青の夏

「地獄じゃん」
「ほんとそれ。何でココ、クーラーないんだろうね。殺す気かな」


 なんて事はない。ただ、歴史の課題研究の題材が夏油と被ったのだ。
 だから、彼とは高校に入学してから何かと縁もあるし、一緒に課題をこなそうという話になるのは当然で。資料を探す為、放課後に一緒に学校の図書室に訪れたのだ。
 そこで表の本棚には文献が置いていないからと書庫に入ったはいいものの、そこは砂漠並みの暑さだった。それだけである。……いや、本当に暑すぎるな……。
 


「この室温だと本死ぬでしょ。あと私も死んじゃいそう」
「大丈夫だよ、私も死ぬから。……ねえ、一旦外出ようよ。本気で無理だ」


 ハァ、と熱い息を零している夏油の言葉に、一も二もなく従う事にした。クーラーが無い上、西陽が容赦なく室内に照り付けるから馬鹿みたいに暑い。しかも基本的に密室だから熱が逃れる場所すらないのだ。よくこれで本を管理しようとしたな。基本的な設計自体が間違ってるだろう。
 結局10分と保たず、書庫から図書室に蜻蛉返りして、2人揃って長椅子にへたり込む。足を投げ出して、だらしなく机に突っ伏して。暑さで何処かぼんやりとしてしまった頭で、横に腰掛ける夏油を見つめた。
 ため息を吐いている彼の顔は真っ赤に染まり、トレードマークの前髪も汗でべったりと額に張り付いている。多分私も似た様な顔をしてるだろうな。夏油の方も少しぼんやりとして私の事を見てるし。

 そうしてしばらく、何をするでもなくただ見つめ合って。何故かどちらともなく、クスクスと笑いが込み上げてきた。煩くすると司書さんに怒られるだろうから、肩を揺らす程度に。机に突っ伏しながら一緒に笑う。
 理由はわからない。特別楽しいだとか面白いって訳じゃなくて、夏油と一緒に暑さにやられてるのがちょっと間抜けな感じがしたから。


「すっごい顔赤くなってる。熱でも出てるみたいだよ」
「夏油もそんな感じ」
「そう?」
「ん」


 互いの笑いの波が引いた後、夏油はペタリと冷たい机に頬を付け、私を上目遣いで見上げてきた。その瞳の奥に、甘さと熱を見つけてしまって咄嗟に視線を外す。……夏油はたまに私と2人きりになった時、意味深な目線を送ってくることがある。
 例えば、放課後の帰り道を2人で歩いている時。ふと隣の彼を見上げると、熱の籠った目で見つめられている時がある。他には学校近くのフードコートで2人で買い食いをしてる時だってそう。ご飯を頬張る私を私の目をじいと見つめて、少し甘い声で話してくるのだ。
 そんな彼の熱に、私はいつも気付かない振りをしている。夏油が何を思って私を見ているかなんて知らない。……だって、何も言ってくれないのだから。彼が何も言わずにいるから私も何も言わないで、今日もこうして夏油の隣にいる。


「2度と入りたくないね」
「うん」
「……ねえ、課題研究どうしよっか」


 ガタッと長椅子が揺れたかと思うと、右半身に体温を感じた。ぎょっとして右を向けば、いつの間にか上体を起こしていた夏油が私に身を寄せていたらしい。しかも彼は私の顔を覗き込もうとしてた様で、あまりにも顔が近くにあって息が詰まる。


「あ、」
「……っ、ごめん」


 暑さで赤くなっていた頬を、さらに赤く染めた夏油が急いで顔を背けた。私も彼と同様に顔を他所へと向ける。
 なんとも言えない沈黙が辺りを支配してしまった。気不味いし、何を喋ったらいいのかわからない。いつもだったら普通にできるのに、何で今は普通に出来ないの。


