熱砂の簒奪者 終幕

 ウィサーム・サーレハ。彼は第二夫人の実家であるクルスームに連なる使用人の一族の長子だ。更には第四夫人の実家の血も受け継いでいるのだから、彼ほどカリムとジャミルに対する宣戦布告の使者として相応しい男はいないだろう。それをアジームの当主も理解していた故に、ウィサームを使ったのである。
 彼は当主の指示通り、ウィンターホリデーの始まる2週間前にカリムとジャミルに接触し、アジームの当主の意向を彼らに伝えた。王家と懇意であるカリムの顔に泥を塗り、足を引っ張る、なんて。


「もう全部終わってるんだ。カリムが勝ったからこそ、定時連絡のないお前達に本邸から催促の電話が無い」
「…………」
「カリムはお前を評価しているよ、ウィサーム」


 彼は確かにクルスームと第四夫人の実家に連なる血を持っているものの、傍系も傍系だ。権力も何もあったものじゃない。血が繋がっているから、傍系だからと使い捨ての駒にされるのがせいぜいの人間である。
 優秀であろうが生まれがそんな家系なのだから、ウィサームは常に頭を押さえつけられて生きてきていた。直系の子息よりも目立ってはならぬ。才能をひけらかしてはならぬ、と。
 それに対して鬱屈した思いを抱けど、いつかあの甘ったるいカリムがアジーム家を継げば息がしやすくなるだろう、なんて彼は期待していた。いつもカリムの側に控えている従者は、そんじょそこらの従者よりもよほど権力を与えられており、他の使用人だって皆身分に関係無く優秀な者ばかり。……つまりカリムは実力主義者である。今は、カリムを暗殺しようとしているクルスームに連なる己は彼の側に侍れないが、いつかきっとカリムの側に。
 そんなウィサームは、ナイトレイブンカレッジの入学許可証が届いた時、天にも登る気持ちになった。きっと従者のジャミルに警戒されるだろうが、誠心誠意己の力を見せれば、カリムなら将来己を取り立ててくれるに違いない。もう、自分を抑えなくてもいいのだと。

 まあ家族を盾にされたとはいえ、クルスームの命令通りカリムと敵対してしまったのだから、そんな将来は消えて無くなった訳であるが。


「第二夫人すら殺さないあいつが、お前たちを罰すると思っているのか?」
「…………えっ、生きてるんですかあのクソアマ……失礼、あのクソ女」
「言い直した意味あったか? ……アレでもムガルの母親だから、と言ってきかなかったんだ」
「はーーーー。甘い甘いと思ってましたけど凄いですね。一周回って空恐ろしい」


 第二夫人すら死んでいない、と聞いたウィサームの肩から一気に力が抜けた。元凶が殺されていないのなら、己や家族たちの命に累が及ぶ事はないとみていいだろう。
 アジームの当主から直接命令を受けた、主犯格とも言えるウィサームが降参だとでも言うように両手を上げた事により、他の内通者達も次々とマジカルペンを床に置いて従順の意思を示す。元々家族などを人質に取られてから、漸くカリムに敵対した者たちだ。誰だって好きでカリムの敵になった訳ではない。


「全く罰がない……可能性はあるが、カリムの口から沙汰が下るまでおとなしくしておけ。悪いようにはならないよ。……素知らぬ顔をしているがお前もだからな、ドーン」
「……げえ、オレのことまでバレてやんの」


 お前達は端に寄っておけ、と内通者達をまとめて談話室の隅に追いやったジャミルは、俺は関係ありませんと言いたげな顔で突っ立っていた羊の獣人の首根っこを掴み、内通者達の一団に突っ込んだ。彼、ドーンも内通者であった。……イデアからの情報である。
 1年の頃からそれなりに仲良くやってきた筈だが、まさか裏切られるとは、とジャミルは一周回って感心すらしていた。ジャミルの視界の端でドーンとニコイチとも言えるラジャブの顔が驚愕に彩られているのを見て、まあそんな反応になるよな、なんて。他の内通者達も反応は様々だが皆一様に驚いている様であった。
 ドーン・ヴェルウェザーは、1年の頃からラジャブと共にカリムの後をついて回り、カリムからの信用を得ていた筈の生徒だ。その事実をアズールですら承知していたのだから、同じ寮生からすれば彼の裏切りは青天の霹靂である。


