朴念仁と頑固者

 最近、傑とイチとの距離が近い気がする。二人が任務帰りに寄り道をしてから高専に戻ってきたのを見て、悟はムムッと眉間にシワを寄せた。入学したての頃のイチは大抵悟か妹たちのにそばにいた。同級生たちと行動を共にしていたのは任務がある時だけで、悟にちょっかいをかけたり、人形のような妹たちと高専の中を散歩したりというのが彼女の日常だった筈なのに。今ではすっかり他人に馴染んでしまっている。
 きっかけはなんだったか。傑が無表情な彼女の妹たちを気遣う様子を見せた時だっただろうか。イチが入学してしばらくした後、異様な様子の妹たちを傑のような人間が見過ごす筈もなく、イチに事情を聞いた傑は彼女に協力を申し出たのだ。まじない≠フ効果の消滅、もしくは停止させる術式を持つ呪霊を積極的に探すよ、と。術式を消滅させる呪具を探し、それでまじない≠どうにかするという方向で考えていたイチにとって、その提案は晴天の霹靂だったらしい。それまであまり関わりのなかった傑に、イチはあの時から積極的に傑と話すようになった。
 あれからだ。あの時から、傑とイチは距離が近い。しかも傑は悟が見たことのない、なんだか穏やかな顔でイチに接している。それを見て悟は気付いてしまったのだ。

「普通に後輩相手だからあのクズは優しい顔してんだって」

 しかもイチはイチで傑に笑いかけているのである。悟だってイチの笑った顔なんて殆ど見たことがないというのに、イチは傑に笑いかけるのだ。

「いや、あれどう見たって夏油に合わせて笑顔作って喋ってるだけじゃん」

 二人とも己には見せない表情をお互いに見せ合っている。どちらとも付き合いが長いのは悟の方だというのに、何故己の知らない顔を見せ合うのか。そんなもの、理由はひとつに決まっている。絶対そう。俺には分かる。

「おーい五条ー。話聞いてる? あんたが相談に乗れって言ったんじゃん」
「聞いてるけど、硝子、俺の言うことまともに取り合ってないだろ!」

 ぎゃん、と悟は吠えた。さっきから硝子が悟の言うことを否定してばかりだからだ。傑の見たことない優しい顔の理由は後輩相手だから。イチの見たことない笑顔はただの作り笑い。悟の意見を全部ばっさりと切って捨ててしまう。
 そんな単純な訳がないのに、と悟はどうにかもどかしさを硝子に伝えようとしていた。だってあの二人は、おそらく特別なのだ。特別な感情が互いにあるから、ああやって微笑みあっている。悟には見せない顔で笑い合っているのだと、悟は思い込んでいた。

「五条は何を見てそういう結論に至った訳? 私は全然ナイ≠ニ思うけど」
「絶対に有るね。だってあいつら見てるとキュンキュンするから!」

 真面目な顔でとんでもない事を言い放った悟を、ポカンとした顔で硝子は見上げた。キュンキュンとは一体。いや、キュンキュンするという意味は分かるが、その単語は五条悟という人間に似つかわしくなさすぎる。何がどうして悟の語彙にキュンキュンという単語が増えたのか。そして何にキュンキュンしてるのか。というかそもそもそれはキュンなのか?
 キュンの出どころに多少心当たりはないでもないが、それにしたって唐突すぎる。真面目な顔をして悟が「キュンキュンする」と言い放ったのもダメだ。キュンがゲシュタルト崩壊を起こしそうで、硝子は最早まともに話を聞ける状態ではなくなっていた。少しでも気を抜いたら吹き出してしまう。

「きゅ、キュンキュンするってどういうことか分かってんの?」
「胸が締め付けられて苦しくなる感じだろ。少女漫画でそう書いてあるの読んだから分かってるって」

 少女漫画。どうにかこうにか笑いの波をやり過ごした硝子は。またサブカルで知識を得て変な方へと向かっているな、と頭を抱えた。
 ──近頃、高専では空前絶後の少女漫画ブームが巻き起こっていた。きっかけは前期の月曜日の二十一時から放送されていたドラマだ。そのドラマはとある少女漫画が実写化されたもので、以前からその漫画のファンだった歌姫がまず騒ぎ始めた。次にワアワア騒ぐ歌姫に硝子が触発され、二人揃って共有スペースのテレビの前に陣取るようになった。さらには、妹がその漫画のファンだということで知識のあった灰原が鑑賞会に参戦。七海は灰原に引き摺られて見る羽目になり、それを不憫に思ったのか傑までもがドラマの鑑賞会の常連になった。
 イチもいつの間にやらドラマに詳しくなっていたし、鑑賞会に参加していないのは悟だけ。仲間はずれにされた気分になった悟が鑑賞会に突撃するのは既定路線だった。そうしてドラマの原作の漫画を歌姫が高専に持ち込み、その漫画が掲載されている月刊誌の別の漫画を硝子が持ってきて。昔放送されていたドラマのDVDを灰原が持ってきたことで、少女漫画ブームが確固たるものになった。
 きっと、そのタイミングで悟は「キュンキュンする」を学習したのだろう。だから傑とイチを見て胸が苦しくなった時に悟はキュンキュンしていると思って、二人の関係に少女漫画のそれを当て嵌めてしまった、と。
 そうして出来上がったのが傑とイチの両片思い説。硝子から見たら出鱈目もいいとろだが……。

