家和万事成
俺の家族は、他人が見れば驚くほどに皆仲がいい。けれど、美々子と奈々子の双子は二人で一緒にいることが多いし、居候の真希と真依の双子も大体一緒にいる。双子なのだから当たり前のことだろう。
たまに片割れが怪我した所を、怪我をしていない方の片割れが顰め面で擦っているのを見かけるし。双子というのは結構不思議な生き物だ。
……だから、必然的に。津美紀と俺は一緒に過ごす時間が他の家族よりも長かった。そもそも津美紀との付き合いは一番長いのだし、性差という壁も気になる事もなく。俺が鍛錬をしている時以外は、大抵津美紀と共にいる。
「……津美紀、買い物か?」
「あ、おかえりなさい、恵。昨日五条さん達が来たでしょ?その時に冷蔵庫の中身が殆ど無くなっちゃったみたいで……。黒井さんとパパは今日居ないし、食材買いに行こうかなって」
「俺も行くから待っててくれ」
学校から帰宅したところ、玄関で制服のまま買い物用のトートバッグを肩に下げた津美紀とかち合う。どうやら一人で買い出しに向かうつもりらしかった。
……この家に住う人間の中で、津美紀は唯一戦う術を持たない。親父が何やら、津美紀が呪詛師などに襲われない様に色々と画策しているのは知っているが、それでも心配なものは心配だ。
だからこそ、多少窮屈な思いをさせているかもしれないが、津美紀が一人で出かける時は大抵、俺も一緒についていっていた。……津美紀は心配性だと笑うが、何かあってからじゃ遅いってのに。俺が呪詛師に誘拐された時は、俺が術式を使えたから親父がどうにかできたが、津美紀の場合はそうはいかない。術師の前で非術師はあまりにも脆いのだ。
急いで自室へと駆け込んでランドセルをベッドの上に放り投げ、津美紀の下へと蜻蛉返りする。俺の都合であんまり津美紀を待たせたくない。
そんな風にドタバタしていた俺を笑顔で見つめる津美紀は、年が一つ上なだけなのに随分と大人びた雰囲気で少し癪だ。親父が言う様にもっと子供らしくすればいいのに。
「行こう」
「うん、いつもありがとね」
「……別に、普通だろ」
家族なんだし、とまでは言わなかった。小っ恥ずかしいから。
「何買うんだ?」
「まだ考えてないの。恵は何が食べたい?」
「作りやすいので良いだろ。炒飯とか丼物とか」
「あ、お丼ぶりはいいねぇ」
以前までは俺たちが小学校の低学年だった事もあり、親父は出張の任務の殆どを断っていた。が、俺たちが高学年になってからはある程度自立したと上が判断したのか、最近は長期出張が多く、親父が家に帰る日が少なくなっている。
その代わりに親父の知り合いが俺たちのこと気にかけてくれてはいるが、皆忙しい人たちだから頼ってばかりじゃいられない。なんでも俺たちでできるわけじゃないが、出来ることは自分たちでやらねえと。
「親子丼とか?」
「んー……牛丼、豚丼……」
「海鮮丼もいいかなぁ」
「キムチ丼……は美々子が無理か。じゃあ中華丼」
「あっ、タコライスとかどうかな」
スーパーへの道すがら、とりあえず思いついた丼ぶりのメニューを二人で口に出していく。実際にスーパーで材料の値段とかを見てから、何を作るか決めるらしい。
親父と真希を除いた五人分の材料だ。安く済ませられるならそのほうが良いだろう。
途中から丼物縛りからどんどん離れていき、最終的にはカレーだとかハヤシライスだとか、単に思いついた物を口に出していたが、ふと気付く。
「……お米炊いてねえ」
「あっ……」
俺が立ち止まってつぶやいた言葉に、津美紀もビックリした顔になって立ち止まる。二人とも買い物のことばかりを考えていたせいで、すっかり米のことを忘れていた。
何を作るかを決めてなかったとはいえ、晩飯に必須の米を炊くのを忘れるだなんて。今から家に戻って炊くのも有りだが、スーパーは目前だし、何度も往復するのは面倒でしかない。
……慌てて津美紀についていく前に、ちゃんと炊いとけば良かった。そこまで急ぐ必要もなかったし。
「ねえ、今日誰が一番早く帰ってくるっけ?」
「ミミナナは灰原のとこに寄ってから帰るらしいし、多分真依だ」
「じゃあ真依ちゃんに頼もっか」
あちゃー、と二人揃って若干落ち込むが、今はとりあえず米を炊いてもらうのが最優先だ。米が炊き上がってねえ時の絶望感なんて味わいたくねえし。
