亡者の餞A

 さて、マジでどうしたもんやら。なんせこの状況は詰みだ。五条悟が封印されちまっているから。
 俺が色々頭を働かせて、わざわざメカ丸とコンタクトを取ったり、あえて一人で行動していたのも結局は「五条悟を封印させない」が為だ。五条が封印されりゃ、どう足掻いたって甚大な被害が出る。だから俺は五条が封印される前に対処して、あの脳みそ野郎の裏をかいた訳で。
 ──だが、ココでは既に五条悟の封印が完了している。俺≠ェ出てくるのが五条悟の封印後なんだから、こいつは間違いない。

「あーあー、面倒くせえ事になりやがって」

 俺からすれば、正直この世界線がどうなろうが知っちゃこったねえ。恵は良いとして、津美紀はすでに寝たきり。美々子と菜々子は呪詛師一派になって、夏油と灰原と天内、黒井、吉野親子はとっくの昔に死んでいる。割と気に入ってる奴らがもう死んでいるこの世界線で、俺が走り回ってどうなるんだと。
 けれども、ここでどうにかしなけりゃココの美々子と菜々子と七海は死に、あの脳みそ野郎の細工のせいで津美紀にどんな災厄が降りかかるか分かったもんじゃねえ。ココの津美紀からすれば俺はあいつを捨てて何処かへ消えたクソ野郎で、美々子と菜々子からすりゃ面識すらねえ赤の他人。俺がどうにかする意味は無い。
 ねえんだが──。
 それだけじゃ割り切れねえのが人間ってやつだ。俺の知るあいつらとは別人だとしても、別の世界線で家族をやってんだから助ける理由なんざそれで十分だろ。

