朴念仁と頑固者

「悟、初めて後輩が出来るからって浮かれすぎだよ。もう少し落ち着いたらどうだい?」
「ハ? 別に浮かれてねーし。普段通りだっつーの」
「どう見たって浮かれてんじゃん。さっきからソワソワしすぎ」

 二〇〇六年、春。東京都立呪術高等専門学校の二年生の教室にて、五条悟はあからさまにそわそわと体を揺らしていた。夏油傑や家入硝子がそれを指摘しても即座に否定して、けれどもサングラスの奥の瞳は教室の外を気にしてばかり。疑いの余地などなく、悟はこれからこの教室に訪れてくる下級生に意識を持っていかれている。
 そんな彼の様子を見ていた傑と硝子は、てっきり彼が浮かれているのだと思っていた。
 呪術界にて一部の例外を除きちやほやされて育った悟は、その身に懸賞金がかけられていた事もあり、学校というものにとんと縁が無かった。小学校にも中学校にも通わず、雇われの家庭教師に勉強を教えてもらうのみ。それ以外の時間は呪霊討伐に出向くか許嫁))と仲を深めるか。もしくはたまにクソジジイ共の相手をするばかりの悟は、何も知らなかった。修学旅行や体育祭、文化祭といった学校行事は未体験だったし、委員会や部活動といったものも知らず、同級生や先輩、後輩といった存在も当然ない。まあ、当時の悟はそういうモノを求めていなかったので、それを不幸だとか思ったことはないのだが。
 しかし、呪術高専に入学し、見聞を広げた悟は気付いてしまったのだ。もしかして己は随分と勿体無いことをしていたのではないか。部活動や学校行事、先輩や後輩、同級生との関わりって結構面白いモノだったのでは、と。
 そんな事実に対する気付きのきっかけは、実にありふれたものだった。例えば傑が毎週買っては硝子と回し読みしていた週刊少年誌。例えば歌姫と硝子が寮の共有スペースに設置してあるテレビの前でああだこうだ言いながら見ていたテレビドラマ。果ては悟以外の面々で盛り上がる修学旅行あるある。俺の知らない話をするなと一時期悟は不貞腐れたが、それでもやっぱり彼らの話す内容はどうしても気になった。
 布団かぶってする恋バナってなんだよ。見回りの先生に見つからずに夜更かしするとか何が楽しいんだ。普通に夜更かししたら良いだろ、なんて悟が口に出してみても傑たちにはただの負け惜しみと言われてしまう。実際のところ負け惜しみで間違ってはなかったので。
 そう、なんだかんだ言いつつも気になってしまったので。悟はその有り余る才能を駆使して、一般的な学校生活の知識や、いわゆるサブカル≠ニいうものの知識を驚くべきスピードで学習してしまった。名作と言われるドラマは全部見たし、同じく名作ゲームも買い漁ってクリアした。漫画だって毎週月曜日発売の少年誌だけでなく、毎週水曜日と木曜日発売のものも買ったし、月刊誌だって複数揃えた。共有スペースに専用棚まで用意して、まるで本屋のように漫画雑誌を並べる始末。あまりの傾倒ぶりに傑や硝子が制止するほどのスピード感だ。
 けれども五条悟が同級生に止められた程度で止まる訳もなく。忍者の水面歩行の真似をしたり、刀の形をしている呪具にかっこいい名前を付けて卍解をしたり。最終的には有無を言わさず担任の夜蛾を体育館に連れて行き「バスケがしたいです……」ごっこをするまでになった。ちなみにその時、ネタの通じない夜蛾は終始困惑していた。あと傑と硝子は悟の黒歴史を嬉々として撮影し、悟の預かり知らぬところで冥冥がその映像を買い取っている。
 そんなこんなで。かつての自分が得られなかった学校での体験や漫画の必殺技の再現といった青春を謳歌していた悟は、高専に入学してからの一年間は後輩という立場を大いに楽しんでいた。先輩なんだからこんな呪霊程度どうとでも出来るだろと歌姫を煽ったり、コンビニで歌姫を見かけるたびに甘いものを奢らせたり、キレる歌姫の写メをとったり。悟はとことん自分の得た知識の中の後輩≠やりきった。後輩の域を逸脱したやらかしも多かったが、まあ彼は目一杯楽しんだのだ。
 それはつまり、お次は先輩という立場でやりたい放題するであろうと皆が予想していた訳で。悟のそわそわとした態度は先輩≠ノ浮かれているからだと、傑と硝子はそう思っていた。なんなら夜蛾だってそう思って昨日から胃を痛めていたぐらいだ。
 けれども悟が今日一日中そわそわしていたのは、彼が単に浮かれていたからではなく。

