アジーム家のカリムという男



「は????」
「えっ???」


 明日は待ちに待ったナイトレイブンカレッジの入学式だ。カリムは大富豪の嫡男且つ新鋭の商人でもあった為、事前に入学の案内を受け取っていた。同じく、カリムの補佐であるジャミルにも先達って入学の案内が届いていており、アジーム家とバイパー家総出の祝いの宴も行われた後である。
 アジーム家の次男であるムガルは尊敬する兄と中々会えなくなると知ってボロ泣きしていたし、ジャミルの妹も少々拗ねていたが概ね皆2人の入学を祝福してくれていた。何せアジーム家きっての鬼才と、バイパー家の天才が揃って入学するのである。彼ら2人が更に力を付けることを、アジームの家長は何よりも喜んだ。第二夫人辺りは一切喜んでいなかったが。
 ……兎も角、宴も終えて入学の準備も出来たので、2人は黒い馬車が家にやってくるのを待つだけ……だった筈。


「…………え?????」
「い、いやいやいや……。はぁ???」


 珍しく2人とも年相応にはしゃいでカリムの部屋でソワソワしていたのだが、突然浮遊感を感じたかと思えば洞窟にいたのである。ふかふかのベッドに座って騒いでいたのに、今や2人の尻の下には硬い岩があった。
 意味が分からない。互いに間抜けな顔をしたまま、ぽけぇっと真っ暗な洞窟の壁を見つめて思考が停止している。色とりどりの飾りを吊るしてあったカリムの部屋はどこに行った。お気に入りのベッドが岩になって尻が痛い。小石でも刺さったんじゃないかと思うほど痛かった。……どういうことなんだ一体。


「どっ、どこだここ?! は?!」
「か、カリム一旦俺の後ろにいてくれ、何かいるかもしれないだろ?!」
「おおおう、わかった。え、マジでどこだここ」


 一通り唖然とした後2人は慌てて立ち上がり、周囲を警戒した。互いに背中を合わせて魔法で辺りを照らすが、岩の壁が続いているだけである。どちらが出口に続く道かすら分からず、唯々立ち尽くすしかない。


「……そういえば、入学の祝いの宴にハッターブが来てたな……」
「ああ、あの大魔法士とか言われてる奴がいるとこの……。え、カリム……まさか……?」
「そのまさかだろ、多分。さっき家の警報機を鳴らす魔法を使ったけど、一切反応なしだし、きっと俺たちの居場所が変わったんだ。あの自慢好きなハッターブが"大魔法士"を宴で見せびらかさなかったって事は、その大魔法士に別行動で仕事させてたんだろ」


 とりあえず犯人に目星を付けてみようが、それどころではない。今から5時間後に黒い馬車が2人を迎えにアジームの屋敷にやってくるのである。……馬車がやってきた時に屋敷にいなければ、入学の意思がないと判断されて入学が取りやめになる可能性があるのだ。実際、大昔に何処かの王族が誘拐されている最中に馬車がやってきた事があった。そして王族が救出された後、入学しようとしたが馬車が居なくなった為入学できなかったという。……王族でそれなら、ただの大富豪であるカリムと従者のジャミルだって入学できないに決まっている。
 今回カリムとジャミルをこんな場所に飛ばした犯人も、それを目論んで行動を起こしたのだろう。2人の入学が決まってから今まで以上に刺客が向けられていたが、殺せないのなら入学できないようにしてやろうだなんて。敵ながら無駄に機転がきくな馬鹿野郎、とジャミルは小さく吐き捨てた。
 彼ら2人を気に入っている国王夫婦も、祝いの宴に駆けつけてくれたのだ。彼らの間に子供がいないからか、本当にカリムとジャミルは気に入られている。なのに入学できませんでした、なんて王の顔に泥を塗る行為だ。今までカリムとジャミルが頑張っていた、民衆からの人気を得る為の行為も無に帰してしまう。2年間宴をしまくったんだぞ。
 ……それは非常にまずい。金も時間もかけて得た人気がひっくり返り、逆にナイトレイブンカレッジに入学できなかった出来損ないの烙印を押される事になる。なんてことしてくれたんだ。


