったヴィルは、彼女の顔面に少々驚いた。なぜなら彼女は、ソフィア役には似合わない程に可愛らしい顔立ちなのである。目が大きくて、庇護欲を唆るような可愛らしい顔だった。
 ……設定上は田舎に住んでいる、どこにでもいる様な村娘がソフィアというキャラクターだ。特別可愛いだとか、そう言った設定は一切無い。なのに見た目だけならばヒロインである王女と同等……好みだけで言えば、寧ろヴィルはソフィア役のエヴァの方が綺麗だと思うほど。
 ……こんな可愛らしい子に、あんな惨めったらしい顔が出来るのかしら。国立劇場という、一流しか立つことの許されない舞台で演じているのだから、エヴァはきっとソフィアを演じ切っているのだろうが、中々それが想像つかない。見た目だけで全てを判断するのは嫌いだが、それにしたって見た目と役柄とのギャップが大きすぎる。

 と、そこまで考えたヴィルは、はたと思い直した。目の前の少女の、見た目に似合わぬ役すら演じられるであろう技術を盗む事が出来れば、己もネージュに一泡吹かせる事だって出来るかもしれない。どんな演技をするのかはまだ知らないけれど、彼女に注目して損は無いだろうと。


「シェーンハイトさんが来られるなんて思ってもいなかった。急にどうして?」
「マネージャーが芸の足しにしなさい、とチケットを用意してくれたんです」
「まあ、そうなの。私ったらてっきり……」


 好奇心で瞳を輝かせた王女役の女優と会話を交わしつつも、ヴィルの意識はエヴァ・ランベールに向いていた。エリオット役や他の騎士役の役者達もヴィルの周りに集まっては、矢継ぎ早に色々と話しかけてくるというのに、彼女だけはヴィルに挨拶したあとは熱心に舞台用の化粧を自身に施している。
 スタッフに誘導されたからと言えども控室に足を踏み入れたヴィルが言うのもなんだが、本番前だから彼女の行動は大いに正しい。ヴィル・シェーンハイトに構わず準備するべきだし、事実ヴィルであればエヴァと同じ様にしていただろう。……しかし、それはそれ、これはこれ。自分にあまり興味が無さそうに振る舞われるのは、芸能人としてのプライドに傷が付く。
 王女役の女優の様に好意を前面に押し出してボディタッチしろなんで思いはしないが、ちょっとぐらいアタシを見なさいよ。アタシはアンタの演技を観に来たってのに。

 まあ、そんな事をヴィルが思っていてもエヴァにはなんの関係もない訳で。彼女はささっと化粧などを済ませると、衣装を着替えに控室を出て行ってしまった。
 そんな彼女を横目で見て残念に思いつつ、ヴィルは周りに群がっていた役者たちに断りを入れて、舞台の客席に向かう。御目当てのエヴァが居なくなってしまったのなら長居する理由はないのだ。最低限の礼儀は尽くしたのだし。


※※※


 そうして舞台の幕は上がった。

 第一幕。エリオットの冒険と王女との出会いだ。マネージャーが言っていた通り記憶にあった舞台よりも随分と衣装も豪華だし、音楽と照明もグレードアップしていた。ただ、役者の演技は記憶にあった方が良かった気がしないでもない、とヴィルは冷静に舞台上を見つめる。
 記憶の中の演技が美化されている可能性も無きにしも非ずだが、それにしたって彼らの演技は上手い£度だ。若干顔の良さで誤魔化している感じも否めないし。

 しかし気になる所があるものの、結局ヴィルが好きな演目ではあるので彼は素直に楽しんでいた。アタシだったらこういう風に演技するけど、さっきの演じ方は想定外でよかった、だとか。ここの場面ならアタシの方が綺麗に出来る、だとか。エリオットの頭の良さが露わになるシーンでちょっと微笑んだり、意外と役者が殺陣で動ける事に驚いたり。……アタシったら結局楽しんでるじゃない。

 そして、そうこうしているうちにエリオットが王女と出会う場面になった。絢爛過ぎず、けれども一目見て王女と分かる美しいドレス。それに役者の方の雰囲気も、ヴィルに近付いてきた時と随分違っている。清廉な騎士エリオット隣に立つにふさわしい、可愛いだけではない王女。少し釣り目がちだからこそより一層美しい。あの2人が寄り添う姿はさぞ映えるだろうとは思っていたけれど、ヴィルの想像以上にお似合いだった。

 凛とした表情しか見せない騎士が、頬を緩ませ嘗てないほど甘い言葉を王女に囁く。王女の方も隣国の王へと見せていた冷ややかな態度身を潜め、エリオットに花咲く様に微笑んだ。……うん、美しい。王道の通り、お姫様は美しい王子と出会って恋に落ちて結婚するのだ。そう、結婚する、のだが。

 第一幕が終わり幕が下りる。寄り添った2人の姿満足したヴィルは拍手をしていたが、やっぱり内心で悩んでいた。ここまでは良いのだ、本当に。ヴィルの中では第二幕以降のソフィアは蛇足でしかないので、この良い気分のまま帰りたいなんて思ったりもしている。
 しかしまあ、マネージャーがエヴァを観ろと言っていたし……と、渋々ながらヴィルは座席に座り続けた。本当は滅茶苦茶帰りたかったのだけれど。