「バイパー、うちの親父どうにかしてくれよ。あの人アジームの第二夫人に一目惚れしちまってさぁ、あの方の為にカリムを裏切れって」
「は? え、そんな理由で? 馬鹿じゃないのか」
「しかもカリムの情報を流さないと仕送りを止めるって言ってさぁ。そんなのお腹空いちまうだろ」
「……お前もそんな理由で裏切るんじゃない。金ぐらいカリムに言えばどうとでもなるだろ」


 そういえばこいつ馬鹿だったな、と思い出したジャミルはドーンを見下ろす。寮内にある宝物庫の管理をカリムから任されているのだから、給料をもっとくれとでも言えばカリムのことだから惜しむ事なく増額しただろうに。目先の金が無くなってしまう事ばかりに気を取られたのだろうか。
 内通者の輪に突っ込まれたドーンを、他の内通者達が小突き回す。お前流石にそんな理由でカリム寮長を裏切ったのかよ、とでも言いたげな態度である。実際内通者でない寮生達もそんなことを思っていた。


「……あの、カリムさんが帰ってくるまでずっとこうなんですか? 何の説明すらなしに?」
「お前達が破壊した調度品の総額を知りたいなら、そう言ってくれればいいじゃないか、アズール」
「…………。あの……参考までに聞いてみても?」


 床に敷かれた美しい模様の絨毯は無残に焼け焦げ千切れ飛び。カリムが入学当初に飾っとこうぜ、なんて言って置いた骨董品レベルの机とガラス細工は真っ二つ。その他細々とした金や銀などで作られていた備品も、粉々に砕け散って足元に転がっている。
 弁償しろ、なんて言われては溜まったものじゃないアズールだが、純粋にカリムがどれ程の資産を放置しているのか気になったらしい。藪蛇と分かっている上で、彼は恐る恐るジャミルに問い掛けた。

「3桁」
「…………3桁?」
「億マドル」
「ア、はい、黙りますね。フロイドはちゃんと謝りなさい」
「……え、これ謝って済むやつ? ごめんねウミヘビくん」

 珍しいことにちょっとだけ顔を青くしたフロイドに対し、済まないやつでしょうね、と白々しい声のジェイドの返答が談話室に響き渡った。オンボロ寮の監督生なんて、昨日まで呑気に寝そべっていた談話室の絨毯が高級品と聞いて卒倒しそうになっている。なんでそんなもん公共の場に持ち込んでいるんだ。

 そんな訳で何も言えなくなってしまったアズール達は、徐に談話室を掃除し始めた。せめて心象を良くしておいて賠償請求されぬ様に、という打算の上での行動である。ダイヤや純金が無残に転がっているのが末恐ろしい。これ一粒で幾らになるんでしょうかね、と冷や汗を流しながらアズールは残骸をまとめていく。フロイドがジャミルのユニーク魔法らしきもので洗脳された時、無駄に刺激しなければよかったと今更ながらに彼は後悔しているが、もうどうしようもない。
 それに、ジャミルのユニーク魔法について根掘り葉掘り聞いてみたかったものの、下手にジャミルの機嫌を損ねて弁償しろと強要されれたらたまったものじゃないだろう。アズールお得意の口八丁は膨大な金の前では無力である。彼らは魔法石を食おうとするグリムを制止しつつ、黙々と談話室を綺麗にする以外に何も出来なかった。
 ……スカラビア寮生達も手持ち無沙汰なのであろう、アズール達と共にぐちゃぐちゃになっている室内を整える為に動き始める。魔法で雑に片付けようにも、金や銀、宝石の残骸など雑に扱えない為、片付けは非常に遅々としていた。と、その時だ。

 突如として笛の音が鳴り響いた。誰も笛なんて吹いていないはずなのに、とキョロキョロ周囲を見回したアズールは、眉間にシワを寄せてネックレスに付いているチャームを見つめるジャミルを見つけ、首を傾げた。……あれはチャームではなく、もしかして笛ではと彼は思い至ったものの、ジャミルが笛を吹いた様子は見受けられない。


