平常心是道

 明日は休みだし、酔えねえけど晩酌を楽しもう、とビール缶を開けようとプルタブに指を引っ掛けたその時だ。何故か学校用の携帯に電話がかかってきた。時計を見れば夜の八時を過ぎている。……こんな時間に電話?なんなんだ一体。

「はい、もしもし。伏黒だ」
「…………あの、先生」
「夏油か。急にどうしたよ」
「あー…………た、助けて、もらえませんか……?」

 電話口から聞こえた弱り切った夏油の声と、その台詞に目を見開いた。え、嘘だろ。天変地異の前触れかもしれねえ。夏油がこんな事を他人に、ましてや俺に言う訳ねえだろ、普通。
 体調でもやべえのか?それにしたってなんで俺に電話する……?

「ん、わかった。どこ行きゃいい。なんか必要なもんとかもあるか?」
「■■県の旧■■村です。……必要なものは……ええと、救急箱とか、綺麗な服とか……」
「珍しいな。怪我したのかよおまえ」
「いえ私じゃなくて、その……監禁されていた女の子たちが……虐待されていて、だから、それで」

 あーーー。成る程ね、そっちか。てっきり夏油でも倒せねえやべえのが出てきただとか、体調不良かと思ったがそうではないらしい。
 夏油傑が呪詛師に転向した最後の切欠。非術師に虐げられていた小さな双子の女児との出会い。それが今日だったって訳だ。
 二〇〇七年の九月っていう大雑把すぎる日付しか分からねえ上、場所も分からねえもんだから予めその双子を救い出す、って手は使えなかった。俺がフリーならまだ虱潰しに色々やれただろうが、高専に所属してる現状好き勝手に動く訳にもいかない。
 なんなら脳みそ野郎が夏油の信念を折るために、態々その任務を夏油に寄越した可能性もある。俺が件の双子をどうにかしたところで、別の後ろ暗い任務が夏油に充てがわれるかもしれねえし。
 だったら任務をどうにかするんじゃなく、夏油の認識の方を変えちまえば良い。やさぐれてマトモにモノを考えられなくなって視野狭窄に陥っている状況を変えりゃ、夏油ならば理性的に行動できると思ったが故の判断だ。だからこそわざわざ田舎から夏油の親を呼んで、夏油と会わせた。現に、俺に助けを求める程度の理性はあるみたいだし。
 多少要領を得ない説明ではあるが、双子を監禁していた檻をぶち壊した後は、周囲の人間を無視して村を飛び出したという事だけは理解した。欲を言えば、檻の写真だとか村人の様子だとかの映像を撮っていて欲しかったが、憔悴した声の夏油にそこまで気を回せってのは酷だろう。

「確認だ。虐待されてた双子のガキを保護したから迎えに来いって事でいいな?」
「はい」
「オーケィ。あー……こっから旧■■村までだと大体六時間は掛かる。国道●●号線あたりまで出れそうか?そこだと五時間ぐらいで着きそうだが」
「●●号線ですね。わかりました」

 パソコンでルートを確認し、地図を見ながら方角を指示すれば素直な反応。俺に電話した事で安心したのか、声色がさっきよりも随分とマシになっていた。
 とりあえず、眠気で若干ぐずっている津美紀と恵をどうにか宥め、二人に見送られながら家を出る。津美紀と同じぐらいの歳のガキだって言ってたし、店で服やらなんやらを見繕うことにした。包帯とか消毒液とガーゼと傷薬と……あと、胃に優しい飯と。
 他にもなんか要るだろうかと頭を悩ませるが、こんなとこであんまり時間を掛けていても意味がねえ。思いついただけのものを買い漁り、車に戻ってそのまま知り合いに電話を掛けた。
 どういう業界でもお偉方ってのは恨みを買いやすい。つまりは呪霊と呪詛師に狙われやすいって訳だ。以前はそういう奴らの護衛をしていた俺は、強いし面も良いからかそーいう奴等からの覚えがめでたかった。プライベートナンバーも知ってるし、俺が稀にするお願いやらなんやらも快く請け負ってくれる。ある意味良いカモだ。んで、そのお偉方の中には当然政治家や警察関係者もいるし、マスコミの奴らもいたる訳で。
 今の夏油の精神状況がどんなもんかは見てないから分からねえが、双子を虐げてた奴らにちゃんとした制裁が下った方が溜飲が下るのは確か。だからこそマスコミにタレ込む事にした。それに、普通に双子を東京に連れ帰りゃ誘拐犯って事になるし、警察とかに融通を利かせて貰うように頼む必要がある。
 幸い、電話を掛けた奴らのどれもがやる気満々だったのでラッキーだ。まあ村ぐるみの幼児虐待なんざ珍しいにもほどがあるし。……今度菓子折りでも持ってかねえと。
 そんなこんなで車をカッ飛ばす事、凡そ四時間半。ガキ共を呪霊に乗せながら国道沿いを東京方面に移動している夏油を発見した。