「お久しぶりです、悟さま。お元気でしたか?」

 黒い髪の男と金髪の男に続いて教室に入ってきた女──イチが原因だった。
 そう、彼がそわそわしていた理由は先輩≠ノなるからなどではない。己の許嫁であるイチが……頭のネジが抜けている厄介な女が呪術高専に入学してきたからだった。確かに先輩≠ニして後輩をパシってやろうとかは思ってはいたが、悟にとってはそれよりもイチの入学の方がよっぽど重大な問題なのである。
 だって、))イチだ。生意気な態度はただの虚勢とはいえ、彼女がちょっと変な女であるのには変わりない。ここ一〇年ほど、悟は何度彼女の奇行に悩まされたことか。数えようにもキリがない。
 ついこの前だって、彼女の奇行に悟も巻き込まれた。どんな生活を送っていれば妹たちの精神をたたき起こす≠スめだけに実家の広間をディスコにする、などといった計画が思いつくのか。ご丁寧にもミラーボールの請求書の宛名は「五条悟」にしてあったのもタチが悪い。おかげであの時、悟までかの家の当主にグチグチと文句を言われたのだ。
 そんな悟の悩みのタネであるイチが彼の内心など知る由もなく。というよりも悟が悩んでいようがお構いなしに、表情を変えないまま片手を上げて彼に話しかけた。なんとも能天気な女である。

「先週も会ったから久しぶりもクソもねえだろ。……つーかさあ!」

 そんな彼女に詰め寄った悟は呑気そうにしているイチの額を小突き、それから後ろにいる子どもたち≠ノついて問い詰めようとした。なんでコイツらがここにいるんだ、と。だが、それよりも早くイチが口を開いた。先手必勝というやつである。

「あ、そうだ。ちゃんと挨拶しようね、みんな=v

 イチが後ろを振り返ってそう言うや否や、感情の込められていない六人分≠フ少女たちの声が教室に響く。

「お久しぶりでございます、悟さま」

 彼女たちはイチの合図で声を揃えて悟に挨拶をしたかと思えば、全く同じ角度でお辞儀した。中学生ぐらいの年齢の女の子から幼稚園に通うくらいの年齢の幼児まで、全員が寸分違わず同じ動きをしたのだ。あまりに異様な光景にイチ以外の新入生たちの顔は引き攣っているし、傑と硝子も眉間に皺が寄せていた。
 その一方で、悟はイチの思考を読もうと彼女を睨みつけていた。イチは悟の分からない理論で動いているし、深く考えたが故の行動のもあれば思い付きの行動もある。だからこそ面白いが、それがあまりにも身近で行われるとなると話が変わってくる。そういう時に大抵巻き込まれるのは悟の方なのだ。今回は一体何をしようというのか。

「もう、悟さまったら。妹たちが挨拶したんですから、返事してあげてくださいよ」
「……いや、なんで妹全員連れてきてんだよ」

 ニイ≠ゥらハチ≠ワで、全部で六人。揃いも揃って人形のようにイチの隣に並んでいる。

「え? だって、彼女たちも全員悟さまの許嫁))じゃないですか」

 イチの発した言葉に、まずは傑が「え?」と言って目を丸くした。その横で言葉もなくドン引きした様子を見せているのは新入生の七海建人と硝子。同じく新入生の灰原雄は「幼女趣味なんですか?」と身も蓋もない言葉こぼした。全員が全員唖然としている。

「違うだろうが! ややこしい言い方すんなよ!」
「いやだなぁ、悟さま。事実なんだしそんなに必死になって否定しなくても良いじゃないですか」
「オマエのわがまま聞いてやって全員を))))≠ノしてやったんだろ! 本来なら許嫁はオマエだけだってのに」