「よし……よし、落ち着こう。とりあえずここがどこの洞窟か調べてみるぞ、ジャミル。現在位置ぐらい把握したい」
「……恐らくだが、岩の種類的に熱砂の国の北の端辺りの洞窟だろう。ほら、白と黒との斑模様が特徴的だ」
「お、成る程北の端か。……だったら屋敷まで魔法での補助込みで3時間は掛かるだろうし、出来るだけ早く脱出しないとな」


 猶予はあまり無い。魔法で煙を出して空気の流れを把握したジャミルは、洞窟の入り口があるであろう方向に……下り坂になっている方へと歩き始めた。
 2人とも魔法石のついたアジーム家特注の杖を持っているが、魔法を使い過ぎてはオーバーブロットになりかねない。カリムは先を行くジャミルの後ろで、ターバンと佩剣していたタルワールで簡易的な松明を作って従者に手渡した。空気の流れがあるなら窒息の心配もないだろう。松明で前方を照らしつつ、2人は慎重に洞窟の入り口へと足を進めていった。稀に足元に遺品が転がっているのが気分が悪い。入学がどうこう以前に、ここから生きて帰れるかが問題だった。
 死んだであろう人の遺品はあるのに、遺骨がないのも更に気分を悪くさせる要因だ。ひしゃげた鎧はあるのに、中身は存在しない。……人を喰らう敵がこの洞窟にはいるのだろうか。


「念の為、いつでも魔法を撃てるようにしておいてくれ。何が出るか分からない」
「おう。……なあ、件の大魔法士とやらは、どうやってこの洞窟に空間転移させたんだと思う? 転移先にマーキングがないと飛ばせないだろ」
「考えられるのは、その魔法士がこの洞窟に入り込んだ後に転移魔法で脱出したか……。或いは、マーキングを付けた人間を洞窟に突っ込んだか、だ」
「……そうだな、個人で長距離の転移魔法を使うには相当な魔力と準備が必要だし、多分適当な人間を突っ込んだんだ方じゃないか」


 マーキングになる物を持たせた適当な人間をこの洞窟に入れ、その人間が死ねば洞窟の中にマーキングがある事になる。大魔法士が直接洞窟に入り込むより余程確実な方法だ。
 それに"誰も脱出できていない"洞窟に閉じ込める方が、2人を亡き者にしやすいだろう。直接的ではなく間接的なやり方が厭らしい。ジャミルは今度から、範囲指定の転移魔法にも気を付けねばならなくなった。大変過ぎやしないか。


「北の洞窟、なぁ。北の方ってまだ発掘作業だとかしてる最中だし、思いつく洞窟ってないぞ」
「山ほど洞窟があるしな……」
「何処も結構人死んでるし……」
「誰も戻ってきてない洞窟すら何個かある」


 話せば話すほどに憂鬱になっていくが、ただ緩やかな下り坂を歩くだけではもっと気が滅入る。何もしないよりマシだろう、と尚も話を続けようと口を開いたカリムだが、静かにしろ、というジャミルのジェスチャーで口を閉じた。
 2人揃って息を潜めて立ち止まってみると、ガチャ……ガチャ……と硬い音が洞窟内に響いている。2人の間に緊張感が走った。生存者の可能性が無きにしも非ずだが、これは人間が出せる音ではない。
 つまりは、この洞窟に迷い込んだ人間を殺したであろう存在が2人に近づいてきている。その事実に、恐怖心と緊張感で2人の心臓の鼓動が早まっていく。魔法の杖を握っている手にはじっとりと汗が滲んできているし、バクバクと鼓動の音が耳元で鳴って煩い。
 徐々に大きくなってきた音に、足も震えそうだ。何が恐ろしいって、その存在が未知だという事である。どう足掻いても悪い方向にしか考えられない。普段楽観的な考え方を心掛けているカリムですら、恐怖を抱いていた。
 そして遂に、影が見える。カリムとジャミルは生唾を飲み込んで、杖を持つ手に力を込めた。そして松明を少しだけ下に向け、上へと登ってきている存在を視認しようとする。が、どうやら向こうが岩陰に居るせいで全く見えない。ああもういっそ早くこっちに襲ってこいよ、なんて思ってしまう程に時間が長く感じてしまう。焦らすんじゃない。

