JKとジャミルくん

「失敗してんじゃん」
「うるさい」
「いやまあアンタ演技下手だもんね」
「下手じゃない。現にカリムも誰も気付かなかった」
「あたしは気付いたし、アズール何某グロットも気付いてたじゃん」


 アーシェングロットだ、と訂正すると、そんな名前だったねー、なんて気の抜けた声で女が呟く。オンボロ寮の監督生と同じく、魔力が無いのに闇の鏡に選ばれた女生徒が彼女だ。
 性別を感じさせない見た目の監督生と違い、彼女はとても可愛いらしい見た目をしていた。化粧だっていつも完璧だしヘアアレンジも毎日違うものだから、オンボロ寮のポムフィオーレだなんで呼ばれたり。だからこそ、このナイトレイブンカレッジの生徒は皆、女の子である彼女に興味深々で、あわよくばお近づきになろうと画策していた。

 然しながら彼女の性格はとても冷酷だった。この学園に馴染む努力をせずに、纏わり付く男子生徒の一切を無視したのである。更に同じ異世界出身の監督生と協力もしないで、毎日のように図書室に篭って自分の世界への帰り道を探していた。
 まるでお前達の世界に心を許してやるものかと言わんばかりの拒絶に、だんだんと彼女に絡む人間は減っていった。最低限の授業にしか出席せず図書室にばかり籠る女と、順調に交友関係を広げていく監督生。校内の生徒の関心は、全て監督生に向いていた。まあ、彼女の狙いがそれだったんだろう。

 そんな彼女に俺が興味を持ったのが期末試験だ。授業に殆ど出ずに帰り方を探してばかりの彼女は、期末試験で満点を取っていた。アズールと契約をしたのかと思いきや、彼女の頭にイソギンチャクは生えていない。
 異世界に来て、知らぬ事ばかりの女が満点を取ったのだ。これを天才と呼ばずに何と呼ぶだろう。多少興味が湧いた俺は図書室に通い詰める彼女の様子を観察して……結局観察し返されて企みがバレた。


「下克上でも狙ってんの、センパイ」


 何を思ってそう言ったのかは分からない。けれど、天才であろう彼女が断言したという事は、その確証に至る何かを掴んだという事だ。しかも俺と全く目を合わさずに言うものだから、酷く肝が冷えた。
 この女の口を塞がねばならない。そう思った俺が行動を起こす前に、彼女の人差し指が俺の唇に触れた。


「あたしは元の世界に帰るの。だから、センパイが何しようとも関係無いわけ。わかる? アンタの事情はどうだって良い。あたしは帰る、アンタは下克上する。オーケィ?」
「…………はぁ、分かったよ」


 この女、本当にこっちに興味がない。俺の名前も知らないだろうし、当然カリムの名前も知らないのだろう。……けれど、万一という事もある。この女の交友関係といえばバイト先のモストロ・ラウンジの面子ぐらいだし、その誰とも親しくしていないから実質0人だ。俺の下克上をバラす相手が居ないが、念の為。
 俺は時間が空いた時に彼女に会いに行くようになった。建前としては監視。実際は帰る為の本を探す彼女に対して、ずっとカリムの愚痴を言っていた。いずれ帰る彼女になら、なんの気兼ねなく愚痴を零せた。というより愚痴を言わねばやっていけない。
 はじめは何喋ってんだ、みたいな顔をしていたけれど、次第に俺の言葉に相槌をくれたり言葉をくれる様になった。俺の名前も覚えたし、逆に彼女の愚痴を聞く様にもなった。


「ジャミルくんて料理出来んだね。すごいじゃん」
「別に好きって訳じゃないがな」
「え、好きでもないのに作ってんの? そっちのが凄い。あたしだったら絶対やんないもん」


 彼女はただの愚痴を聞いてくれるお人形だ。たまに言い返してくるけど、本当にそれだけだった。いなくなる存在だからこそ、俺は彼女に心を許したんだ。
 だからこそオーバーブロットを起こした後でも、俺は普通に彼女と接することが出来る。彼女は聞きはするけど興味はない。俺のやった事なんて帰る彼女に関係ないのだから、いつも通り愚痴を言い合える。変に腫物を扱う様に遠巻きにされる事もないし、カリムやアズールの様に距離を詰めてこようとするでもない。