「あの、さ……今週の土曜日って、予定ある?」


 私が口籠もっていると、夏油の方が沈黙を破った。どこか緊張している声色で吐き出された言葉と共に、机に置いていた私の手に上から手を重ねて握り込まれたものだから、驚いて肩が揺れる。
 私よりも随分と大きいその手は少し汗が滲んでいて、びっくりするほど熱い。ぎゅ、と指先に力が込められて、握られている所からじわじわと全身に熱が広がっていく様な感覚がした。


「予定は、ないよ」


 顔を彼から逸らしたまま、重ねられた指先を少しだけ絡める。なんなんだ急に。今までこんな風に近寄ってきたことも、手を握ってきた事も無かったのに。


「じゃあさ、その……図書館に行かない? 隣町の」
「…………いく」


 少し甘えたような、懇願するような声。それに引き摺られて、私までどことなく甘さを含んだ声で答えてしまった。
 じっとりと汗ばんだ体に、さらに熱が籠ったような感覚がする。何なの、この空気感。初めてのことで訳がわかんない。

 どうするのが正解か分からなくて、ただただ無心で机の木目を見つめた。


「……本当? いいの?」
「…………うん」


 私の答えにほっと息を吐いたらしい夏油が、手を握る力を強めてくる。それにすりすりと指を撫でられて、なんとも言えない感覚に肩が揺れた。指の一本一本の長さを確かめる様に、爪の先から指の間まで丁寧に。私よりも大きくて太くて、硬い指が触れてくる。
 堪らず隣の夏油の方へと顔を向けると、いつもの、あの熱を孕んだ目線が向けられて体がカッと熱くなった。いつもだったら目を逸らして無視できるのに、目が離せない。心臓がドキドキして、頭が熱で茹だってクラクラしてる。


「……ッ、あー…………」


 暫く見つめ合い続けた後に、何か言おうとしたのか口を開いた夏油は、けれど口を噤んで頭を振った。そのまま眉をハの字にさせて、私の手を握っている手に額を寄せる。汗ばんだ彼の額はびっくりするぐらい熱くて。でもきっと私も同じぐらい熱い筈だ。
 ……だから、そんな困った様な、縋る様な……甘えた顔なんてしないで欲しい。


「じゃあ、10時に駅前の時計台で待ち合わせよう」
「……ん」


※※※


 少し、浮かれてるのかもしれない。金曜日はちょっとだけ帰宅するまでそわそわしていたし、帰宅したらしたで、明日着ていく服を決めるのに手間取った。
 ワンピースがいいかな。でも隣町まで行くんだし、駅から図書館まで少し歩くから動きやすい服装の方が……。あと、あんまり薄着だとクーラーが寒いかな、とか。
 色々と悩みに悩んで、結局、黒のノースリーブのワイシャツに、デニムのショートパンツを合わせたシンプルな服に落ち着いた。カーディガンを持っていけば涼しいところでも大丈夫だろう。……それに、これなら夏油も悪くは思わない、筈。

 …………。私、何考えてるんだろう。ただ学校の課題を一緒に進めるだけじゃないか。なのになんで、夏油によく思われようとしてるんだろう。なんて、そんな風にぐるぐると考えていた所為か、寝付きが悪くて家を出るのがギリギリになってしまった。身支度に時間が掛かってしまったのもあるけれど。
 そして少しだけ早足で駅へと向かって。時計台の前に立っている夏油の姿を見て、ぎゅうと胸が締め付けられる感覚がした。
 いつもは髪はお団子にしてまとめているのに、今日の夏油の髪型はハーフアップ。それだけでも新鮮で、かっこよくてドキドキしちゃうのに、服装だって大人っぽくて耳が熱くなる。

 というか、黒のワイシャツにデニムのパンツ、って。


「おはよ、う……」
「……お、おはよ……」


 私に気付いたらしい夏油が、どこかぎこちなく声を掛けてきて、私もちょっと吃りながら言葉を返す。
 ……これ、側から見たらペアルックにしか見えないじゃん。当然夏油もその事に気付いているみたいで、目を彷徨わせていた。ああやだ、恥ずかしすぎる。