 けれど、そんな気持ちは呆気なく吹き飛んだ。

 こんにちは! とでも言うかの様に、ひょっこりと特大のムカデが岩陰から現れたのである。


「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙無理無理無理無理!!!!」
「ぐえ、まっ待てジャミル!! 反対だ反対!! そっち洞窟の奥に行ってるって!!!」
「無理無理無理無理デカいデカいデカいデカい!!! あああああああああ!!!」
「逆だジャミルうううう!!!」
「知らねええええええええ!!!!!」


 その存在を視認した瞬間、ジャミルは絶叫しながら主人を抱えて全力で来た道を戻った。何せ10mはありそうなムカデである。パニックに陥るに決まっているし、むしろ虫が苦手なジャミルが気絶しなかったことを褒めるべきだろう。
 そして後ろ向きに抱え上げられたカリムは、自分たちの後を追ってくるムカデに向けて攻撃魔法を放った。しかしどうやら表面が硬い所為で全く魔法が効いていない。ガチャガチャと硬質な音を響かせながら、巨大ムカデは2人の後を追ってくる。
 虫は得意な方であるカリムですら、背筋が寒くなる程気持ちが悪い。人間の腕ほどある太さの触覚が獲物を探して揺らめき、顎をカチカチ鳴らす様は生理的な嫌悪感が溢れ出す。脚が多いのも嫌だ。担がれた所為で強制的に後ろを見ているカリムは、ムカデを視界に入れて対処するしかないので滅茶苦茶気分が悪かった。ジャミルの肩が腹に食い込んでいるのも理由の一つではあるが。

 恐怖心を隠しながらも、再度狙いを定めて攻撃魔法を放つも矢張り効かない。それに派手に攻撃して洞窟が崩れでもしたら、生き埋めになって死んでしまうので矢鱈に攻撃も出来なかった。見事な手詰まりだ。
 攻撃の手を緩めないもののどうしたものかと頭を働かせているカリムとは対照的に、ジャミルは何も考えずに顔面を蒼白にして登り坂を全力疾走し続ける。後ろを見る余裕なんてないし、わーわー言って魔法をぶっ放しているカリムにすら意識を割けない。彼は本当に虫がダメだった。ただでさえダメなのに見た事のない特大サイズ。これは悪夢だ、夢なら覚めてくれないか。
 一瞬しか視認していないのに、彼の優秀な頭脳はムカデの細部までを正確に記憶していた。どうして触覚の動きまで覚えている。ジャミルは人生ではじめて己の優秀な頭脳を憎んだ。


「っ、確かムカデは寒いと動かなかったよな……!!! そらっ!!!」


 そう言って何か思い至ったのか、カリムは手馴れた魔法で氷塊を出し、ムカデに叩きつける。何℃だったかは覚えてないが、ムカデは気温が下がると動きを止めた筈。自分達も寒くなるが背に腹は変えられないので、カリムは大量の氷を生み出してはムカデに向けて放り投げていく。ついでに明るい場所が苦手だった気がする、と光球も作り出してムカデにぶつけた。
 そんなカリムの頑張りのお陰か、素早かったムカデの動きが目に見えて遅くなった。しかしゆっくりだとしても、このまま後を追われるのは心底恐ろしい。洞窟を塞ぐ形にはなるが、ムカデに追われないようにカリムは特大の氷塊を作り出して道を埋めた。これで追ってこない……筈。きっと、恐らく。
 しかしジャミルは恐慌状態だったので、自分の肩の上でカリムがそんな工作をしているだなんて一切気が付かない。結局息が切れるまで走り続け、洞窟の奥深くまで入り込んでしまった。
 息が続かなくなってはじめて、担いでいたカリムを下ろして地面にへたり込む。そこで漸くあのムカデが追ってきていない事に気付いた様で、ジャミルは大きなため息を吐いた。あんなものトラウマ確定である。ぜったいにゆるさない……。


