まだ静けさを孕んだ住宅地の、あるマンションの一室。健やかに寝息を立てながら、清潔な真っ白いシーツに包まれている少女。 平日ならば慌ただしい朝を迎えている少女であるが、本日は休日の為、普段の疲れを取るようにぐっすり夢の中だ。心底幸せそうな顔をいつぞやの誕生日プレゼントとして貰ったふかふかの枕に埋めている。 そんなうららかな少女の朝が突如、終わりを迎えることとなる。 がちゃ、と、なるべく音を立てないよう気を遣って開けられたマンションの扉。ひっそりと入ってきたのは二人の見目麗しい少年だ。 先に足を踏み込んだ少年は嬉々とした様子で、もう一方の少年は嫌々付き合わされているといった風だ。けれども扉を閉める様子はやはり静かで、消極的ながらもこの計画に参加しているようだった。 ――――…ジーン チャット、と自分達が呼んでいる、自分達の間に存在する見えない繋がりの糸で双子の兄の名を呼ぶ。自分そっくりの兄は振り返りもせずに、口も開かず返答してきた。 ――――なぁに、ナル。今更止めるなんて言わないよね? 散々話し合い、決めた結果がコレだ。否、結果などジーンがそうと決めた時点で決まっていたのかも知れない。何しろ時に驚くほど、ナルより融通の利かなくなる兄に、ナルはこれまで勝利を収めたことは数少ない。そして何より、その計画の中心にいるのがあの少女となると、否応なしに承諾せざるを得なくなる。 ――――まぁ、ナルがどぉーしても嫌だって言うんだったら、止めないよ? 麻衣の可愛い寝顔と寝起きは僕だけのものになるんだしね。 悪戯を含んだ口調には、不器用な弟の様子を面白く観察している気配もうっそり含んで伝えてくる。勿論、その中にちらつく紛れもない本音に出かかった不快感は、この計画をジーン一人で実行させる訳にはいかないと、つまり自分一人で止める気はさらさらないのだと語っている。 ジーンも、そんなナルの内情の葛藤を汲み取り、それ以上は特に突っ掛かることなく少女の寝室へ続くフローリングの廊下を歩み始めた。 そう、今回の計画とは彼らが気に掛けている少女であり、この一室の主である谷山麻衣の寝顔及び寝起きを拝見しよう、というものだ。 伝説的入学を果たした双子の入学式から一年後、少女は彼らの通う学園へ入学したのだ。最初はジーンが、そしてナルもが少女に惹かれ、少女もまた少年達によく懐いた――見解の相違で喧嘩もよく起こしたが。 己をみのしごだと言い、それでも天真爛漫に笑う少女に、お互い以外の肉親を失っている双子は強く何かを感じた。きっとそれが恋をした瞬間だったと思う。 類い希なる容姿と頭脳を持って生まれた彼らにとって、初めての恋だった。 ――だから、多少暴走しても許されると、兄、ジーンは言う。 (その、暴走の結果がこれか…) はぁ、と溜息を吐きたくなるのを押しとどめることに成功したナルは、ここ最近妙な気苦労を感じるようになったと思う。 今までも突拍子のないことをしでかそうとするジーンに双子の定めだと言わんばかりに付き合わされていたというのに、麻衣と出会ってからというものの、その突拍子のない行動に拍車が掛かったように感じる。否、絶対にそうだ。 それに付け加え、麻衣という少女もこれまた無茶無謀をそのまま人物にしたような性格をしている。己を顧みない無鉄砲さは周囲の者をやきもきさせる天才だ。ナルの性格上、そういった人種は関わりを断ち、放っておくのだが、如何せん切っても切れない縁を持つ兄がその麻衣を猫可愛がりしているのだから必然的にナルと麻衣も関係性は保たれたままだ。尚かつナル自身、麻衣に対し破格的な扱いをして気に掛けているのだから関わりを断つことは不可能に近い。 そんなとりとめのないことを珍しくつらつらと考えていると、前を歩いていたジーンが足を止めた。どうやら麻衣の寝室の前に辿り着いたようだ。 ――――じゃあナル、開けるよ。 ――――…さっさとしろ。 悪戯を企む少年の瞳に期待も輝いている。そんな兄の心情がチャットを通じて入ってきたのか、ナルも好奇心に駆られた。そんな弟の様子にジーンは悟られないように微笑った。この扉の向こうで寝ているであろう少女はどうやら依存性と中毒性があるらしい。自分はもちろんのこと、他に無頓着すぎる弟ですらこうも虜にしてしまうとは。何とも恐ろしい生き物だろうか。 そっと開けた扉の向こうは、年頃の少女の部屋にしては質素だった。それは少女の生い立ちの関係であるが、少女の無垢さを現しているようでしっくりきた。(それでもジーンは今度プレゼントと称して麻衣の喜びそうな、この部屋に置けそうなものをあげようと決めた) ついで入ってきたナルが開けた時のようにそっと扉を閉めたのを確認し、ゆっくりと物音立てずに麻衣が眠るベットに近寄った。 真っ白いシーツの中に身を埋め、目蓋を落とし、夢見る麻衣の姿はいっそこの世のものとは思えないほど安らかで汚れがない。 ほぼ無意識のうちに薄い唇から感歎の溜息が洩れた。