バッドエンド

「はじめまして」

 聞いたことのない声であった筈だ。改造人間で埋め尽くされているこの場所に似つかわしくない、声変わりすら訪れていない高めの声。その声を、五条悟は一度だって聞いたことはなかった。けれども、何故か彼はその声に懐かしさを覚えてしまった。あり得るはずが無いのに、とうに失われたはずの彼女の声を、五条悟はその声に重ねてしまったのだ。
 だからこそ、五条悟はその声の主を視る前に殺すことが出来なかった。……彼の敗因はただそれだけだ。

「……あ゙?」

 子供が佇んでいる。小学校中学年程度の……9歳ほどの子どもが微笑みながら、五条悟を見上げていた。

「おとうさん」

 五条悟には、かつて誰よりも愛していた恋人がいた。家入硝子の親友で、五条悟に鮮やかな恋心を植え付けたかと思えば夏油傑の沈みかけた心を掬い上げた癖に。──なんとも呆気なく死んでいった女がいたのだ。
 そんな女とそっくりの、それでいて目元だけは己の面影のある子供が、己を見上げて「おとうさん」と。
 五条悟の脳内は、その瞬間に10年前のあの日に回帰した。いつも通りに任務に向かって、屍となって最愛の女が帰ってきた人生最悪のあの日。夏油傑曰くの最強≠ノなった己ならば感じることが無いだろうと信じていた無力感。全てを壊してしまおうかと思うほどの激情。そして、この世の終わりかのような絶望感。……今でも夢に見るほどの、五条悟のいつまで経っても癒えることのない心の傷だ。
 その傷を切り開かれるような感覚に、彼は一瞬だけ己を見失った。
 0.2秒の領域展開。その影響で術式が焼き切れている上に、彼女の面影のある子供の出現とくれば五条悟とて冷静な判断を下せる訳がない。己が今立つ場所がどこで、何を相手にしているか。それらを五条悟が思い出した時には、もう全てが終わっていた。

「僕のために死んでくれませんか」

 五条悟に生まれた隙はたった一瞬だ。されど一瞬もあれば、人一人殺す事など造作もない。下手人が1000年以上生きている術師とくれば尚更だろう。最強の男は、呆気なくその命を散らす。
 今際の瞬間、五条悟の目に映ったのは彼女とそっくりな顔で笑う子供の青い瞳と、その額を横切る一本の傷跡だった。



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