「だ、大丈夫……じゃないな。水出そうか?」
「…………………………」
「……生きてるか……?」
「………………みず……」


 ジャミルは人生で初めて主人に甲斐甲斐しく世話してもらった。



※※※



「帰りたい」
「うん、俺も帰りたいよ。だから頑張ろうな、ジャミル」
「帰りたい」
「大丈夫、大丈夫だから。俺たち2人なら大丈夫だって」
「帰りたい」


 ジャミルの心はほぼ折れていた。あんなもん見たら折れるに決まっている。
 反面、カリムはムカデを氷塊で対処できたので多少余裕だった。一度に沢山の魔法を使ったので少々疲れてはいるものの、いつも氷像を作る為に氷魔法を使って慣れていたので、想定内の疲労だ。


「な、ジャミル。お前の知識が必要なんだ。あの壁の文字に見覚えがないか? 熱砂の国の古代文字だと思うけど、所々掠れて全体が見えないんだ。お前なら、もしかしたら何か思い当たるかもしれないから見てくれよ」
「…………どれだ?」
「ここの……ほら、天井近く」


 岩の上に座り込んで落ち込んでいるジャミルの手を優しく握り、普段よりも落ち着いた声でカリムはジャミルを励ました。お前なら大丈夫だよ、と何度も何度も目を見て言い聞かせる。そして、ジャミルからも例の文字が見えるように、作り直した松明を上に掲げた。
 岩肌に黒いインクで直接文字が書かれている。所々表面が剥がれたり掠れている為、全体の3割程しか文字の形を理解できない。カリムにも多少は見覚えがある文字だが、確証を得るには至っていなかった。
 元気のないジャミルも、何らかの手掛かりになるであろう文字の出現に多少気持ちを持ち直す。……何かに集中している間はあの大きなムカデを思い出さないから、という理由もあった。


「……これは……クベーラを表す古代文字に見えるな。間違ってないと思う」
「あー、そうか、クベーラか。なら納得がいく」


 クベーラは熱砂の国の伝説にたまに登場するジンの一種だ。彼、ないし彼女はこの国の財宝と北方を守護している、なんて逸話がある。ついでにその使いはムカデという伝説もあった。
 これはビンゴだろう。むしろここまで条件が揃ってて違いました、なんてあってたまるか。ここはクベーラの守護する洞窟で、あのムカデはクベーラの使いだ。やっとこの状況に光明が見えてきたかもしれない。


「ジャミル、財宝だ! 財宝を探そう」
「クベーラは財宝の守護をしているから、まあ財宝はあるだろうな」
「そうじゃない、ジャミル。マジックアイテムも財宝だろ!」
「……! そうか、魔法の絨毯とまでは言わないが、この洞窟を脱出できるような魔法の道具があるかもしれない……!」


 一番手っ取り早いのは攻撃用の魔法具を探してムカデを倒す事だろうが、ジンの使いたるムカデを倒してしまえばどんな報復があるかわからない。生き埋めにされては堪らないので倒すのは諦めるしかなかった。
 財宝を探し当て、そこから魔法具を見つける……。言うのは簡単だが、ジンの守護する洞窟をそう簡単に踏破できるとは思えない。しかも猶予は1時間と少しだ。
 カリムの激励と脱出の希望が見えてきたお陰で、ジャミルもほぼほぼ立ち直った。ふとした瞬間に目に焼き付いた巨大ムカデを思い出して吐きそうになるが、なんとか我慢して彼は立ち上がる。


「……よし、奥に行くか」
「今度は俺が前に行くぞ!」
「いや、あの虫以外何もいないとは限らないだろ。俺が先導する」
「……何かいたとしても全部あのムカデが喰ってそうだよな」
「カリム、カリム! そういう事言うのは止めてくれ」
「ごめん」


