ささやかに静まった日光は燃えつくような暑さをした夏と比べると、見間違いかと思うほどに優しげである。愛おしい子どもの誕生月を含む、情熱的な夏場も嫌いではなかったけれど、やはり穏やかな方が過ごしやすい。そんな中で少年がひとり、品の良い口を開いた。
しあわせだね。とぽつり、呟いた。あんまりにもしっとりとした声色だったせいか、本に注いでいた視線を見定めるようにちらりと声を発した主に向けた。
案外に当人は意図したものではなかったようで、珍しく本から意識を外している己の片割れ――ナルに気が付かず、ただひたすらに二人の間ですぴすぴと心地良く寝息を立てて、眠り入っている少女に意識を傾けている。
背の低い草の上に横たわる少女を見詰める、その顔。生まれてこの方、ずっと一緒だったが、ジーンが今、浮かべている類の表情は見たことがない。否、ここ最近ではよく目にすることがあるが、かつて一度たりとも、そんな顔――強いて言うならば、紅茶に砂糖菓子を詰め込んだような甘さだろうか――は浮かべたことなど、なかったはずだ。
つまり、近頃、そんな表情を浮かべるようになったのは今現在、ジーンの横――ナルの隣でもあるが、そこに身体を子猫のように丸め、木漏れ日を受けては幸せそうに眠っている少女、麻衣が原因であると、他に興味のないナルだろうと知っている。知らないのは、幸せそうに眠っている少女だけであろう。

二年前、学園に主席入学した、合わせ鏡のようにそっくりな見目麗しい双子は本人達の意志関係なく、全校生徒の注目を集めた。注意を引くなと言う方が無理な話であった。
人付き合いの良いジーンは万人に愛されたし、人間関係の一切を排除しているようなナルとて、水面下で人気を集めていた。
そんな二人のお眼鏡にかなおうとアピールする者は絶えず、しかし一年経っても二人のそれらしい関係を持つ人物は現れなかった。
ナルが、誰から見ようとも美人と呼んで相応しい三年の先輩を「鏡を見慣れていますので」と言い、遠回しに振った出来事は瞬く間に学園の伝説となった。このことをきっかけに、異様に人とのスキンシップを嫌うらしい彼が、そう易々と他者を自分のテリトリーに入れることはないだろうという諦めが蔓延していたことは確かだ。
しかし、人柄の良いジーンにも一年経ってもそれらしい人がおらず、作る気がないらしいというのは女生徒の淡い期待を裏切るつつも、事実となっていた。それなりに仲良くなる子はいるようだが、あくまでも誰にでも平等に優しいジーンに特定を作る様子は見られなかった。

そして双子入学から一年が経ち、二人が二年に上がった時、それは唐突に訪れた。
ナル、ナル、と興奮を隠しきれない兄が、洋書を手放さない弟の名を呼び続けた。ナルは、返事をしなければ一生このままだ、と言わんばかりの勢いであったのをよく記憶している。
ジーンの賑やかさは半身であるナルが一番よく知っている。だけれども、こうまでも感情を隠し切れていない彼は物珍しい。多少の好奇心を覗かせたナルは文字を追いながら、何だ、と問い掛けた。
“みつけたんだ。”――熱っぽい、恐らく、男が愛する女を口説くような、思い語るような色を帯びた声であった。
思わず、整った眉を顰めてナルはジーンを見た。自分そっくな顔。笑っていなければ、誰もがどちらがどちらなのか分からないくらい似た、一卵性双生児。
うっとりと夢見る乙女のように、夢を語る少年のように頬は紅潮し、闇夜のような瞳は星を散りばめたようにきらきらと瞬いていた。見るからに興奮しきって、アドレナリン大放出中の兄を眼前に、ナルはジーンの気の済むまで逃げられないことを悟り、珍しく遣り切れない溜息をひっそりと吐いた。

ナルの迷惑などお構いなしに喋り続けたジーンから得た情報は結局、一つである。要はジーン好みの女の子を見つけた、というそれだけのことであった。それだけの出来事に、数時間に及ぶ無駄話を聞かされる羽目になったのかと思うと、ジーンはもとより、話題の少女にも怒りの矛先が向きそうな勢いだ。
しかし、ジーンが力説することには、ナルも絶対気に入るよ、とのことらしい。数時間に及んだ少女の話で、既に胸焼けに似た疲労感が漂っているというのに、気に入るなど論外だとその時は一蹴した。
けれども、ジーンは言った。呪文のように、あたかも未来を覗き見てきたかのような確信を持った声で、きっと僕らは、仲良しになるよ、と。


