喫粥了

 呪術師になりたくない、と言っていた真依が鍛錬に熱を入れ始めた二年ほど前の事だ。それまでの間も、術師の家系の人間として最低限の護身術や、呪力の扱いを親父や夏油さん達に習っていたが、今とは明らかにやる気が違った。
 それから事あるごとに、真希は真依に対して何かあったのかだの尋ねていたが、真依は一向に答えるつもりは無いらしく。真依がやる気を出した理由がわからないまま今に至っていた。

「私、高専の京都校に通う事にしたから」

 珍しく家族だけが食卓を囲み、夕飯を食べていたその時だ。しれっとした顔で真依がそう言ったものだから、俺と真希はびっくりして箸を止めた。
 津美紀や美々子と菜々子、あと親父は普通に飯を食い続けているから、結構前から知っていたんだろう。……俺と真希だけ除け者にされてたって事か。なんでなんだ。

「はァ?何でわざわざ京都に戻んだよ」

 突然の真依の発言に動揺してか、いつもよりぶっきらぼうな口調で真希は真依に詰め寄る。しかしまあ、真希の気持ちは分からないでもない。
 折角禪院の本家がある京都から離れて東京で暮らしているって言うのに、真依はどうして京都に戻る様な選択をするんだろうか。実際に目の当たりにした訳では無いが、本家では相当悪い扱いだったそうだし。
 そんな思い出がある場所に戻る理由が知りたい、ってのは至極真っ当な考えだろう。なんなら俺だって知りたい。

「私にも考えがあるの」
「だからその考えを言えって私は言ってんだ」
「お姉ちゃんには言わないわ」
「……どういう意味だよ、それ」

 鋭い目付きで真希に睨まれようともお構いなしらしく、真依はご飯を食べ進める。多少の気不味さから、親父にどうにかしろと目配せをしてみるが、親父は肩を竦めるだけ。
 ……予め真依から京都に戻ると聞いた時に、一緒に理由を聞いたんだろうな。親父が何も言わないって事は悪い理由じゃないのは確かだし、そこは心配しなくていいか。

「そのままの意味よ。私が私なりに決めた事なの」
「私は東京校に通うんだぞ」
「分かってる。京都校には夏油さんがいるし大丈夫よ」

 真依の言葉に、思わず数年前の夏油さんと五条さんとの大喧嘩を思い出す。一緒に教員免許を取った夏油さんと五条さんは、当然の如く揃って高専の東京校に所属しようとした。
 だけど、呪術界の上層部はそれを許さなかったらしい。学生の頃ならまだしも、成人済みの特級術師が東京校に二人も所属するのはバランスが悪い、と。更に言えば、上層部としては五条の本家が京都にあるから、五条さんに京都校へ所属して貰いたかったんだとか。
 しかし当然の如く五条さんはこれを拒否。次いで、上層部は夏油さんにも京都校への所属を打診したそうだが、予想通り夏油さんも嫌がった。夏油さんが目を掛けてる美々子と菜々子もいるし、一応の弟子である俺も東京にいるのだし、当たり前と言えば当たり前だ。
 ……と、二人が断固拒否の姿勢になったけれど、だからと言って上層部が諦める筈もなく。色々な所に圧力がかかりまくり、最終的には夜蛾さんから直々に二人のうちのどちらかが京都校に所属しろ、と辞令が下ったらしい。親父が笑いながら言っていた。
 そこで勃発したのが、京都に行きたくない五条さんvs京都に行きたくない夏油さんの大喧嘩だ。術式も物理攻撃もなんでもあり。特級術師同士の対決に、高専の裏山はいくつか吹き飛んだだとか、馬鹿でかい谷ができただとか。
 そして、夜通し行われていた大喧嘩は、結局五条さんの勝利で終わりを迎えた。決め手は領域展開だったらしい。その後、五条さんの手によって瞬間移動で京都に飛ばされた夏油さんは、渋々ながらも京都校に所属している。……割と休みの度にこっちに帰ってきてるから、京都にいる人ってイメージがあまり無いが。
 兎も角。真依の言う通り、俺たちによくしてくれている夏油さんがいるのだから、滅多な事だけはないのは分かる。……特級術師という肩書きが禪院の家にどこまで通用するかは知らないが、大抵の事は跳ね除けてくれそうだし。
 でも、万が一ということもある。……真依は、それを分かった上で京都に行くと言ってるのだ。

