わたしだけを見て

 いつからと言われれば、恐らく初めて会った日から一日目とか二日目とかそれくらい。どうしてと言われれば、とても綺麗に、尚且つ美味しそうにご飯を食べていたからという単純な理由。たったそれだけことではあるが、私は同級生の綺麗な女の子を目で追うようになっていた。
 好き、と明言出来るほどに好意が育っている訳でもないし、当然恋と言い切れるほどの強い思いでもない。ただ、朝の教室で二人きりになればちょっと浮かれてしまうし、一緒に過ごせる時間が長くなるように少し頭を働かせたりする様な……本当に、その程度の思いだ。思いを告げるなんて選択肢は、その時にはちっとも思い浮かばなかった。
 まあ、高校生にもなってこんなままごとみたいな気持ちを抱くことになるとは思ってもなかったから、慣れない心の動きに振り回される事はあった。食べてるものが一緒なだけで嬉しいとか、教室で隣り合わせに座ると授業に集中し辛いだとか。小学生の初恋じゃあるまいし。
 けれど、あの時はそれすらも楽しかった。情欲の絡まない自分の好意がとても綺麗なものに思えて、自分自身が純粋な人間になれたかのように錯覚できたから。色々遊んできた癖に純粋な訳がないんだけどね。
 そうやって小さな喜びを積み重ねていくにつれて、いつしか私の好意は芽を出して恋心へと変貌していった。彼女の声が聞けるだけで満足していた私はもういない。綺麗だと思っていた好意を、性欲の伴う恋心で汚してしまった。今の私は、彼女に劣情を抱いているただの思春期の男だ。
 ……どうにか、恋心を抑えようとしていた時期もあった。彼女からできる限り意識を逸らして、ただの好意に戻そうと足掻いたのだ。
 でも彼女との些細な日常に喜びを見出してしまう心を、抑え込めるほど私は器用ではなかったらしい。彼女の声を聞くとどうしても鼓動が早くなる。名前を呼ばれると駆け出したくなるほど嬉しい。彼女の隣に座りたい。手を繋ぎたい。もっと私に笑いかけて欲しい。どうか、どうか私の事を好きになって。
 目で追っていただけの好意がどんどんと花開いていく様に恐怖しながら、けれども私は抗うことが出来なかった。だって彼女が好きだから。知れば知るほど、そばにいればいるほど好きが止まらない。気付いた頃には、初恋よりも盲目的に彼女に溺れていた。

「おはよう」
「あ、おはよう、夏油くん」
「はよ、傑」

 私の名前を呼んでくれる声に、意図せず頬が緩む。柔らかくて甘い可愛い声だ。もっともっと、飽きるまで名前を呼んで欲しい。……まあ、飽きることなんて無いだろうけれど。
 そんな風に心を浮つかせながらも、同時に胃のあたりに重石が乗っかったかのような不快感に息が詰まる。だって、悟がさっきまで彼女と2人きりで喋っていたから。

「夏油くん、髪跳ねてるよ」
「え、本当? どこかな……」

 今日は朝に彼女と教室で二人きりになれたら良いなと思っていた。だけど何故か教室には悟と彼女の姿があって、二人は楽しそうに笑い合っていたのだ。
 二人は付き合っている訳じゃない。付き合い始めたなら私に言うだろうし、そもそも悟は私が彼女の事を好きって気付いてるし。なんならタイプじゃないって言っていた。
 でも、だからと言って好意を抱いている子が、異性と二人きりで過ごしている姿を見るのは面白くない。前までは彼女が別の誰かと過ごしているのを見た時でも、彼女と言葉を交わせるだけで喜びがあった。なのに今では、どうしようもない妬心が胸に渦巻いてしまう。
 淡い思いを好きに変えていけばいく程、私の気持ちはドロドロとした重たいものになっていった。笑顔を見るだけでも良かったのに、今じゃその笑顔が私以外に向けられると思うと叫びたくなる。話しかけてくれるだけで嬉しかったのに、今では他の人と話しているだけで割って入りたい。私がいるのだから、私だけを見てほしくなる。

