明珠在掌

 上手いな、と伏黒恵は加茂憲紀を見ながらそんな事を思った。恵の術式……十種影法術の出を確実に潰す為に、執拗に棍で狙われる己の手もと。更には恵の選択肢を狭める為に常に距離を詰めてくるのだから、尚タチが悪い。
 影から取り出した呪具で応戦しつつも、的確に己の動きを封じてくる加茂に対して恵は頭を捻る。共に御三家の相伝の術式を継いでおり、手の内が多少バレていると言えど、あまりにも恵の動きを正確に理解しすぎだ。無自覚の癖まで把握されている。何かがおかしい。
 長めの棍の先に自身の血液を付着させ、赤血操術と棒術とを組み合わせて自分を追い詰める加茂の動きを恵は注視する。……そして、加茂がここまで己に有利に事を運べている理由に気が付いて、彼は思わず渋顔になった。なんて事をしてくれてるんだ、といった気分である。
「……夏油さんすか?」
「ああ、バレてしまったか。そうだよ。夏油先生に君への対策を仕込んでもらったんだ」
 恵と同じく甚爾に体術を師事していたし、式神使いとしての立ち回りを恵に教え込んだ張本人たる夏油ならば、彼の動きなど手に取るように分かる。道理でやり辛いはずだ。
 自分の普段の動きを思い出し、敢えて動作をズラして加茂が対処できない様にと恵は動いてみるが、どうやらそれも夏油によって織り込み済みらしい。恵の思考を読んだ上で、加茂は隙を的確に突いていく。
 本当にやり辛い、と恵は顔を顰めた。相手は己の動きを知っているのに、自分は相手の動きを知らないし、思うように動けない。焦りや苛立ちは良くないと分かってはいても、そう上手く気持ちを制御できないのが人間というものだ。どんどんフラストレーションが溜まっていき、恵の動きに粗が目立ち始めた。
「先生は君をとても評価していらっしゃったよ。私に君への対策を教え込んでも、負けはしないだろう、と」
 赤血操術と棒術を駆使して加茂は恵を追い込んでいく。飛び道具に血液を付着させて、追尾機能を付与する方法ももちろん強力ではあるが、棒術に術式を組み合わせるのも厄介だ。たとえ体の動きを見切られようとも、棍の動きを赤血操術で操ってしまえば見切られることはない。至近距離で、あり得ない動きを起こして翻弄することもできた。
 それに、敢えて加茂が地面に飛び散らせている血も恵の動きを阻害する。誤って血を踏めば、その血を操って地面に足を縫い付けるのだ。
「でも勝てもしないだろう、って事ですか」
「それはどうだろうか。……けれど、私も君と同じ一級術師だから、負けてやるつもりは無い」
「こっちもそのつもりです」
 と、啖呵を切ってみても恵が不利であるのに変わりはない。どう打って出るべきだろうかと恵は思考を巡らせ、手に持った曲刀を構える。
 先ずは、夏油が知らない戦い方をすべきだろう。恵は以前、両面宿儺とやり合った時のことを思い出した。あの時の両面宿儺は、恵に対して“術式の使い方が下手糞”と言ってきた。
 あの時は言いたい放題言いやがるな、とムカついていた恵であるが、本当にあの呪霊の言う通りであったならばどうだろうか。十種影法術にはまだ出来ることがあるのでは。彼は加茂の猛攻を防ぎながら、頭を回転させ続ける。
 兎も角思いついた事を全て確かめてやろう。そう考えた恵は足元の影を加茂に伸ばした。今までの様に一部分を伸ばすのではなく、広範囲を薄く覆う様に。
 けれども影の展開のスピードが遅いせいか、加茂は余裕を持って身を翻した。そしてそのまま棍で恵の手元を突く。
 だがそれは、恵が自身の影に体を沈ませた事によって空振りに終わった。そういうことも出来るのかと目を剥いた加茂だが、冷静に棍の先を赤血操術で操り、再度恵へと攻撃を加えようとして──。
 恵の影から飛び出してきた呪具に棍を弾き飛ばされた。今現在加茂の手元には武器がない。それはつまり、恵の動きを阻害できないと言う訳で。
 しくじったと加茂が顔を歪めたその隙に、恵は影絵を作り上げる。呪力が畝り、影がカタチをとった。
「“満象”、“鵺”」
 呼び出された満象の長い鼻から大量の水が吹き出し、加茂の体を押し流す。その威力は膨大で、壁を破壊し、遂には外壁までも突き破った。屋外へと水が流れ出していく。
 加茂は赤鱗躍動を使って身体能力を底上げし、水から逃れようとしたものの、圧倒的な物量差によって濁流に飲み込まれるしかなく。水と共に屋外へと放り出されてしまった。そこに、鵺が接近する。
 ただ鵺は対策済みだったのか、攻撃が当たるより先に赤血操術で作り上げた檻に鵺を閉じ込め、加茂は危なげなく着地した。それに少し遅れて、加茂を追って屋内から飛び出した恵も地面に降り立つ。
「これで仕切り直しですね」
「確かに呪具は無くなってしまったが……。だが、依然私が君の手の内を知っている事に変わりはない」
 そう、加茂の言う通り恵の不利は変わっていない。手元を執拗に攻撃してきた棍が無くなっただけで、恵の攻撃が殆ど見切られている事には変わりないのだ。
