そういえば。突然思い出したように話題を振ってきたのは、用もないのに定期的にやってくる松崎だった。本日もここの看板娘の淹れる紅茶を飲みにやってきた次第である。
「あんたってナルにプレゼントとか貰う訳?」
容赦なく振り下ろされた質問に、ふんわりと優しい紅茶の香りに包まれたその場の空気が一瞬、ぴしりと音を立てて固まったかのように思えた。
質問を投げ掛けられた麻衣としてはようやくパソコンと睨めっこして書き上げた報告書が終わり、ほっと一息吐いていた所に手榴弾が投げ込まれた気分だ。勘弁してほしい。
寄りにも寄って話題の中心人物は間違いなく、己と少し前からお付き合いしている相手、つまり麻衣のバイト先の上司であり、完璧な美貌を兼ね備えている人物のことであろう。人物紹介に付け加えるならば、天上天下唯我独尊的で、お付き合いする相手としては控えめに言ってもお勧めはできない相手である。
しかしそんな人物であるナルと、麻衣は何だかよく分からないうちにお付き合いを初めて早半年。人生何があるか分からないとはよく言ったものだと、麻衣は呆れ半分に感心する。

「あやこぉ…」
「何情けない声出してんのよ」
「綾子が変なこと言うからじゃん!」
ソファーに隣同士で腰掛け、会話する年の離れた女性二人を目の前に、安原は麻衣の淹れた香しい紅茶に口を付けながら内心苦笑した。
どんないきさつがあったかは安原とて知り得ている訳ではないが、曲がりなりにも彼氏というポジションにいる人物からプレゼントを貰う、という出来事を麻衣は変なことと称したのだ。確かにあのナルが、例えば花とかテディベアと言ったようなものを恋人とはいえ、自主的に渡すという光景は想像しがたい。
(まぁ、花というのはある意味似合いますがねぇ…)
彼は誰もが振り返る容姿の持ち主だ。外見だけなら俳優も真っ青なくらい、花が似合うだろう。けれども如何せん鋭利すぎる内面を知っているから、恋人に花を渡すという甘いラブシーンはうそ寒いものを感じる。

「別に変なことじゃないでしょ。付き合ってる相手に贈り物をするぐらい」
「……綾子、その相手がナルだって分かって言ってる?」
「………」
真剣な顔付きをした麻衣が松崎に確認するよう丁寧に問い掛けると、神妙な顔付きで松崎は押し黙った。

「…あんた、それでいい訳?」
麻衣の投げ掛けた質問には綺麗さっぱりスルーして(の、割りに若干回復に時間が掛かった)、どうやら質問の方向性を変えたようだ。現状ではなく、麻衣個人の感情を問い掛ける。
「えー、そりゃあ、貰えるんだったらすごく嬉しいけど、……だって、ナルだよ?」
あんまりな麻衣の主張に安原は、話題の中心人物でありながら所長室で読書に勤しんでいるであろう、自分の上司であるナルに同情した。自分も内心好き勝手言っていたことはご愛敬だ。口に出すと言った行動にしなければある程度は罪ではない。
「だってナルがいきなりそんなことしたら、まず熱でもあるのかって疑っちゃうよ」
あー怖い。両手で紅茶を持ち、肩を竦めた少女に、部外者なら本当に二人は付き合っているのかと疑問に思うことだろう。

「そんな、谷山さん。所長だってそこまで気が利かない訳ではないでしょう」
傍観者の立場を取っていた安原であったが、ナルと同じ男として会話に乗り出し、フォローする立場に回ってみた。
今まで黙っていた安原が会話に登場したことによって少しきょとんとした麻衣であったが、そうだけど、と否定に続く言葉を口にする。
「やっぱりナルがあたしの為に何かくれるっていうのが、あんまり想像できない」
「うーん、はっきり否定できない所が痛いですねぇ。じゃあ、そういうごたごたを抜かして、谷山さんはそれでいいんですか?」
先程の松崎さんの質問と被りますが。控えめに訊ねているが、松崎のような逃げ道はない。さり気なく答えるしか道がないように誘導していて、それでいてにこにこと笑っているのだから喰えない。
やっぱり安原さんは敵に回しちゃ駄目だと麻衣は思いつつ、残りが少なくなった紅茶のカップをゆったり回す。

「…欲しい、けど、やっぱりいらない、かな」
ぽつりと零した答えに松崎は疎か、滅多に驚かない安原も目を見張る。
「いらない、ですか…。宜しければ理由を伺っても?」
「んー、……あのね、あたし本当はナルにいっぱい貰ってるの」
「…あんたこそ熱でもあるんじゃない?」
麻衣の言い出したことに理解が出来ないとばかりに、松崎は本気で麻衣の額に手のひらを当てようとした。そんなんじゃないやい、とぷくり頬を膨らませて松崎の手を払う。
「ここでバイトしてることって、あたしにとって結構なプレゼントなわけ。だってすっごい割の良いお給料なんだもん。毎月貯金も出来るし、以前と比べるとちょっとだけだけど贅沢も出来るし、すっごく助かってる」

