「こんばんは、プリンセス」
「は、恥ずかしい呼び方をしないで頂戴。わたしの名前はヘカテイアよ」

 夜を纏った男は宣言通り、わたしがいる城へ再度訪れた。すわ夢かと思ったけれど、彼の投げた小石は焼き切れていたし夢ではないのは確定していた。だったらいつ来るのかしら、と夜半にそわそわしながらバルコニーを見つめていた所、見覚えのある色の燐光と共に彼が現れたのだ。
 現実味のない幻想的な光を纏った男にわたしは少しの間惚けていたけれど、揶揄われれば流石に正気に戻る。あからさまに顔を顰めてみれば、何が楽しいのか美しい男は笑みを溢した。

「ヘカテイア。そう、ヘカテイアか……。おまえによく似合っている名だな」
「お褒めに預かり光栄よ、ミスター」
「ミスターではなく僕の事はマレウス、と」

 ライムグリーンの瞳を細め、柔らかな笑みを浮かべた彼に頬が熱くなる。本当、美しいって罪じゃないかしら。ただ笑いかけられただけなのに、心臓がドキドキしてしまう。ただ話をしたいだけなのに、これじゃあ先が思いやられるわ。

「ガーゴイルの話をしようと思ったんだが、おまえが見えない物の話をしても仕方がない。こういうのは見ながら聞くのが1番わかりやすいんだ」
「そうでしょうね。見ていないのだから、意匠なんて分からないもの」
「だからおまえの知らないであろう、外の話をしてやろう」

 腕を組みながらバルコニーの壁に肩を預けて、わたしを見下ろした男はそう言った。見下ろしている姿もかっこいいだなんて、ほんと罪な男ね。
 そんな彼の少しでも近くにいたいというちっぽけな乙女心に従って、結界を挟んだ彼の隣の壁にわたしも背中を預ける。ちらりと横目で伺えば、満足気な表情が見えた。結界を挟んでいるとはいえ、彼との距離は20cmもない。誰かがこんなに近くにいるのは初めてのことだった。

「先ず、この城がある国の事は知っているか?」
「城内の本には青葉の丘だと記載されていたけれど……。どう見たって青葉なんてないわよね」
「……成る程。どうやら、この城に収められている文書は500年以上昔のものらしい。青葉の丘はおよそ500年前に滅んで、今では残夜の森に取り込まれているな」

 そう言った彼は、わたしからも見ることのできる暗い森を指差した。成る程、あの森は残夜の森というのね。青葉の丘にしては葉の色が黒いから、名付けたヒトは馬鹿なのかと思っていたけれど……残夜の森という名なら納得できる。

「残夜の森は文字通り、夜が明けても夜のままの森だ。夜の魔女がオーバーブロットを起こして死んだ結果、森に夜が残ってしまったらしい」
「夜が残る? 凄まじい魔法ね」
「ああ。流石に茨の魔女には劣るが、高名な魔女と伝え聞いている」
「……けれど、この城に夜明けは来るわ。夜が残るところなんて見たことない」

 だって、今朝もこのバルコニーに日が射していたもの。毎日太陽が上って地平に沈んでいき、夜が来る。その繰り返しがあるからこそ、外に出られないわたしは1日を感じられるのだ。……なのに、この森では夜が残る?
 首をかしげながら彼を見つめると、彼の方も不思議そうな顔をしてわたしの顔を眺めた後、城の結界を見つめた。わたしもつられて結界を眺め、そしてはたと気付く。これはなんでも弾いて、空気と光しか通さない結界だ。つまり、夜の魔女の残した魔法すら通さない……とか。

「恐らく、この結界が魔法を阻害しているんだろう。……凄まじい結界魔法だ。おまえという人間を閉じ込めるにしては大掛かりすぎる」
「余程わたしを逃したくないのでしょうね、母上は」
「僕としては……おまえがあの石の魔女が恐る程の魔女には見えないな」

 わたしと同じ結論に至った彼が、じっとこちらを観察する様に注視する。……わたしったら変な格好をしてないわよね。一応服も髪も全部整えたから、大丈夫だと思うのだけれど。
 キラキラと煌めいている黄緑色の瞳を見つめかえす。そうしていると彼の美しい瞳に映ったわたしの姿が窺えて、少しだけ恥ずかしくなった。