「でさ、俺って立場的に西園寺じゃん。だからどうにかしてあいつらをくっ付けたいけど、仲違いは嫌なワケ」

 悟の悩みは単純明快。少女漫画でいうところの悪役ポジションにいる自分が、二人がくっ付いた後も仲良くしていくにはどうすれば良いのか。わざわざお気に入りの漫画に登場するキャラクターの名前を口に出した悟は、本気であの二人が少女漫画で言うヒーローとヒロインだと思い込んでいるらしい。彼のガチ具合を察した硝子は、どうしたもんかとため息を吐いた。
 だって、どこからどう見たって傑とイチはただの先輩と後輩でしかない。恋愛感情なんて互いに持っている訳がない、と断言できるぐらいにはカラッとした関係性。なんなら傑はイチよりも自分の意思≠奪われたイチの妹たちの方を気にしているくらいだ。どうして恋愛に結びつけるのか。
 イチの方も傑の物腰の柔らかさに合わせた対応をしているだけで、猫をかぶっているのが丸分かりだ。多少高専の生徒たちに慣れてきたとはいえ、彼女が本性を晒しているのは悟の前だけだというのに。
 六眼という凄まじい目を持っているくせにコイツって案外節穴なんだな、と硝子は呆れ返った。

「アンタは西園寺じゃないし、あの二人も坂東でも北沢でもねーって」
「じゃあなんでキュンキュンすんだよ。両片思いってやつだから見てて胸が苦しいし、もどかしいんだろ?」

 ……それ、キュンキュンしてるんじゃなくて、普通に嫉妬して胸が苦しいだけなんじゃないの。あの二人よりもオマエのがよっぽど少女漫画……というよりラブコメの鈍感主人公やってるよ。硝子はそう思ったが、悟のあまりの鈍感さにうんざりして口に出すことはしなかった。

「私は違うって言ったからな、この朴念仁」
「へん! あの二人が付き合ったらそら見たことかって言ってやんよ」

 硝子に両片思い説の賛同を得られなかった悟は、誰を味方につけようかと頭を捻った。傑とイチは当然ナシとして、灰原と七海もあまり良い人選とは言えない。
 なぜならば、彼ら二人ともイチと仲が良いのだ。灰原はイチの妹たち≠ノ積極的に話しかけ、よく散歩に連れ出していることでイチからの好感度が高い。七海は地道に高専に保管されている文書に目を通し、妹たちのまじない≠フ解除の方法を探っていて、こちらもまた好感度が高かった。
 それぞれが二人っきりで話しているのを悟はよく見かけたし、それを見て胸がちょっと苦しくて、キュンキュンして。これもまた少女漫画だ、と悟は思い込んだ。つまりは灰原と七海が恋のライバルポジ。
 これじゃあこの二人をくっ付けるキューピッドにはなってくれないだろう。だって灰原も七海もイチのことが好きに違いないから。別の男とくっ付けるために協力してくれるとは思えなかった。
 じゃあ他には誰がいる? 歌姫? あいつはドラマを観ても感性が全然合わなかったからナシ。冥さんはお金を払えばなんだってしてくれるだろうけど、金でどうにかするとそれこそ西園寺≠ニ行動が一緒になってしまう。万が一それで二人との仲がこじれるのは勘弁だから、金で冥さんを釣るのは無し。
 ならば夜蛾センはどうだろうか、と思った悟だが、夜蛾が少女漫画を履修しているとは思えなかったので却下した。こうなってくると本当に誰もいなくて、悟は頭を抱える他ない。
 誰も分かってくれないし、誰も二人をくっ付けようとしてくれない。このまま誰の協力も得られないままでは己は悪役の西園寺みたいになるか、もしくは傑とイチがくっ付かないのでは。だって傑はクズだが真面目ちゃんだし、許嫁がいる女に思いを告げようとしない可能性が高い。しかもその許嫁が親友ときたら、なおさら身を引きそうだ。
 やっぱり悟が介入しなければあの二人はくっつかない気がする。一体どうすれば。傑の方に発破をかけても遠慮しそうだから、ここはいっそイチに発破をかけて傑にアタックさせるべきか。そうすれば悟が二人の仲を応援していると理解してもらえるし、ちょうどいいかもしれない。
 ギュウ、と少し痛む胸をときめき≠セと誤認している悟は、善は急げとイチの部屋へと足を向けた。俺はお前の思いを知っているぞ。傑のことが好きなんだろう。隠さなくてもいいぞ。自分の心も相手の心も全部勘違いしたまま、悟はイチの突撃して。そして、見事にカウンターを喰らった。

「……いえ、私が好きなのは悟さまですけど」

 少しだけ唇を尖らせ、目線を逸らしたイチがポツリと呟いた。心なしか、その頬には赤みがさしている。
 その顔と、その言葉を認識した悟の優秀な頭は暫くフリーズした。好き。……好き? 悟さまが好きってなんだ。悟さまが好きってこと? 悟さまってなんだよ。エ、なに?