「夏油」
「……あ、せんせい」
「大丈夫か?」
「問題ありません」

 嘘こけ。すげえ顔色してんじゃねえか。……しかしまあ、不安そうな顔してるガキ共の前で色々言うのもなんだし、深く追求はしないでおいた。
 そして件の双子だが、移動している最中に眠っていたものの、俺が現れた事によって目が覚めたらしい。二人とも警戒した目付きで俺を見ながら、細っそりとした指で夏油にしがみ付いていた。見えている範囲……顔面だけでなく腕も足も痣だらけ。顔を顰めて険しい表情にならない様に、顔面に力を入れた。

「…………おじさん、だれ?」
「俺は夏油の先生だよ。つまりおまえらの味方」
「ほ、ほんとう……?」
「本当さ。ほら、君たちを連れて村を出た時に電話をしてただろう?その人だよ」

 先ずは、しゃがみ込んで目線を合わせるも、俺を怖がっているのか目が合わない。マ、俺みたいにガタイがいいのが近くに居りゃ怖いに決まってる。
 これは恐怖心を取り除くのが先決か。そう思って、念のために買っておいたぬいぐるみを二つ袋から取り出した。津美紀もよくぬいぐるみを抱いてるし、記憶の中じゃ双子の片方がいつもぬいぐるみを持ってたし、気に入らねえって事はねえと思うんだが。

「くまさん」
「二人のために買ってきたんだ。ほれ、抱っこしてやれ」
「……いいの?」
「いーよ」

 そわそわしながら腕を差し出してくる二人に、ぬいぐるみを抱かせてやる。傷だらけの腕だと、ちょっと痛いかもしれねえ、とは思ったが痛がる様子もなく、二人は顔を少し綻ばせてぬいぐるみに抱きついていた。
 よし、賄賂作戦は成功したらしい。多少は警戒心も緩んだみてえだし、今のうちに二人の写真を撮っとかねえと。虐待の証拠だ。
 夏油にも意図を説明し、手伝って貰いながら写真を撮り、お次は怪我の手当て。傷口を洗う用に水を大量に買っておいたから、それで傷が滲みない様に気を付けつつ二人の傷口を洗っていく。その後軽くタオルで拭い、ささっと軟膏を塗って包帯を巻いた。
 その最中こまめにスポーツ飲料を飲ませる。脱水症状とかが一番面倒くせえしな。
 で、簡単な手当てを終えたから、今度はボロボロの服から買ってきた服へと着替えさせる。津美紀ぐらいの歳って夏油が言ってたんで、津美紀と同じサイズのを買ってきたんだが、二人とも津美紀よか全然小さかった。もう二サイズぐらい小さいので良かったか、と後悔しようがもう遅い。まあ、若干ぶかぶかだが、ボロいのよりはマシだろう。

「何か我慢してないかい?思った事を言って良いんだよ」
「だいじょうぶ」
「もうあんまりいたくないよ」

 手当をしたと言っても、本当に軽くしただけだ。早く病院に行って治療して貰ったほうがいいし、警察に出す診断書も必要だし。双子は平気そうな顔をしているが、さっさとチャイルドシートに乗せて車のエンジンを掛けた。