 本当にやめろ。ジャミルは顔を引きつらせて頭を振りつつ、どうにか洞窟の奥へと足を進めた。そんな彼の後ろを歩くカリムは、気遣わしげに彼の背中を撫でてみる。今まで10年以上ジャミルと過ごしてきたカリムだが、彼がここまで憔悴しているのを見たのは初めてだった。
 ジャミルの虫嫌いは筋金入りである。気持ち悪いのを我慢したら触れるとかではなく本当に駄目だった。彼がだいたい4歳ぐらいの頃にアジーム家の親戚の経営する農園を訪れた際、丁度バッタの大群がやってきたそうで、20cmを超える程の大きさのバッタが大量に農作物に群がり、ついでに近くにいたジャミルも大群に巻き込まれたらしい。そりゃ虫が苦手になるのも仕方がない経験である。
 なので毒虫を使う暗殺だとジャミルは対処ができなかった。彼は周囲に悟られない様にしているが、なんでも卒なくこなせるジャミルのどうしようもない弱点である事に変わりない。故にカリムは毒虫を使われた時は自分で対処しているし、虫に対しての耐性をつける為にジャミルの居ないところで虫と触れ合っていた。が、10m超のムカデはやめて欲しい。あんなもの命の危険しか感じなかった。多少慣れていようが知ったこっちゃない。


「一応、所々に氷塊を置いて、追ってこれない様にしておくよ」
「……助かる」
「な、どんな財宝があると思う? 沢山は無理だろうけど、身に付けられる分ぐらいなら持って帰れそうだろ」
「アジーム家の宝物庫ぐらいの金の山があるんじゃないか」


 カリムはポジティブな話題を出してみて、どうにかジャミルの気分を上げようと試みていた。ジャミルの方もカリムの気遣いを察しているので、それとなく話題に乗っかる。肩の上に担いだり世話させたり割と雑に扱ってしまったのに、気にしていないカリムの優しさが折れかけていたジャミルの心に染みた。……やっぱり俺の主人は最高だ。


「財宝を守護してるんだし、俺の家よりいっぱいあるよ」
「いや、分からないぞ。お前の感覚が麻痺しているだけで、アジーム家の宝物庫は相当ヤバい」
「……そんなにか?」
「そんなにだ」


 ジャミルの目算では、宝物庫の中身だけで熱砂の国の民全員が1年ほど何もせずに暮らせる程の財宝があった。他にも乱雑に扱われている家宝級の絨毯だったり、博物館に寄贈できそうな大皿等もあるので、総資産が幾らになるか分かってすらいない。隠し部屋とかもあるだろうし。
 初めてアジーム家の宝物庫に入ったあの日の感動を、ジャミルは今でも鮮明に思い出せる。一面の金色で目が潰れるかと思った程だ。しかも床に散らばっているのは金貨だけでなく、どう考えても歴史的価値のありそうな髪飾りまで普通に転がっているのである。この世の宝が全部この部屋に入ってるんだ、と小さな頃のジャミルは本気で思い込んでいた。


「……ん? 止まってくれ、空気の流れが変わった」
「…………あ、なんか冷えてるな……?」
「何かの音がするでもないし……。兎に角気をつけて先に進もう」


 ああだこうだ話しながら、30分ほど相変わらず上向きの道を歩いていると、急に空気が冷え込み風の流れが変わった事にジャミルが気付く。また変な怪物が飛び出すのでは、と2人とも身構えるが何の音も聞こえなかった。……どうせ進まねばならないし、もたもたしていたら後ろからムカデがやってくるかもしれない。
 息を潜めながら、今まで以上に慎重に足を進めていく。しかし奥に行けば行くほど空気の温度が下がっていき、遂にはうっすらと岩肌に霜が付き始めた。薄着でサンダルを履いている2人にとっては地獄みたいな寒さだ。
 慎重を心掛けていた足取りは乱雑になり、兎に角さっさと財宝を見つけ、その中から探し出した魔法具で脱出したい一心で先を急ぐ。無駄に体を小刻みに動かし、2人でおしくらまんじゅうをしていても焼け石に水だった。息が凍りそうなほど寒い。


「な、なあジャミル、これ山じゃないか? ずっと登ってないか俺たち」
「こ、ここは北のサータ山の地下の可能性が高いな……。あ、髪を首に巻けば寒いのがマシになるかもしれない」
「ずるいぞ! ハゲろ」
「ハゲは俺の父だ俺じゃない」
「髪は遺伝するんだよ残念だったな! つまりジャミルはいつかハゲる」
「うるさいお前がハゲろ」


