「ぼーさん?」

抱き締めた小さな肢体。力を入れてしまえば呆気なく折れてしまいそうな、そんな弱さを持っているのに危機感なく近寄って懐いてくるこの子をどうしてくれよう。
口許に苦笑いを浮かべた。腕の中にある少女に教えを説く。

「まーい。あんまり無防備にするな?」
「何で?」

何も分かっていない無垢な顔が腕の中から滝川を覗き込む。あー、上目遣いも禁止。小首を傾げるのも禁止。何も知らない瞳はどれほど男の性をそそるか。そんなことを考えたこともないだろう少女に溜息が洩れる。

「いいかね、おまいさんも女の子なら、もーちょい危機感てもんを持ちなさいね」
かわいー娘が誘拐でもされたらどーすりゃいいの。
無論、そんなことさせるつもりなどないが、四六時中一緒にいる訳ではないのだ。誰にでも仲良くできる麻衣だからこそ、不安に感じる。
「しつれーだよぼーさん!」
ぷくりと頬を膨らませて抗議する姿はまるで幼い子どもだ。その顔も禁止。つい、胸の内で禁止事項に追加してしまった。これで一体幾つ目だ?
「あたし、誘拐されるほどお間抜けじゃないもん」
突き出された唇。本人は目一杯怒っているつもりなのだろうが、全く迫力がない。ぎゅっと抱き締めてしまえば、それで終わりだ。こんなに小さく、細い身体に、みなぎるほどのエネルギーを感じる。それが愛おしい。

「そうじゃなくってだな、いつもそれなりの用心をしとけってこと。ほら、歌でもあるだろ? 男は狼なのよって」
言えば、きゅとんとした表情で見詰めてくる。もしかしてジェネレーションギャップってやつか? と今更、自分と麻衣の年の差を考えてしまった。
けれどどうやらそうではなく、麻衣は「ぼーさん」と名前を呼びながらくいくいと服の裾を引っ張る。その仕草も禁止。あぁ、もうどれもこれも禁止ばっかりじゃないか。

「それって、ぼーさんにもしなくちゃいけないの?」

一寸の穢れもないような瞳で見詰めてくれるなと、零れそうになる溜息を、喉の奥で引き止めて、当たり前でしょと半分ぐらい無意識で頭をくしゃくしゃと撫でた。心地よい癖っ毛の髪質が手のひらをくすぐる。
髪の毛がぐしゃぐしゃになるようと文句を呟く声が聞こえて、名残惜しさを感じつつ手を離す。あのね、と切り出した麻衣。警戒心の欠片もない蜜茶の瞳が滝川を映していた。
「必要ないでしょ?」
そう言って、ぎゅっと抱き付いてきた身体から甘い香りがふわりと鼻腔を擽る。じゃれ合いのようなスキンシップだと思っても、触れる肢体はどこも柔らかく、否応なしに性別の違いを認識させる。十分なほど、麻衣は女の子であるのだ。

「だって、ぼーさんだもん」

胸板に押し付けた頭がくすくすと笑って、くぐもった声が絶対的な信頼を囁く。
滝川は堪らず、うなり声を上げたくなった。頭を抱えて勘弁してと項垂れたい気分だ。それでも守るように作られた腕の檻は、家族用のスキンシップの為に少女を軽く抱き締めた。


(懐かれすぎて、食べられない)
080904-111208
恋の鞘当十題(リライト:http://lonelylion.nobody.jp/)
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