亡者の餞

 禪院甚爾、と。久しく聞くことのなかった響きで名を呼ばれたかと思えば、突如として視界が暗転する。そして一瞬の後に、俺はビルの屋上に突っ立っていた。
 なんらかの術式の効果だろう。長距離転移だかなんだか知らねえが、俺が気付くことができなかったっつー時点で相当な手練れである事は確か。未知の脅威相手に腰を落として襲撃に備えた所で、目の前にいる人間に気付いた。こちらを警戒した様な目で見ている猪野だ。突然の事とはいえ、知ってる気配にここまで気付かねえとか馬鹿か。いくらなんでも平和ボケしすぎじゃねえかよ、俺。
 だが妙だな。なんで術式を発動した状態で、猪野が険しい表情で俺を見ている? それに、俺が何故か左手で掴んでいるのはカイチの……?

「どうじゃ? 孫」
「……あ゙?」

 首を傾げていると後方から声が掛けられて、漸く後ろにも人間がいることを感知できた。成る程、これは流石におかしい。戦闘体勢に入った俺が、一度ならず二度も術師の気配に気付かないなんぞありえねえ。それにどうも俺自身がどうもおかしい。なんつーか、ピントが合ってねえっつーか。徐々に感覚が研ぎ澄まされてきてはいるものの、どこか体が鈍っている。転移する術式を食らった時に認識阻害の術もついでに食らったか、それとも別の要因で俺が鈍らされてるか。
 内心嫌な予感がしつつも背後を振り返れば、どこかで見た事のある気がするババアがいた。数珠を持って両手を合わせ、よく分かんねえ法被を着てるババアだ。……確か呪詛師だった気がする。
 いや。いや、待て。なんでどっかで見たことあるババアがここにいるんだ? しかもこいつ今俺に孫って呼びかけやがったよな。

「…………はァ?」
「孫……?」

 やっぱり俺のことを孫って呼んできやがる。呼びかけに答えねえ俺に対して、猪野も困惑してるしババアも困惑してる雰囲気を出してるが、一番困惑してんのは俺だ。意味わからねえ。このババアは確か降霊術が使えるババアだ。随分前に灰原か七海あたりがぶっ飛ばしてた筈。そん時の長所に色々書いてあって、悪趣味なことに降霊させる人間を孫って呼んでた、ような……。

「あーーーー……。成る程。マジか」
「どういうことだ……」
「とりあえずババアは寝とけ」

 俺が伏黒甚爾……いや、禪院甚爾の意識を保っている事に気付いたのか、警戒体勢になったババアをひとまず昏倒させる。で、無駄かもしれねえが、敵対しねえってアピールの為に猪野に対して両手を上に掲げた。ひらひらと手を振りながら降参の意を伝える。まあ敵対の意思はねえって伝われば御の字だ。俺のこの見た目じゃ素直に信じてくれねえとは思うけどよ。
 ……さて、これは困った事になった。ビルの屋上、降霊術のババア、猪野琢磨、そして孫。いま分かっている情報だけから読み取るに、恐らくここは渋谷だ。しかも二〇一八年の一〇月三一日の。
 何せ、俺の記憶の中で伏黒甚爾が再登場した場面と、現状が非常に酷似している。つまり俺は記憶の中で再登場した伏黒甚爾の代わりに、降霊術のババアに降ろされた、って考えるのが妥当だろう。はーまじか。ほぼ詰んでねえかコレ。呪具ねえじゃん。

「どーすっかな」
「…………四番、」
「敵対しねえっつーの。今ババアぶん殴ったの見たろ」

 攻撃を仕掛けようとしてきた猪野の覆面をかっぱらい、一応抵抗されねえ様に地面に引き倒して背中の上に腰を下ろす。どうにか逃げようとジタバタしてるが、んな弱え力で俺が退くわけねえだろ。びくともしねえわ。
 とりあえず猪野も動けなくさせれたし、こっからの事を考えねえと。先ずはどういう動きをすりゃ最適なのか。記憶の中の渋谷は人が死にまくって、えげつねえ被害が非術師と術師側に出ていた筈。その被害を全部無くすのは無理として、最小限に留めるには……。
 やーっぱ、五条悟か。五条悟がいりゃ大抵どうにでもなる。だがネックなのは相手が五条悟だって事だ。なんせこの世界線の五条悟は俺殺して、俺殺した方の五条悟な訳だし。あいつを解放して早々、殺されて終いじゃねえか。……いや、別にそれでもいいな。呪具を持ってねえ俺が走り回ってもあんま意味ねえだろうし。

「一応聞いとくけど、今何年の何月何日だ?」
「に、二〇一八年の一〇月三一日……。つーか、あんた一体……」
「マ、ただの亡霊だ。下見りゃ大体誰か分かんだろうよ」

 一人で色々納得できた俺とは違い、状況が理解出来てねえ猪野は困惑したまま俺の下敷きになっている。んで、このまま猪野がここにいても邪魔だし、俺も動き出さねえと色々と間に合わねえ可能性もあるから、っつー訳で。
 猪野の上から退いてやり、そのまま肩に担いでビルの縁に立つ。そこから下を覗き込めば、恵と虎杖がよー分からんオッサンをぶちのめしている様子がよく見えた。よし、タイミング的にもちょうど良さそうだな。

「うまいことキャッチして貰えよ」
「な、キャッチって……うわあああああぁぁぁぁああああっ!?」

 ポイ、と恵達の方へと放り投げれば、面白えぐらいに悲鳴を上げながら猪野は落ちていった。あんだけ叫んでたらちゃんとキャッチして貰えんだろ。虎杖もいるんだし。
 そう思って猪野の行く末を見届ける事なく身を翻し、気絶させたババアに向き直った。このババアを殺してもいいんだが、その場合術式が暴走してやべえ事になるんだっけか。この状況で俺まで術士相手に暴れ回ったら最悪でしかない。っつー訳で、このババアは気絶させたまんま生かしておきてえ。
 ……とりあえず乙骨リスペクトで、四肢でも折ってロッカーに詰めとくか。


■■■


「……ぁぁぁああああぁぁぁあっ!?」
「セーーーフッ! ギリギリセーフ! キャッチできたっ!」
「大丈夫っすか猪野先輩!」

 男に空中に放り投げられ、強制的に紐なしバンジーを体験させられた猪野は、自分をキャッチしてくれた虎杖の腕の中で放心していた。あからさまに自分より強い相手が突如として現れ、だけども敵対心は感じられず。かと思ってみれば、ビルの屋上から放り投げられた。意味不明すぎである。
 色々と急展開なせいで、猪野は状況に全くついていけていなかった。とりあえずバカほど強い、敵対してるのかしてないのかよくわからない男がいる、と報告しておかないと。そう思って何処かに飛んでいっていた思考をどうにか戻し、自分を心配そうに見つめる伏黒恵の顔を見た猪野は、思いっきり叫び声を上げた。

「あーーーッ! 伏黒だ!? 伏黒だーッ!」
「はい、俺は伏黒ですけど……?」

 あの男、伏黒恵に顔がそっくりだった……!



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