 最終的に言い合いながら2人は走り始めた。寒過ぎて走りでもしないとどうしようもないのである。二人三脚の様にくっついて暖をとりながら、延々と続く終わりのない登り道を進んでいく。
 けれども、終わりは突然やってきた。道の奥の方から光が漏れ出ていたのである。
 財宝かもしれない! と2人は顔を見合わせて、思い切り駆け出した。ムカデに追われたり寒かったりしている彼らにとって、財宝こそ最後の希望みたいなものだったのだ。

 そして遂に、光へとたどり着く。


「…………すっごいな……」
「ああ…………」


 半径500mほどありそうな、周囲が氷で覆われた地下洞穴がそこにはあった。天井から漏れ出る月明かりが見上げるほどの財宝の山々を照らしている。金の山脈に銀の山脈。色とりどりの宝石の山だって数えるのが億劫なほど。アジーム家の宝物庫とは比べ物にならない程の財宝がここにはある。
 氷と財宝が月明かりに照らされ、夢の如き幻想的な風景だ。
 が、如何せん2人はとんでもなく薄着だった。そんな薄着で雪山に放り投げられた様な状態になれば、幾ら幻想的な風景を見ようとも寒さで現実に戻される。感動に浸れる訳も無く、2人は羽織れるものと魔法具らしきものを探しに飛び出した。



※※※



「布だあああ! ジャミル! 布! 織物!」
「俺にもくれ、カリム」
「じゃあジャミルはこっちな」


 高そうな布を体にぐるぐると巻き付けたカリムは、自分が巻き付けたものと色違いの布をジャミルに手渡した。その布は保存用の魔法がかかっている様で、ほのかに温かい。2人は一気に生き返った。布って素晴らしい、人類最高の発明品じゃないか。
 多少温まって余裕は生まれたものの時間は差し迫っているし、この環境に全く合っていない服装なのには変わりはない。財宝の山から転がり落ちない様に、手分けをしながら彼らは魔法具を探し始めた。

 ジャミルはカリムと二手に分かれてから洞穴の天井を見上げた。この広すぎる空間の天井部分から月明かりが漏れている、つまりは天井に外へと通じる穴があるという事だ。生憎遠すぎてジャミルでも視認できていないが、問題は視認できないほど遠い場所にある穴にどうやって辿り着くか、である。魔法の絨毯みたいなものがあれば良いんだが、と彼は魔法石の付いた財宝を一つ一つ探していく。
 しかし単に、劣化を防ぐ様に掛けられている保存魔法の維持の為に、魔法石が付いているのが殆どで魔法の道具が見つからない。この洞窟に飛ばされてから彼の体感で2時間近く経っているので、本当に猶予がないし、双方共にじわりじわりと体力が削られている。先に力尽きてしまうとすれば、ここまで氷魔法を多発していたカリムの方だろう。それだけは御免被る。
 そんな風に、焦りながらも財宝の山を掻き分けていたジャミルは、遂に魔法具らしきものを見つけた。


「靴……? 随分と沢山の魔法石が付いているし多分魔法具だろうが……」


 黒の皮に銀の装飾と細かな魔法石の目立つ靴だ。恐らく微量の魔力を通すことにより、魔法石が魔力を増幅させて何らかの魔法を発するタイプの品物だろう。いきなり足を突っ込む勇気はないので、ジャミルは手に持ったままその靴に魔力を流し込んでみた。しかし特にこれといった変化は訪れない。ああ、また保存用の魔法か、と、ぬか喜びした分だけ落ち込んだジャミルは靴から手を離した。

 が、その靴は落下せずに宙に浮いたのである。


「えっ? ……あっ、これで上に登れる……!」


 ジャミルは慌ててその靴を履いて魔力を込めてみる。すると、見事に彼は宙に立つことができた。空を踏む感覚はなんとも言えないものだが、これなら空気を踏んで上へと登っていける。遂に脱出の目処がついた……!


