緑の小枝
「どないしたん、真依ちゃん」
嗚呼、見つかってしまった。
自分を覗き込む様にして掛けられた声に、真依は肩を震わせた。口に出している言葉の割に、ちっとも真依の事なんて考えていない、軽薄さが滲み出ている声色。その声に含まれている愉悦の色が恐ろしい。
「お心配り、ありがとうございます……直哉様」
彼の機嫌を損なわせてはならない、と真依はしゃがみこんでいた体を必死に動かして、目の前の男に平伏した。そうして、出来る限り息を殺して彼が立ち去るのを待つ。
……真依にとって、禪院直哉という男は何よりも1番恐ろしかった。
扇の娘。給仕係。それが禪院家の中で真依を表す記号だ。誰も真依という個人の事なんて見ずに、そこに存在するだけの雑用係として扱う。……真依からすれば、ある意味気が楽な扱いだ。だって真依の不出来を詰らず、雑務さえ熟せば放っておいてくれるから。
真依に何も求めず、落胆すらしない。自分を見て貰えない代わりに、努力も痛くて怖いものから逃げ出せる。……真依はそれで良かった。否、それが良かった。
なのに禪院直哉はそれを許さない。真依という個人を認識して、無理矢理家の舞台へと引き摺り出してくる。
「かまへんよ、虫みたいに丸ぅなってて気になっただけやし。それよか真依ちゃん、美味しいお茶菓子手に入ってん。一緒に食べようや」
この男は、決まって真依が打ちひしがれている時に現れる。稀ではあるが、僅かながらにも存在する真依の自尊心が傷付けられた時。その時に限って、直哉は部屋の隅で蹲る真依を態々探し出しては、部屋から引き摺り出して表を歩かせてくるのだ。
今だってそう。真依が断る筈もないのを分かった上で、誘いの言葉を掛ける。そうして、当主の息子の後ろを惨めったらしく小さくなって歩く真依を引き連れて、わざと親戚一同の座す広間の横を歩かせた。
お前はあの場所に座る事は一生無いんだよ、と。直哉の後ろを着いて歩いていても、一切真依を気にする人間なんて存在しない、と。誰もお前に期待する人間など居ないのだと知らしめてくる。
癒えていない傷に、更に刃が突き立てられていく。真依の傷付けられた自尊心の、その根本が叩き折られた。
……やめてくれ、なんて言える相手ではない。そんな事を言った暁には、きっと真依の心は叩き壊されてしまうから。
「ほら見てや。美味しそうな柏餅やろ」
「……ええ、そうですね。ありがとうございます」
「真依ちゃんいっつも茶菓子出す側で、全然食べとらんさかい。ちょうどコレぴったりや思ったんよ」
息をする様に貶してくる直哉に、茶室に飾られている柘榴を投げつけてやりたいと真依は思って、しかしそんな度胸はなく。己をじぃと見つめてくる直哉に怯えながら、真依は茶菓子を口にした。しかし当然、味なんて分かる筈もなく。
さっさと食べ切って、この男の前から去りたい、なんて。真依の考えなどこの男はお見通しだった。
「まだまだあるし、食べてってや」
やっぱり真依は、この男が1番嫌いだ。
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