「……すごく、似合ってるよ。かわいい」
「あ、ありがと。その……夏油もかっこいいよ」
「……う、うん……」


 私ったら、なんで褒められたからって夏油を褒め返してるの。今までにないくらい顔が赤くなっている自覚があって、思わず両手で顔を隠した。これ、すごく変な顔になってる。
 早く普通の顔色に戻さないと、と顔を隠したままでいると、急に夏油に腕を掴まれた。彼が掴んでいる部分がとても熱くって、余計に顔が赤らんだ気がする。ああ、なんて事をしてくれるんだ。
 文句を言ってやろうと恨みがましい目で夏油を見ると、彼も私に負けず劣らず顔を赤くしていて思わず声を失う。人のこと言えないけど、夏油ってばなんて顔してるの。それに、いつも以上に熱の籠った目で見つめられてしまえば、何も言えるはずがない。


「……じゃあ、行こっか」
「…………うん」


 掴んでいた私の腕を離して、自然と手を繋いだ彼に手を引かれて駅へと向かう。ぎゅうと絡められた指先はすごく熱くって、手のひらは少しだけ汗ばんでいて。夏油もドキドキしてるのかなって思ったら、余計に心臓がうるさくなった。
 ちらりと前を歩く夏油を見ると、長い髪から垣間見える耳が赤くなっていて、思わず唇を噛み締める。だめだ、全然普通じゃいられない。こんな状態じゃ課題の資料を探せる訳がないだろう。そう思って気を取り直す為に頭を振ってみるけど、あんまり効果はなかった。恥ずかしいのは変わらない。

 そうしてる間にも駅に着いたから、切符を買って改札に向かう。すると、一度強く手を握られた後に、繋いでいた手を離される。……当たり前だ、手を繋いだままじゃ改札を通れない。けれど少しだけ喪失感を感じてしまって、意味もなく手を握ったり開いたりしてしまう。
 夏油の手、凄くおっきいんだなぁ。熱くて、指も太くて、なんだか男の人って感じの手だ。そんな事を考えながら自分の手を見つめていると、またもや夏油に手を捕まえられた。……熱いしちょっと汗ばんでるのに、どこか心地いい。


「手、繋ぐの嫌だった?」
「やじゃないよ」
「……そっか」


 ぎゅ、と今度は握られた手を握り返した。指と指を絡ませて、出来るだけ手のひらを夏油にくっつける。そうすれば、夏油ももう少し強めに手を握ってくれた。彼の大きな手に包まれてるって安心感に、ほぅと熱い息を吐く。
 それからホームで電車を待ってる時も、電車に揺られている時も。ちょっとだけ気恥ずかしくて会話はないけれど、ただずっとお互いにぎゅうぎゅうと手を繋いで、たまに絡ませあった指を触り合ったり。
 でも、また改札を通る時には手を離さないといけなかったから、急いで改札を通り抜けて、今度は私の方から彼の手を握りしめた。夏油が驚いてる気配がする。……だって手を離したらちょっと寂しいんだから、仕方ないでしょ。


「……えっと、さ」


 そのまま駅を出て、彼に手を引かれながら図書館へと向かって歩いていると、急に夏油が立ち止まる。どうかしたんだろうかと首を傾げていると、彼は突然ぐっと手を引っ張ってきた。いきなり過ぎて踏ん張りが効かず、夏油の手に引っ張られるがまま、彼の体にぶつかる。


「う、わっ」
「ごめん、その……後ろだと少し寂しいから、隣を歩いてほしくって……」


 恥ずかしそうに目を逸らしながらそう言った夏油に、また胸がぎゅっと締め付けられる感覚。さっきまで普通に繋いでいた手が急に熱く感じて、そこからじわじわと全身に熱が広がっていく。顔もまた火照ってきた。


「わ、わかった。隣歩くね」
「……ん、ありがとう」


 彼の隣に立ってそっと顔を見上げてみると、頬を薄く染めながらも嬉しそうに微笑む顔が見えて、パッと目線を逸らす。あー、やだ。こんな状況で調べ物なんて出来る?