「どぅわぁーっ!?」
「な、カリムッ?!」


 安堵のため息を吐いたジャミルだったが、その気持ちを吹き飛ばすかの様に、轟音と共にカリムの声が空間に響き渡った。大声の割には切迫感の無い声色ではあったものの、カリムが怪我でもしていたら事であるし、轟音も気になるし。
 早速手に入れた魔法の靴を使って宙を蹴ったジャミルは、カリムの声が聞こえた方へと向かっていった。やっぱり別行動はやめた方が良かったな……。


「大丈夫か! カリム」
「おう、ちょっと吹き飛んだだけだ」
「……それは大丈夫じゃないんじゃないか?」
「布被ってたしなんともないぜ!! それよりジャミルも魔法具見つけたんだな」


 ジャミルがカリムの元へと駆けつけると、カリムは壺を抱えてすっ転んでいた。勢いよく転んだのかは知らないが、金貨の山が崩れて生き埋めになっていないのが不幸中の幸いと言えよう。
 階段を下りる様な感覚で宙から地面に降り立ったジャミルは、寝っ転がっているカリムを引っ立てて怪我の有無を確認した。しかしまあ本人の申告通り、身に纏っていた布のお陰でなんともない。


「ジャミルは靴か! 俺はこの壺を見つけたぞ」
「ああ、この靴なら天井部分まで辿り着いて外に出れそうなんだ。……で、その壺は一体……?」
「ここ見てくれよ。3つ魔法石が付いてるだろ? 赤いのにはアグニ、緑のにはヴァーユ、青いのにはヴァルナの古代文字が書いてある」


 炎を司るジン、アグニ。風を司るジン、ヴァーユ。水を司るジン、ヴァルナ。それぞれの古代文字が刻まれた魔法石など、どう考えたって魔法具以外にあり得ない。しかもその3つの魔法石の隣に"汝の名を記せ"なんて書いてあるのだから、これは間違い無いだろう! と、カリムは意気揚々と手頃な宝石で壺の表面を削って名前を書き記した。そして緑の魔法石に魔力を込めたところ壺から突風が吹いて、思わずすっ転んだ、と。
 そんな風に意気揚々と語るカリムに、ジャミルは頭を抱えた。


「おい、なぜ安全を確認せず名前を書いた……!」
「模様にして分かりにくくしてあるけど、石に魔力を通せばジンに対応した魔法が壺から飛び出る、って描いてるだろ。ほらここ」
「………………確かに」


 でも普通は名前を書かないと思うんだよな、とジャミルは思ったが心にそっと仕舞い込んだ。
 ……それは兎も角として、脱出の目処が付いたのである。さっさとこの場所から抜け出してアジームの屋敷に戻らねばならない。
 ジャミルがカリムを背負って魔法の靴で宙を歩くのが一番だろう。魔力の残量やブロットの溜まり具合も気になるところだが、ジャミルは人より優れている自負があったので然程心配はしていなかった。……だがしかし、そうは問屋が卸さない。


「ジャミル。ムカデに追われた時の全力疾走といい、この寒さといい、お前はお前が思っている以上に疲れてるよ。体力的にも精神的にも」
「いや、俺は……」
「いつものジャミルだったら、こんな何があるかわからない所で俺の単独行動を許さないだろう? 疲れてるんだ、ジャミルは」


 図星である。カリムの励ましなどがあったとは言え自分が死ぬかもしれない事ではなく、自分の力が及ばずこんな所でカリムを死なせてしまうかもしれないという事実に、ジャミルは追い詰められていた。巨大ムカデがいなければもう少し余裕があったかもしれないが、それはどうしようもない。
 そんな状態でちゃんと家に帰れるとは思えないだろう。途中で力尽きるのが関の山だ。


「だから2人でやろう。この壺結構役立ちそうだぞ」
「……うん、待て。流石に頭が働いてきた。その壺で吹っ飛ぶつもりだな?」
「正解。ジャミルの歩くテンポに合わせて風を吹かせたら、その分歩幅が伸びるだろ。それならジャミルの歩数も減って、使う魔力量も減る」
「跳ねる様に走ったら……確かに行けるか……? 相当間抜けな絵面になりそうだが」