真依は今日は何も用事がないと言っていたし、恐らくもうそろそろ家に着く……筈だ。たぶん。きっとそう。慌てて真依に電話を掛ければ、割と早くに電話に出てくれる。
《もしもし》
「悪い、真依。もう家についてるか?」
《あとちょっとよ。どうかしたの?》
「米炊くの忘れた」
《……津美紀も?》
「津美紀も」
電話の向こうの真依から呆れたような声が聞こえた。……俺だってうっかりすることぐらいある。津美紀は結構抜けてる所があるが。
《仕方ないわね。何合炊けばいいの?》
「…………。津美紀、何合炊けばいい?」
「たぶん灰原さんとかも来るだろうし、八合かなぁ」
「八だって」
《はいはい。代わりに今度、恵は買い物に付き合ってね。荷物持ちをお願い》
「は?いや、なんで俺が、」
よく分からない約束を一方的に取り付けられたかと思えば、電話が切られる。……俺は了承してないのに。
もう一度電話を掛け直して抗議しようかと思ったが、そんな事を考えている間にスーパーに着いてしまった。はあ、何て間の悪い……。家に帰ったら絶対文句を言ってやろう。
若干口をへの字に曲げて不機嫌さをアピールしてみるが、見事にスルーされる。津美紀はスーパーに着くなり、普通にカートにカゴを乗せて野菜を見始めた。
ちょっとぐらい構ってくれてもバチは当たらないだろう、とは思ったがそういうのを言いたくはないので黙って津美紀の後を歩く。子供の間に子供っぽく振る舞え、と親父がよく言っているから気をつけてるが、正直に言えば恥ずかしいし。来年には中学生になるのだから。
「お野菜が安いね。中華丼にしよっか」
「……片栗粉足りるか?」
「あ〜……。念のために買っちゃお」
この前片栗粉を使って親父がスープとかを作っていたし、足りなさそうだからと口を出してみれば、津美紀もその事に思い至ったのか素直に頷く。なので、ポイポイと野菜をカゴに入れている津美紀の側から一瞬だけ離れ、さっさと片栗粉を取ってきた。
家にあるやつと同じパッケージだし合ってる筈だ。カゴに突っ込んでも津美紀は何も言わねえし。
「そういやごま油は?この前残り少ないって言ってたろ」
「ごま油はね、この前夏油さんが買ってくれたよ。お米と一緒に」
にこにこと嬉しそうに答えた津美紀に、顔が引き攣りかける。……やっぱり貢ぎ癖ついてねえか、あの人。
親父に頼まれて昔から俺の師匠をしてくれている夏油さんは、何というか、基本的に俺たち家族にとても甘い。……懐に入れた人間に対して甘い、と言ったほうが正しいかもしれないが。
まず、美々子と奈々子は夏油さんが保護したから甘やかすのは当然と言えよう。基本的にあの双子に強請られると、夏油さんは抵抗せずに何でも買い与えている。以前そのことについて五条さんと大喧嘩していたから、相当なもんだろう。
で、俺も弟子だからと色々世話を焼いてくれる。空いている時間があれば俺の相手をしてくれるし、わざわざ俺が調伏しようとしている式神と似たような呪霊を用意して、模擬試合の様な事もしてくれるし。
真依に対しては、禪院の家であまり良くない扱いを受けていたと知っているからか、驚くぐらい丁寧に接していた。呪術師になりたくないという真依の意思を尊重して、だけど真依の射撃の腕を褒めたり。
……その反面、真希には比較的あたりが強かった。天与呪縛の関係で正しく伏黒甚爾の後を継げるから、親父を尊敬しているらしい夏油さんは少し真希が気に食わない様だ。それでも、呪具を収納できるような呪霊を見つけると、真希のために捕まえてきて主従関係を結ばせたりしているし相当甘い。
そして、極めつけが津美紀だ。色々あってあまり非術師が好きでないのにもかかわらず、夏油さんは紛うことなき善人である津美紀にはとても甘かった。猿が全員津美紀ちゃんみたいだったらいいのに、とよく零しているぐらいに。
……そんな愚痴を零す程、あの人の接してきた非術師はやべえ奴しかいなかったんだろうか。なんて、まだ見ぬ呪術師としての任務に不安を抱いたりした。
あと、俺たち家族以外で言うと、夏油さんは理子さんにもよく貢いでいる。確かこの前カバンを強請られて、相当高い物を買っていた筈だ。特級術師だからお金は貯まる一方なんだよ、などと言っているが、それにしたって金遣いが荒すぎる。
「今度夏油さんにお礼しないとね。何が良いかなぁ」
