お兄ちゃん



「い、虎杖悠仁、です……?」
「脹相だ」

 渋谷事変の後始末や上層部の掃討に呪術界が未だに忙しい最中、高専の京都校に呼び出された虎杖悠仁は緊張しながら目の前の男を見つめた。曰く、目の前の男は特級呪物である呪胎九相図の受肉体。……そして、どうやら己の兄であるらしい。
 いや、全くもって意味が分からなかった。自分の家族は亡くなった祖父と、薄っすらと記憶のある父親くらいなもので、兄弟など存在しない筈である。だと言うのにもかかわらず、目の前の男は己を弟と言って憚らないらしいし、何故か担任の五条悟や伏黒甚爾までもがその発言に太鼓判を押しているときた。
 聞いたところによると、呪胎九相図と言う呪物が成立したのは明治の初め。加茂憲倫という名の術師が非道を行なって製造したとの事だが、その九相図と自分の間に何の関係があるのか。自分は別に加茂の血の流れを汲んでいる訳ではないので、兄弟でもなんでもない筈だろう。
 先生達も詳細を教えてくれなかったので、虎杖は本当に何も理解しないままこの場に座っていた。ただ一つ虎杖が知っていることがあるとすれば、この対面は脹相が強く望んだものだという事だけだ。

「悠仁。俺の事はお兄ちゃん、と呼んでくれ」
「急にブッ込むね?! 流石にちょっとぐらい説明して欲しいんだけど」
「……とりあえず一回呼んでみてくれないか?」

 先ずは事実確認だ、と虎杖は脹相に話しかけたものの全く話が通じる気がしない。我が道を突き進んでいるらしい脹相とのコミュニケーションを一度諦めた虎杖は、彼の隣に座っている加茂憲紀に顔を向ける。そして脹相を一旦止めてくれないかな、と虎杖は声を掛けたのだが、何故か憲紀は沈痛な面持ちで口を開いた。

「君は彼の弟だそうだ」
「いやそうじゃなくて!」
「弟だ、としか教えてくれなかったんだ……」
「ああ……そういう……」

 加茂憲倫の作り上げた特級呪物。その受肉体が人間に協力的であり、尚且つ、加茂憲倫……本来の名を羂索という男の捕縛に一役買った事。更には五条悟と伏黒甚爾が彼の存在を保証した事により、脹相は処刑される事なく今日まで生きている。ただそれでも彼が受肉体である限り危険視はされる訳で。
 そこで、脹相の監視役として白羽の矢が立ったのが加茂憲紀であった。九相図はそもそも加茂の人間の肉体が作り出したものであるし、彼なら受肉体相手であろうとも平時と変わらず接する事が出来るだろう、と。加えて術式が同じである事も加味され、憲紀は御三家の話し合いの場に引っ張り出されるだけじゃなく、特級呪物の受肉体の監視までする羽目になった。
 まさかの事態である。流石の憲紀も文句を言いたくなったものの、脹相の凄まじい練度の赤血操術を間近で見るチャンスだ、と思い直して脹相の面倒を見ることにした。
 それから、最初の方はまだマシだったのだ。憲紀の"のりとし"という名を脹相は嫌っていたし、そもそも加茂家自体にもいい感情を抱いていなかった。そのせいか脹相は憲紀にあまり関わろうとせず、監視されやすい様に憲紀の側で何もせずに佇むのみ。まあ、呪物の状態の弟達が手元に来てからは、彼らに毎日話しかけていたが。
 ──しかし脹相は時が経つにつれ、憲紀が"のりとし"にあるまじき天然な人間だと気付いてしまった。それに、京都校の人間が忙しい憲紀の様子を伺いにきた際、真依に弄られたり同級生に労わられたりと、極めて良好な関係性を結んでいる光景も目にしたのだ。
 ここにきて脹相は漸く認識を改めた。この"のりとし"は"憲倫"ではなく、"憲紀"である。ややこしい名前で苛立ちが募るが、"憲倫"に罪はあれど"憲紀"に罪はない、と。その事実に気付いた脹相は、即座に憲紀への態度を和らげた。"憲紀"と"憲倫"の差を広げる為に、憲紀の為人を知ろうと周囲に聞いて回ったし、本人の話もよく聞く様になった。
 そうした結果、憲紀はいい奴だと認定した脹相は、今度は俺の話を聞けと言わんばかりに、彼に弟の話ばかりし始めたのだ。壊相や血塗だけではなくその下の弟達の事まで、延々と。その中に虎杖の名前も何故かあり、憲紀は当然突っ込んだのだが、弟の話をしたい脹相はそれを無視した。
 なので、憲紀は虎杖のが弟である理由を知らないのである。因みに何度聞いてもスルーされた。

「えーっと、脹相。俺、兄弟いないよ?」
「いや、悠仁は俺の弟だ。実に業腹だが、俺たち兄弟を作った張本人も証言している」
「本人って、あの……夏油先生のクローンの頭の中に入ってた人だよね?」
「ああ。悠仁の母親を乗っ取っていたらしい」
「えっ……」

 まさかの母親という言葉を聞いて、悠仁の目は点になった。横で聞いていた憲紀も予想外すぎて目をかっ開いている。薄らと記憶に残る父親の額に縫い目はなかったしなぁ、なんて呑気に考えていたら、まさかの母親だ。てっきり偽の夏油の身体が男のものだったから、前に入っていたのも男の身体だと思っていたのに。

「俺はあの男が入っていた人間を父としているし、悠仁はあの男が入っていた女を母としているだろう。だから、俺たちは兄弟なんだ」
「な、なる……ほど……?」

 男が母親だった……? と虎杖は未だ混乱の中にいたものの、とりあえず脹相と自分は多少血が繋がっている事だけは理解できた。目の前で兄を名乗る男は、本当に、正真正銘兄である。……と、言われても、素直にハイそうですかとは言い辛い。
 何せ祖父が死んで天涯孤独になってしまってから、一年と経っていなかった。なんなら虎杖には今だって祖父の死を引き摺っている自覚がある。なのに家族が増えた。しかも受肉していない兄弟を含めたら9人も。
 どういう反応をしたらいいだろうか、と虎杖は眉間に皺を寄せる。脹相は"弟"に会えて喜んでくれているが、自分には弟である自覚がそこまでないし、まだ事実を受け止めきれていない。ただ、人間とも呪霊とも言えない不安定な存在である彼が得た喜びに、水を差す様な発言もし難かった。

「悠仁」
「お、おう」
「兄がいる、と突然言われても困惑するだろう。だが、焦らなくていい。これから時間をかけて、互いの事を知っていけばいいんだ」

 そもそも脹相にとって虎杖は9人いる弟達の中の1人。他の弟達は呪物の状態であれど、既に脹相と共にいる。だから彼がそこまで虎杖に執着する理由はない、が。……虎杖が天涯孤独である事が、脹相の兄心を刺激していた。保護責任者の伏黒甚爾はいるものの、虎杖の本当の家族は死んでいる。支え合える身内がいないのだ。
 だからこそ、脹相は虎杖と早く会いたかった。出来るだけ早く対面し、彼と打ち解けあって本当の家族に、心も繋がった兄弟になろうとしたのである。

「だからまず手始めに俺の事はお兄ちゃん、と呼んでくれ」
「結局はそこに行き着くのね??」

 まあ、何より弟にお兄ちゃんと呼んで貰いたかった訳だが。



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