何気ない言葉の中に潜んだ少女の現状を二人は改めて思い知る。
突然、親の庇護を失った少女は選ぶ余地もなく生活の為に働かなくてはならなかった。哀しみに暮れることも満足に出来ず、たった一人、本来ならばまだ保護されるべき年齢にも拘わらず、細い足で立たなければならなかった。
そんな中で与えられた働く場所。未成年である少女にとって贅沢できるとまでも行かないにしろ、十分な支給。何より、ここにいてもいいという安心感。
みそっかすだなんやかんやと言われるが、本当に使えないバイトを長い間置くほど、ナルは親切でも馬鹿でもない。失敗をしても本気で追い出そうとはしないナルの態度に、少しでも役に立っている充実感と身をおける安堵感が麻衣を包む。
確かに恋人として少しも不満がないとは言えない。けれどもあのナルの性格を考えれば破格の扱いだ。だから十分だと麻衣は思う。それ以上を強請ったりすれば罰が当たるんじゃないかと麻衣は半分本気で思っている。
「…分かってたけど、あんたって欲がないわね」
「そんなことないけどなぁ」
欲はある方だと言外する麻衣に、安原は溜息を吐きたくなる。これで欲があるなんて言ったら、自分など相当な強欲だ、と。
時々、少女を見ていると己が醜く感じる。知的な部分で言えば安原の方が随分上だと言うのに、ふと、自分は酷く劣っていると思う時がある。今がまさにそうだった。
「ちょっと少年、あんたもこの子に何か言ってやりなさいよ」
呆れてものが言えないとばかりに匙を投げた松崎が、整えられた指でぱちんと麻衣の額を弾いた。痛い、と言う麻衣をひらひらと手を振って相手にしない。
そんな二人にくすりと笑って、そうですねぇ、と勿体付けて口を開く。
「不肖安原、谷山さんの所長に対する愛に感服致しました」
「…安原さん、それ、何か違う…」
愛って部分が特に!

違うからと主張する麻衣に「いやぁ、愛ですねぇ」 と安原はしきりに頷いてみせる。
「うぅぅ…、安原さんの意地悪…」
眉を寄せて上目遣いで見詰めてくる可憐な顔に、どう言えばその愛くるしい表情を部外者に見せないよう出来るか頭の端で考えながら、からかいすぎましたねと早々に謝った。
まだ若干膨れっ面の麻衣に苦笑を禁じ得ない。出会った当時の面影をそのまま残している麻衣にいっそ尊敬すらする。
年を重ねる毎に素直であることを忘れていく大抵の人々を裏切り、麻衣一人、優しい世界で純朴さを益々育てているように思える。けして彼女が生きる世界は優しくないのに、彼女を見ているとその身の上が天涯孤独などとても信じられない。
手に持つ紅茶を傾け、全て飲んでしまったら、安原は麻衣ににこりと笑った。
「おふざけが過ぎました。谷山さん、許して下さい」
「…もうっ、そんなこと言われて怒れる訳ないじゃないですか」
じとっと見詰めていた瞳を和らげ、怒った口調を残しつつも、きっとそれは虚勢で、口許に浮かぶ微笑みがもうとっくに安原を許している。
「いやぁ、すみません。そんな風に思って貰える所長にちょっぴり妬いちゃったみたいです。修行が足りませんねぇ」
あはは、と笑ってみせると松崎はあんたねぇ…と呆れた視線で紅茶を傾けている。麻衣はからかってる!と逆戻りで頬を膨らませる。
「お詫びと言っては何だけど、夕食を一緒にどうかな。素敵な夜をプレゼントしちゃいますよ」
語尾にハートマークを飛ばす。気さくに言えば麻衣はふくれ面も忘れて、くすりと笑った。
「ナルに冷たい視線浴びせられるわよ〜」
「ふっふっふ、愛の為でしたら耐え抜きましょう。これからは愛の戦士、安原とお呼び下さい」
テーブルを挟んで繰り広げられるテンポの良い会話に、麻衣は耐えきれず声を出して笑った。
「ま、冗談はさておき。苦楽を共にした僕と谷山さんの仲です。同僚同士、日々の鬱憤を晴らす夕食会と言えば、所長も納得して下さいますよ」
「本当によく回る舌ね…」
褒めて頂き光栄ですと自他共に認めるよく回る舌は答える。松崎の横に座る、まだ笑いっぱなしの麻衣に視線を移し、どうでしょうかと問い掛ける。
「…奢り?」
口許に残る笑みと悪戯っぽい光を孕んだ瞳に安原は答える。
「勿論。谷山さんの心を誑かしたお詫びですから」
多少引っ掛かる所があったものの、麻衣はくすぐったそうに笑った。「行く!」 元気よく上げられた声に苦笑する。ころころと目まぐるしく変化する表情に目を奪われる。

