バチン。
 何かが弾かれる大きな音と、それに紛れかけた小さな呻き声。この城で聴こえるはずのないその音に、わたしは珍しく興味をかき立てられた。
 飛行術の失敗で結界に激突したのか、それとも空間転移を間違えてしまったのかしら。城の結界に阻まれて墜落したであろう存在を見る為に、わたしは久方振りにバルコニーへと向かった。一体どんな間抜けがいるのだろうと、そう思って。いつもなら外を見ることなんてないのに、重みを感じる身体を引き摺って、今日に限ってバルコニーを伺った。

「あ、なたは……」
「おまえは……」

 そして喩えるならば……そう、闇を纏った男がそこにいた。ヒトならざる角を生やした美しい男が、不快そうに己の指先を見つめてバルコニーに立っていたのだ。どこかの馬鹿者が墜落でもしていると思っていたのに、大きな黒い角を生やした均整のとれた美しい造形の男なんて立っていれば、唖然として見つめる他ない。
 ライムグリーンの瞳を見つめて、ドキリと心臓が高鳴った。だって生まれてから今までの間に、こんな綺麗なヒトを初めて見たのだから仕方がないでしょう。黒で縁取られた涼やかな目元に指先が震えて、彼の美しさに動揺が隠しきれない。
 そして目の前の男もわたしの存在に驚いていた。大方この城は廃墟だとでも言われていたのだろうし、人がいるとは思っていなかった筈。なのに城の塔の奥からそれなりの見た目の女が出てくれば、驚くに決まっているわ。
 わたしと見つめ合う直前は不機嫌そうに指先を見ていたから、結界に指で触れてしまったのかしら。火傷してる可能性がありそうだけど……。などと考えていると、男が一歩こちら側に近付いた。ちょうどギリギリ結界に阻まれない距離だ。

「……閉じ込められているのか?」
「ええ」
「ここに女が閉じ込められているだなんて初耳だ。石の魔女の根城だったとしか聞いていない」
「……石の魔女はわたしの母よ。わたしがあの人より優秀な魔女になりそうだったから、閉じ込められているの」

 そう言うわたしを興味深そうに見下ろす男は、徐に指先に魔力を纏わせながら結界に触れようとした。危ないわ、というわたしの忠告を無視した彼はそのまま結界に触れ、案の定ジリジリという不快な音と共に指が焼けてしまった。ああ、折角忠告したのに怪我をしてしまったわ。
 憤然とした様子の彼は、足元の石ころを拾ってこちら側に投げてきたが、それも当然結界に阻まれて弾け飛ぶ。わたしに内包する魔力を吸い上げて自動的に強化されているこの結界は、空気や光以外を一切通さない。わたしの母以外、誰も出入りできないのよ。

「……魔法も弾くんだな?」
「もちろん。随分昔に魔法で出ようとしたけど、怪我しておしまいだったわ」
「僕が全力を出せば或いは……いや、上手くいっても城が崩れて、おまえが死ぬ」
「あなたって優しいのね。そんなの気にしなくていいのに」
「……死んでもいいのか?」
「閉じ込められてるんだから、生きてても死んでる様なものじゃないかしら」

 何を言っているんだ、と言いたげな瞳がわたしを射抜く。自死を選ぶ勇気はないけれど、この城が崩れて死んでしまったのならそれはそれ。最期に城が無くなって外に出て死ねるなら、閉じ込められて生きるよりは随分とマシでしょう。
 何かを言いたそうに口を開いた男は、けれども言葉が出て来なかったのか何も言わず口を閉じた。けれど、わたしの言葉を不満に思っているのがありありと分かる目付きをしている。

「気遣ってくれて嬉しいわ、優しいアナタ。ところで指先のお怪我は大丈夫?」
「あの程度すぐに治る」
「なら良かった。治癒魔法を掛けようにも、内側から外にも魔法を掛けられないの」
「……自ら傷付いた男を気遣うおまえの方が、一般的に優しいと言えるだろうな」

 器用に片眉を上げてわたしを見下ろしている彼は、そう言ったきり話す事がなくなったのか黙り込む。……わたしとしては、この世界に生まれてから母以外で初めて話をした存在だから、もう少しお話がしたい。けれど、どんな事を話せばいいか全く分からなかった。……だって、10年以上ロクに話してないもの。前世の記憶も役に立たないし。
 どうすればいいか本当に分からなくて、唯々黙って彼を見上げる。明るい黄緑色の瞳は暗い夜の中でも一等輝いていて、いつまでも見つめていられる様な、そんな煌めきを宿していた。縦に割れた瞳孔も彼の魅力を増幅させるスパイスみたいで、こんなに完成された姿の生命体が存在するのね、だなんて間抜けな感想が溢れる。
 ……そんな感想を思い浮かべる前に何か話しなさいよ、わたし。

「……。この城のガーゴイルは、この近辺では珍しい程年代が古いものだな」
「……えっと、ガーゴイル?」
「周囲とは200年ほど古い年代にのみ施されている意匠が、この城には多く見受けられる。それがガーゴイルにまで施されているのは特に稀だ。当時の持ち主は余程拘りが強かったのかな」

 突然口を開いてガーゴイルについて話し始めた彼に対し、今度はわたしが何を言っているんだ、という目をする番だった。あの鷹のガーゴイルとか、なんて言って指を差す彼に全くついていけない。急に話しはじめた事もそうだし、彼が指差しているガーゴイルはこの城の上の方にあるらしく、わたしがいる室内からは全く見えていない。バルコニーに出られたのなら見えるけれど、生憎と結界はわたしを一切外に出さないのだ。冷静に考えれば、彼もわたしの位置からは見えてないって分かる筈だけれど……。
 わたしがなんとも言えない反応をしているのに気付いた彼は、もう一度あれだ、と指差した後に漸くわたしから見えていない事に思い至ったらしく、目を瞬かせてからまたもやむっつりと黙り込んでしまった。……あれは彼なりの話題提供だったのかしら。だったら悪い事をしてしまった様な、けれど見えないものは仕方ないし……。

「……兎も角、ここのガーゴイルは珍しい」
「よ、よく分からないけれど、あなたが言うのならそうなんでしょうね」
「嗚呼。だから、また見にくる」
「えっ?」
「その時におまえの名を教えてくれ」

 そんなことを一方的に告げるなり、美しい男は燐光と共に姿を消した。瞳の色と同じ光だったわね、なんて間抜けな事を頭の片隅で考えつつ、わたしは彼が立っていた場所をぼんやりと眺め続けていた。

「…………えっ?」

 ……な……なんだったのかしら、今の彼。もしかして夢……? 夢で美青年を求めるなんて、わたしったら余程疲れているの?


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