 20分間の休憩を挟み、徐に幕が上がる。件の第二幕の始まりだ。色々と寄り道をしたり怪物退治をしたりと、少々障害がありながらもなんとか隣国から故郷に帰ってきたエリオット。彼は両親の元へと向かい、王女との間に起きた出来事を語っていく。そしてそれを盗み聞いているソフィア。

 先ずその時点でヴィルは驚愕した。あの可愛らしい顔付きのエヴァが、どこにでもいるジャガイモみたいな顔と雰囲気になっていたのだ。舞台の袖から出てきた事にも気付けなかったし、なんなら聞き耳を立てる演技をするまで彼女だと分からなかった程。彼女は完全に町を歩くエキストラに紛れ込んでいた。
 ヴィルが驚いている間にも演目は続いていく。エリオットの結婚の話になり、聞き耳を立てていたソフィアの表情がガラリと変わる。あれだけ個性を削ぎ落とした様な衣装と化粧であるのに、その瞬間のソフィアは名有りの登場人物として相応しい程の存在感があった。嫉妬に怒りくるって女そのものの顔だ。見ている此方まで寒気がする程の。……けれども次の瞬間には元の無個性な顔に逆戻り。雰囲気すらエキストラに紛れそうな程に小さくなり、彼女はフラフラと舞台袖にはけていった。

 ドッとヴィルの心臓が高鳴る。もしかしたら、と彼は思っていた。もしかしたら、今日自分は真の意味この舞台を理解できるかもしれない、と。なにせ、彼はずっと理解できなかった。いくら実話だからと言っても、ソフィアという登場人物が居る必要性をヴィルは今まで感じていなかったけれど、しかしエヴァの演技なら或いは。

 舞台は続いていく。故郷の町を出立したエリオットは、一足先に王都に帰った王女の元へと向かった。そんな彼の後を追う様に現れたソフィア。……彼女の雰囲気は先程とはガラリと変わっていた。ヴィルは思わず息を呑む。
 一瞬見せた燃え上がる様な嫉妬心をひた隠しにし、彼女はエリオットにしがみついた。なんとも不恰好な掴み方だし、今からエリオットに愛を囁くような顔ではない。彼を逃がしてなるものかという醜さと理性の狭間で揺れている、みっともない顔である。

 嗚呼、とヴィルは溜息を吐きそうになった。否、きっと無意識のうちに吐いていただろう。

 ソフィアエヴァはまだ一言も話していない。ただ表情と態度のみで演技を魅せているだけだ。けれども、もう分かってしまった。この演劇を後世に残そうと思った彼の気持ちを。ソフィアという女をこの舞台に登場させた意図を。

 きっと。太古に実在したエリオットという男が遺したかったのは、ソフィアという女なのだ。
 王女とエリオットは結婚したのだから、彼らの出会いでもあるエリオットの冒険は何をせずとも後世に語り継がれるだろう。けれど、そんなエリオットに横恋慕した女の存在など、どうやっても残るわけがない。だからエリオットは劇作家に己の冒険を書かせたのだ。ただただソフィアという女の存在を残したいが為に。
 ……ヴィルの目の前に広がっているステージでは、女が這いつくばって高らかに己の愛を歌い上げていた。惨めったらしく、哀れな程に声を震わせて。けれども、それでも、彼女は美しかった=B
 いや、その惨めさこそが美しいと言えた。

 感情をむき出しにして縋り付き、惨めであれば惨めである程ソフィアは美しい。図らずとも鳥肌が立つ。こんなに哀れで醜い美しさをヴィルは初めて見た。第一幕でエリオットの隣に立っていた王女が可憐であればある程、ソフィアの惨めさが際立つ。なのにどこまでも美しい。歪んだ顔が美しくて、嘔吐く様も美しかった。ヒトの剥き出しの醜い感情が、こうまで心を揺さぶるだなんて。

 エリオットが主演? 王女がヒロイン?
 ……そんな訳がない。これは正真正銘ソフィアの為の舞台で、彼女が主役で、彼女こそが悲劇のヒロインだ。
 ヴィルの口角が釣り上がる。嗚呼、今すぐにでもマネージャーに電話をしたい。エリオット役を受けると今すぐに告げたかった。ソフィアという女の醜い美しさを伝える舞台に立ちたいと。

 ──ヴィルは、すぐにでもソフィアエヴァに狂おしいまでに想われるエリオットになりたかった。




おわり








ヴィル・シェーンハイト
以降、エリオット×ソフィアのCPにどハマりした。行き過ぎた挙句、撮影の合間合間にエヴァとツーショットを撮っては、お気に入りフォルダに保存している。

エヴァ・ランベール
本人はソフィアとは似ても似つかない、竹を割ったような性格。尚、ヴィルの性癖を歪ませた事に一切気付いていない。


この後、全然自分に縋ってくれない(縋るわけねえ)エヴァを前に、寧ろ自分が美しく縋れば良いのでは(良くない)、と迷走したヴィルが結局普通にお付き合いを申し込む。



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