同僚に夕食を奢る。それの隠された真意を知ることは恐らく容易い。当人だけは知らないようだが、そんな鈍感さも愛おしいと思えてしまう己の心情に毒されたようだと比喩する。強ち外れていない辺りが笑うに笑えない。
(所長にばれたら、大事ですかねぇ)
否、きっと既に真意は知られているだろう。それでも事務役から追い出されないのは能力を買って貰っている証であろうし、ある程度の信用は得ているからだろう。
(ま、本気で所長に喧嘩を売ろうとは思ってませんけど)
恐らく、所長室に籠もる男はそこまで分かっているのであろう。
信用の上に成り立っている身の上で、冷たい美貌を備えた男の泣き所であろう麻衣に本気で手を出そうものならクビどころではなく、それこそ命がけだ。流石にそこまで命知らずではない。
(ちょっと、惜しいとは思いますけどね)
口許に浮かぶのは越後屋か失恋の苦笑か。
でも、と思って安原は身支度を調えている麻衣を見た。夕食を奢って貰えるのが余程嬉しいのか、鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気だ。
(このポジションは、捨てがたいんですよねえ)
そう結論付けて、浮かんだのは間違いなく越後屋の笑み。嫉妬に戸惑う所長って言うのも見物ですからね。そんな思惑を巡らせている安原を横目に松崎は溜息を吐いた。

「じゃああたし、ナルに帰るって言ってくる」
あ、勿論安原さんのも言っておきますからね!
ちゃんと待ってて下さいねと念を押す麻衣に、はい、と答えながら苦笑が浮かぶのを抑えられない。まるで子犬だ。尻尾があれば今頃はち切れんばかりに振っていることだろう。
安原が頷いたのを確認し、少女が所長室の扉をノックしようと思った矢先、ドアノブは回され、扉が開いた。
「……何をやっているんだ?」
自分が開ける筈であった扉が予想外に開けられ、目を見開き口を半開きにした麻衣に向かって扉の向こうから出てきた、話題のネタを提供していた麻衣の上司でありお付き合いなるものをしている、全身黒尽くめナルであった。
扉は所長室に繋がっているのだから、出てくるのは所長であるナルでしかないのだが、こうもタイミング良く出てくるとは思っても見なかった麻衣にとっては純粋に吃驚しているだけだ。しかし出てきたナルにとっては開けた扉の先にいたのはぽかんとした麻衣の顔だ。問い掛けた声に疑問と多少呆れが入っていてもおかしくはないだろう。
「え、あー、いや、吃驚しただけ。丁度ナルに帰るって言おうと思ってた所なんだ」
「…そうか」
「あ、お茶?」
黒曜石のような瞳で頷けば「じゃあ、それ淹れたら帰るね」と言って給湯室に入っていった。それを横目に見届けたナルは自分の定位置になっているソファーに座って、分厚い洋書を読み始めた。
きちんと丁寧に紅茶を淹れる麻衣が、所長ご希望のお茶を持ってくるまでもう少し時間がある。その合間を有効活用しようと安原は越後屋の笑みを顔にぺたりとくっつけた。
「そう言えば所長、谷山さんがお茶を淹れましたら僕も帰りますので」
「…そうですか」
一瞥だけでなく、きちんとした--ナルにとっては---返答が来たことにより、頭の回転の速い彼ならば安原がわざわざ、麻衣の名を引っ張り出してきたことに何らかの意味を含んでいると理解しているだろう。理解しているからこそ、声で返事が返ってきたのだ。
やはり麻衣の名はキーワードだ、とほくそ笑みながら安原は何でもない風を装って喋り始めた。
「えぇ、今日、長年連れ添った僕と谷山さんの二人だけで夕食会をしようかと思いまして」
ぴしり、と音を立てて空気が凍ったのは、松崎の聞き間違いではなさそうだ。少年もよくやるわ…と呆れ半分感心してしまう。
わざわざ長年連れ添った、というまるで夫婦のような表現方法を使う辺り、喰えない。しかも二人だけと付け加える辺り抜け目ない。
所長に喧嘩売る訳ないじゃないですかぁ!と言っていたいつぞや安原の顔を思い出し、間違いなく機会があれば是非、と思っているような満面の笑みであったことも思い出し、一癖も二癖も、いやいや三癖もあるような男どもに惚れられている妹分のような麻衣にちょっぴり同情した。しかしそんな当人はその三癖もあるような男どもの上を時々、軽々と行くような人物であることも同時に思い出した。