そしてそれはジーンだけのものではなかったらしく、反対側に立ち、同じく麻衣の寝顔を見詰めるナルも同様にその唇からひとつ息を吐いた。 そうして双子は同じタイミングで麻衣から目を離し、お互いの顔を見合わせた。愛らしい少女を挟んだ、両側に立つ美少年二人という図景は一枚の絵画のように美しい。 ――――麻衣のベット、やっぱり部屋の真ん中にある方がいいでしょう? ――――……そのようだな。 元々部屋の壁にくっついて設置してあったベットを部屋のど真ん中に置こうと言い出したのはジーンだった。麻衣は小首を傾げて疑問符を投げ掛けていたけれど、そこら辺は誤魔化してジーンの希望通り、現在麻衣が横たわるベットは中央に置かれている。 ――――真ん中なら、一気に麻衣を両側から抱き締められるもんねー。 にこにこと締まりのない顔をする同じ容姿というのも中々に複雑なものがあるが、今その問題は置いておくことにする。 兎にも角にも第一目標達成だ。第二は寝起きだ。 寝顔と寝起き、どちらとも何処かしらで眠りこける麻衣だから見たことはあるのだが、一度盛大にからかい、苛めすぎてしまったのでそれからというものの麻衣はあまり双子の前で眠らなくなった。眠ったとしても、目覚めははっと我に返るという味気ないものだ。 それはそれで可愛いものがあるのだが、やはり寝惚け眼で見詰められ、舌っ足らずな声で名を呼ばれるあの愛らしさには敵わない。 携帯を取りだして寝顔を写真に収める兄の喜々とした姿を横目に、久しぶりに見る熟睡状態の麻衣の寝顔を見下ろす。 (相変わらず、幸せそうな寝顔だな) 綿菓子みたいに柔らかく甘い表情を浮かべる少女を見詰める少年の眼差しもまた柔らかい。そのことには恐らく気付いていないだろうナルに、ジーンはそっと幸せそうに微笑んだ。 「麻衣」 さらり、と、目蓋に掛かる前髪を梳いて囁く声はどこまでも甘い。 ジーンが白いシーツに手を置けばベットがぎしりと小さく軋んだ。ナルは締め切っていたカーテンを開け、眩い朝日が入るようにしてから反対側のベットの端に腰掛けている。閉じた目蓋の下で太陽の光を眩しく感じたのか、僅かながら麻衣が身動ぎした。 「まぁい? …全く、寝惚すけさんだね」 中々起きない少女に呆れ模様を見せるジーンだが、少女を見る眸は優しく穏やかなままだ。朝日に輝いて光に熔ける髪をゆっくりと撫でる手からは慈しみを感じる。 寝起きが見たいと言っていたジーンだが、麻衣を無理に起こすつもりはないらしく、ひたすら寝顔を愛でている。確かに観賞には打って付けの愛くるしい姿だとは思うが、やはり少女はころころと表情を豊かに変えている方が似合っているのだ。 だからナルは麻衣を起こすべく、すっ、と、手を少女へと伸ばした。むにゅ、と滑らかな肌の感触が指先を刺激する。容赦ないなぁ、とジーンが呟いたが放っておく。 「麻衣、いい加減に起きろ」 「うにゃぁっ」 がばっと身を起こした麻衣は現状がよく分かっていないようで(それも当然のことなのだが)、両脇にいる筈もない双子を唖然とした様子で見詰めている。 こてん、と首を傾げ、目蓋を何度か擦る仕草は子猫のようで可愛い。 「まーい、夢じゃないからね」 と、言ってそのまま、かわいー、と抱き締めるジーンにきゅとんと目を瞬かせ、ナルに目線を向け、「夢?」 と訊ねてくる。 「夢じゃないと言ってるだろう」 さり気なく麻衣の首に巻かれるジーンの腕を外しつつ、憮然と応えるいつものナルに麻衣は漸く覚醒した。 「ううぅぅー」 「まーいー、ごめんって。許して?」 「ふほう、しんにゅうっ」 だいたいどうやってっ! 「僕のサポートとナルの力があれば、開かない扉なんてそうそうないよ?」 「あうあううぅ、そ、そうじゃなくってっ」 「だって麻衣、最近僕らの前で寝なくなったでしょう? そしたら見たくなっちゃったんだよ、麻衣の寝顔」 こうまでして見るもんじゃないよぅ! 恥ずかしさからか、手元のクッションを目一杯抱き締めて、そこに顔を埋めて隠す。が、赤い耳はどうにも隠れ場所がない。 「大体何をそんなに恥ずかしがっているんだ。散々怠惰を貪っていた奴が」 「だ、だって、それはっ、お昼寝、だもんっ」 「……何か違いがあるのか?」 ううぅ、と声にならない呻りを上げる麻衣。クッションから伺うようにちらちらを上目遣いで彼らを見るそれは、いたく加虐心をそそられる。 麻衣? ととどめとばかりにジーンが少女の名を呼べば、唇を尖らせ、こそっと呟いた。小声でしかもクッションに音を奪われ、聞こえなかった言葉をもう一度催促すると、あう〜と叫びながら涙目で抗議してきた。 「だってだって、寝ぐせっ、ついてるんだもん!」 はずかしいよぅー! じたばたと手足をあらん限り動かし、持て余し気味の感情を外へ発散させようとする麻衣をすかさずジーンが横から抱き締めたのは言うまでもなく、ご機嫌斜めの少女の為にナルが紅茶を淹れるかと溜息を吐いた。 ▼ |