雨降って地固まる
「東西線のさァ。延伸工事の事覚えとる? あれ、たった2キロちょい線路伸ばすんに、6年ぐらい時間かかっとったやんか」
こっからここまでな、と地面に並べた石を駅に見立て、男は指をさして言葉を零す。
若干時代遅れとも捉えられる書生服を身に纏った男……禪院直哉は、自分で話し始めたというのに詰まらなそうな顔をしていた。その眼下には血塗れで倒れ臥す男が1人。
「おーい、聞いとる? 人の話聞く時は目ェ見ろ、てお母ちゃんに習わんかった?」
ゼーゼーと、どこか水気の混じった荒い息を零す男は、直哉の言葉を聞くのだけで精一杯であった。手足は本来ならば曲がらない方向へと折り畳まれており、鼻っ柱も折られている様で延々と鼻血が垂れ流れている。絶え間なく男を襲ってる痛みに呻き声を上げないだけ上等と言えよう。
……男はここに至り後悔していた。呪詛師として優秀であるからと慢心して、禪院に手を出すなんて馬鹿げた事をしなければ良かった、と。それに、今まで己を助けてくれていた常人よりも優れた体躯が恨めしい。痛みに強く、頑丈であるせいで男は気を失う事すらできないのだ。
「あかんなァ。こらあかんわ。折角俺が喋っとんのに、別のこと考えとるやん」
男の意識が己ではなく別のところにあると気付いた直哉は、口をへの字に曲げる。えらい余裕そうやなァ、なんて嘯きながら立ち上がった彼はぐうっと伸びをした。石を並べる為にしゃがんでいたから、少しだけ体が硬くなっていたのだ。
それから少しの間、足首をぷらぷらさせたりしていた直哉は充分体が温まったと判断したらしく、脈絡もなく右足を後ろに引いた。そして、思い切り男の顔面に向けて足を蹴り上げる。
ぐちゅり、と何かが潰れた音が辺りに響き、その直後に男の絶叫が迸った。……直哉の爪先が男の左の眼窩にめり込んでいる。そのままぐりぐりと、男の眼窩を爪先で弄くり回した直哉は、しかし不機嫌そうな顔付きだった。
「俺の話聞いとった?」
悲鳴を上げ続ける男の顔面から足を退け、直哉はそのまま首を踏みつける。そして、ぐ、と体重を掛けて、男の首の骨が折れない程度に圧迫した。
男は悲鳴すら上げられなくなり、藻掻くばかりだ。
「俺はな、話聞く時は目ェ見ろ言うたんや。誰が叫べ言うた? お前に声出してエエなんて許可しとらんやろ」
直哉に痛めつけられた男の目と鼻からは鮮血が迸り、見るも無残な有様だ。それに気道を抑えられているせいで呼吸が出来ず、どんどんと顔が赤くなり、血の勢いも増していく。
そんな状態のまま、折れた手足で懸命に足掻いている男を、まるで死にかけの虫を見つめるような目付きで直哉は見下ろす。
逃げようとするばかりで一向に直哉を見ない男の首から足を退け、男が必死に空気を吸い込む様を見つめた直哉は、そのまま男の鳩尾を思い切り蹴り上げた。次の瞬間、男の息が詰まる。
横隔膜の動きが止まったせいだ。
「分かった? 分かったら頷けや」
呼吸が出来ない状況で、耐え難い痛みに苛まれ続けている男は、しかし素直に直哉の言葉に従ってコクコクと頷いた。このままでは拷問されながら殺されてしまうと思ったからだ。
暫くして通常に動く様になった横隔膜の動きに合わせて、声を出さぬ様に気をつけながら息をする男は、残された眼で直哉を見上げる。そんな男のみっともない姿に、直哉は心底愉しそうな笑みを浮かべた。
「あ、ほんでさっきの話の続きやねんけどな」
先程まで並べていた石ころを、思い付きで男の方に蹴っ飛ばした直哉は、そのまま話に戻る。確かに男が苦しそうな様は見ていて楽しいが、そんな事より自分の話の方を優先したい。
そもそも直哉が男にこちらに目線をやる様に言ったのも、自分が気持ち良く話す為だったので。
「ほら、京都て前に応仁の乱とか色々あったし、文化財がアホみたいに地面に埋まってんのよ。せやから掘るたんびに色々出てくるから、全然工事進まんくて6年もかかったらしいねんけどな」