 そう、悟の許嫁はイチだ。イチだけの筈だった。あの日、人形のような妹たちをみて、悟は彼女たちではなくイチ選んだ。いくらイチが嫌がろうがそれは悟の決める事だから、揺るぎない筈だったのに。
 イチは驚くほど抵抗した。自分はどうとでもなるから、イチはどうしても良縁を妹たちに齎したかったから、それはもう執念深く嫌と言い続けた。悟が根負けするまで何度も何度も嫌だと言い続け、妹たちのプレゼンをして。けれども流石に悟も妹たち≠許嫁にはしたくなかったので、彼女の言葉に頷くことはなかった。
 ただあまりにもしつこかったので、悟は妥協することにした。彼は五条家とかの家に産まれる子どもを許嫁の関係にする、という契約を逆手に取ろうとイチに持ちかけたのだ。婚約者を曖昧にして子どもたち全員を五条悟の許嫁になり得る候補≠ノ据え、結婚できる年齢になるまで彼以外の家と契約を結べないようにしよう、と。そうすれば、妹たちが外道の家に対する駒にされるまでにいくらか猶予ができる。その間にまじない≠どうにかする術を見つけるなり、イチがかの家で下剋上を起こすなりして、妹たちを解放しようという訳だ。もしどうしようもなければ、その時に考えればいい。
 悟の提案を前に尚も渋るイチに対して、今度は悟が根気強く説得して、現在。悟には十五歳から五歳まで、計七人の許嫁候補が存在した。

「イチって呼んで、旦那さま」
「くそ。イチな、イチ! ほら、呼んだからベタベタくっつくなっての」

 わざとらしい甘えた声に、無表情ながらもぶりっ子のような仕草でイチは悟の腕に抱きついた。悟がイチのそういう言動を嫌がると分かっていての猫かぶり。長い付き合いのおかげで彼女の名前の呼び忘れが少なくなってきたからか、一回一回の嫌がらせのダメージが大きすぎる。オエ、と顔を顰めて悟はイチから体の距離を話すようにのけ反った。

「おい、五条。周りの全員が置いてけぼりだからイチャつくなって」
「イチャついてねーよ! どこをどう見りゃイチャついてるになんだ!」
「いや……ねえ? 夏油もそう思うでしょ」

 パッと見コントの様なやり取りを見せられた硝子と傑は、何を言ってるんだと肩を竦めた。一年間共に過ごしたからこそ、彼らにはよく理解できる。))五条悟が一人の少女に振り回されるのを良しとしている時点で、どう考えたってイチャついてる。なんなら嫌がっている素振りすら、そういうフリ≠ネんじゃないかと思っていた。
 だって五条悟には無下限呪術がある。彼は他者との距離を無限にするかを選べるのだ。つまり悟が本当に心の底からイチの事を嫌がっているなら、そもそも彼女は悟に触れることすらできない。なのに彼女は普通に悟にくっ付いて腕に抱き着けている時点で、本心はバレバレと言っても過言ではないだろう。そんな様を見せられたら、傑も硝子も「本当は嫌がってないんだな」と判断を下すに決まっていた。

「まあ、悟とその子の仲が良いのは分かったよ。それは良いんだけれど、どうして中学生以下の子たちがここにいるんだい?」
「それを説明するのを忘れてましたね。ですがその前にご挨拶を。イチと申します、先輩」

 悟の腕からパッと手を離し、ぺこりと頭を下げたイチにつられ、傑も軽く頭を下げる。そしてそのまま自己紹介の流れが出来上がり、七海や灰原も無事にこのなんとも言えない空気の中に混ざることが出来た。
 新入生の七海としては、ここに混ざらずに空気でいたかったが、挨拶してしまったものは仕方ないと諦めざるをえなかった。一方灰原は面白そうな同級生だなぁとワクワクしており、喜び勇んでイチ達の会話に混ざりにいった。

「つーかさあ、まじで全員連れてくる意味がわかんねーし、高専側もなんで許可出してんだ」
「妹たちを家に置いていたままだと何があるか分からないじゃないですか。それこそ私の時みたいに誘拐されるかもですし」
「あー、まあそれはそうだけど……」

 誘拐、というキーワードを聞いた傑たちが驚いているのをよそに、悟はそういえばそんなこともあったなあと、昔に思いを馳せた。
 だいたいイチが許嫁候補になってから二年ほど経った頃だろうか。いくらエイヤッ≠ナまじないを解けるイチであろうとも手練の術師に対抗できるはずもなく、抵抗も虚しく誘拐されたのである。まあ、悟が誘拐犯の家に乗り込んで全員ぶっ倒したおかげで彼女は無事だったのだが、いかんせんその時の彼女の家の対応がクソだった。イチが誘拐されたのにも関わらず、何もしなかったのである。
 挙句にイチが誘拐されたのでニイ≠悟との交流の場に出しますね、と五条家にふざけた手紙を送ってくる始末。言われてみれば、確かにそんな家に妹たちを置いて行けないな、と悟は納得するしかなかった。
 しかもその時の誘拐犯の狙いは一族の繁栄をするための母胎の確保。同じような考えの家はこの呪術界では多数存在するだろうと考えられる上に、彼女の妹たちは漏れなく全員母胎≠ニして優秀だ。彼女たちの許嫁候補の悟と自由意志があるイチのいない間に、簡単に拐かされる可能性は充分にあった。

