かれこれ一週間、経っただろうか。最初の三日間は顔すら合わせず、五日目にしてようやく扉越しの声を聞き、六日目に出てきた顔色の悪さに泣きそうになり、七日目はもう、限界だった。 穏やかとは言いにくいが、現在進行してお付き合い中らしい相手の、麗しい容姿が特徴的な博士様は調査の報告書と別の論文を本部へ送るため、マンションの書斎に一週間、お籠もり中だ。 恋人らしいことは疎か――寧ろ日常的にそんなものはほぼ存在していないが――、会話もままならぬぐらいで、指示する声を度々聞き、ちらりとその姿を目に留める程度。それが一週間、続いている。 麻衣としては、はっきり言って、いろいろと、我慢の限界だ。 声にまで疲労を滲ませ、顔色は思わしくなく、睡眠と食事を定期的に取っているとは思えない。 今回は本当に切羽詰まった感が麻衣にも伝わってきて――普段はナル一人が多忙を極めているが、今はリンさえも忙しそうなのだ――、いつものように無理矢理にでも休憩を取らせることができないでいる。 そして今日、七日目。 お昼だけは何とか食べさせることに成功した麻衣は、よしっ、と握り拳を作ったがナルの元々の白い肌を通り超えた青白さに卒倒しそうになった。 今すぐにでも病院、せめてもベッドに直行させたくなる顔色であったが、当人は殆ど気にした様子もなく忙しなくキーボードを叩くものだから、その音に追い遣られるように結局何も言えず、リビングに腰を落ち着かせた。 溜息を零して、手近にあったクッションを引き寄せる。抱え込んだ膝の上に置いて、ぽふ、と鳶色の頭を乗せる。 広いリビングで自分の身体を抱き締める。丸く、小さくなっていないと端の方から寂しさに乗っ取られそうだった。 一週間まともに会話もしていないし、会ってもいない。 ナルが忙しいことをみんな知っているようで、麻衣を一人にさせないよう総出で遊びに来たりご飯を食べに行ったりと、色んなことをしてくれた。そのことに関して麻衣は大変嬉しかったし、十分に甘えさせて貰った。しかし、やはり違うのだ。 声が聞きたいし、くっつきたいし、キスだってしたい。軽く触れて相手の温度を確かめるようなそれは心地良く、麻衣が好む幼稚な愛情表現だ。 そう思ったら、直球型の麻衣が我慢の限界に踏みとどまるという選択肢はない。 少々乱暴に書斎の扉を開いてナルの座るデスクチェアの真横に立つ。薄暗い部屋の中で彼の顔色は最高に悪い。それにうっかり、泣きそうになる。 麻衣、と怪訝な声で名前を呼び終わる前に、青年に軽い衝撃と共に柔らかな腕が首に回される。久しぶりに触れた温かなぬくもりは疲れに蝕まれた精神をそっと癒やした。思わずといった体で溜息が洩れる。熱っぽかった。 寂しがり屋の麻衣が一週間何も言わずにいてくれたのは、こちらの多忙さを見極めてのことだろう。案外聡い彼女は境界線を見定めるのが上手い。 そのことに甘えて無茶を課した自覚はある。たかが一週間、と思っていたが抱き付かれる前の麻衣は泣きそうな顔をしていた。その顔を見た拍子にあるかなしかの罪悪感が胸を突いた。 研究を手放すことは絶対にない。 それでも、と少女の手を掴んだのは自分なのだ。その少女が泣きそうに顔を歪めている。元々、ナルは麻衣の泣き顔がたいへん、苦手なのだ。 「麻衣、ともかく離せ」 いやいやと首を振る。その度に柔らかな癖っ毛がナルの首筋と頬を撫でる。鳶色の髪から香る甘い匂いに徹夜明けの頭は鈍器で殴られるような衝撃を受ける。 「麻衣」 窘めるように、落ち着かせるように、空気を含んだようにふんわりとした髪を梳きながら撫でた。 しばらくそうしていると、「なぁるぅぅ」 名前を呼ぶ声と、すん、と鼻を鳴らす音。 鼻声の涙声、ひどくあまったるく、親にかじり付く幼い子供のようなそれ。甘えたい、という麻衣の合図。 相手に触れていなかったのは麻衣同様、ナルもそうだ。最初の三日など顔も合わせておらず、声は度々聞こえたが会話をすることはなく、七日目の泣きそうな顔に溜息を吐きながら言われるがまま食事を取った。 独りを嫌う麻衣は、それでもナルの都合を考慮し、ほぼ何も言わず放っておいてくれた。 一週間ぶりに触れるあたたかなぬくもりに、どうやら限界が来たらしいということを察知する。そうして、触れられる例外的な存在に溜まっていた疲れがどっと外へ押し出て、麻衣の腕に頭を抱かれたまま微睡みに落ちそうな自分を自覚した。 「あの、ね」 吐息が産毛を撫でた。不愉快さはなく、押し付けられた身体の重みに心地よさすら感じた。 「ぎゅってしていい?」 もうしてるだろう―――言葉を飲み込んで、二つ返事で頷いた。 ▼ 甘えんぼな君へ5のお題|ぎゅってしていい?(http://lonelylion.nobody.jp/) |