ナルってずるい。ぽつり、零れた言葉にナルは紙に印刷されたアルファベットを追うのを止めて、麻衣を見遣る。何が言いたい。容赦のない詰問が飛んでくる。身が竦みそうになる鋭さだが、しかし本人は至って普通に問い掛けているつもりなのだから改善の見込みは皆無だ。
肝心の麻衣はぷっくり頬を膨らませて、鳶色の瞳でじっとりと恨みがましい視線を送る。

人間に頬袋はなかった筈だがな、いつから愛玩動物になった。
ちっがーうっ、それにっ半日も恋人を放っておいて言うことにことおいて、それかいっ
打てば響く脊髄反射で麻衣が年上の恋人に、がうっと噛み付く。対して、ナルは呆れた目線で早くも読書に引き戻ろうとしている。
「ナルは、ずるいって話だよ」
少なくとも、一旦読書を止めたということは話を聞く気があるということだ。ナルの気が変わってしまう前に麻衣は言葉を続ける。それは聞いた。僕が訊いているのは意味の話だ。なんでそんなつっけんどんな言い方するかな…と文句も入れつつ、麻衣は喋る。
「だってさ、ナルって酷い飼い主なんだもん」
彼はついに開いていた洋書をぱたん、と閉じて一言。
飼われている自覚があるとはな。例えだよっ、て、いうか自覚ってなに!ペットじゃないもんー!
ぺこぺことクッションをへこませながら怒りを表現するが、怖くともなんともない。それこそ本当に小動物がちょっと機嫌を損ねて、主人に向かって構って構ってと主張しているように見える。ペットを飼っているつもりはないんだがなと、口には出さず、黒衣の彼は溜息だけを吐いた。

むぅ…ともかく、ナルは釣った魚に餌をやらないタイプだと思うの!傍若無人だし、唯我独尊敵だし、秘密主義だし。一緒にいるのに、全然触れられないからナルが手から擦り抜けてる感じ…。

勢いだけで喋っているかに見えたが、終盤には眉を寄せて少し寂しそうに唇を尖らせた表情は元より童顔の麻衣を更に幼く見せた。
「…それは、お前もだろう」
風船が弾けたような驚きをして麻衣はナルを見詰める。益々大きく見開かれた瞳は宝石めいていた。

頼ろうとしない、甘えもしない、…餌をやろうにも野生動物のように受け付けない奴が何を言う。大体、暴走して手を擦り抜け消えてくのはお前の方だろう。

ナルの脳裏に幾つもの事件が思い浮かんだ。その幾つかで、麻衣は命の危機に晒された。原因の大半は、麻衣の無茶な単独行動にある。結果的に無事だったから良かったものの、何度となくひやりとさせられたのは麻衣ではなく、圧倒的にナルの方に多い。
注意して捕まえているつもりが、呆気なく彼女はそれを擦り抜けいく。引き戻して捕まえても彼女が麻衣である限り、それは一時のもので、これからもまた手から離れていくのだろう。
「ずるいのはお前の方だ」
面倒だとも思うし、手から離れた瞬間の空虚と恐怖に似た感情は二度と味わいたくない。それなのにまたひょっこり近付いてきて、傍で屈託なく笑うものだから、触れて繋いでおきたくなる。
きっとそれは麻衣だから沸き上がる感情なのだろうけれど、時々無性に深い溜息を吐きたくなる。面倒なのを相手にした、と。昔の自分には理解できない事態だ。否、今だって理解できない。研究だけに時間を費やせばいい。十分に満足とは言えないが、不満はない。それで良いはずだ。
「うろちょろするくせに」
青年にしては珍しく、恨みがましい音程で囁いた。いつの間にか目が離せなくなっていた。それはもうしょうがないことなのかもしれない。
「僕の苦労も、考えて欲しいものですね」

空いている手のひらは、必ず戻ってくる彼女を待っている。
---嗚呼まったく、面倒なやりとりだ!


あ、う、…ぇ、えぇえっと、……あたしって、すごーく、愛されて、るの?
固まっていた麻衣のやっと開いた唇が尋ねる言葉に、不本意そうに眉を顰めてナルは言う。
今更だ、この大馬鹿者。


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