 課題とかもうそれどころじゃない。だめだ、夏油の事しか考えられなくなってきた。やっぱり背が高いなとか、顔がかっこいいなとか、腕が太くて男らしくてドキドキするな、とか。
 ……いつもより頑張ってお化粧したの、気付いてくれてるかな。髪の毛も丁寧に巻いたし、爪も綺麗に整えたし。お世辞じゃなくって、かわいいって思ってくれてるかな。夏油にかわいいと思われたくって頑張ったから、かわいいって思って欲しい。

 悶々とそんな事を考えながら彼の隣を歩き、暫くすると図書館に着いた。ここでは流石に手を離さないとダメかな、なんて寂しく思って。だけど、建物に視線を向けて思わず目を見開く。


「臨時休館……?」


 夏油の唖然とした声が耳に飛び込んでくる。
 図書館には、臨時休館の看板が立っていたのだ。毎日開館してるから休みなんて無いと思ってたのに、まさかそんな。


「ど、どうしよう……」
「……困ったな」


 縋る様にして隣の夏油を見上げる。調べ物をする様な気持ちじゃなかったし、課題とかもうどうでも良かったけど、でも。……今日は図書館で資料を探すって名目でのお出かけだから、その目標が達成されないのならもうお別れしないとダメなのかな。こんな、隣町に来るだけで今日はもう終わり?
 私を見下ろす夏油の目にも動揺が見られて、もうどうすればいいかわからない。自分でも驚くぐらいに落ち込んでいる。やっぱり浮かれてたみたいだ。

 見上げていた顔を地面に向けて、自分の足元を見つめる。やだなあ。まだもう少しだけでも一緒にいたい。折角夏油が誘ってくれたから、おしゃれも頑張って。……課題をこなす為なのに、浮かれてたからこうなっちゃったのかな。
 離れ難くて、絡めた指先に力を込めた。すると彼の方も力を込めてくれたから、もう一度彼の顔を見上げる。……夏油は、ちょっと困った様な、恥ずかしそうな顔をしていた。


「……このまま、あー……良ければなんだけど、デートしない……?」


 目をうろうろさせながらもそう言った彼に、息を呑む。デート。デートって、それは。


「ごめん。ただ私がもっと君と一緒に居たくて……嫌じゃなければ、まだ一緒に居てくれる……?」


 いつの間にか両手で私の手を包み込んでいる夏油が、顔を赤らめてそう言った。彼の熱が伝わってきて、私の体も熱くなってくる。
 ……いいよって言わないと。私も夏油とまだいたいから、いいよって。嫌じゃないって伝えないと。そう思って、緊張で乾いた口を開いて。
 でも、口から飛び出たのは全然違う言葉だった。


「……私と一緒にいたい理由って、何?」
「…………え、」
「夏油はどうして私と一緒にいたいの」


 私の言葉に夏油は動揺したみたいで、唇をキュッと結んだ。


「……それは、その……今言わないとダメ?」
「言って欲しい」
「きょ、今日の帰る時に言おうと思ってて……」
「やだ。いま言って」


 だって、夏油はずっと何も言わないんだから。あんな風に普段から熱っぽい目で見てくるのに、2人きりになった途端に声が甘くなるのに、ずっと何も言ってくれない。
 ……これでも自惚れなのかなとか、私で遊んでるのかな、なんて不安だった。だから自分から想いを伝えることが出来なくて。
 だから今日、初めて2人きりで出かける事になったから、もしかすれば言ってくれるかもって期待してたのだ。

 でも、ずっと手を繋いだり顔を赤らめたりするから、胸がドキドキし続けてもう耐えられなくなってしまった。早くただの友達同士って関係を終わりにしたい。夏油から私に近付いてきたんだから、夏油の言葉を聞きたい。
 待ち続けるのはもう嫌。

 そんな私の気持ちが伝わったのか、噛み締めていた唇を緩めた夏油は、ゆっくりと深呼吸をしてから言葉を発する。


「……君が、好きです。お、同じ気持ちなら、私と付き合ってください」


 火傷してしまいそうなほどに熱の籠った目でそう言った夏油に、一も二もなく抱きついた。


「私も、夏油がすきだよ」



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