「……おし」

 イタコのババアをロッカーに詰め終えてから、一息ついて渋谷駅の方を見つめる。
 最優先事項は五条悟の奪還だ。五条を奪還し、封印を解除できれば渋谷にいる特級呪霊や呪詛師は他の術師に構ってられなくなる。渋谷から逃げるなり、五条を再度封じ込めようと五条を追ってくるなりする筈だ。そうすりゃ、特級術師に殺される羽目になる奴らも死なねえ……と、思う。だいぶ時間的にシビアだが。
 で、五条を奪うのはまあいけんだろ。透明人間の俺がやれば、俺の存在を把握していないだろう脳みそ野郎を出し抜ける。問題は奪った後、どうやって封印を解除するか、って話だ。
 記憶の中での描写が少なすぎて、あの封印具がどういう理屈なのか全く分からねえ。脳みそ野郎が開門≠チて言やぁ開いて、閉門≠チて言えば閉まる。本当にそんくらいしか分からねえんだよなァ。源信の成れの果てってマジでなんだよ。なんで箱になるんだ。
 もうちょい獄門疆の詳細がわかりゃ、正規の開き方ができただろうにちっとも分からん。天逆鉾さえあれば、獄門疆の詳細が分からずともあれを突き刺して破壊、とかできたんろうが……。生憎と俺には肉体の情報しかねえ。正真正銘、俺自身のみの情報しかねえから格納庫呪霊が居ないのだ。
 つまりは俺の武器が一切ない。この身一つで、この渋谷を駆け抜ける必要があった。流石に俺でもキツイわバカタレ。……だがんな事言っててもしょうがねえしなァ。
 ──いくら考えてても埒があかねえし、とりあえず動くか。記憶によれば東京メトロ渋谷駅の地下五階の副都心線ホームで五条は封印されて、そこで獄門疆の移動が出来なくなった筈。俺の世界線でもあの場所で五条と特級呪霊が戦ってたし、そこは間違いねえ。んでそっから先、脳みそ野郎が冥冥んとこに向かった時点で獄門疆が動かせる様になってるかどうかだが。こういう時は常に最悪を考えとけば心構えができるし、獄門疆はすでに持ち運ばれてるって考えておこう。というわけで目指すは副都心線ホーム。そっから線路沿いに行けば、脳みそ野郎と冥冥が戦ってる場所にかち合うだろ。
 逃げ惑う非術師を尻目に、目的地に向かって駆ける。道中で武器になりそうなモン……もぬけの殻になった飯屋からいくつか包丁をくすねた。呪具が無えから呪霊を祓えねえし、たまにルート変更しなきゃなんねえのは時間のロスだが、まあ全速力で向かえば一、二分だ。
 一般人が少なくなってきてからは気配を消す事を優先して、息を殺しながらホームへと足を進めた。ここで万が一特級呪霊にかち合ったり、裏梅とかいう呪詛師とかち合えば隠密行動が全部パァ。一応呪力を察知はできるから合わねえだろうが……漏瑚という呪霊が厄介だ。
 俺や直毘人とまでは言わねえが、あの呪霊の移動速度は相当なもの。急に動いて、たまたまであっても俺の近くまで来られりゃ普通に困る。アイツらは虎杖を探して動き回ってるから行動が予測できねえしよ。
 そうやって呪霊と呪詛師共に気を配りながら移動して、漸く副都心線ホームに降り立つ。……が。
 案の定というか何というか、獄門疆は既に持ち出されていた。
 普通に考えて、封印済みとはいえあの脳みそ野郎が獄門疆から離れて冥冥の方へと向かうとは思えねえし、持ち運んでるだろうとは思ったが。獄門疆をここへ置いて移動しておいてもらった方が楽だったのは違いねえ。……マ、無いもの強請りをしても仕方ねえけど。
 足元の小さなクレーターを見つめてため息を吐いたあと、気配を消したまま、線路に降り立って夏油と冥冥の呪力を感じる方へじわじわと進んでいく。奇襲のチャンスは、脳みそ野郎が俺の存在に気付いていない一度きり。しかしまあ、流石に獄門疆を奪い損ねるってヘマをするつもりはねえ。俺を誰だと思ってんだって話だ。が、問題はそのあと。
 脳みそ野郎から獄門疆を奪い取った後に、脳みそ野郎から逃げ果せる必要がある。無駄に手数の多い夏油のせいで難易度が爆上がりなんだが、恐らく冥冥程の女なら気を利かせて多少は本体の足止めをしてくれると信じたい。本体と距離を取れば司令塔の居ねえ呪霊なんぞ俺にとっては烏合だし、たぶんどうにかなる。たぶん、だが。
 あーあ、天逆鉾がありゃなァ。脳みそ野郎の脳天に突き刺して以上終了、お疲れ様でしたってなったのに。身体能力だけはあっても呪具が無けりゃ決定打に欠けるんだし、呪具ぐらいおまけしてくれよ。包丁持って渋谷を駆けまわってるバカなんざ俺だけだぞ、全く。
 盛大に舌打ちしてえ気分だが我慢して、トンネルの壁にへばりついて一旦足を止める。どうやら冥冥は特級呪霊を打ち破ったばかりで、脳みそ野郎と二回目の接敵を果たしているらしい。
 アイツが俺の存在には全く気付いている様子は無し。ついでに冥冥に意識を向けているからか、背後に気を配っている様子も一切見受けられねえ。五条を封印できたっつー達成感もあって、通常よりかは気ぃ抜けてんだろう。
 ──ああ、これはイケるな。
 音を殺して息を殺して、気配を殺す。こちら側に背を向けている脳みそ野郎だけでなく、視界がこちらに向いている冥冥にすら気取られない様、存在感や意識すら希薄にして、一歩一歩着実に脳みそ野郎に近付いていく。
 そんな中アイツは冥冥に対して呪霊をけしかけ、冥冥はカラスを呪霊と脳みそ野郎に対して特攻させた。冥冥のあの威力の攻撃を受け止める、なんて真似はしないだろうアイツは、呪霊を盾にした上で回避行動をとる筈だ。だったらアイツが回避するであろう位置に、俺が先に待っていればいい。
 なんとなく、で予測した方向ににじり寄り、殺気を抑え込んで包丁を手に取る。
 そして俺の予想した通りにカラスの自爆特攻を避けて、冥冥に追撃をかまそうとしている脳みそ野郎の背中に包丁を突き刺した。