「いやぁ、奢ると言えばすっごく喜んで下さって…。女性に貢ぐ男の気持ちがよく分かりました」
それはちょっと違うのでは。とまともに突っこんでくれる人物はここにはいない。勿論わざと言っている安原であるから、ここに滝川がいたとして、違うだろ!…とまぁ盛大なツッコミを頂いた所で、嫌ですねぇ冗談に決まってるでしょう。とさらりと対処する姿は容易く想像できる。
「あれに貢ぐほどの価値を見いだせません」
「え? そうですか?」
すっとぼけた声を上げる安原に、何やら松崎は拍手を送りたくなる。そして一刻も早くこの寒々しい空間から抜け出すべく、早々に麻衣が紅茶を持って戻ってくることを祈った。

「でも、本当にとても喜んで下さったんですよ」
麻衣の最大の魅力は笑顔だ。曇りのない、晴れやかな笑顔を見るとほっと一息吐きたくなる。彼女の優しい気持ちが笑みを向けられた自分にまで伝わってくるようで、それはあたたかく酷く心地良い。
「…何が言いたいんですか」
戯れ言は沢山だ。とでも言いたそうなナルの態度に安原は、ばればれですかーと笑って答えた。
不愉快そうに寄せられた眉は、そんなことわざわざ言われなくても知っている、と言外に物語っているようで、他人に興味を寄せない彼にしては人間らしい一面があることを分かってしまえば、首を竦めてしまいそうな冷たい視線にも立ち向かえる。
「つまりですね、所長もたまには谷山さんに何か贈り物をしたら如何ですか、と言うことです」
「必要性を感じられませんね」
「おや、そうですか? 何かを貰うってことは結構なポイントになるんですよ。好感度、と言ってもいいでしょうね」
「…どういうことで?」
付き合ってられないというオーラを出しているのに、会話に付き合うのは話題の中核に位置しているのが麻衣だからだろう。
麻衣が絡めばえてして素直となる我らが所長に安原は苦笑と敬意を思いながら、手榴弾を投げ込んだ。
「その内、所長が持っているポイントを、僕が貯めていくポイントが抜かしちゃうかもしれませんねぇ」
知ってます? ポイントって、色んなものに交換出来たりするんですよ。

直接的ではない言葉を確かに正しく理解したナルは整いすぎた顔を歪めた。それを直視した安原は内心、冷や汗をかきながらにこりと微笑んだ。
「ちゃんと優しくしないと、愛想つかれちゃうますよっていう、不肖安原からの忠告です」
谷山さんは可愛らしいですから、狙う方は沢山いらっしゃいますからね。
わざとらしく付け加えた言葉に、(あんたもその内の一人でしょうに…)と松崎は堪えず、赤い唇から溜息を漏らした。


「お待たせー。何が良いか選んでたら遅くなっちゃった。ごめんね」
「……あぁ」
「…怒ってない…?」
「怒られたいのか」
「とんでもない!大目に見てくれてありがとうございます」
ぺこり、と下げられた頭に溜息を吐く。頭を上げた麻衣がえへへと照れたような顔をして、待たせてごめんねともう一度謝った。
麻衣のそんな反応に、それほどまで自分は麻衣に厳しいだろうかと自問する。仕事に関して妥協を許すほど寛大ではないと自認しているが、結局の所、自分は麻衣に甘い部分がある。ある程度までは妥協し、それを甘受しているつもりだ。主にそれは生活リズムであるが。
「じゃあ、お先失礼します。所長」
陽気に敬礼をする麻衣に、ふと我に返り、あぁと若干遅れた返事をする。
「では、僕も失礼します」
軽く頭を下げた安原を一瞥すると苦笑が帰ってきた。そんなに睨まないで下さいと言っているようで、思った以上に不機嫌になっているらしい自分の感情に苦い思いを噛みしめる。

「…あの子、いい年してアクセサリーのひとつも満足に持ってないのよ」
「……」
「独り言、ってことにしておいてあげるわ」
「…どうも」
先程二人が消えていった事務所と外を繋ぐ唯一の出入り口に松崎は歩みを進める。からん、とドアベルが鳴って高いヒールを鳴らしながら松崎はブルーグレイの扉を閉めた。
一人残ったナルは麻衣が淹れた紅茶を手に取る。受け皿とカップが擦れた音がして、口の中に広がった紅茶は長時間所長室に籠もっていたナルを労る微糖の甘い味がした。


 (80505:111013)
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