お持ち帰りした人とされた人

 お洒落なバーだとか、居酒屋で飲むのはあまり好きじゃない。なんというか、お酒を飲んで開放的な気分になりたいのに、店の中だと結局理性が働いちゃって好きな様に酔えないのだ。
 だから私は専ら宅飲み派だった。お高いお酒を飲みたい時は流石に店に行くけど、家でまったりとダラダラしながら飲むのが1番性に合う。好きにお酒を組み合わせられるし。名前は分かんないけど。

 けど、今日はちょっと違った。華金なのに後輩の尻拭いに走り回った私は、どうしてもすぐさまお酒が飲みたくなったのだ。家に帰ってる時間すら勿体ない。早くお酒を飲ませてくれ。
 酔っていないのにも関わらず若干ハイになっていた私は、パンツスーツ姿だろうがお構いなしに、目についたお洒落なバーに突撃した。店内は華金なのに客はまばらで、結構いい感じ。場違い感はあるものの、もうお酒が飲めればそれでよかった。
 ちょっとだけそわそわしながらカウンター席に座って、メニューと睨めっこ。家で飲むことが多いせいで、カクテルとかの名前が分からなくって少し悩んでしまう。甘めのお酒の気分だけど、何がいいかな。

 そんな風に思っていた、その時だ。


「隣、いいかな」


 柔らかな、艶のある声が右側から耳に飛び込んできた。今までで聞いた中で1番色っぽい、いい男の声。こんな優しくて艶やかな声なんて聞いたことがない。
 まあ、場違いな私に話しかけてくる物好きはいないだろうし、私への言葉ではないのは確実だ。だけどこんないい声の男の顔を拝みたくなって、そろりと顔を横に向けてみる。これで顔は残念だったら面白いけど、きっとイケメンなんだろうな。
 そんな風に楽観視している私の視線の先に現れたのは、途轍もなく美形な男。モデルか俳優でもしてるのかな、と思うほど美しい男がいて、その男は私の事を見つめていた。
 ん……?


「座っちゃダメ?」


 切れ長な目を瞬かせて首を傾げながら尋ねてくる男と目が合う。均整の取れた、美しい顔だ。鼻筋もスッとしているし、少し弧を描いている薄い唇も色っぽい。長い髪も清潔感があるし、ハーフアップがこんなに似合う男がいるなんて……。
 と、まで考えてから目を瞬かせた。まさか、私に話しかけているのか? 一瞬びっくりして呆けてたけれど、無視するのは失礼すぎる、と慌てて口を開く。


「座って大丈夫です」
「うん、そっか。ありがとう。隣、失礼するね」


 私の返答に、和かに笑った男が右隣に腰掛けた。その黒い瞳は私を見つめていて、少しだけ居心地の悪さを感じる。……なんでこんな色男が私に喋りかけてきて、挙句隣に座っているのか。
 何故か体を私の方へ向けて座った男はカウンターに肘をついて、頬杖を突きながら私を見つめている。意味が分からない。なんでこの人、私の事をニコニコしながら見てるんだろう。顔が良いからまだ許されるが、普通だったら無視してるぞ。


「こういう所慣れてない? メニューと睨めっこしてたから気になって」
「あ〜。そうですね、あまりこういった所には……」


 なにせいつもは家で飲むので、と言葉を続ける前に男が体を寄せてきたから思わず口を噤む。距離の詰め方がプロだこの人……。


「どういうのを飲みたいの?」
「えっと、甘いのが飲みたいです」
「へえ。……うん、じゃあこれが良いと思うよ。コーヒー牛乳みたいな味だから」


 そう言った彼が指さしたお酒の名前はカルーアミルク。これって酔いやすい奴じゃなかったっけ。……でもまあお酒に弱いわけではないし、飲んだことはないから気になると言えば気になる。
 見ず知らずのイケメンの言う通りにするのに抵抗がないわけではないけど、兎に角飲んでみよう。そう思って、バーテンダーさんにカルーアミルクを頼んだ。そして、隣の彼が頼んだのはマティーニ。
 な、なんかかっこいいな……。


