すぐに、なんて偽りが


 時間を見つけて、503号室に見舞いに行くのが俺の日課になっていた。
 特別室に入院しているその子は、最近視力を失ったまだ高校生の少年。夫の度重なる浮気にノイローゼ気味だった母親が、ハサミで少年の両目を刺した。最初に刺された右目は潰れた。二度目に刺された左目は、瞼を貫通して角膜を傷つけた。左目は、一度は見えるようになるかも知れない。
 だが、すぐにまた光を失うだろう。
「こんにちは、気分はどう?」
「……アンタか」
 ドアを開けると、まるでそこに景色があるかのように窓に目を向ける少年がいた。両目は包帯で厚く覆われていて、光すら感じることはないはずだ。
「毎日、アンタも暇なんだな」
「まあね」
 了解も得ず、ベッド脇の椅子に腰を降ろした。
 両親は見舞いに来ない。母親は別の病院に入院しているし、父親は妻の犯した行為を隠蔽するのに忙しいらしい。
 俺はそのことを少年の口から聞かされた。
「りんご、食べる?」
「いらねえ」
「梨は?」
「いらねえよ」
「メロンもあるよ、ぶどうも――」
「いらねえって云ってんだろ」
「すぐに、視えるようになるよ」
 少年の、息が止まった。
 止まって、また、震えもしない唇で、
「嘘吐き」
 平気な振りで音を紡ぐ。
「うん、俺は嘘吐きなんだ」
「バカ、死ね」
「ふふっ」
 君にそれを云われるのは、ちょっとツラい。
「なあ、アンタ」
「ん?」
「好い加減、名前教えろよ。アンタ、ここの医者なんだろ? どうせ看護婦さんに聞いたらすぐ――」
「だーめ、最初に云ったでしょ、『包帯が取れたら、自分の目で見て、思い出して』って」
「それは……」
 うん、酷いこと云ってるよね、少年。
 でも俺も、必死だから。
「視えるようになるよ、左目は。多分ね」
「……適当すぎるだろ、それ」
「はははっ」
 少年の白い指が、少しだけ強張って、白いシーツを掴んだ。
「俺……、アンタに会ったこと、あるか……?」
「さあね、どうだろうね」
「……何だよ、思い出せとか云っといて」
「はは。まあ、それは、さ。そうしてくれないと、俺もいつまで経っても盲目のままだから」
「え……、アンタ、目……?」
「目? 見えてるよ、両目とも2.0」
「っんだよ! ……つーか、俺に向かってそれを云うか、フツー」
「フツーじゃないもん、俺」
「……変態」
「はっはっ、懐かしいな、それ」
 世界が意味を持たなくなって久しい。
 勿論、君は知らないよね、少年。
 この世に産まれ堕ちて、俺はずっと暗闇の中で息をするのに精一杯だった。
「意地でもアンタの顔見たくなって来た……どんな変態面してんだか」
「俺、男前だよ〜? 見たら惚れ直すよ?」
「いま惚れてるような言い方すんな」
「あら、バレた?」
「ざけんな」
 本当はね、その包帯をひん剥いて眼球を舐め回したいと思ってる。そうしたら、譫言のように喘いで、俺の名を呼んでくれるような気がする。この世界に、色が戻って来るような気がする――そんな妄想。
「そろそろ行かなくちゃ」
 このままだと、襲っちゃいそうだよ、少年。君を泣かせたくて堪らない。
 幸いなことに俺は君を泣かせるのが得意なんだよ――知ってるかい、少年?
「……明日も来るのか」
「来て欲しい?」
「…………」
「うそ、来るよ」
「なあ――」
少年は、乾いた唇で云った。

「すぐ、思い出すから――」

真っ直ぐな音色。
何を思い出せばいいのかも知らないくせに。




「うん、期待しないで待ってるよ」


嘘吐きは、どっち?



END
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