「なので、妹たちの安全確保のためにみんな連れてきたんです。もし時間がある時は気にかけて下さいませんか?」
「別にそれは構わないんだけれど……その、彼女たちはどうして微動だにしないんだい?」

 傑の視線の先、黒板の横にお行儀よく並んでいる妹たち≠ヘ、自分たちの話題が出ているのにも関わらずにぴくりとも動いていない。視線も悟たちに向けられることなく、真っ直ぐ教室の反対側の壁に向いている。先ほどの一糸乱れぬ挨拶の事もあって、どうにも不気味だった。
 そんな傑の疑問に対し、イチと悟はどうしたもんかと目を見合わせた。許嫁候補だとか、そういう話題はまだ軽いジャブみたいなものだ。けれどもまじない≠ノよる精神の停止を普通に言っていいものなのか。今の時点で七海の顔が引き攣ったままだからやめた方がいいのかもしれない。傑も妹たち≠見て顔も顰めている事だし。
 悟はそういった感覚に疎い自覚があったので、念のため他人……というか傑の顔色で判断することにした。イチの方は悟と違ってまだ一般的な感覚を理解していたので言わない方がいいだろうな、と思っていたが。

「まあそれは追々にしましょう。結構空気悪くなると思うので、新入生の歓迎の場ではやめた方がいいかと」

 イチの言葉に「じゃあなんでこの場に妹全員連れてきたんだ」という突っ込みは飲み込んで、傑たちはそういうことならと話題を変えた。誘拐だの許嫁候補がどうだのの会話がされている時点で結構気まずいものの、それを普通に口にしていた彼らがやめておけというのなら相当闇が深いのだろう。傑と硝子は呪術界に足を踏み入れてからの一年間で、多少はそういうものに対して鼻が利くようになっていた。それに灰原たちは灰原たちで、今の時点ですでにお腹いっぱいだったので、重い話がされなくなってホッとしていた。

「じゃあ新入生歓迎会しよーぜ。俺、苺のショートケーキ食うから」
「コラ、悟。こういう時は歓迎される側が先に食べたいものを選ぶんだよ。君から先に言うんじゃない」
「ケッ……まあ? 俺は苺のショートケーキ食いたいって言ったし? 分かるよな?」

 空気を変えるように進んで発言した悟が、今度は後輩に圧を掛けるように顔を覗き込んだ。絶対にショートケーキを選ぶなよ、と明言していないだけでほぼ言っているようなものである。そんな先輩の圧力に屈したのか、そもそもショートケーキを選ぶつもりが無かったのか。七海はチーズタルトを選び、灰原は少し悩んでからチョコレートケーキを選んだ。
 そして、ここ一〇年近く悟の圧に屈したことの無かった女はというと──。

「じゃあ私は苺のショートケーキで! 妹たちと一緒に食べます」
「おい! イチ、オマエ絶対わざとだろ! 絶妙に文句言い辛い理由もつけやがって!」

 当然、恣意的に悟が食べたいと言ったケーキを選んだ。ケーキの乗った皿を手に持ち、妹たちの元へと向かうイチを悟が追いかけていく。そして俺にも食わせろ、とイチの背中に張り付いて駄々を捏ね始めた。わざわざべったりと、イチの肩に腕を回してくっついているのである。

「ねえ夏油、アレどう思う?」
「うーん……そうだな、自覚有りに一票。カートンで」
「良いね。んじゃあ私は自覚無しに一票」

 ナチュラルに賭けを……しかもタバコを賭け始めた先輩二人に、ケーキで喧嘩をしている同輩と先輩。そしてそれを楽しそうに見つめている隣の同級生。そんな仲間たちがいる教室の中、一番普通≠フ感性を持っていた七海は遠い目をして未来を憂いていた。
 きっとこれから先の人生は彼らに振り回される運命なんだろうな、と。



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