Baby, baby, so cute!


 坊やの朝は早い。朝が早いだけでなく、恐ろしいまでに規則正しい。
 起床の時間、朝食の時間、掃除の時間、昼食の時間、風呂の時間、夕食の時間、就寝の時間。
 毎日繰り返されるサイクル。
 恐らく坊やの故郷で子供の頃から叩き込まれて来た習慣なんだろう。
 それは自他ともに怠惰と認める俺の生活を目映い太陽のごとく照らし出し、いかに不摂生極まりないかを改めて教えることになった。勿論そんなものは大きなお世話でしかない。
 別に、坊やが押し付けがましく同じサイクルを求めるわけではない。
 もしそんなことをしようとするものなら、とっくの昔に叩き出していただろう。
 そのことを予期していたのか、それとも他人は他人、自分は自分と割り切っているのかは分からないが、ネロは恐ろしく他人に無関心でマイペースだった。
 巻き込まれるよりはマイペースな方が良い。俺もマイペースな方だから、適当に距離を置きつつ用のある時だけ会話をするというスタンスは嫌いじゃない。
 それでも、うんざりする時がある。例えばそれが今だ。
「…………うるせぇ……」
 階下から聞こえる物音はベッドのパイプを伝って直に鼓膜に響いて来る。
 暴れまわっているわけでもなし、多分そう大した音じゃないんだろう。寝ている時でなければ。
 ウォーン、ブォーン、という音は掃除機の音に違いなかった。
 坊やが転がり込んで来てから一ヶ月、毎朝悩まされるのはコレだ。
 どうやら真剣にデビルハンターを目指そうとしている坊やを気紛れで受け入れたものの、初日の買い物でいきなり掃除機を買って来た時点でやはり追い出すべきだったのだ。
 今でも覚えている。弟子にしてくれと云いながら事務所をちらちらと見渡す坊やの目は明らかに汚いものを見る目つきだった。実際、汚かったわけだが。
 幸い片付けろだの汚すなだのと口酸っぱく云われることはなかったが、マイペースな坊やは勝手に事務所の掃除を始めた。
 それでも一応、触れて欲しくない部分は察しているのか、共同で使うような差し障りのない部分だけの掃除に留まったが、それを許したのが拙かったのだろう。
 気付けば坊やのテリトリーは徐々に増えていくし、遠慮もなくなって来たような気がする。
 腹立ち紛れにベッドから出した足を床に叩き付けた。
 排気音が止み、静寂とまではいかないが眠るのに支障のない静けさが戻る。
 俺は溜め息を吐いて、もう一度微睡みの中に沈むことにした。