「多少スッキリした顔じゃん。上司にガツンと言ってやった?」
「言ってやった。お前なんて大嫌いだって」
「ひゅー! 超直接的じゃん! まわりくどくなくて良き。グッボーイ」
「似てないぞ」


 図書室で話すと司書に睨まれる。だから、俺と彼女はいつもオンボロ寮の裏庭に座り込んで話をしていた。今日も借りた本を開きながら相槌を打つ彼女の横顔を、何も考えずに見つめる。これもいつものことだった。


「でもさぁ、別のアプローチにすれば良かったのにね、ジャミルくん」
「……は? 別の?」
「そーそー。カリムなんちゃらくんが大事な約束してる時とかに魔法掛けてさ、そしたら記憶があやふやになるんしょ? 大事な用事とかすっぽかしかける主人を気にかける優秀な従者、みたいに演出してさ。最終的にその人が大ポカさせる様に誘導すればいいのに。じわじわ信頼を削るんじゃなくて、益を急いたアンタのミス」


 だって人が変わったみたいに演出するには、あの人はお気楽すぎじゃん。本を閉じてなんてことのない様に話す彼女に、間抜けな顔を晒してしまう。
 肯定して欲しい訳でも責めて欲しい訳でもなんでもなかった。いつか元の世界に帰ると言って憚らない彼女なら、後腐れなく愚痴を言えるから……ただ俺の話を聞くためだけの人形みたいに思っていたのに。心を許すと言ったって、お気に入りのぬいぐるみだとかそう言ったものに対するソレだ。
 相槌も適当だし、何も考えずに褒めてるんだろうなとしか思っていなかった。そんな女が……彼女にとって関係ないのに、アドバイスだって?


「馬鹿だ」
「あたしが? それともアンタ?」
「君がだよ」
「それは流石に失礼すぎっしょ。年下のオンナノコにそういう事いう?」


 じわじわと耳の先に熱が溜まっていく。心臓が驚くほど早く脈打っていて、自分で自分が制御できない。馬鹿は俺だ、なんで急にこんなに動揺するんだ。思わずいつも見つめていた横顔から視線を外す。
 顔も熱いし、耳は真っ赤だろう。……髪で見えていないと信じたい。けれど一体どうしたんだ、俺。
 急にこの女が可愛く見えてきた。いや、前から可愛い見た目だと思っていたけれど、それとは比にならない程可愛い。待て、待ってくれ。近くにいる事にすら動揺してしまう。……なんて事だ。嘘だろ。


「ジャミルくん大丈夫? 急にキョドってんじゃん。蝋燭先輩みたいだよ」
「蝋燭先輩って誰だ」
「髪燃えてるヒッキー」
「イデア先輩の事か……」


 この期に及んで、というよりさっきの瞬間に俺は恋にでも落ちたのか? 馬鹿だろ。
 俺を心配した様に見つめる彼女が世界で一番可愛く見えてきた。軽過ぎる口調も好ましく思えるし、正直年下の女の子に君付けされるのが非常にクる。なんで急に好きになったんだ訳がわからない。
 ただアドバイスされただけだぞ。もう少し上手いやり方があるって、俺の役に立つ忠言を。……俺の、役に立つ……。
 俺を否定せず、俺だけの為の言葉を、俺に。


「なに? 急にオンナノコとお話しするの恥ずかしくなった系?」
「……女の子じゃなくお前と近くて緊張してる」
「え。…………待ってそれマジで言ってる? アンタちゃんと知ってるよね?」


 あたし、いつか帰るんだよ。

 そう言った彼女の顔は少しだけ寂しそうだった。寂しそうな顔をしていて欲しいと思った俺の幻覚かもしれないけれど、いつもよりも落ち着いたトーンでそう言っていたから強ち間違いじゃないと思いたい。
 ああそうだ、いつか帰ると知っている。知っていても、好きになったんだから仕方ない。理性で抑え込んでも落ちるのが恋だ。くそ、熱でボケてるのか? 初恋でもあるまいしなんで俺はここまで浮かれている。


「わかってる。でも仕方ないだろ」
「…………。じゃあさ、ジャミルくんもっとがんばってよ」
「はぁ? え、頑張るって何を」
「アタシに家族を捨てさせるぐらい、世界を捨てさせるぐらいジャミルくんに夢中にさせてよ。そしたらあたし帰んない」


 なんだそれ、最高の殺し文句かよ。




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