解氷 1
「おい、へばんなよ」
「へばってへんわ、目ん玉付いとらんのちゃうか」
「あっそ」
減らず口叩けるんだったら良いよな、と言い放った真希は、担いでいた直哉を地面に下ろす。真希に担ぎ上げられていた事を屈辱と感じていた直哉の顔は、嫌悪感に塗れていた。余程真希の事が嫌いらしい。まあ真希も直哉の事は嫌ってはいるから、お相子と言えよう。
そんな風に割と普段通りの彼らではあるものの、その体には無数の切り傷が刻まれており、息も絶え絶えと言った様態だ。
まさか、この様な事態に陥るなど真希も直哉も予想だにしていなかった。偶々任務が被り、互いに相手よりも先に呪詛師を始末しようと考えていただけであったのに。
「……動きを見えはしとるんやな?」
「まーな。でも見えてるだけだ」
……多少厄介とはいえ、元々の相手は彼らにとっては雑魚でしかなかった。相手は詳しい名称は不明であるものの対象者に感情を植え付ける、という悪辣な術式を持つ呪詛師の男。
殺す、という意思を持って呪詛師に敵対しようにも、親愛や愛着を植え付けられたなら、どうしたって突如として湧き上がる感情に動きが鈍る。直哉の場合はその一瞬の動きの鈍りによって、己が設定した動きを作れずフリーズ。真希は直哉より人でなしじゃないが故に、植え付けられた感情を振り払うのに時間がかかった。
そうして一瞬だけでも二人の動きが鈍ったその隙に呪詛師は距離を取って、仕切り直しになる。そこからまた相対しようとした瞬間に別の感情が植え付けられて、そんな事を何度も繰り返して。けれども彼らと呪詛師の男では元々の強さや速さが違うのだから、時間が経つにつれ、徐々に呪詛師の男は追い詰められていった。
……そうしてあと少しで呪詛師を殺しきれる、というところで、男は突如ナイフを持ち出して自刃した。懐に隠し持っていたナイフで喉を一突き。血を噴き出して実に呆気なく息絶えた男に、真希も直哉も豆鉄砲を喰らった様な顔をするしかない。
多少なりとも手こずった相手の終わりがコレとは。拍子抜けした直哉は真希に命令して、男の遺体を運ばせようと口を開いた。が、険しい顔付きになった真希の大声に直哉の声が掻き消される。
「走れ!!!!」
真希の言葉に、なに命令しとんねん、と直哉は素直に思った。だがしかし、そうは思ったものの真希は偽物とはいえ“甚爾の"偽物だ。甚爾とまではいかずとも、常人よりも五感が優れているのは間違いない。だから、直哉が気付けぬ異変に真希が気付く事もあり得るのだ。
……故に非常に癪に触りつつも、直哉は真希の言葉に従って男の遺体から距離を取る。そして、直哉のその判断は正しかった。直哉が走り去ったその直後、男の遺体から半径十数Mの範囲の木々が細切れになったのだ。
「あー、そうきたか。死んでからも無駄に足掻きよって」
──特級になりたての呪霊が男の遺体の上に鎮座していた。
「アレが何か知ってんのか?」
「……多分このへんの村で信仰されとるカミサマや。アイツ殺した後についでに祓除せえて言われとったんやけど……アイツのせいでただの一級が特級になっとる」
呪術界の上層部と繋がりのあった呪詛師の男は、禪院家の当主候補を殺すという任務を上から請け負っていた。その際に目に付けたのがこの場所だ。呪霊を呪霊と知らず信仰する愚かな非術師達と、信仰を受けて一級にまで成長した呪霊。彼にとってこの上なく上質な環境である。
何せ男の術式は感情を植え付けるもの。故に、カミサマ……呪霊へ向けていた村人たちの感情を誇大化させる事など、非常に容易かった。恐怖、怒り、悲しみ、妬み、嫉み。負の感情を最大限に呪霊へと向けさせる。そうすればその感情を、負のエネルギーを糧に呪霊は成長するのだ。
そして極め付けは男の自刃。禪院家に並々ならぬ恨みがあった男は、己の命を使ってでも禪院家に嫌がらせをしたかった。だから男は成長した呪霊と己に術式を使い、感情……負のエネルギーのベクトルを統一させて。呪いの込められていない、ただのナイフで命を絶った。
そうして生まれるのは新たな呪い。他者の呪力で殺されなかった術師は、死後呪いに転ずる。それを男は利用した。己と同一の感情を植え付けた呪霊ならば、呪いとなった己を取り込み、新たな特級呪霊になる筈と信じて、命を使ったのだ。
──斯くして、男の狙い通りに新たな特級呪霊が生まれた。
「あー、めんどくさ」
「やる気ねえなら帰れよ」
「うっさいわボケ」
真希と直哉は勿論油断などしていない。慢心が命取りになるという事を彼らは重々承知していたし、相手は成り立てと言えど特級だ。だから思い上がる事なく二人は呪霊に相対し。けれども単純な話、二人では速度が足りなかった。
真希より直哉の方が速く、だがそれよりも呪霊の方が素早いのだ。ここに直毘人や甚爾がいれば話は違っただろうが、残念ながらここにいるのは彼らよりも遅い二人だけ。直哉と真希では致命傷を避ける事で精一杯で、呪霊に有効打を与える事すらできていない。そうして打開策を見つける暇もないまま、二人は怪我を負い続けた。
「おい、直哉」
「……なんやねん」
「お前の術式、一秒を二四分割して作るってやつだよな」
「それ、今更聞いてどうすんの」
怪我の数は真希よりも少ないと言えど、肉体の耐久性が彼女よりも低い直哉は満身創痍だ。対して、怪我が多いものの然程消耗していないらしい真希は何か思いついた様で、渋顔で直哉を見つめた。
「オマエの術式、私に使え。私ならそもそもオマエより身体能力があるんだし、速く動ける様になんだろ」
「アホ言うなや。二四分割の動きに慣れとらんかったら出来んわ、んなモン」
「ここまで散々オマエの動きを見てたんだ。やってやるよ」
真希の言葉に顰め面になった直哉だが、現状を打開出来るであろう方法がそれくらいしかない事は理解していた。素の速さで真希に劣る直哉が真希より速く動けるのは、術式のお陰だ。だから単純に考えて、通常の直哉より速い真希が投射呪法に適応できれば、目の前の呪霊の速さを越えられるだろう。
でも、真希に術式を使うのは直哉にとっては逃げでしかない。甚爾や五条の強さに憧れているのに、単体であの呪霊を祓除出来ずに真希を使うだなんて。出来れば長物も使いたくない直哉からしてみれば、プライドが傷付けられる。
が、このままではジリ貧なのは目に見えているし、四の五の言っている場合ではないのは確かだ。
「……まずは一秒や。そっから二秒、三秒て慣れろ」
「んで、慣れたら加速か」
「まあしくっても真希ちゃんが死ぬだけやし。しくってええで」
「ハッ誰がしくじるかよ」
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