「傑だって忙しいだろ」
「そんな事言ったら甚爾さんも忙しいわよ」
「何かあってもすぐに行ってやれねえぞ」
「……別に、自分のことぐらい自分で守れるわ」
「そーかよ」

 何を言っても真依が意見を変えることは無いと察したのか、真希は大きく溜息を吐いてお茶を煽った。

「真依がやりてぇならやればいい。元々京都からコッチに来たのだって、私の我が儘だったんだ。私が真依にどうこう言う資格はねぇよ」
「真希……」
「泣いても知らねーからな」
「泣くわけないじゃない」

 ヒリヒリとしていた空気が漸く弛緩する。何事も無かったかのように双子がご飯に箸を伸ばしているのを確認して、俺はひっそりと溜息を吐いた。この家の中で口喧嘩で勝てた試しがないから、ああいう雰囲気はちょっと困るのだ。
 そのまま何事も無く夕飯を食べ終え、食器を洗いながらチラチラと真依の方を盗み見た。真希には言わないということは、多分俺には教えてくれる……筈だ。親父達が知ってて俺が知らないというのも疎外感があるし、京都に戻る理由に禪院が関係しているのなら俺も無関係ではないだろう。……本当は無関係になりたいところだが。

「なあ、真依」
「……そんなに気になるものなの?私、ただ京都校に通うだけなのに」
「真依が真希から離れるなんてよっぽどだろ」

 うちに居候し始めてすぐの頃は、ずっと真希の後ろについて回っていたぐらいだ。俺が呼び出した玉犬も怖がるし、タッパがあって分厚い親父の事も怖がっていたし。この家の中で一番臆病だった真依が、姉から離れるだなんて青天の霹靂もいいところだ。

「真希に言わないって約束してくれる?」
「安心しろ、言わない」
「じゃあ教えてあげるわ」

 こっちこっち、と俺を呼ぶ真依についていき、誰もいないリビングへと辿り着く。そして二人並んでソファに腰掛けた。

「……前に言われたのよ。真希は男勝りで男を立てられない。その点、私はいい女だって」
「…………。誰がそんな事言ったんだ。親父は知ってるのか?」
「大丈夫よ。すぐに甚爾さんに告げ口して殴ってもらったわ」

 そういう時代錯誤な事を言う奴がまだいるのかと言う驚き半分、親父に即座に告げ口をしたらしい真依の、珍しい図太さへの驚き半分。俺が全然気付いていなかっただけで、真依は臆病じゃなくなっていたのだろうか。
 そう考えてみるが、でもホラー映画に怖がっていたしな……と思い直す。この前の洋画劇場で、真依は一人だけ涙目でぷるぷるしていたのだ。臆病なのは変わっていない、と思う。

「その時に思ったの。私の弱さは武器になるって」
「……?」

 真依の言葉の意図が読み取れず、首を傾げた。俺の様子にカラカラと笑った真依は、そのまま言葉を続ける。

「みんな強くなった真希と、十種影法術を継いでる恵にしか興味がないでしょう?中途半端な呪力しか持たない私なんて、ハナから眼中にないのよ。だからこそ、私なら真希にできない事ができる」

 曰く、敢えて注目されていない己が京都に戻り、禪院家の様子を探る、と。いつの日か真希が当主になった時、真希の味方についてくれるかもしれない人間、逆に敵対するであろう人間。それらを自分の目で確かめて、真希の役に立ちたいのだそうだ。
 実家での暴言で、己が心底舐められている事を自覚したからこそ、思い付いたんだろう。
 イキイキと話に熱が篭り始めた真依に、これは仕方がないなと納得した。こんな真依の様子を見れば、親父だって引き止める事はできないな、と。
 以前よりやる気が出ているとはいえ、痛い事があまり好きでない真依が、ここまで素直に何かをやりたがっているのを見るのは初めてだった。

「それに、京都校には加茂家の次期当主が通ってるでしょう。五条家は五条さんに良くしてもらってるからいいとして、残りの御三家の加茂家の人間がどんな人か見極めないと。真希の障害になったら嫌だもの」