「おまえはどんな魔法が使える? 余程強力な魔法だと思うが」
「とても限定的だけれど、たしかに強力と言える魔法よ。『わたしの箱庭(アブソリュート・モナーク)』」

 両手を突き出しながら目を瞑って、球体を思い描く。そうね、掌から少し浮いた所に結界が出来上がれば良い。まん丸で綺麗な球体……これがわたしの世界。わたしが法で、わたしが神で。全てがわたしの思うがままの、小さな箱庭。
 目を開いて、出来上がった直径50cm程の箱庭……球体の結界の様子を確かめた。少し力を込めれば雨も降るし、雷も落ちるし、砂嵐だって思いのまま。わたしの箱庭で、わたしにできないことはない。

「これは……驚いたな。結界の内部を強制的に支配下に置けるのか。それに、見たところさらに拡大できる余裕もある」
「頑張ればこの城を覆うぐらいはできるわ。疲れ果てて動けなくなってしまうけれど」
「……その魔法でここから抜け出そうとして失敗したのか」

 少し目を見開いた彼が興味深そうに箱庭を見つめているから、見えやすいように箱庭を結界に近付ける。一目見ただけでわたしのユニーク魔法の本質を理解するなんて、彼って思っていた以上にすごいヒトなのかしら。
 『わたしの箱庭(アブソリュート・モナーク)』は、この結界に閉じ込められているからこそ編み上げられたユニーク魔法だった。元々家系的に操作魔法に強い適性を持っていたわたしだけれど、後天的に魔力自体が結界魔法に最適化されてしまったのだ。毎日、結界の維持の為に枯渇しそうな程魔力を吸い上げられ続けていたわたしの体は、魔力の性質を変える事によって吸い上げられる魔力の量を減らす方向の進化を遂げた。
 それからというもの、どんな魔法を使っても結界魔法の性質を帯びてしまうものだから、本当に大変だったの。浮遊魔法のつもりが、空中にできた結界の上に乗る結果になってしまったり。そんな中苦心した末に出来たのがわたしのユニーク魔法。全部結界魔法になってしまうなら、大きな結界を作って、その中で操作魔法をすればいい。単純だけれど、実にいいアイデアだったと思う。

「わたしの結界よりも、お城の結界の方が強くって。弾き飛ばされて大怪我しちゃったわ」
「魔法に込められている魔力量が桁違いなのだから、結果は見えていたと思うが?」
「……あの頃はどうしても外に出たかったのよ」

 だってずっと閉じ込められているんですもの。夢にまでみた魔法を使えて、見たことのない物を見れると思ったのに閉じ込められるなんて冗談じゃないわ。だから大怪我をしても諦めずに結界を破ろうと頑張って、だけど綻びの一つも作れなかった。諦めるしかなかったのだ。
 専門の知識があれば違う結果になっていたかもしれないけれど、この城に結界破りや魔法無効化に関する書籍はない。きっと、母が全部何処かへ持ち出したのでしょう。あの人はそういう事をする人だから、もしかしたら燃やしてしまったのかも。

「諦めたんだな」
「ええ。痛いばっかりだし」
「…………内側から出られないのなら、外からこじ開ければいい。僕がこの結界を破ってやるから、おまえは自分の身を守れ」
「だめよ。この結界に干渉した攻撃は全部わたしに降りかかってくるの。貴方の攻撃を受ければ、わたしの体が弾け飛んじゃうわ」

 軽い攻撃なら小突かれた程度の衝撃が。3年前の落雷では右半身が大火傷を負って死にかけた。だから、きっと凄腕の魔法士であるのだろう彼の攻撃魔法を結界が受ければ、文字通りわたしの体が爆発する事は想像に難くない。
 それに折角助けようとしてくれているのに、体が弾け飛ぶ様を見せるなんて申し訳なさすぎるもの。こうして気遣ってくれる優しいヒトが、落ち込むのが安易に想像できた。

「……なら、どうにかして城の中に入り込んでおまえを連れ出す」
「ふふ、楽しみにしているわね」
「出来ないとでも言いたげな顔だな? ……必ず引きずり出してやろう」

 鋭い牙を剥き出しにして嗤う彼に、少しだけ背筋に寒いものが走った。今更だけど、純正なヒトではない彼って……中々怖い人物なのかもしれない。

「わたしの事を引きずり出したら食べちゃいそうなくらい怖い顔ね」
「…………ああ、そうか。うん、それも良いな」
「え? 本当に食べてしまうの?」

 返答はない。
 ただ、彼は目を細めて恍惚とした笑みを見せていた。


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