「……すまない、ちょっとそこから離れてくれ」
「え? あ、はい。わかりました、バイパーさん」


 ひょい、とマジカルペンを振るい、寮生を退かせた辺りの残骸を散らしたジャミルは、もう一度マジカルペンを振って床に魔法陣を焼き付けた。アズールですら見たことのない、独特の紋様で描かれている魔法陣だ。
 幾何学模様を囲うように描かれているのは恐らく熱砂の国の古代文字であるからして、ジャミルの得意とする古代呪文に関係する何かの魔法であろうが……。興味のひかれたアズールと、何故かフロイドもジャミルのそばに寄ってその魔法陣をよく見ようと首を伸ばす……が、2人が邪魔らしいジャミルによって押しやられる。


「ジャミルさん、それってブラフマーの古代文字ですよね。けれど、基礎となっている陣は近代の……」
「アズール、君が興味津々なのは分かったから退いてくれないか?」
「古代呪文と近代魔法の融合なんて滅多に見れないのですよ? もっとよく見せてください」
「……さっきまで真面目に片付けてたのはなんだったんだ……。ハァ……兎も角、危ないから下がってろ」


 ススス……と、笑顔で音もなく魔法陣に近寄ってきたジェイドを睨んで牽制しつつ、首を伸ばして魔法陣を覗き込むアズールを退けたジャミルが魔法陣の上にマジカルペンを掲げた。すると橙色の光が浮かび上がり、魔法陣に魔力が満ち始める。明滅しながら光が強くなっていく様を興味津々な様子で眺めていたアズールだが、あまりにも光が強くなってきた為顰めっ面になる。
 あ、これ召喚術に使われる紋様がこの魔法陣に混ざっているな、とアズールが気付いた時には目を瞑っていても眩しいぐらいに魔力光が輝きだしたので、彼はそそくさとウツボ兄弟の後ろに避難した。自分だけ遮光の魔法を使ってまともに目を開いていたジャミルは、光り輝く魔法陣をじっと見つめ、その中心で影が揺らいだのを見てホッと息を吐く。

 カッと光が一際強く輝いたかと思えば、ゆっくりと魔法陣の端からほつれる様に光が崩れていく。それと共に光量も減っていき、手で遮らずとも目を開いていられるようになったので、アズールがリーチ兄弟の背後から顔を出した。
 橙色に輝く光の中に、何やら影が伺える。布が解けるように光が散っていき、中心に見える影……何やら大荷物を持っているらしいその人は、ひらりと右手を掲げた。


「ただいま、ジャミル!」
「……おかえり、カリム」


※※※


「みんな俺の家の騒動に巻き込んじまって悪いなぁ。一応詫びになるものを用意するから、それで許してくれるとありがたいんだが」


 カリムは抱えていた荷物……箱のような何かを魔法の絨毯の上に乗せ、寮生たちに向き合った。そして彼はいつものように、ニッと笑顔を見せる。ウィンターホリデー前から久しく見ることの無かった、カリムの輝かしい笑顔だ。
 カリムがいなくなった事であったり、断片的にだが知らされるジャミルからの情報や、内通者なんて単語にずっと気を張っていた寮生たちは、カリムのその表情を見て肩の力を抜く。いつもの寮長がやっと戻ってきたのだ。
 彼が詫びだの何だの言っているが、寮生たちにとっては慕っている寮長が戻ってきたのだから、それだけで十分である。確かに合宿は大変だったが、それはそれとして自分達のためになるものだったのだ。最下位を取るだなんて不甲斐なかった己たちにも非があると言えよう。
 それに何より。いつも命を狙われているカリムの、まさかの御家騒動で、彼が怪我する事なく帰ってきてくれた。比較的気の良い人間の多いスカラビア寮生にとっては、それが1番嬉しいのである。