「あの人大体なんでも喜ぶぞ。あ、でも五条さんにも何かしねえと」
「夏油さんにだけだと、悟くん拗ねちゃうもんね」
昔は夏油さんを追いかけて家に来ていた五条さんは、最近じゃ暇さえあれば家にご飯を集りに来ている。これで何か作って、とフルーツ盛り合わせを持ってきて津美紀を困らせたり、材料を全部用意して津美紀と真依にパフェを作らせたり。
わざわざ家に来なくても良いだろうにと思うが、夏油さん曰く五条さんは案外寂しがり屋らしい。……まあ、なんとなくそんな気はしていた。
「悟くんにはまたケーキ作ってあげようかな。今度はチーズケーキ」
「じゃあ夏油さんには麻婆豆腐か?」
「二人一緒の時に作ろっか。恵も手伝ってね」
「ん」
そうして材料を買って家に戻るなり、玄関で待ち構えていた真依とかち合った。
「お米も炊いたし、ついでだから私も料理手伝うわ」
「ありがとう、真依ちゃん。じゃあ白菜とか切ってくれるかな。私、お肉に味付けるね」
「……津美紀、俺はどうすればいい?」
ああ、出遅れた。俺も料理を手伝う、と言おうとしたところで先に真依が手伝いを申し出たから、俺の立場がないだろ。後出しジャンケンみたいできまりが悪い。
「んーと、恵は人参とかネギお願い」
「エビ剥けるぞ」
「あ、ほんとう?じゃあエビもお願いね」
でけえ方が良いだろう、と親父が言ったおかげでキッチンは広々としていて、俺たち三人が並んでも調理できる。ただ、大人用だから調理台の位置が高めなのが難点だった。
エプロンをつけてスーパーの袋からエビと人参、ネギ、椎茸を取り出す。白菜とチンゲン菜、うずらの卵は真依が持っていった。
先に焼くだろうエビから取り掛かった方が良いだろうし、と軽く水で洗ってからエビの頭を捻るようにしてもぎとる。そのまま尻尾にある棘を折って、頭の方の殻を少し剥いたら、尻尾と身を持ってゆっくりと中身を引き出す。
そうすれば脱皮したみてえに綺麗に殻が剥けるのだ。この前親父がやってたから見様見真似だが、うまく出来たように思う。
ちゃっかり自画自賛しながら残りのエビも剥いていき、爪楊枝で背腸も取って。水を張ったボウルに一度エビを浸けてから、片栗粉と塩で揉んで臭みをとっていく。片栗粉である理由はよく分からねえ。これも親父の受け売りだし。
充分揉めたかな、と思った所で水洗いして、キッチンペーパーの上にエビを並べていく。炒めるんだし、水気は取ったほうがいい筈だ。
「津美紀、エビ出来た」
「わ、綺麗に出来てる!凄いねぇ、恵」
「随分と早いのね」
調理酒と塩コショウで豚肉に味をつけている津美紀と、うずらの卵を茹でながらでかい白菜相手に格闘していた真依がエビを見て驚いた様な声をあげる。……ちょっとだけ嬉しかった。俺だってやれば出来るぞ。
お次は野菜だ、とまず人参を手に持った。水を入れたボウルに人参を突っ込み、手で擦って洗う。そのあとヘタの部分を包丁の刃元でくり抜こうとしたのだが、危ないからやめなさい、と真依に取り上げられた。
「ヘタ切ったら勿体無いだろ」
「怪我するよりマシよ。それに、ヘタは水につけて育てたらいいじゃない」
俺の抗議も虚しく人参のヘタが切り取られて、水を入れた小皿に漬けられる。……くり抜けそうだったからやろうと思ったのに。
真依がそのまま俺から奪った人参を薄切りにしているので、仕方なしに長ネギを手に取って水洗い。これは普通に根元を切って全部斜め切りにしていく。そして切ったネギは真依が切った白菜とチンゲン菜の隣に置いて、次は椎茸だ。
「椎茸は汚れてたら濡らしたキッチンペーパーで拭くと良いんだって」
「へえ」
「知らなかったわ。水洗いはダメなのね」
津美紀に言われるまで思い切り水洗いしようとしていたのを誤魔化し、キッチンペーパーを濡らして汚れを拭き取る。……水洗いってダメだったのか。
一つ勉強になったな、とか考えながら椎茸のかさから軸を切り取る。軸も使うらしいのでそっちはみじん切りに。かさの方は薄切りだ。
俺と真依が材料を切っている間にさっさと下拵えを終えたらしい津美紀は、豚肉とエビとイカをフライパンで炒めていた。一体いつの間にイカを切ってたんだろうか。