 左下の脇腹から右上の肩口へ。ゴリュゴリュ、と肉と骨を断つ音を響かせながら包丁を無理矢理動かし、逆袈裟斬り。ついでに時間稼ぎも兼ねて、もう一本持ってた包丁で右手を切り飛ばす。で、そのまま脳みそ野郎が隠し持っていた獄門疆を奪い取ってから、思い切り腹を蹴り飛ばした。
 俺の突然の強襲に全く反応できてなかったアイツは、ボールみてえに跳ね飛ばされていく。よし、これで距離も稼げた。

は俺がどうにかする。一分足止めしてくれねえか」
「報酬は?」
「五条とに」

 俺の言葉にニィと口端を吊り上げた冥冥は、返答の代わりと言わんばかりに、鴉を脳みそ野郎がすっ飛んでった方向へと殺到させる。その様子を見届ける事なく、俺は冥冥に背を向けて全力疾走した。
 一級術師の冥冥であっても、アイツ相手に一分足止めってのはキツイ筈。だから脳みそ野郎が俺を追い始める前にできる限り距離を離した上で、目的の人間を引っ捕まえなきゃならねえんだから、今度は気配を殺すだの何だの言ってる場合ではない。
 トップスピードを保ったまま線路からホームへ飛び上がり、全力で改札階へと駆け上がる。幸いと言っていいのか、呪霊共は少し離れた所を彷徨いているから、かち合う事はなさそうだ。
 途中、地下通路を通って東横線からJR線の構内へ移動。そのまま改札口を飛び越えて、地上に駆け上がれば……。
 ──居た。
 メガホンを持って、一般人の避難誘導をしている狗巻棘。思ってたより近くにいたのは僥倖だ。スピードをできる限り落とさない様にしつつも、狗巻に気付かれないように近付いて、先にメガホンを取り上げる。

「ッ?! 『、』ッゔ」
「ちょっと大人しくしとけよ」

 いきなり飛び出してきた俺に驚いた狗巻だが、咄嗟に呪言を放とうとしてきたんで、迷わず口の中に指を突っ込む。マ、嘔吐かねえ程度に加減してるからいいだろう。
 そのまま暴れる狗巻を肩に担ぎ上げて、もう一人の目的人物がいる方へと走る。
 ……いくら指を噛もうが背中を蹴ろうが、その程度で離す訳ねえんだよなァ。

「おまえ、五条悟が封印されたってのは聞いてるか?」
「ん゙ん゙ン゙! ん゛ん゙! ン゙! ン゙!」
「……まあ、知ってるって仮定で話進めるわ」

 唸りながら暴れ回ってるばっかで、何言ってんのか全くわかんねえな……。

「で。さっき、五条悟を封印した奴から五条悟が封印されてるブツを奪ってきた訳」
「ん゙! ん゙ん゙ん゙! ……ん゙? ぅんん?」
「ホントホント。そこで呪言師が必要だからおまえをこうして拉致してんの」

 髪を引っ張ったり殴ったりしていた狗巻だが、俺の言葉に一旦大人しくなる。その狗巻の手の上に獄門疆を乗せてやって、更に走る速度を上げた。流石にもうそろそろアイツも追って来るだろうし。
 そうしているうちに狗巻は徐々に大人しくなり、俺が手に乗せた獄門疆を大事そうに抱えながら興味深そうに眺めはじめてていた。まあ、確かに変な目がいっぱいついてて気になるわな。

「その呪物、使用者が開けだの閉まれだの言えば開閉する代物だ……とまで言えば、おまえに何をさせてえかは理解できるな?」
「ん! ……んん? んんん?」
「今向かってんのは反転術式が使える奴んとこだよ。この呪物を開いただけで五条悟が復活すんなら良いが、仮に開いた上で破壊する必要があったらどうする。そん時におまえが使い物にならなかったらどうしようも無えだろ」
「んん。ん、ん!」