 まあ、アズール達には一切関係ないのだが。


「詳しい説明をしていただけますか、カリムさん」
「いいぜ、アズール。あ、そうだお前たち! お前たちの家族も無事だから安心してくれ。ドーンの親父さんはまだ妄言を吐いてたけど、金はお前の実家から送られてくるよ」


 端に寄ってないでこっちに来いよ、とカリムは何も気負わずに手招きするものだから、内通者だった者たちは大人しく寮生たちの輪に入っていった。寮生たちも仕方ないな、といった表情で彼らを受け入れる。……まあ、それはそれとして小突きはした。


「ジャミルからは何処まで聞いたんだ?」
「カリムさんがご実家を制圧された、という事ぐらいですかね。しかしどうしてご実家とこんな事になったんです?」
「ああ、俺が王様になろうとしてたから、それが気に食わなかったみたいだ」
「……王様?」


 スペースタコが誕生した。てっきり、商売の方向性などでカリムとその実家が敵対する事になったのか、とアズールは考えていたのだが……王様……? 背中に宇宙を背負いポカンとしたアズールは、頭を振ってもう一度カリムから放たれた言葉を反芻する。

 王様。

 ……カリムさんって王族じゃなかった気がするんですけど、と彼は頭を捻る。まさかのカリムが王になろうとしていた、なんて寝耳に水もいいところだ。カリムにそんな野心があるだなんてアズール達は一切気付いていなかったし、言われた後の今でも、そんな大それた願いを持っているなんて信じられなかった。
 何せカリムは根っからの善人だ。商売人としてのプライドからか、アズールが売った喧嘩に対して彼のプライドを折る勢いで喧嘩を買ったが、それだけ。ラギーがジャミルに怪我をさせたマジフト大会の時だって、結局レオナをぶん殴るだけで済ませていた。命を狙われた時でも敵を痛めつけはするが、一族郎党を潰す訳でもない。大富豪の後継者にしては、随分と甘い報復だろう。悪く言えば上流階級としての自覚が薄い様にも感じられる。
 そんな男に、王様になる……人の上に立つという野心があるとは思えなかった。


「王様になるって……クーデターとか起こそうとしたんですか?」
「いいや、現国王の養子になったんだ」
「なった、って事は」
「この学校を卒業したら、2年ぐらい周辺諸国を見てまわって……そのあと俺が王位を継ぐ、って形だな」


 マジかこの人、とでも言いたげに顔を引き攣らせてカリムを見たアズールは、当然といった顔でカリムの後ろに控えるジャミルを見て、もう一度カリムの顔を見た。王様って、あの王様ですよね。確か熱砂の国は王政を敷いているから……カリムが、数年後熱砂の国のトップになる……?
 王族でないのに国王の養子になり、次の国王に指名される、なんてあり得ない事だ。そもそも王政なのだから、血筋が何より優先される。そこにいくら親戚とはいえ、王族でない者が養子に入り、王位を継ぐなんて。

 一体いつから王位を狙っていたんですかね、とジェイドは一歩離れたところでアズール達の様子を眺めながら思った。カリムの情報をアズールの指示で調べた時、全くと言っていいほど悪い噂を聞かなかった事も、きっとカリムが王になる為の布石だったに違いない。
 国民が……市井の人々がカリムを慕い、彼を愛するのならば、血統という不安材料を捻じ伏せられる。その為にカリムは国中で宴を取り仕切り、自分の資産を切り崩して慈善活動もやってのけた。確かにカリムは善人で、けれども能天気な男ではない。己の善意が齎す結果を計算した上で、善行をしたのである。

 この学園の生徒には出来ない所業だろう。皆、基本的に己の益しか考えないし、足の引っ張り合いしかしない。自分の利益を損なってまで、他人からの好意を得ようなんて考えもしないのだ。


「まあ、今回のは俺に家を継がせたいアジーム家当主対、王様になりたい俺と王様にしたい王宮の人たち、って感じだな。当主と第二夫人とかは反逆罪で捕まったし、もう何も出来ないぜ」
「ラッコちゃんのお父さん捕まえたの?」
「もちろん。現国王の意向に逆らって、俺に軟禁紛いの事をしたんだ。そりゃ捕まるだろ」
「へぇー……。ヤバイね、ラッコちゃん」