「急に話しかけてごめんね。可愛い子が一人でいたから、思わず話しかけちゃったんだ」
「え、なん、か、可愛い?」
「うん、可愛いよ。……他の男に取られる前に話しかけようって思うぐらいには」


 極々自然に私の手を取って、指を絡ませながらそんな事を宣う彼に戦慄する。しかも、器用なことにカウンターの下で自分の脚と私の脚とを絡ませきたし。手慣れすぎていて、寧ろ清々しい。


「ねえ、このまま一緒に飲みたいんだけど……ダメ、かな」


 面のいい男に上目遣いで強請るように言われて、否と言える訳が無かろうに。まあ、酔いすぎないように気を付ければいいでしょ。



※※※



「夏油さんが飲んでるお酒、美味しいですか?」
「うん、美味しいよ。飲んでみるかい」
「じゃあ少しだけ頂きます」


 この人……夏油傑と名乗った彼は、凄く話が上手い人だった。お酒の種類の話から外国の話になったり、彼の友人の面白いお話になったり。
 そんな風にお酒を飲みながらたくさん喋っていると、初めはカウンター席にいたはずなのに、いつのまにかボックス席に移動していた。しかも夏油さんは正面に座るのではなく、私の隣に座って距離を詰めてきている。
 ……これってやっぱり狙われてるよね。かっこいい男だから悪い気はしないんだけれど……。


「どう? おいしい?」
「少し苦めなんですね。でもこれ美味しい……」
「ん。ダメだよ。度数高いから、沢山飲むと君だと酔っちゃう」


 彼から受け取ったカクテル……確か、ギムレットという名前のそれは案外美味しくって、もう一口飲もうとした所で最もな事を言う彼にグラスを奪われる。白々しいなあ。カクテルの名前は分からないけれど、彼が今までオススメしてくれたカクテルは恐らく度数が高い。
 体感的に、結構な量のアルコールを摂取した気がするのだ。優しそうな顔してるけど、酔わせようとするなんて悪い人だなあ。かっこいいから逃げる気にはならないのもずるい所だ。

「キツいお酒飲めるのってかっこいいですね。それって度数どれくらいなんですか?」
「多分30度前後かな。だから君は一口だけ。ね?」
「ええ……」


 彼の手元にあるグラスを羨ましそうに見つめると、ダメ、なんて言った彼がグラスを一気に呷った。美味しかったギムレットが彼の口の中に消えていく。ああ……飲みたかった……。
 そうやって恨みがましい目で彼を見ていると、私の視線に気付いた夏油さんが妖しく笑う。うわ、そんな表情までかっこいいだなんて狡い男。

 ちょっとだけ苛立っちゃったから、スタッフさんを呼んでもう一杯ギムレットを頼んでやった。夏油さんは危ないよ、なんて止めてくるが無視だ。
 家ではいつもウイスキーはロックで飲んでるから、度数30とかなんて事ないし。


「こら。沢山飲むと倒れちゃうよ。ゆっくり飲まないと」
「でもさっきのお酒飲みたいです……」
「んん……。君、もしかして顔に出てないだけで相当酔ってないかい?」
「酔ってないです」
「酔ってる子はみんなそう言うんだよ」


 仕方のない子だなあ、と言いたげな顔の夏油さんの腕が腰に回され、グッと体を引き寄せられる。そのまま頭をぽんぽんと撫でられて、なんだかなあという気分になった。
 どうやら本格的に酔ってると勘違いされたらしい。本当に酔ってないんだけどな……。
 でもそれはそれとして、夏油さんから漂ってくる香水の香りが心地いい。首裏とかに付けてるのかな、と顔を上げると至近距離で私を熱っぽく見つめる夏油さんと目が合った。……あ、キスされる。


