「ほい」
「え?」
先程から気になっていた、しかし聞くタイミングを逃していた、滝川の腕に抱えられた向日葵の花を麻衣はそれを抱える当人から渡された。
渡された麻衣はぽかんという擬態語がぴったりなほど、目をぱちくりさせて滝川を見詰めるが、滝川はそんな麻衣の様子が逆に面白可笑しいようで、口許に意地悪い笑みが浮かんでいる。
それを認めた瞬間、呆然としていたことも忘れ、ぷくりと桜色に色付く頬を膨らませ、不満ですと言わんばかりに「ぼーさん」と彼のあだ名を口にした。
少女の細い両腕にいっぱいの向日葵の花。今は膨れっ面をしているが、やはり自分の見立ては間違いなかったと滝川は満足げに微笑んだ。

年中閑古鳥が鳴くような事務所に依頼人が訊ねてきたのは、夏ももう始まった頃だった。避暑地とも言うべき調査地は、ひしめき合う東京の密接地帯とかかけ離れた和やかな田舎であった。
毎年、決まった時期になると幼い子どもの泣き声がする。そんな田舎に住む人々はどこから聞いたのか、東京にあるSPRへ赴いた。訊ねてくる依頼人にしては珍しく、気味が悪いから調べ祓ってくれ、ではなく、可哀想で成仏して欲しいから、とのことだった。
確かな資料もなければ、人が事故に遭うというような危険性もない。ただ泣いている子どもの調査と成仏を願う依頼だった。
さてさて、選り好みの強い所長が積極的に取りかかろうとする依頼であったかどうか。確かに否、ではあったが、そういうことに首を突っこみたがるお人好しの麻衣が無下にこの依頼を断らせる訳がなかった。
無茶を承知で事務所の絶対権力者であるナルを拝み倒し、説得した。曰く、定期的に現れる霊は調査しやすいんじゃなかったっけ?…である。
半人前と言えども調査員の肩書きを持つ少女は研究熱心な博士のツボを心得ているようで、その説得の甲斐あってか、SPRのレギュラーとお声の掛かった滝川がその地に赴くこととなった。

害を与えるような霊でないことは毎年の事例で承知しているので、霊視の出来る真砂子を連れた方が良いのではないかと、滝川はナルに訊ねたが、今回の調査は恐らくナル、リン、麻衣、そして情報担当の安原だけで解決できるであろうと予想しているらしい。
では何故自分が? と更に訊ねれば、「ぼーさんには粗忽者の見張りを頼みます」と呆れを含む横顔が答えた。
少女の知らぬ所で麻衣担当となった滝川は「さいですか」と頬を引っ掻いた。


調査の結果としては無事、子どもを成仏させることができた。つまり、依頼人のご希望通りということだ。しかし、調査、及び浄霊を行った麻衣は泣き声を上げていた子どもが成仏したというのに浮かない顔をしていた。
調査地であるそこは田舎で所々、ぽつんぽつんと電柱が立っているぐらいで、夜になれば東京では想像も出来ないくらいの暗闇となる。そんな中、蛍を探しに行ったその子は足を踏み外し、土手に落ち、打ち所と子供がいなくなったことに気付くのが遅くなった為に帰らぬ人となった。
あまりにも短く、身をせっつく思いも発散させる場所がなく、不完全燃焼のように胸に哀しみと苦しみが燻った。
少女は漸く光に行けたねと微笑みながら泣いていた。


今回の滝川の仕事は麻衣担当であるが、それ以上に可愛い娘のような麻衣が浮かない顔をしているのは見るに堪えなかった。彼女の笑顔を知れば、いつでもその笑顔でいて欲しいと願ってしまう。
何かいいものはないかとめぼしいものを探していた途中、一端に咲き誇っている向日葵の花々を見つけた。明るい色をした太陽を望む花は、笑顔を惜しまない少女のようできっとよく似合うだろうと思った。
きょろきょろと辺りを見回し、一軒の家を見つけ、ごめんくださーいと声を掛けると手作りの畑を耕すお爺さんがきょとんと金髪長身の滝川を見詰めていた。
「あの向日葵の花は爺さんのかい?」
「あぁ、そうだねぇ。昔、植えたんだよ」
「幾つか持って行ってもいいかね?」
物珍しい、とでも言いたげな老人の目に滝川は笑みを浮かべる。

「あの花みたいに、咲いて欲しい子がいてね」

この穏やかな地で、幼い子供の死をひっそり悲しんで涙を流す愛おしい子を思い浮かべた。白い頬を滑り落ちる透明の涙は幻想的で眩いものがあるが、やはりあの子には笑っていて欲しい。どうかその悲しさも包み込んで笑って欲しいのだ。
老人は目尻に皺を作りながら微笑み、幾らでも持って行きなと静かに呟いた。


腕に向日葵を抱えた麻衣の頭をゆっくりと撫でた。質問に答えず、笑っているばかりの滝川に少し居心地悪そうに身を捩りながらも、麻衣は優しい手のひらを黙って受け入れた。
「笑ってやれ」
「…ぼーさん?」
「逝く時、ありがとうって言ってたんだろう?」
「…うん。ありがとう、って、笑ってた」
「それじゃあ、麻衣も笑ってやらなきゃな」
触り心地の良い髪から手を離し、両頬をそれぞれの手のひらで包み込んでやれば、あまりの小ささに今更ながら驚く。同時に、手に在るぬくもりに愛しさを募らせる。
身を屈めてこつん、と額をぶつけ合えば、間近で瞬く瞳に愛らしさを噛みしめて「元気が出るおまじないだ」と囁きそっと額に唇を落とした。
なんて甘ったるい口付けだろうと苦笑しながら、まだまだお子様である麻衣にはこれが限度だろうと自制する。次に進むにはもう少し二人の関係を改善する必要があるし、麻衣の成長を待たねばならない。
くすぐったそうに目を細めて漸く笑った少女を抱き込んで、もう一度蜜色に燦めく髪をくしゃりと掻き交ぜた。手触りの良い髪質に、やっといつもの麻衣が戻ってきたと内心ほっと溜息を吐いた。


「ねー、ぼーさん」
「んー、なんだ?」
「これどうしたの?」
「貰ってきたの」
「……あたしのため?」
「もっちろん、麻衣ちゃんのため」

隣を歩く丸っこい頭をくしゃくしゃと撫でながら戯けてそう言えば、麻衣は腕に抱えた向日葵に顔を近付け、まじまじと見た後、顔を上げて滝川と目があったのを確認し、ぱっと花が咲いたように笑った。

「ありがとっ、ぼーさん」

腕に抱えた太陽を望む向日葵と、今この瞬間、滝川だけに咲いた笑顔にどういたしまして、と甘く呟いた。


(080821:111031)

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