 きっと学園に入学した時には既に、玉座に王手をかけていたんだろうな、とフロイドは推測する。そうでなければ、たった一晩でここまで事は動かないだろう。恐らく入学前でも養子になれたのだろうが、学園生活を満喫したいから養子にならなかった、だとか。
 王位継承権第2位で好きにやっているレオナは兎も角として、茨の谷の時期国王であるマレウスは、お世辞にも学園生活を楽しめているとは思えない。まあ、マレウスの性格にもその原因はあるだろうが、地位が高すぎる故の弊害だ。カリムの性格からして、学校を楽しめないのは面白くないだろうし……だから敢えて大富豪の後継者のままで。

 面白い、ではなく一周回って恐怖すら感じる手腕だ。カリムは商人としてやり手であるが故に熟慮の精神に基づく寮の寮長として相応しいと言えるものの、普段の行動ではジャミルの方が深謀遠慮……考えを巡らせる事に長けた印象を受ける。しかし実際はどうだ。武力を使わずして、王族ですらないのにカリムは王になる。
 クーデターを起こすよりよっぽど難易度が高いだろう。


「……よし、皆大体は理解できたか? よくわからなかったら、俺が卒業後に王様になるってだけ覚えてくれたらいいぜ」
「はい、カリム様! 質問です」
「どうぞ、ウィサーム」
「アジームとクルスームは取り潰しですか?」
「取り潰しだな。けど、今回の騒動に無理矢理参加させられた奴らを解雇する事はしない。アジームに雇われていた奴らは、全員俺が雇い直して王都に引っ越しだな」


 もし、もう関わりたくないってのなら後で申し出てくれよ、とカリムは続ける。そのまま、懐に入れてあった紙を取り出して、頭上に掲げた。
 字が細かくて見え辛いが、下の方に誰かのサインと豪華な印影が見える。アズール達には見覚えがないが、一部の生徒はよく知っているものらしい。その印を知っている生徒達がざわついた。


「これは折角の休暇なのに家に帰さず、厳しい合宿をさせた詫びだ。今回の合宿に参加した者達に、卒業後推薦状を書くと約束しよう。適性診断をしてからアンケートをとって、お前たちそれぞれに相応しいであろう就職先に俺と現国王の名義で推薦状を書く。今俺が持ってるのが誓約書な。あとでコピーをやるから安心してくれ」


 カリムの驚きの発言に、談話室から音が消えた。


「ま、マジでいってんのかよ、カリム寮長」
「この厳しい合宿をこなせた、ってのが最大の理由だぜ。これなら俺が推薦状を書くに値するって思ったんだ。あ、もし王宮とかで働きたいのなら俺から課題を出すから、それを全部こなせば推薦するぞ」
「ぼくやりたいです」
「却下だ。お前はムガル付きの従者にするからジャミルに扱かれておけ」


 ウィサームの様な面の皮の厚い奴の方がムガルには合うだろう、というカリムの兄心からの言葉であった。それに、ジャミルについて回って学習できる程度に優秀な男なら、弟の従者に相応しい。ジャミルが言っていた通り、カリムはウィサームを高く評価していた。
 まさかカリムの弟の従者の地位が貰えると思っていなかったウィサームは、青色の瞳をパチパチと瞬かせる。カリムの側仕えになれればいいな、とは思っていたけれど、まさかカリムが大切にしている弟の守護を任せられるなんて思ってもいなかった。カリムを裏切ったにしては破格の対応であろう。

 そんなウィサームの反応を皮切りに、寮生たちがざわつき始めた。だって現国王と次期国王が推薦状を書いてくれるのだ。未だに若干脳が追いついていない生徒の方が多かった。


「で、次はオンボロ寮の監督生だな。巻き込んで悪かった」
「え、いや……なんか今回は僕、自分で巻き込まれに行ったので……はい……」
「今、熱砂の国の王立図書館や研究機関で、異世界に関する文献を調べてもらってる。後は金に困ってるんだろ? 後ろ盾もないし、今度から俺がお前の生活費を出してやるよ」
「は?」


