かのうだったなら
「生まれ変わったら鳥になりたい、なんて、随分馬鹿なことを云ったもんだ」
そう云うと、隣に立つ彼はそれはそれは嫌そうに顔を歪めた。
「馬鹿で悪かったな」
「鳥って云ってもさ、色々あるわけじゃない? 何になりたかったのさ」
「……別に、何ってわけじゃ」
「じゃあさ、ニワトリでも良かったの?」
「飛べねえだろ」
「でも鳥だよ?」
「…………」
「食べられても良かったの?」
黙ってしまった彼から目を逸らすと、目の前を電車がごーごーと音を立てて通り過ぎて行った。
ずいぶん騒がしい世の中になったものだ。
「じゃあさ、それってつまり空を飛びたかっただけってこと? 別にさあ、生身でも飛べるじゃん。飛ぼうと思えば」
「……俺はお前じゃねえんだよ」
知ってるよ、そんなこと。
だって俺は鳥になりたいなんて思ったことはない。
それに俺だってもう飛べない、飛ばない。
「それともさ、自由が欲しかったなんて云うなら、それこそ救いようもない馬鹿だよね」
「……うるせえな」
「自由になりたいってのはさ、つまりアンタにとってあの頃背負っていたものは重すぎて逃げ出したかったわけだろ。自由って云うのはさ、逃避だろ?」
上がった踏切を越えて行く。
渡っている途中で再びカンカンとけたたましい音がして、遮断機が下り始める。
ふと隣に気配がないのに気付いて振り向くと、踏切の向こうで立ち止まったまま彼は俯いていた。
遮断機はもう降りていて、二人の間に壁を作っている。
「伊達ちゃん?」
声を掛けると、ゆっくりと彼が顔を上げた。
その表情に、俺は喉奥で何かが詰まったように息が出来なくなった。
嗚呼、昔はよくそんな顔をしていた。
「そうさ、俺はお前と――」
彼が何かを呟いた時、電車がすべてを掻き消してしまった。
短いようで長いような、空白。
俺は電車の向こうに彼がいないのではないかと不安になった。視界が開けた時、もう彼はいないのではないかという漠然とした、だが確信のようなものがあった。
余韻を残したまま、踏切が上がって、彼が歩き始めた。
彼は消えていなかった。
だが、さっきまでそこにいたはずの“彼”はもういなかった。
ここにいるのは、ただの高校生だ。
情報化社会の中で、ただひたすらに自分のことを考えていても生きて行ける、甘やかされた国の子供だ。
俺は何故か裏切られたような気がした。
「良いんだよ、もう、思っちゃいねえよ、鳥になりたいなんて」
彼は普段通りの口調でそう云った。
気付いていた。
あの頃背負っていたすべての荷を下ろした彼は、自由にはなったけれど、少しも幸せそうではなかった。俺がもうすべて諦めて捨ててしまったものを、彼はまだ大事にかき抱いている。
おかしな顔をしていたのだろう、彼は俺を見ると笑って云った。
「飛びたくなったら、飛ぶさ。生身でも飛べるだろ、飛ぼうと思えば」
うん。
俺に否定する権利はない。
今も、昔も。
これから先も、ずっと。
でも、
「そうだね。その時は俺も連れてって」
何のしがらみも義務もない、今なら。
彼は困ったように少し笑って。
けれど何も云わず、俯いただけだった。
掻き消された声を、俺は確かに知っていたんだ
END