 何より先に、筋金入りのシスコンだな、という感想が浮かぶ。なんせ自分の進路を選んだ理由が全部双子の姉のため。……これがシスコンでなければなんというのだ。
 それと同時に、だから真依は真希に伝えなかったんだな、とも思った。姉の事が大好きだっていうのはバレバレなのに、真依はそれを隠したがる。所謂ツンデレって奴なんだろう。

「何かあればすぐに親父とかに言えよ」
「あら、恵は助けてくれないの?」
「俺が手を出したらややこしくなるだろ……」

 禪院の問題に首を突っ込めば、ここぞとばかりに引き摺り込まれる事は目に見えている。そうすれば、割りを食うのは当主になろうとしている真希だ。
 真依もその事に思い至ったらしく、それもそうね、なんて呟いていた。あとは単純に、親父の方が強いのだからそっちを頼った方が確実だろ。


 ※※※


「寂しくなっちゃうね」

 いつもの通り。津美紀が買い物に出かけると言うので、俺も買いたいものがあったし、と一緒に街へ出かけた帰り道。脈絡もなくそんな言葉を溢した津美紀に目を見開く。

「真依ちゃんも真希ちゃんもいなくなるし。来年度は恵も寮生活だし、ミミちゃんとナナちゃんは夏油さんがいる京都に行っちゃうし。普通の高校に行くのは私だけでしょ?」

 ぷう、と頬を膨らませた津美紀に何と言えば良いのか分からなくなり、思わず口籠もる。常日頃から、呪霊が見えない津美紀は疎外感を感じているだろう事は理解していたし、出来るだけそれを感じさせる事のない様、気を回していたが……。
 学校に関してはどうしようもない。高専は全寮制だから、来年からは俺も滅多に帰って来れなくなる。毎週土日に頑張って帰るとしても、平日の五日間は津美紀はひとりぼっちだ。最近さらに出張が増えた親父も家にあまり帰れないし。

「って言うのは嘘!」
「は?」

 急に笑顔になった津美紀に対して、俺がポカンと口を開けているのにもお構いなしに彼女は話し続ける。

「あのね、うちの中で私だけ術師じゃない……というか、戦えないでしょう?なのに家で一人になる時間が多いのは危ないから、って夜蛾さんが仰ってくれたみたいで」
「……じゃ、じゃあ」
「恵が高専に通うのと同時に、私も高専の寮に入れてくれるって。だからまだまだ一緒に暮らせるよ」

 パパとか五条さんが色々手を回してくれたんだって。嬉しそうに微笑んでそう言った津美紀に、ほっと息を吐いた。……津美紀が一人きりになる事を、気にしていなかった訳ではない。
 ただ、俺は置いていく側だから、その俺が津美紀を心配するのは烏滸がましいんじゃないか、だとか思っていたのだ。現に、寂しいと言った津美紀に何と言えば分からずに口籠もってしまったし。

「……あ、だから志望校変えたのか」
「うん。寮に入れるなら、高専に近い学校の方がいいもの。それに元々行こうとしてた学校って、すごく行きたいかった訳じゃなかったし」

 今年の春頃、急に志望校を変えた津美紀を不思議に思っていたのだ。偏差値なども以前志望していた学校とあまり変わりがないらしいし、変えた意味は何なのだろう、と。しかし、そういう理由なら納得だ。確かに津美紀の今の志望校は高専から割と近い。

「寮に持っていく小物とか、一緒に買おうね」
「そうか、色々と必要な物もあるな……」

 確か、五条さんがカーテンを持っていけ、とか言っていた気がする。

「木造の建物がいっぱいあるんでしょう?ふふふ、楽しみだなぁ」
「その前に津美紀は受験を頑張らないと」
「あ、酷い。急に現実見せないでよ」

 ペシリと肩を叩かれた。確かに今のは失言だ。
 生粋の文系らしい津美紀は、いつも数学に悲鳴をあげている。たまに家入さんが勉強を見てくれているらしいが、あんまり成果はないのかどうなのか。
 ……親父曰く、家入さんは感覚派だから、人に教えるのに向いていないそうだし、多分あんまり成果はないんだろうな。

「恵も呪術師になるからって、勉強を疎かにしちゃダメだからね。特に英語」
「ぐぅっ」
「強くなったら、パパとか五条さん達みたいに海外の出張もあるかもしれないんだから」
「……俺は日本から出ない」

 出ないったら出ないんだ。
 津美紀があきれた様な顔をしてるが、これは譲らないぞ。



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