ジーンの言う通りになったということが如何せんどこか癪に障るが、彼が見つけたと騒いだ少女は確かに愛らしいと称する姿を大概、双子の兄と弟の側に置くようになった。
けれど当初はあれほど興奮して少女を賞賛していたジーンであったが、なかなか少女との接点が見付からず、珍しいことに手を拱いている様子を見せていた。
何分双子の為か、共にいる時間が多いので、少女に近づこうと努力するジーンは見ていてもどかしい気分にさせられる。ナルの心情で言えば苛々する、の方が当てはまるかもしれない。
声を掛けないのか。堪えかねたナルがジーンに言えば、うっ、と言葉を詰まらせて、機会を窺ってるんだよと情けなく眉を下げて、ついには、はぁと溜息を零した。溜息を吐きたいのはどちらかと言うとナルの方であったが、兄にしては本当に頭を痛めているようだったので肩を竦めるだけに留まった。
結局そのすぐあと、ようやく接触を得たようで、ジーンは麻衣を横に連れていることが多くなった。自然の流れで、ナルも少女と知り合いになった。本当にそっくりなんだねと驚く他、彼女は随分、今まで見たどの女性とも違っていた。
麻衣はどうやら、お節介な性格で相当に人懐っこく、明朗快活を描いたような人物であるらしいということが一緒にいるようになってすぐ分かった。不健康きわまりないナルの生活スタイルに遠慮容赦なく、突っこんできたのだ。双子の兄であるジーンでさえ、ある程度の所までは容認しているというのに、麻衣はそれでも駄目なのだと食って掛かる。
これには双子がそろいも揃って驚いた。見た目の、日本人にしては色素が薄いせいためもあって、少し儚げな印象を受けるのだが、ナルの毒舌にもめげずに、時には説き伏せてしまう豪傑さというか負けん気というか、そんなパワー溢れる内面にすごい、とジーンは声を上げて笑った。

ある時、話の流れで少女はみなしごなのだと、何でもないことのように口にした。幼い頃に父親を、高校に入る前に母親を亡くし、今はちゃんと自炊の一人暮らしをしているのだと、胸を張っていた。
それを聞いた時、ジーンは無性に、丸っこい蜂蜜色の頭を抱き締めたくなった。抱き寄せて、ぎゅっと抱き締めて、よく頑張ったねと柔らかな髪を撫でてやりたくなった。けれども身体は動かず、震えそうになる声で、僕とナルも肉親はお互い以外もういないんだと、気が付けば呟いていた。
ナルは何も言わず、一瞥、ジーンに視線を向けただけだった。麻衣はこぼれ落ちそうなほど目を見開いて、静かにそっかと微笑んだ。同情も慰めもなかった。共通の傷がお互いを更に近付けたような気がした。
それからきっと、間もなくだった。ジーンはより一層に麻衣を構うようになった。よく見れば、以前とは格段に質の違う瞳で麻衣を見ていた。

どうしよう、ねぇナル、どうしよう。
顔を半分手のひらで覆い隠して、ジーンは麻衣を見つけた当初のような熱っぽい声と溜息を漏らした。
僕、きっと麻衣が好きだよ。麻衣に、恋をしたんだ。
少年は初めて、人に恋をした。たぶん麻衣がみなしごだと言ったあの時だろう。あのとき、いや恐らく、初めて見た時から始まっていただろうカウントダウンは、その瞬間に急速に進み始めた。計らずとも、その瞬間を共にしたナルは、半身の恋に落ちる瞬間を見てしまったのだ。
どうしようとジーンの苦悩する声がナルの鼓膜を震わせる。何がそんなに困る。分からずにそう問えばジーンは、手のひらに隠された顔をそろりそろりと明かし、ナルの視線と対峙した。
“だって、” 意図して切っただろう言葉の続きを促す。
だってナル、君も麻衣が好きでしょう?
何とも悪趣味なことに、女の好みまでもが――この場合は好きな女が、だろうか、同じだとは。最悪だ、と苦々しげに呟いたナルはそのとき初めて、少女にそういった好意を寄せている自分に気が付いた。