「嫌だったら逃げて」


 私の首の後ろに手を這わせ、もう片方の手で腰を抱いてるのに、逃げてなんてよく言えるなあ。情欲に濡れた黒い瞳を見つめ返しながら、ゆっくりと目を閉じた。そして、唇が重ね合わさる──。
 その直前。スタッフさんがギムレットを持ってきた。あまりにも凄いタイミングだったから夏油さんは少しだけ苛立ったらしく、私の腰を抱く腕の力が強くなる。跡付いちゃうよ。

 ……だけど、今がチャンスだ。夏油さんが気を取られてる間に、頼んだギムレットを飲んでしまえばいい。そう思ってそっと机の上に置かれたグラスに手を伸ばし、ギムレットを口に含んだ。
 ちょっと苦いけれど、後味がさっぱりしてとても美味しい。これってジンと、たぶんライムが入ってるよね。今度家でも作ってみようかな。
 そんな事を考えながらもう一口飲もうと口を開くと、またもやグラスが奪われた。あ、今度こそちゃんと抗議してやる。そう思って夏油さんの方へと顔を向けて。


「ん、んっ……」
「ぁ、ん……ま、って、っふ、ぁ」
「だめ。悪い子には、お仕置きしないと」


 容赦なく挿し入れられた舌が口の中を暴れ回る。上顎を優しく舌先でなぞられ、背中に甘い痺れが走った。うわ、気持ちいい。イケメンはキスまで上手いのか。
 腰を抱いていたはずの腕が背中を撫で上げ、同時に舌を吸われてしまえば、もう降参するしかない。舌をぐちょぐちょと絡み合わせ、私の息ごと全部を喰らい尽くす勢いのキスに翻弄される。
 そしてそのまま、彼が満足するまでキスは続いた。気持ち良さと酸欠で頭がクラクラしちゃう。うう、色男はずるい……。


「ほら顔が真っ赤だよ。やっぱり酔ってるから、飲んじゃだめ」


 顔が赤いのは夏油さんのキスがうまいからなんですけども! と声を大にして言いたかったが、そんな気力もないので彼に凭れ掛かりながら息をととのえる。偶に背中の後ろの気持ちいい所を撫でてくるから、さっきから体がビクビクと震えちゃって恥ずかしい。


「残りは私が全部飲むから、もう頼まないでね」
「酔って、ないから、飲みたいです……」
「だぁめ。まだ言うなら、もう一回さっきみたいなキスするから」


 そう言うなり触れるだけのキスをしてきた夏油さんは、私のギムレットを飲み干した。ああ……。
 と、流石の夏油さんも一気に2杯もギムレットを飲み干したからか、若干と目がとろんと蕩け始めた。私じゃなくって夏油さんが酔ってるじゃないか。


「夏油さん、お水飲みましょう?」
「水も良いけど、他のも飲もうか。すみません、モヒートを2つ」
「え、あ。あとすみません、お水も……」


 ちょっと気が大きくなったのか、単純に気分が良くなったのか。それから夏油さんは、色々な種類のお酒を飲み始めた。モスコミュールだとか、ジンバックだとか、マルガリータだとか。
 どんなお酒かは知らないけれど、このまま飲ませ続けちゃったらヤバそうだな、と思って合間合間に水を差し出す。ついでにバレないように彼が頼んだお酒を消費して、そしたらまた夏油さんがお酒を頼んで。
 そんな事を何度繰り返しただろうか。1時間も経った頃には、立派な酔っ払いが1人出来上がっていた。


「夏油さん、もうお酒はやめましょうよ」
「ん……。でも、ここを出たら、君との時間が終わってしまうだろ。嫌だな。まだ一緒にいさせて」


 頬を上気させて擦り寄ってくる彼に、息が詰まる。かっこいいのに可愛いとはこれ如何に。
 ……確かにちゅうちゅうと首元や口端に吸い付いてくるイケメンは、ここで手放すには惜しい存在だ。でもこの人、多分私を持ち帰ろうと狙ってただろうし……。でもかっこいいしキスも上手いんだよなあ。