「ここだよ。ほら、しゃがんでしゃがんで」

 今みたいに彼女の目が私にだけ向けられていて、その言葉も私を思うものであるなら心穏やかでいられる。だけど、その目に私以外の男がうつるのも、意識を割くのだって耐えがたい。
 さっきまで悟と何を話していたの。何であんなに可愛く笑っていたんだ。どうして。どうして、私を特別扱いしてくれないの。
 こんな筈じゃなかったんだ。ゆっくりと彼女を好きになって、彼女にも好きになってもらって、それでよかったのに。……彼女は、ちっとも私に振り向いてくれなくて、私の思いが想像以上に早く、沢山積もっていくばかり。
 私は悟と違って君にキツイ言葉を掛けていないよ。硝子よりも君の変化に気付いてるし、不快にならない程度に褒めている。悟と硝子に彼女に対する好意が気取られるぐらいに、君に好意をぶつけているだろう。
 なのに、どうして私は他の人と同じ扱いなのかな。私は君の特別になりたいのに。

「んー、よし! 今日もかっこいいよ、夏油くん」
「……うん、ありがとう」

 そのまま私の隣にいればいいのに、君はまた悟の隣に戻るんだね。私の髪に触れていた手が遠ざかり、元いた場所へと戻っていく彼女に苛立ちが生まれた。
 かっこいいと言ってくれた事はとても嬉しいさ。でも、ほんのちょっとでいいから、あと少しでいいから私を見て欲しかった。だって私が来るより前から悟と2人っきりで喋ってたんだから、もう十分だろう。そんな自己中心的すぎる思いが溢れそうになって、誤魔化す様に彼女たちから目線を外した。恋にもなっていない感情を好ましく思っていたのに、どうしてこんなモノになってしまったんだ。
 嫉妬という感情に振り回されるだなんて、絶対に嫌だった。好き、という感情は免罪符じゃない。好きだからなにを求めてもいい訳じゃないし、なにをしても赦される訳がないのだ。勝手に私が好きになって、勝手に自分を見て欲しくなってるだけ。なのに私だけを見てくれない彼女に苛立つなんて、何様のつもりなんだろうか。
 ……そもそも、好きになったからといって必ず報われるわけじゃないって知っているのに。いつだって誰かの好き≠ノ応えなかったのは、私の方だっただろ。
 考えれば考えるほどに彼女が私に応えてくれない理由が見つかっていく。この前、良いところを見せようと戦闘訓練の時に張り切ってしまって、彼女に瓦礫が飛んでいってあわや怪我をさせてしまうところだった。彼女を好きな気持ちが強くなり始めた頃もそう。制御できない恋心を持て余して、私を見てくれない彼女に少しキツめの言い方をしてしまった事だってある。すぐに謝ったけどさ。
 なんて独りよがりな気持ちだろうか。好きになってほしいなら好きになって貰えるよう努力すればいいのに、そんな遠回りができないほどに余裕がなかった。今すぐにでも腕の中に閉じ込めてキスをしたい。悟を見ないで私を見てくれよ。
 彼女の声は聞きたいけれど、悟と話している彼女の声は聞きたくなかった。だってもしも私に対する声と違う感情がその声に乗っていたら? 想像するだけで吐き気がしそうだ。胃が焼けるようなピリピリとした痛みから気を紛らわせるために、無心で鞄の中から荷物を取り出した。
 だというのに。

「傑はどーすんの?」
「ええと、何がだい?」

 私に話しかけてきた悟のせいで、否応無しに並び立つ2人を視界に入れる羽目になる。姿勢正しく椅子に座って私の方を見ている彼女と、気怠そうに立っている悟。……そういう所で引け目を感じた事はないけれど、やっぱり人目を引く容姿の悟が彼女の隣にいると、私よりよっぽどお似合いなんじゃないかって無駄に僻みみたいな感情が湧いてきた。
 ああ、嫉妬なんてしたくないのに。今までされる側だったから、それがどれほど鬱陶しい感情か知っているのにちっとも抑えられない。悟にも硝子にも申し訳ない、と思いながらも妬いてしまうのだ。ここまでくればいっそ器用じゃないか?