良くも悪くも子どもっぽい少女に、恋人にするならどちらが良いかなどと迫っても混乱を呼び起こすだけで、最悪、今までの関係が崩壊してしまう可能性もあって、少年達は時期が来るまで平行線を行くことに決めた。彼女に好意を寄せているとは言っても、ジーンはまだ三人一緒の方が心地良かったし、ナルもまた恋愛に心奪われている暇などなかった。
だから今も、まだ三人で過ごしている。実際は麻衣はジーンと話し込み、ナルは黙々と読書に勤しみ、時々少女と兄の横やりが入った。騒がしくも平々凡々としたやりとりが日常となった。
今日はそんな内に麻衣が芝生に寝っ転がり、そのまま寝入ってしまったらしい。
麻衣の両脇に座るジーンとナルは、そんな少女の寝顔をそっと見詰める。口許は自然の形で弧を描き、下ろされた目蓋は風にそよぐ前髪に撫でられ、普段は隠れている額も顔を出していたりする。
「可愛い寝顔だよね」
くすくすと笑い声を立てながらジーンは細長い指先で伸ばす。麻衣を起こさないように気を付けながら、弾力のある桜に色付く頬を突く。起きることがないが、口の中でむにゃむにゃと何か喋っている様子は愛らしくひどく牧歌的だ。

「かわいいなあ」

するり、と少女の頬を指先が滑り、愛しむように撫でる。「ん、ぅん…」 薄く開いた唇から洩れた声に、ぴくりと反応してしまう男の性を察した。ジーンは口許に浮かぶ笑みをさっと苦笑に変えた。
「麻衣は、男殺しだねぇ」
はぁ、と吐く溜息はもし、こんな姿が自分達以外の誰かに見られたとすると一体どうなることやらと杞憂を含んでいる。勿論、見せるつもりなど、さらさらないのだけれど。
「下らないことを言ってないで、いい加減に指を退けろ」
麻衣が、起きるだろう。
誰かを気遣うというスキルを身につけた弟に、普段の他者に対する無関心さを知っている兄としては涙ぐましいものを感じられるが、意地の悪いジーンはそれをそっくり隠して笑う。
「なぁに、ナル。ヤキモチ? そんなに羨ましいかい?」
たったそれだけで一気に機嫌が下落していくのが手に取るように、分かる。あれほどまでに他者を必要としてこなかったナルが、こうもたった一人の存在に左右されているという現状に愛しさが湧いてくる。
(麻衣は本当にすごいね)
堪えきれなかった笑みが再び、口許に浮かんできた。


愛しい子は未だ二人の間で眠っている。きっと、目覚めた時にその透き通った瞳に映るのは自分達だけなのだと思うと、言い得ぬ恍惚感が全身を満たす。寝惚けまなこをゆるりと細めて、夢心地のまま甘い笑みを咲かせるのだろう。
胸がやけに熱く、焦げるようにちりちりと音を立てる。

「ねぇ、ナル」
「…」
「この世界は僕らにとって、けして優しいものじゃなかったけれど、」
自然、ジーンの紡ぐ言葉が切れた。風に靡く芝生と、揺れる木漏れ日に途方もない安らぎを思う。
物心覚える前から、頼れるのはお互いだけだった。世間は特殊な力を持つ神秘的な双子を畏れた。汚く薄暗い世界だった。義父母がいなければ、日の光を浴びて学園に通うことなど不可能だっただろう。引き取ってくれた心優しい二人には感謝している。
それでも、世界はやはり二人だけだった。友人知人は周囲にいたけれど、深潭にある領域まで踏み込める存在はお互いだけだった。合わせ鏡のようだとは、よく言ったものである。
それが今では、どうだろう。たった一人の女の子に骨抜きにされている。しかも、そろいも揃って二人して、である。こう言えば、ナルは酷く不本意そうな顔をして嫌がるだろうけれど、手を伸ばせば届くほど距離に置いているのだから、随分と気を許しているのには間違いない。

「僕は今、すごく、生まれてきて良かったって思うんだよ」

鏡のようにそっくりな半身を見詰めて言えば、暫しの沈黙の後、うっすらと彼をよく知る人間でなければ分からないほどの小さな笑みを零して、「Happy birthday,Gene.」 驚きに目を見開いて、破顔した。

「Happy birthday,Noll!」


*

「ところで、麻衣はいつ起きるんだろうね?」
「さぁ」
「お寝坊さんだよね、早く起きてくれないと麻衣自身をプレゼントとして貰っちゃいそうだよ」
「…」
「やだな、ナル。冗談だよ」


(080921-120108 双子誕祝い)
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