「ホテル、行きます?」
「………………私の家においで」


 勇気を出してお誘いしてみると、まさかの返答に目を見開く。え、家? 夏油さんの家に?
 びっくりしている私に唇を重ね合わせた夏油さんは、スタッフさんを呼んで会計を始めた。あまりにも自然に私の分まで出そうとしてくれる事に驚きながらも、財布を取り出そうとすればまたキスが降ってくる。それからお金を出そうとする度にキスされるものだから、流石に支払うのは諦めるしかない。
 うう、奢られてしまった。何だかちょっと申し訳ないな。


「これっきりにしないでくれるなら、それでいいよ。これから先も私とあそんで」
「そんな事だったら全然構いませんよ。私も夏油さんとお話しするの楽しかったですし……」


 彼の家へと行く為にタクシー乗り場へと向かっていると、蕩けた声の夏油さんにそんなことを囁かれた。家においで、と言った事といい、どうやら夏油さんはワンナイトにするつもりじゃないらしい。
 私のことキープにでもするつもりなのかな? 私じゃなくても夏油さんなら色んな女の人と遊べそうだけど……。


「本当? 嬉しいな。これからたくさん会おうね」
「……私も、嬉しいです。一回こっきりじゃないって言ってくれて」


 私の手を握りながらふわふわと笑う夏油さんはすごくかっこよくて可愛いのだが、足取りが若干覚束無くなっていて心配だ。たぶん、歩き始めたから余計にアルコールが回っちゃったんだろう。
 タクシーを捕まえる前に、コンビニで水とか買った方がいいだろうか。大丈夫かなあ、と夏油さんの顔を見上げるとまたキスされる。……外だと恥ずかしいからやめて頂きたい。

 そのままふらついている夏油さんの手を引いて、タクシー乗り場にたどり着いた。周りを気にせず私の腰に手を回して頭を擦り付けてくるあたり、やっぱり物凄く酔ってそうだなこの人。


「あ、夏油さん。タクシー来ましたよ」
「……ん、ほんとだね……」


 そう言った夏油さんの声があまりにも眠そうだから、顔を見てみると目がしょぼしょぼしていた。タクシー乗ってる間に寝ちゃいそうだな。
 大きな体の夏油さんをどうにかこうにかタクシーに詰め込み、彼の隣に私も乗り込む。それから夏油さんに目的地を言ってもらおうとしたのだが……。


「げ、夏油さん……?」
「……ぅん…………」
「あらぁ……」


 寝たぞ、この男。
 つんつんと頬っぺたを突いてみても愚図るだけで、起きる気配は一切ない。このまま彼が起きるのを待ってたら運転手さんだけじゃなく、他のタクシーを待ってる人にも迷惑がかかっちゃうしなあ……。
 そう思って、仕方なく自分の住所を運転手さんに伝えた。その間も夏油さんは私に寄りかかったまま寝息を立てている。

 私、お持ち帰りされると思ってたのに、イケメンを持ち帰っちゃってるじゃん。



※※※



 目を開く。知らない天井だ。

 ガンガンと頭の内側に響く痛みに顔を顰め、それから右腕を覆う柔らかくて温かな感触に首を傾げる。現状が一切分からない。そっと体を動かして、自分の右腕を包み込むものの正体を覗き込んだ。……あ、昨日話しかけた女の子。
 見たところ彼女はちゃんとパジャマを着ている様だし、酷いことはやってない……筈、だ。正直言ってバーを出てから記憶がほぼ無いに等しいから、断言できない自分が恨めしい。
 隣で眠る彼女を起こさない様にゆっくりと起き上がると、どうやらホテルの一室ではなく誰かの寝室みたいだ。……この場合、誰かって言うと隣で寝てる彼女以外にいないだろうけど。

 あーあ、やってしまった。お持ち帰りしたかったのに、私がお持ち帰りされてるじゃないか。



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