「病院着くまで寝てていいぞ」
「私は大丈夫です。美々子ちゃんと菜々子ちゃんは?」
「んーん」
「ねむくない」

 元々車に積んでいたタオルケットを被せてやると、車の微妙な揺れと安心感で眠気が襲ってきたらしい。目をごしごしと擦り始めたので、声を掛けてそれをやめさせる。
 さっさと眠気に身を任せたほうが良いだろうに、ぬいぐるみに顔を押し付けたり、嫌々と首を振ったりと、どうにかして起きていられる様に頑張っていた。なんともまー健気な事で。
 助手席から顔を出し、可愛らしい事をしている後ろの双子の様子を伺っている夏油の顔も、そのお陰かだいぶ穏やかだ。顔色もマシになってる。

「ねないの……」
「起きてても楽しくねえよ?」
「んん……ゆめだったらやだもん」
「大丈夫さ、夢じゃない」
「……や」

 既に半分ぐらい目ェ閉じてるけどな。
 もはやむにゃむにゃとしか聞こえない二人の言葉に、ひとつひとつ返事してやって暫く経つと、漸く双子が眠った。

「おまえも寝た方が良いんじゃねえか」
「先生が運転してらっしゃるのに、その隣で寝こけられませんよ」
「そういうのは気にすんな。寝れそうならちゃんと寝ろよ」
「でも……」

 寝とけっつってんだろうが。
 まだ九月だから夜中も暑いっていうのに、五時間ほどぶっ通しで呪霊を出しながら歩いてたんだ。どう考えたって疲れてるに決まってる。熱中症とかになってねえだけマシだが。
 それに俺は運転してるから良いが、ここから俺の知り合いがやってる病院まで、助手席に座ったままでいるとか退屈にも程があるだろうに。五時間は座りっぱなしになるんだぞ。分かってんのか。

「寝たくないって駄々こねてた後ろのガキ共と同じだぜ、今のおまえ」
「ね、眠くなったら寝ます」


 ※※※


 結局、あの双子は家で引き取る事になった。夏油が引き取れるならそれに越した事は無えものの、あいつはまだ未成年。大人の後ろ盾が必要って事になって、俺に白羽の矢が立ったって訳だ。
 夏油の両親に養子に迎え入れてもらうってのも手ではあるが、夏油の親は非術師だ。呪術界に於いて後ろ盾とするには心許なさ過ぎる。
 ……マ、夏油を迎えに行った時から薄々こうなるだろうとは思っていたから、構いやしねえけど。

「責任重大ですね!!頑張ります!!」
「……普段の任務よりやる気出てますね」
「だって先生と夏油さんからの頼みだからね!!」

 俺が引き取るのはまあ良い。が、問題はあの二人のメンタルケアだ。あの二人を非術師の医者に診せたところで、存在しないモノ……呪霊が見えるって理由で“精神に異常あり”だとか診断される可能性の方が高いし、非術師に診せるわけにはいかねえ。
 が、しかし。そもそも呪術界にはイカれた奴しか居ねえから、メンタルケアなんて必要とする奴も居ねえ。……というより、メンタルが多少やられた時点でそいつは死んでるから意味がない、って感じだが。
 まあつまるところ、呪術界に精神科に通じている人間がいないのである。家入はワンチャンいけそうではあるが、あいつはあいつで非常に忙しい。ただでさえ、最近休めてなさそうな時に双子の傷を治して貰ったのに、さらに負担を掛けるのは……と夏油も渋っていた。
 じゃあ誰がメンタルケアするかって話だが、俺は先ず論外。俺にそんなもんできるはずがねえ。
 ならば夏油はどうかって話なんだが、あいつはどうやってメンタルケアする、って聞いてみたら兎に角甘やかす、としか答えられなかった男だ。甘やかすのはもちろん大事だが、もうちょっと何かねえのか。
 それに夏油は特級術師サマだから、甘やかそうにもあんまり双子と一緒に居てやれねえし。
 拾った二人が役に立たねえし、さてどうしたもんか。五条も論外だしなあ、と色々と頭を捻った結果、最終的に灰原に手伝って貰うのがいいんじゃないかという事になった。
 双子を連れてきた時も灰原は何かと気に掛けてくれていたし、何より常識人だ。七海も常識人ではあるが、あいつは少しばかり堅苦しいし、ガキに慣れてねえから除外。