 脳みそ野郎が開門っつって開くなら、当然呪言師の呪言でも獄門疆は開くに決まってる。問題は、五条を封印できるほどの代物に対して呪言を使えば、狗巻が一発で使い物にならなくなるだろうってとこだ。
 そうすりゃどうなるか。最悪の場合、折角開門させたのに獄門疆にくっついたままの五条悟が爆誕するだけ。最善だと普通に五条悟が飛び出してくる、って感じだ。だから、念のため二回目の呪言を使える様に、家入の治療を受けられる場所に行く必要があるっつー訳。
 そういう俺の説明に納得したらしく、狗巻はコクコクと首を縦に振った。……流石にこんな風に超特急で走り回ってる最中に呪言を使うとは思えねえし、家入がいる上に行くには片手ぐらい自由じゃねえとやり辛い。
 いつでももう一度口に指を突っ込めるように気をつけつつも、狗巻の口から指を引っこ抜けば、狗巻は何度か咳き込んでからサムズアップした。……初対面の相手なのにやっぱノリ良いな、コイツ。

「もうすぐ着くが準備はいいか?」
「しゃけ!」
「良い返事だ」

 家入の呪力を察知した建物の下に辿り着いて、一瞬だけしゃがみ込んで垂直に飛び上がり、建物にある出っ張りに足を引っ掛ける。で、片手で上の方の出っ張りを掴みながら壁を蹴って、上へ上へと目指していく。
 ……片手だし狗巻担いでるしでやりにくいったらありゃしねえ。おんぶの方が楽だったか、こりゃ。
 何度か同じことを繰り返し、建物の柵に手を掛けて飛び上がる。そん時に奥の方を伺えば、目を見開いてこっちを見ている家入と夜蛾の姿が。
 まあ、生徒が不審者に背負われて突然登場すりゃそういう反応になるわな。

「五条の封印を呪言師が解く。オーケィ?」
「しゃけ」
「おまえは一体……何だと……?」

 ぽい、と狗巻を家入の方に投げて、俺は何もしませんよ、と両手を掲げてアピールする。
 その間にもしっかりと着地した狗巻は家入の近くまで走っていって、獄門疆を地面に置いた。そして、口元のチャックを開いて呪言ことばを発する。

……!』


□□□


 よく知った呪力が少し離れた場所で吹き荒れるのを感じとり、夏油傑……否、羂索は忌々しげに呟いた。

「やってくれるね……」

 そもそも、羂索にとって一二年前からあの男は想定外だった。あの男が六眼の使い手を倒したのもそうだし、星漿体を殺したのだって彼の予定には組み込まれていなかった。なのに禪院甚爾はそれを成し遂げ、その後すぐに死んでいった。意味不明にも程があるだろう。
 それだけではなく、今回もそう。あのイタコの呪詛師が禪院甚爾を降ろすという事は分かっていたが、それがどうしてあの男が羂索を強襲して獄門疆を奪っていく事になるのか。しかも何故か五条悟を解放している。
 君は五条悟に殺されたんだろう。なのに何故五条悟を救う様な事をするのか。何故そこまで行動に迷いがなく、最適解ともとれる選択肢を選べたのか。
 禪院甚爾から受けた傷と、後手に回ったせいで冥冥の鴉によって付けられた傷を反転術式で治癒しながら、羂索は脳みそを回転させる。五条悟が解放されてしまった以上、羂索の目論見は破算してしまったと同義だ。ならば次≠フ為に身を隠すべき……なのだろう。が。
 けれどもそれを選ぶにはこの時代の天元の状態や宿儺の器、この渋谷の状況、そして真人という呪霊。更には夏油傑の肉体を手にしているという現状が魅力的すぎる。簡単に手放してしまうにしては惜しかった。

「…………はあ。本当に嫌になる」

 だが、計画は既に破綻した。すぐさま雲隠れしなければ、確実に羂索は五条悟に殺される。一〇〇〇年の妄執の終わりがココなどとは認められない羂索には、いまを捨てる以外に道はない。
 ──それはそれとして。結構ムカつくし嫌がらせはしてやろうか。



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