 簡単に言うとジャミルにジェットエンジン(壺)をつける様なものである。



※※※



「か、カリム様ァ!?!?」
「ジャミルもいるぞ!!!」
「あ゙に゙ゔえ゙!」


 絢爛豪華な布や敷物で身体をぐるぐる巻きにした2人が家にたどり着いた瞬間、アジームの屋敷は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。どうやら2人の姿が屋敷から消えたので 
、下町を巻き込んで大捜索を行おうとしていた所らしい。
 そんな折に行方不明の2人がひどくボロボロの格好で玄関に現れたのだから、それはもう皆大騒ぎだ。夜中でまだ眠いだろうに、カリムの弟のムガルは無事に帰ってきたカリムとジャミルにしがみ付く。


「一体何があったというのです?!」
「転移魔法で飛ばされたんだ。なあ、休んでいいか?」
「あにうええええ」
「んん、ムガル、にいちゃん休みたいんだ」
「ジャミル、何があったか報告を」
「……せめて休ませて貰えませんか」


 途中眠気が祟って墜落しかけたものの、概ねトラブルなく空の旅を終えて戻ってきた2人は、とにかく眠かった。あと少しで黒い馬車が来るので、その時まで休むぐらいさせて欲しい。
 しかし周りはそれを許さない。大事な跡取りとその優秀な従者が揃いも揃って誘拐されたのだ。無事に戻ってきたとは言え、何があったか把握しようとするのは正しかった。


「転移魔法で洞窟に飛ばされたから、どうにか戻ってきたんだ」
「転移魔法?! どこの洞窟なのです?」
「洞窟は洞窟だ。なあ、なんかココナッツジュースが欲しいんだが」
「ジャミル、説明を」
「……転移魔法で洞窟に飛ばされたので……頑張って戻ってきました」


 護衛達や家庭教師が次々に質問していくが、2人には説明する気力が皆無だった。少々ブロットが溜まっているのもあるし、眠気が酷いのもある。自分に抱きついている弟と壺を抱き枕にして眠りたい。カリムの頭の中は喉が渇いた事とそれしか無かった。弟はかわいいなぁ……。
 さらに言えばジャミルの方が疲れていたので、カリムの言ったことを繰り返すマシーンと化している。何を聞いても頑張って帰ってきました、としか言わなかった。確かに何も間違っちゃいない。
 2人の態度に周りもこれは何も言わないな? と気付いた様で、徐々に休ませてやるかという雰囲気に変わる。最悪、今日起きた事は後日手紙などで提出して貰えばいいだろう。

 とりあえず絨毯のある場所へと2人を誘導し、護衛達が身に纏っていた布を剥がしにかかった。本来ならジャミルの仕事だったが、今のあいつじゃ無理だろうなぁという優しさである。
 半分死んだ顔のジャミルは良いとして、頑なに弟と壺を手放さないカリムの布が中々取れない。というより、これって古代の王朝で使われていた布じゃないのか。そんな事に気付いて、取っ払った布を乱雑に放っていた護衛達は顔を青くした。この布一枚で彼らの年収を軽く越えるのだ。
 恐ろしさで震えながら護衛達は布を回収していった。


「黒い馬車の棺の中に入ったら寝れるんだろ? ……早く入りたい」
「眠い……」
「カリム様、湯浴みはされますか?」
「湯浴み……入学式だからしないとな……」
「……今入ったらカリムは寝る」
「ジャミルもだろ」


 2人とも動きたくないのか柔らかなの絨毯の上でうだうだしている。ジャミルは船を漕ぎながらも一応髪を解こうとしているのだが、指が思い通りに動かないから単に髪を梳くだけになっていた。カリムは一度絨毯の上に座ってしまったので、動く気が一切起きていない。俺を動かしたければ魔法を使うんだな、と言わんばかりである。
 しかし大事な式典にドロドロの状態で向かえばアジーム家の沽券に関わるので、家庭教師は桶にぬるま湯を溜めて2人の元へと持っていった。ついでに真っ新な布と化粧道具も。


「動く気力がないと見受けますが、せめて顔だけが洗ってくださいませ。化粧の方はこちらで施しますから、その後は黒い馬車が来るまでお休みください」
「おお、ありがとう。気が利くな」
「ジャミルさんもよろしいですね?」
「……はい」


 その後、黒い馬車が来るまでになんとか見た目を整えた2人は、棺桶の中でぐっすりと眠った。





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