1年で500Mも進まんてほんまアホらしいわ、と呟いた直哉は、しゃがみ込んで男の折れている腕を掴む。そして男を引き摺りながら何処かへ歩き始めた。
その最中も偶に下に目をやり、男が自分を見ている事を確認するのだから非常に意地が悪いと言えよう。
「うちの御山もせやねん。むかぁしの大火で死んだ奴、合戦から逃げ延びたはええけどここで野垂れ死んだ奴。あとお前みたいに暗殺しようとして失敗して死んだ奴。全部、ここに埋まっとる」
引き摺られている最中、石が傷口に入り込もうとも、口に土が入り込もうとも、男は懸命に悲鳴を堪えた。また首を踏まれたら溜まったものじゃない。
この状況に似合わぬ、直哉の軽やかな声が森に響く。穏やかな声だというのに、何故ここまで空恐ろしい声色なのか。男に出来ることは耐える事と、直哉の話の意図を読み取る事だけであった。
「当然みんなお墓なんてあらへんよ。ここの御山で死んだ名無しの権兵衛やさかい、誰も思い出さんし、覚えててくれへんの」
目的地についたのか直哉は男から手を離し、その体を足で軽く押す。すると、男の体はゴロゴロと転がり始めた。……落とし穴だ。男は大きな落とし穴に落とされていた。
回る視界と激痛に苛まれるも男はなんとか悲鳴を噛み殺し、右目で直哉の姿を探す。彼を見なければ、また首を。けれど、己がいる穴の底から、随分と高い位置に直哉は立っていた。
これではあの男は自分を痛めつける事が出来ないのでは、なんて男は思い至り、しかし己に降り掛かった土砂に身を竦める。
「親不孝モンやなァ。折角おかんに頑丈に産んでもろたのに、お前は親と一緒の墓にも入れんし、無価値に他の仏さんと一緒に山に埋まるだけ。あーカワイソ」
可哀想だなんてちっとも思っていない声色だ。ニヤニヤと厭らしい笑顔で底を覗き込んだ直哉は、そのままよいしょ、なんて気の抜けた声と共に落とし穴の周りに積んでいた土を中に蹴り落としていく。男の体が埋まる様に、けれど息はできる様に顔の周りだけは土が被らないように。
男を埋める用の穴と、それを塞ぐ土。……ここで男は漸く己が誘い込まれた事を自覚した。男が禪院直哉の暗殺を請け負い、彼を付け狙って4日目。付き人が居なくなった今が好奇と、ほんの少しだけの隙を見せた直哉を襲ったのがつい30分前。
直哉が見せた僅かな隙も、この山に入ってからのことだ。全部、全部分かった上でこの男は己を泳がせていた。
痛みで鈍っていた男の頭が回り始める。このままではおもちゃの様に殺されてしまう、と。
「カワイソついでに挽回のチャンスあげよか」
直哉のそんな言葉に、男は藁をも掴む気持ちで彼の顔を見つめた。しかし男のそんな反応に、直哉は内心爆笑していた。自分を不快にすればチャンスも与えられず生き埋めにされてしまう、と態々声を出さぬ様に悲鳴を堪えているのだ。
これを笑わずにいられる訳ないやろ。けれどもそんな様子を表に出す事はなく、直哉は努めて穏やかな顔と表情で男に告げる。
「今から1000回、自分の親に謝り。親不孝してごめんなさい、て。ほんならその穴から出したるわ」
※※※
男の声をBGMにしながら、直哉は意気揚々と山を後にする。ギリギリ息ができる程度に頭まで土を被せたから、いつまで保つかな、なんて。
山道で待ち構えていた付き人から替えの下履きを受け取り、男の体液で汚れたものから履き替えた直哉は、迎えの車に乗り込む。そして、運転席に座った付き人に顎でしゃくって指示して、本邸までの道を走らせた。
「……直哉様、あの男は」
男で遊んでいたお陰でいつもより機嫌が良いのだろう。付き人の疑問に対して、直哉は素直に答えた。
「え? あんなんほっとき。明日この辺雨降るし、暫くしたら死ぬやろ」
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