「聞いてなかったのかよ」
「……すまない」

 あっさりと答えた私に呆れたのか、悟の口から大きなため息が漏れる。あ、これは嫉妬してるのがバレてるな。
 サングラス越しでも分かるほどの「馬鹿だな〜コイツ」と言いたげな視線に、ほんの少しだけ申し訳なさを感じた。ほんの少しだけね。悟と彼女との間に何かある、なんて冷静に考えればあり得ない事は分かっている。分かっているけど理性的でいられないのが私の恋心の厄介な所だ。どうしてここまで制御できないんだろうか。

「じゃあ適当に買ってくるわ。じゃーな」

 悟に対してどう言葉を返せばいいだろうか、なんて考えている間に、ガツンと1発。私の横を通り抜き様に悟が頭をぶん殴ってきた。何も身構えてなかった所で殴られたものだから、思わず頭を抱えて机に突っ伏す。めちゃくちゃ痛い。
 けれども悟は私のそんな様子など歯牙にも掛けず、教室から出て行った。きっと、これで私の無駄な嫉妬を許すって事なんだろう。悟らしいが、それにしたって力込めすぎじゃないか。

「す、すごい音がしたけど大丈夫……?」

 ジンジンと痛む頭を両手で抑えていると、手の甲にほっそりとした柔らかいものが触れた。まさかと目線を横に向ければ、そこには私の頭の方に腕を伸ばした彼女がいて、心臓がギュウと締め付けられる。

「やっぱりまだ痛い?」
「……うん」

 そろりと頭を押さえていた手を下ろせば彼女の手が頭に触れて、優しくなでてくれるものだから、ジワジワと顔に熱が集まってきた。私のそれとは比べ物にならないくらい細い指の感触に、背筋に甘い痺れが走る。さっきまでの悟へのお門違いの嫉妬心を持て余していたり、彼女じれったい気持ちを抱いていたというのに、実にあっさりと消え去ってしまった。
 今の私は物凄く情けない顔をしているに違いない。顔は信じられないくらいに熱いし、彼女が触れてくれているというだけで幸せで、気を抜けば頬が緩んでしまいそうになるほどだ。こんな、顔を赤くしてニヤける男の顔を見せてしまえば、どんな風に思われるか。……きっと気持ち悪がられてしまう。
 だから彼女にこの顔を見せないで済むようにと、もう一度机に突っ伏したのに。優しい手つきで頭に触れてくれていた彼女の手がゆっくりと移動して、燃えるように熱くなった耳の縁を指先でなぞった。

「夏油くん、耳真っ赤だね」
「……言わないでくれよ」
「もしかして顔も真っ赤になってる?」
「なってない」

 バレバレの嘘のせいか、彼女がくすくすと声を上げて笑っている。

「背の高い男の人って、頭を撫でられるのに慣れてないって本当だったんだね。あの夏油くんがこんな風になるだなんて」

 君相手だからだよ、と。そう言ってやれば良いのかもしれない。私がこれほど嬉しくて恥ずかしくなっているのは、君が触れているからだって素直に白状すれば。でも、そう言って受け入れられなかったらどうしようと、一歩が踏み出せない。
 だって本当に好きでたまらないから、怖くて何も言えなかった。彼女が他の人間と喋っていれば不機嫌になる癖に、その手にいつまでも触れていたいと思っている癖に、決定的な言葉は言えないまま。彼女が私の事を好きだって、絶対私のこの思いを受け入れてくれるって分かったなら、好きだと伝えられるのにな。そしたらあんまり私以外の人間と喋らないでと言えるし、もっとそばにいてとも言える。

「……ねえ」
「ん? どうしたの?」

 ……君って好きな人はいるの? って、流石にわかりやすすぎる質問だろうか。



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