 先程の満象の攻撃がうまく当たったのは、屋内という狭い空間だったのに加えて、加茂が棍を弾かれて隙を見せたから。通常ならば当たっていないだろう。……だが、棒術が無いだけで随分とマシだ。
 そう思った恵は笑みを浮かべながら指を組んで、式神を呼び出そうとした。
 その次の瞬間だ。轟音と共に樹木が屋上を呑み込まんと津波の様に姿を現した。
 突如として現れた樹木の大群に、恵と加茂は目を見開く。規模の大きさに対して殆ど呪力の感じられないそれに、二人の脳内に空白が生まれる。一体なんなのだこれは、と。
 しかし、そうしている間にも木々は二人の方へと迫ってくる。即座に交戦を止めた恵は、迎撃体勢に入って影絵を作り出そうとした。範囲攻撃が可能な式神は──。
「真依ッ!」
 けれど、恵はその手を止める羽目になった。血相を変えて真依の名を呼んだ加茂が、脅威のスピードで樹木の津波へと向かっていったからである。加茂の様子に嫌なモノを感じて恵は、加茂を追いながらも彼の視線の先、建物の屋上に目をやった。
 ……木々が押し寄せているすぐ近くで、禪院真依が狙撃銃を座って構えている。微動だにしない様子を見るに、どうやら何かの襲撃には気付いていないらしい。加茂の大声にすら反応していない事から、相当集中してスコープを覗き込んでいるのだろう。
 呼びかけるよりも、式神で助け出した方が早いと判断した恵が影絵を作り出した。その恵の視界の端で、加茂が血液パックを取り出して血液を手裏剣状に変形させる。
『逃げろ』
「“鎌鼬”!」
「“苅祓”!」
 どうやら彼女の近くに狗巻もいらたしい。彼が咄嗟に放った呪言によって、真依の体が強制的に退避行動をとる。突然の事に慌てた様子の真依に樹木が迫るが、狗巻が真依を抱え上げ、その間に恵の式神と加茂の攻撃が木々を蹴散らした。
「すじこ!!」
「ッ、“鵺”!」
 何かを伝える様に恵を見ながら叫ぶ狗巻に、それを察した恵は鵺を呼び出した。恵の行動を見た狗巻は、我が意を得たりと言わんばかりに大きく頷いた後、真依を抱えたまま屋上から飛び降りる。
 その背後、ギリギリの所を正体不明の樹木が全てを薙ぎ払っていった。間一髪である。
 そして狗巻が飛び降りてから地面に激突する前に彼の足元に辿り着いた鵺は、二人を背に乗せ、恵と加茂の元へと彼らを送り届けた。
「こんぶ」
「怪我はないよな?」
「無事か?!」
「だ、大丈夫よ、ありがとう……」
 男三人に救出され、怪我はないかと詰め寄られた真依は、不甲斐なさと多少の恥ずかしさで顔を赤くしながら距離を取る。
「真依、君の集中力は尊敬に値するが……」
「今はそれどころじゃないでしょ、憲紀」
 次から次へと姿を表す樹木の、その中心部。本来ならば眼球が存在するであろう部位から枝を生やし、白い体の至る所に黒い紋様を走らせた大柄な人型の呪霊がいた。
 以前、五条が恵達に報告していた特級呪霊である。彼が言っていた通り、特級呪霊であるのに気配が薄い。あの五条相手に逃げ出せたのだから、相当手練れなのだろうな、と恵は顔を険しくした。
「以前、五条先生を襲った特級呪霊だと思います。風姿も報告と近い」
「……で、どうするの?私は距離を取らないと足手纏いにしかならないわよ」
「ツナマヨ」
「そうですね、五条先生に連絡しましょう」
 狗巻のジェスチャーに頷いた恵は、呪霊から目を離さぬ様にしながらもスマホを取り出した。隣で狗巻の言葉を理解できる事に驚いている加茂については、真依が代わりに頭を叩いていたのでスルーである。
 そのまま恵は電話を掛けようと画面を見て、けれども顔を顰めて舌打ちした。スマホの画面には圏外の文字が表示されていたのだ。どうやら帳によって電波が遮断されているらしい。
 彼の様子に連絡手段が断たれた事を察した狗巻と加茂は、近距離での攻撃手段を持たない真依を背中に庇いつつも、即座に呪霊と睨み合う。五条をこちらから呼ぶのは不可能。ならばこのまま後退しつつ、どうにかして五条と合流せねばならない。
「いけますか」
「ああ」
「しゃけ」
 付け焼き刃ではあるが、連携をとって呪霊から距離を取ろうとしている男連中の後ろで、真依は警戒しつつも一人考え込む。帳が降りて、あからさまな緊急事態であると分かっているにも関わらず、あの五条悟がこの場に現れていない事に違和感を覚えたのだ。
 ちゃらんぽらんで最悪な性格をしている五条だが、割と情がある。生徒や仲のいい人間達が傷付けられれば、怒る程度には人間らしい。だから、五条が慌てて帳に侵入していない事に、真依はどうしても引っかかった。
 真希や狗巻、恵、東堂、加茂と言った一級術師が揃っているから安心しているのかもしれないが、もしかして。五条は、何か理由があってこちらに来れないのだとすれば。



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