 これが誓約書。そう言って、カリムは監督生に紙を手渡す。
 え、え? と困惑しながらも渡された誓約書を見た監督生は、その内容に目を剥いた。グリムと2人合わせて月15万マドルの支給、及びオンボロ寮の先住民であるゴーストの機嫌を損ねない程度のオンボロ寮の改修。学園長からの許可も得ていると書いてあるため、彼は驚きでひっくり返りそうになっていた。

 じゅ、15万マドルに寮の改修? 合宿に参加した対価としては割りに合わなすぎやしないか。カリムの事だから他の生徒と違って純粋な善意からの行為だろうが、貰いすぎてむしろ恐ろしい。
 ……しかしながらこの監督生、闇の鏡に選ばれたナイトレイブンカレッジの生徒である。貰えるものは貰っとけ、とありがたく頂戴した。


「次は僕ですか?」
「あつかましいぞ、アズール」
「人聞きの悪い事言わないでくださいよ、ジャミルさん。実は監督生さんがスカラビア寮から逃げ出した時に、モストロ・ラウンジの備品を盛大に壊したんです。カリムさんが彼の後ろ盾になるなら弁償ぐらい……ねえ?」
「んー……。いや、弁償はしない。代わりに談話室の弁償の請求をしないでおくな」


 カリムの言葉にアズールの笑みが深まった。3桁億マドルを支払わなくて済むのなら、モストロ・ラウンジの備品など安いものである。ワンチャン払わずに済むかな、と思っていたらその通りになったのでアズールはご機嫌になった。そしてぶち壊した主犯のフロイドもホッと息を吐く。そんな金額、まともに学生が払えるわけがないのである。

 最大の懸念材料が無くなって気を抜いたアズール達だが、しかしそんな彼らになぜかカリムが紙を差し出す。カリムからの詫びは、調度品の弁償をしない事で相殺したはずなのだが。


「熱砂の国の王都の一等地の借地権だ」
「……はい?」
「前はアズールが俺に喧嘩を売ったろ? だから今度はこっちの番だぜ。モストロ・ラウンジ2号店、この場所で成功させてみろよ」


 俺が治める国の、その王都という目と鼻の先で商売をしてみろよ、という訳である。
 アズールは差し出された紙を読み、乾いた笑みを浮かべた。その背後から覗き込む様に紙を見たフロイドとジェイドは、心底面白そうだ、と言いたげに笑みを零す。熱砂の国の王都の詳しい地形は把握していないが、カリムが一等地と言ったのならば一等地なのであろう。今更彼の言を疑うつもりはない。
 そんな場所で念願のモストロ・ラウンジ2号店を出せたならば、アズールの名は今以上に有名になる。王になったカリムから土地を借りている、というのも良いアピールポイントになる筈だ。
 しかし逆に……もし、アズールが2号店を軌道に乗せることが出来ず、店を畳んでしまえば……? 国王カリムの期待に添うことすら出来なかった等と、アズールの名に必要以上に傷が付く羽目になる。カリム自身が商売で成功し続けているから、尚のこと失敗した際のダメージが大きい。

 そこまで織り込み済みで、カリムはアズールに借地権を渡してきたのだ。千載一遇のチャンスをアズールが逃す筈が無いと分かって、敢えてリスクの大きいモノを提示したのである。

 アズールは久しぶりに腹の底から大笑いしたくなった。今のままでは、どう足掻いたところでカリムに勝てるヴィジョンが浮かばないのだ。慈悲を以ってして貴方を助けましょう、と謳うアズールにはカリムのやり方を決して真似できない。
 アズールならば相手が成功して利益を得た時、それ以上に己が利益を得られねば気が済まないだろう。最終的に己が1番に勝利していなければ、否、己が勝つように立ち回る。しかしカリムは? 彼は手助けした相手が成功するならば、それで構わないのだ。元々何もかもを、富も名誉も得ていた男だからこその余裕と言えよう。

 アズールは心底悔しがった。負けだ、と思ってしまった事もそうだが、カリムに負けても清々しい気分でいられる事が悔しかった。カリムに負けたのなら仕方がない、なんて思わされた事が悔しい。相手にそんなことを思わせることを、アズールは出来ないのだ。……まあ彼の性格は悪いので、したいとも思わないが。