「美々子ちゃんと菜々子ちゃんと定期的におしゃべりするだけですよね?任せてください!」
「やる気が空回りしない様に気をつけてくださいね、灰原」
「頑張る!!」
「………………」

 大丈夫かこいつ、って顔をした七海は暫く灰原を見つめた後、私もついて行きますと宣言した。灰原はそれを嬉しそうな顔で聞いていたが、多分おまえが思ってるのは違うぞ。双子が気になるから七海がついて行くんじゃなく、灰原がちゃんとやれるか心配してるだけだ。
 七海の方も灰原の勘違いに気付いている様で、呆れた顔を隠しもしない。そういう事じゃないですよ、と丁寧に灰原に説明してやっているが……。

「灰原は面白いよね」
「ありがとうございます!!」
「灰原。灰原、褒められてないですからね」
「いや、一応褒めているよ」
「ほら!!」

 夏油のお褒めの言葉がよほど嬉しかったのか、ぺかー、という効果音が似合いそうな顔で灰原が笑った。その笑顔が若干眩しいらしく、夏油と七海が視界を手で遮る。根暗が多めの呪術師にとっては灰原は眩しいだろうなァ。
 だって灰原は生粋の陽キャだ。クラスの中心的位置にいる様な、クラスメイト全員のメルアドを持ってそうな、そういう奴である。主人公タイプと言えよう。

「先生。そういえば近頃、例の村の名前をニュースで聞かなくなりましたが、何かご存知でしょうか」
「そういえば確かに。マスコミがあの子たちの所まで来るかと身構えてたんですけど、それもないですし」
「あー……知り合いに頼んで情報統制して貰ったんだよ。あと、養子縁組の手続きにも一枚噛んでもらったし」
「情報、統制……?」

 俺から飛び出した言葉が意外だったのか、夏油と七海が目を見開く。灰原は純粋に先生凄い、とだけ言っていた。俺はおまえのその大らかさがすげえと思うわ。

「前は護衛業してたし、そん時の伝手で」
「もしかして、だからあんなに逮捕が早かったんですか」
「おまえから電話貰ったすぐ後、警察のお偉いさんに電話したなァ」

 あのおっさん正義感の強いやつだし子持ちだとかだから、すげえ乗り気だったな。即座に旧■■村におっさん自ら部下と一緒に乗り込んで、検挙してったらしいし。
 私もいつかそういう伝手欲しいなあ、と夏油が漏らすが、俺と伝手がある時点で間接的に色んな伝手を持ってる様なもんだろ。五条も伝手の一部に入るし、特級術師なら呪術界の上の方ともやりとりできるだろうし。
 ……いや、あの腐ったミカンを夏油が相手するのは厳しいか。マジでクソしか居ねえし。

「先生ってなんでも出来ますよね。出来ないことってあります?」
「死者蘇生」
「……いや、そもそも先生に呪力が存在してないので呪文は使えないですよね」
「僕は全体即死技が使いたいかな!」

 元気良く、全体即死技を使いたいと言い放った灰原に思わず笑う。せめて全体攻撃とかそういう呪文にしとけ。
 結局、俺が放った一言から、どんどんと話題が逸れて行く。やれ瞬間移動だ、透明化だの。
 最終的に、五条ならば全体攻撃を使えるのでは、という話になって五条を煽ててみたところ、校庭に大穴が空いた。慌てて証拠隠滅を図ろうとしたものの、でけえ音が鳴ったせいで夜蛾に見つかり、俺含めた全員が頭をぶん殴られた。しかも俺は二回。
 まあ、殆ど痛くねえけど。



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