そのあと人参、白菜とチンゲン菜の芯、しいたけ、と硬いものから順にフライパンに入れていき、津美紀は手慣れた様子で材料を炒めていく。昔から黒井さんや親父の手伝いを良くやっていた津美紀は、俺たち子供の中じゃ一番料理がうまい。
その後、あらかじめ混ぜておいたらしい醤油やみりんといった調味料を投入して、うずらの卵も中に入れて中火で炒め煮していく。この時点で凄く美味そうな匂いがした。やっぱりごま油ってやべえな……。
三、四分経って丁度良いぐらいに煮えたら、水で溶いた片栗粉をフライパンに入れて、ダマが出来ない様に素早く混ぜる。やっぱり手際がいいなぁ、と津美紀の手元を覗き込みながら、俺は使い終えた包丁とかを洗う。真依は津美紀の隣でスープを作っていた。
と、その時だ。
「ただいまー!」
「ただいまぁ」
「おじゃましまーす!!」
「灰原、声量を落としなさい」
玄関のドアが開く音がして、美々子と菜々子の声と灰原と七海さんの声が聞こえてきた。津美紀が言っていた通り、やっぱり灰原も家に来たらしい。
七海さんも来たのは少し意外だけど。
「おかえり、ミミちゃん、ナナちゃん。灰原さんと七海さんはこんばんは」
「また来たのね、あなた達。ミミナナはおかえり」
「美々子、菜々子。手ェ洗ったら皿の準備してくれ」
キッチンに顔を出した四人に思い思いに話しかける。どうやら灰原は手土産を買ってきたみたいで、紙袋を顔の横に掲げてにこにこしていた。あのロゴはたぶんシュークリームだな。
「今日の晩御飯、中華丼?」
「うん。もう殆ど完成してるよ」
「菜々子、ご飯盛ろう」
「おっけー美々子。雄くんと建人くんは大盛り?恵も?」
手を洗うなり食器を取り出し、美々子と菜々子は二人で流れる様に米を丼に盛っていく。七海さんが夕飯をご馳走になるのは悪いです、と遠慮しているのなんてガン無視だ。
灰原と七海さんの分も含めて七人分。美々子が差し出した米が入ってる丼に、津美紀が完成したあんを順番にかけていく。ごま油の匂いとオイスターソースだとか焼けた肉の匂いだとかが混ざって、物凄く食欲を唆る匂いが部屋を満たしていた。卵が入ったスープも鶏ガラのいい匂いがするし。……腹減ったな。
丼の上に乗っかっているうずらの卵をつまみ食いしたい欲望をどうにか抑え、テーブルに丼とスープマグを並べていく。
「うわーっ、すごく美味しそうだね!さすが津美紀ちゃんだ」
「恵と真依ちゃんも手伝ってくれたの。ね?」
「私は野菜を切っただけよ」
「俺もそう。でもスープは真依が作った」
ストレートに褒めてくる灰原に、少し照れた様子の津美紀が謙遜するが、調理の殆どは津美紀がやったし。
未だに若干渋った様子の七海さんを強制的に椅子に座らせ、みんなでテーブルを囲む。親父と真希は居ねえが、いつもの如く随分と大人数だ。
「じゃあみんな座ったから、食べよっか。いただきまーす」
「いただきます」
※※※
眠たげな目の津美紀や菜々子に手を振り、階段を登って自室へと戻った俺は、部屋に置かれたベッドと小さなちゃぶ台を見つめる。
二回の引っ越しを経て、随分と大きな家に住む事になったと思う。最初は少し狭めのアパート。次は広いマンションで、今じゃたくさん部屋がある三階建ての一軒家。なんなら庭もある。
自分の部屋を持てる様になるとは思ってなかったし、広々とした部屋はなんとも感慨深い。だけど、ほんの少しだけ寂しさを感じる事もある。例えば、今みたいな親父が出張で居ねえ時の夜だとか。
……津美紀という家族が増えた事は純粋に嬉しかったし、美々子と菜々子という姉が増えた時も、嫌だと思う事は無かった。でも、ふとした瞬間に思い出すのだ。
狭いアパートで親父と二人きりで過ごした事を。綺麗に掃除されている母の仏壇と、近くに置かれている小さなちゃぶ台。その前で胡座を掻いた親父の足の上に乗せられ、いつもその体勢で俺は飯を食べていた。
今ほど料理を作るのに慣れていなかった親父が、どうにか作っていた晩飯。毎度美味しい美味しいと騒ぎながら、口いっぱいにご飯を頬張る俺を、微笑ましそうに見つめる父の顔も、ふとした瞬間にその表情が翳っていたのも。
……家族が増えた事に一切不満はない。家が賑やかになるのは良い事だ。
だけど、あの頃は。あの狭いアパートで暮らしていた初めの頃は、親父は俺だけの父親だったから。不満はねえけど、何故か少しだけ物悲しい。
prev/next
[Back]/[Top]