「いいでしょう、あなたの喧嘩を買います。熱砂の国で1番の売り上げを叩き出してやりますよ」
「お! 言うじゃないか! その日を楽しみにしておくぜ」


 喧嘩を買ってくれて嬉しい、と言うように満面の笑みを浮かべたカリムは、そのまま帰還の際に抱えていた箱の側に近寄った。魔法の絨毯がふわりと浮かび上がって、カリムが箱を開きやすい位置で静止する。


「なあジャミル、手伝ってくれ」
「構わないが、何を……ああ、そう言うことか」


 ちょいちょいとカリムに手招きされたジャミルが彼のそばに近寄ると、カリムはジャミルに箱の中身が見れるように蓋を開いた。その中身を見たジャミルは成る程、と頷いたかと思うとマジカルペンを構える。そしてサッと一振り。
 散らばっていた調度品の残骸が一箇所にまとめられ、布で包まれる。カリムだけでなくジャミルもこの程度の金は見飽きている様で、非常に雑な清掃の仕方だった。その間にカリムもマジカルペンを取り出して一振り。談話室にいた生徒たちが少しだけ浮かび上がり、全員纏めて入口に移動させられる。
 そしてジャミルがもう一振りすると、カリムが持ってきた箱の中から様々なものが飛び出してきた。繊細な模様のどでかい絨毯が床に敷かれ、その上に高そうな皿が並べられていく。さらには業務用の寸胴鍋も出てくるし、なんなら冷蔵庫まで飛び出てきた。明らかに箱の容量を超えている。
 空間魔法か縮小魔法でも掛かっているのだろうか、とアズールが目を輝かせている間に、カリムとジャミルの作業は終わったらしい。

 先程までぐちゃぐちゃになっていた談話室は、見事に宴の会場へと様変わりしていた。


「難しい話も面倒な話も今日は終わりだ! 宴をしよう!!」
「お前徹夜してるだろ。寝なくていいのか?」
「一周回って目が覚めてるから大丈夫だぞ」


 カリムに影響されてか、宴好きのスカラビア寮生たちが喜び勇んで模様替えした談話室に足を踏み入れる。どうやらカリムが王宮から色々と持ち込んだ様で、自動演奏する楽器や、給仕役のオートマタが動いていた。
 そして何より目を引くのは用意された料理だろう。どれも出来立ての様に湯気が出ており、様々なスパイスの香りが鼻腔を擽る。ジャミルが普段作っている料理だって美味しそうだが、この料理たちを作ったのは宮廷料理人だ。比ぶべくもないだろう。


「カ……カロリーが……」
「合宿で運動してたし大丈夫だよぉ、アズール」
「今日ぐらい良いじゃありませんか。ねえ?」
「あっ!!! ユウ!!!! ツナがあるんだゾ!!!!」
「さっきまで半分寝てたのに急に元気になったね?!?!」


 寮生たちに出遅れたものの、監督生たちも談話室に足を踏み入れた。そんな彼らの元へニコニコした顔のウィサームが飲み物を持ってきたものだから、思わずフロイドが噴き出す。面の皮の厚さやばいじゃんコイツ。
 それを皮切りに、皆笑顔で談話室の中心へと向かった。


「お前たち、全員グラスは持ったか?」
「持ったんだゾ」
「よーし、じゃあ乾杯しよう。今日は学年も寮の違いも関係なく、無礼講で行こうぜ。こういうのは楽しんだ奴が勝ちなんだ。俺の家のせいで色々迷惑掛けちまったけど、」
「ねーラッコちゃんまだ喋んの? オレお腹すいた」


 カリムが無礼講でいこうと言ったからか、やんややんやとヤジが飛んでくる。美味しそうな料理を目の前に長話は辛いのだ。……別に長話という程カリムは喋っていなかったが。


「あー、わかったわかった! 全員グラスを掲げろ。そら、飲めや、歌え! 踊れ! 乾杯!!!」

「「「「乾杯!!!!」」」」


 最高の宴が始まった。


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