 目を覚まして事務所に降りると、うんざりするほど小綺麗になっていた。
 坊やが来てからというもの半ば強制的に保たれている風景だったが、未だに慣れる事が出来ない。
 坊やはというとソファに座って一丁前にギャンブル専門誌を読んでいる。
 読むと云っても例のごとくヘッドフォンをしたまま、気のない様子で膝に広げたそれをぱらぱら捲っているだけのように見えたが。
「坊やが読むにはちょっと早いんじゃないのか」
 欠伸を噛み殺しながら云うと、ヘッドフォンを外した坊やが俺を胡乱げに見上げて来る。
「おはよう。……全然、早くないけどな」
「坊やが早過ぎるんだ」
「……もう二時だぞ?」
「生憎、俺は夜型なもんでね」
 小言を聞かされると思いきや、それ以上は突っ込む気はなさそうだった。
 溜め息を吐くと立ち上がり、「メシ食う?」と訊いて来る。
 いちいちマメな坊やだ。なんというか居候というよりは押し掛け女房のようだと思う。
「ピザ」と云うと、案の定良い顔はしなかったが、説教を垂れる気はなさそうだった。
「あっそ、じゃあ自分で電話しろよ」
「云われなくたって電話くらい自分で出来るよ、ママ」
 フンという鼻息が聞こえそうな表情で、坊やは再びソファに腰を降ろす。
 その様子ではひょっとしたら既に食事の用意をしていたのかも知れない。
 どっちにしろ不服があれば言い返せば良いのに、おかしなヤツだと思った。
 我が強いくせに他人に要求を押し付けるのは苦手らしい。
 そんなんじゃストレスで禿げるぞ、と思うのだが、云ったら顔面にドロップキックを食らいそうなので口には出さない。
「誰がママだ」
「はいはい、ママじゃねえよ。ママじゃねえんだから掃除洗濯家事炊事、別にやってくれなくてもいいんだぜ?」
 ぼそりと漏らされた台詞に言い返すと、坊やは雑誌を拾おうとしていた手を止め、俺を睨むように見上げて来た。
「アンタがだらしなさ過ぎるからだ」
「坊やは細か過ぎる」
 口をへの字にして。今度こそ言い返すかと思いきや、視線を左右に揺らしながら「そうかよ」と告げただけだった。
 何故か無性に腹に据えかねた。
「あのなあ、坊や――」
「俺は坊やじゃない」
「坊やだよ、じゃなきゃガキだ。まだ子供なんだから、云いたい事全部はっきり云っちまえよ。いちいち物欲しげに“察してくれ”みたいな目で俺を見るな」
「そんなんじゃ……っ」
「生憎、俺の目にはそう見える。ほら、云えよ。どうして欲しいんだ?」
「………………」
「ほら、云えって。遠慮するな、坊や。話くらい聞いてやる」
 ソファに腰掛ける坊やの前で腕を組んで仁王立ち。坊やは何故俺がそんなことを云い出すのか計りかねている顔で戸惑いがちに見上げて来る。
「云えよ。聞いてやるって」
 再度せっつくと、ようやく坊やは口を開き始める。
「……もっと、部屋綺麗にしろよ」
「生憎、綺麗過ぎると落ち着かないんだ。それで?」
「……ピザとかストサンばっか食うな」
「しょうがない、ジャンキーなんだ。それから?」
「…………たまには仕事しろ」
「たまにはな。週休六日はここのポリシーだ」
「――クソッ、アンタ結局俺の云う事なんか聞くつもりねぇんだろ!」
「話は聞くと云ったが、従うと云った覚えはない」
 坊やの目にはメラメラと怒りが湧いている。
 右腕が暴走するんじゃないかと心配になる程だった。
「だったら何で……っ」
「まどろっこしいからだ。そういうのは好みじゃない。これから先もまだここに居たいってんなら、――これはルールだ。云いたい事があったら云え、それを俺が聞くとは限らないがな。それが嫌なら出て行ってもらう」
 坊やは逡巡するように床へ目を走らせた。
 それから小さな声で、「分かった。努力する……」と俯きがちに漏らした。
 別段、努力する程の事でもないと思うのだが。
 結局の所、この坊やは人に甘えるということを知らないのだろうと思った。
 好き放題マイペースに振る舞う事と、自分の考えを誰かに知って欲しいということは全く別物だ。
 誰かに知って欲しい、知ってその望み通りにして欲しいというのは一種の甘えになる。
 誰もがそうと知らないうちに身近な誰かに甘えを寄せるものだが、この坊やにはその経験がほとんどないらしい。
 それを可哀想だと思うほど殊勝な考えは持ち合わせていなかったが、このくらいの年頃は甘えていたほうが可愛気があると思った。
 警戒心の強い猫のように着かず離れず様子を伺われるのも悪くはないが、そろそろ懐いてもいんじゃないかという、それは俺自身の甘えであり気紛れでもあった。
 その気紛れによって後悔したのは今朝のことだというのに、俺はまた過ちを犯したというわけだ。




 俺はベッドの中で頭を掻きむしった。
 ウォーン、ブォーンという、ここ最近うんざりする程聞かされた音がする。
 だが今日のそれは強烈だった。
「うるせぇ…………ッ」
 少しでも音を遮ろうと、回らない頭のまま手近にあったシーツを手繰り寄せて頭から被った。
 だが、ばさっと大きな音と共に衝撃があって、肌寒い空気が一気に全身を襲う。
 なんだと思うのと、シーツを剥がされたことに気付くのと、呆れたような声が聞こえたのは同時だった。
「起きろ、おっさん。もう昼だ」
「ハァ?」
 眼球にひっついた瞼を無理矢理押し上げると、坊やが覗き込んでいた。
 相変わらずウォーンという壮絶な排気音が何故か俺の部屋から聞こえて来る。
 案の定、坊やの手には掃除機。
「……ざけんなよ、坊や。俺はまだ眠いんだ」
「あっそ。あ、シーツ、洗濯するからどいて」
「おい……」
「あと朝メシも作ったから早く降りて来いよ。朝っていうか昼だけど」
「おい、坊や……!」
 俺の睨みもさらっと流し、ようやく坊やは掃除機の電源を落として、棒の部分を肩に担いだ。
 愛剣のようにサマになっているが、それもどうなんだろう。
「云いたい事云えって云ったの、アンタだし。アンタに遠慮してると、この先ずっとゴミ溜で暮らすことになりそうだから。快適な環境を作るのに協力するのも、家主の務めなんじゃないの?」
「お前……可愛くねぇな」
「そう?」
 坊やはニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。
「寝起きの悪いアンタは、まあまあ可愛いと思うけどな」

END
Title by テオ
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