「…………えっ……?」

 イチの言葉が分かるのに、全く理解できなくて思考が止まる。じわじわと顔が熱くなってきて、悟は目をウロウロと彷徨わせた。

「ちょっと、好きって言ったんだからなんか言ってくださいよ」
「エッ、あ、いや? へ? 俺? 俺が好き?」
「はい。私は悟さまが好きです。妹たちのおまじない≠気色悪いと言ってくれた時から、今までずっと」

 今度はまっすぐ、悟の目を見つめてイチは好意を告げた。悟の勘違いでも聞き間違いでもない、紛れもない告白。ついさっきまで言葉の意味が理解できなくなっていた悟でも理解できる。理解できてしまった。
 急速に思考が回り始めた悟は、彼女に返事をしなければと金魚のように何度か口をぱくぱくさせる。何かを言わなければ。ありがとう? ごめんなさい? それとも、俺も好きと言えばいい? 早く言わねばという焦りが余計に思考がぐるぐると回る原因になって、今この場にふさわしい言葉が出てこない。
 そうして悟が答えなければ≠ニいう一心のみで発した言葉は。

「そっ……それじゃあ、その……結婚する?」

 己の口からするりと飛び出した結婚≠ニいう言葉に、悟が一番驚いた。彼女からの好きの言葉に心臓がバカみたいにドキドキ鳴っているし、火が出るんじゃないかというくらい顔が熱いし、なぜか踊り出したくなる気分になるし。そんな自分の変化に脳みそがついていくことすら出来ていないのに、勝手に飛び出した結婚というワード。
 でも、全く嫌じゃない。傑とイチがくっつけば良いのにな、と考えていた癖に、好きと言われて全然嫌じゃなかった。結婚、良いじゃん。イチとだったら全然良い。許嫁なんだし、そりゃ将来は普通に結婚するんだし、良いじゃん。イチと結婚。
 なんだかんだ長い付き合いで、イチの良いところも悪いところも悟は知っている。突拍子もない行動も飽きないから楽しいし、たまに見せるしおらしさもなんか良いし。何より好きって言われてびっくりするほど嬉しかった。それに悟が結婚する相手といえば、なんだかんだでイチしかいないし。傑には悪いけどこれってやっぱり俺とイチは結婚すべきなんじゃ、と悟はもう一度結婚しようと口に出そうとして──。

「え、嫌ですけど」
「嫌ァ!? は!?」

 イチに一刀両断された。
 思わずポカンと口を開けたまま絶句する悟をよそに、イチは先ほど恥じらいを見せた顔が嘘のように真顔で淡々と話を続けた。

「私と悟さまが結婚してしまえば、妹たちが許嫁候補じゃなくなるので結婚しません」

 好きって言ったのに。好きって言ったくせに、イチは悟と結婚する気がないらしかった。どれもこれもあれもそれも妹たちのため。妹たちのために生意気なふりをして、妹たちのために許嫁候補≠ノ甘んじて、妹たちのために結婚しない。イチの全てが妹たちを中心にして回っている事を悟は分かっていたのに、それでもショックだった。だって少女漫画でプロポーズが失敗しているのを見たことがない。イチが頑固なのは知っているけれど、プロポーズを断るまで頑固だなんて。

「結婚するって言え」
「嫌ですけど」
「イチはさあ……なんでそんな頑ななんだよ」
「さあ? 生まれつきじゃないですかね」

 物心つく前だというのに、腹が立ったという理由でまじない≠エイッとぶち壊す女の意志の強さを筋金入りである。こういう時のイチの折れなさを悟はここ一〇年で身に染みて理解していた。なにを言っても無駄である、と。
 とはいえ、ハイそうですかと引き下がれるほど悟は物分かりが良くない。口からパッと飛び出したとはいえ、結婚しようというプロポーズをそう簡単に断られてたまるか。そうなればする事は決まっている。妹たちのせいでイチと結婚できないのならば、その妹たちをどうにかしてやれば良いのだ。

「じゃあ、俺がイチの妹たちのまじない≠解ければ結婚してくれんの?」
「あ、それはもちろん結婚してあげますよ」

 イチのその言葉に、悟は満面の笑みを浮かべた。別に今まで悟が彼女たちのまじないを解く方法を探していなかった訳ではない。五条家の書庫でそれっぽい文献を探したり、呪具を漁ったりは当然してきている。ただ、やる気が違うというだけだ。自分のプロポーズを受けてもらうため、悟は今までにないほどやる気に満ち溢れていた。絶対、俺がまじない≠フ対処法を見つけて結婚してやるんだ。
 尚、彼女の妹たちが心を取り戻すのに五年は掛かったし、その方法を見つけたのは傑だった。そこで一悶着が起きたのは、また別の話である。



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