いつかのうたを


「あら、アンタいいところに帰って来たわ」
 久々に実家に帰ると、「おかえり」よりも先に母がそう云った。しかも「いいところ」と云うには明らかに残念そうな顔をしている。
「何?」
「お隣りのね、お爺ちゃんが亡くなったのよ、昨日。癌だったんですって」
「へえ」
「今夜、お通夜だから、アンタも行くのよ」
「えっ、何で俺が」
「馬鹿、小さいとき色々お世話になったじゃないの」
「そうだっけ」
 仕事仕事で疲れて、たまには自炊から解放されようと帰ってくれば、よく覚えてもいない人の通夜に出なきゃいけないとは。
 正直がっかりだ。




 スーツからスーツに着替え、数珠を持った。
 同じなようでいて、色が黒いというだけで少し身が締まるのは、やっぱり社会人になっていくつか経験したといってもまだ慣れない弔問に行くせいだろうか。数年前までド派手なオレンジ色だった名残の明る過ぎる茶髪と、喪服という組み合わせには違和感がある。真面目な場に出て行くにはやけにお水臭いな、と自分でも思うのを、辛うじて黒のネクタイがそれらしい雰囲気にしてくれていた。
 通夜には大勢の弔問客が訪れていた。
 亡くなった爺さんは地元の大地主だったらしいから、その関係なんだろう。
 家の構えも“家”と云うには大きすぎ、差し詰め“お屋敷”といった風情だった。
 小道ひとつ挟んだところに、何故こんな大きな家が建っているのか不思議なくらいだ。
 ふと、子供の頃を思い出した。


 まだ小学校に上がりたての頃だったろうか、確かに俺はよくこの家に遊びに来ていた。
 引っ越して来たばかりで、まだ友達も少なかった頃、俺にとってこの家は今よりもっと大きく見えて、お城か何かだと思っていた。
 家の人に見つからないよう忍び込んでは、どこまでも続いているような庭でひとりこそこそと遊んでいた。池の鯉を捕まえようとしてみたり、石の裏のダンゴムシを拾い集めてみたり。
 庭で遊び尽くした俺は、ある時ふらふらと建物の方にまで足を運んだ。
 そこにいたのだ、あの爺さんは。
 爺さんは、あの頃から爺さんだった。
 その時、どういう会話をしたのかは覚えていないが、俺は爺さんと仲良くなった。
 爺さんは頑固だったり礼儀作法に厳しかったりしたが、優しかった。色んな昔話をしてくれた。童話とか、神話とかだったり、歴史上の人物の話だったりした。
 色んな遊びも教えてくれた。剣玉とか独楽だとか、今時の子供がやらないことばかりだったが楽しかった。
 習字も教えてくれた。母に聞いたところ、爺さんは書家としても有名でただで教えてもらえることを喜んでいたが、子供の俺にその価値が分かる筈もなく、習字だけは好きになれず二度か三度で投げ出したのを覚えている。
 俺が一番好きだったのは、爺さんの歌だった。
 テレビでは一度も聞いたことのないような、多分昔の古くさい歌だったんだろうが、俺はそれを縁側に座ってぼーっとしながら聞くのが好きだった。
 そんな俺のことを見る爺さんの目は、優しかった。
 それから、多分、友達が出来たか他に興味が引かれることが出来たのだろう。
 俺は爺さんに会いに行かなくなった。


 順番が来て、焼香台の前に立った。
 遺影を眺め、一歩前に進んだところで違和感を覚えた。
 遺影の中の爺さんは、しかつめらしい顔でこちらを見ている。
 笑った写真はなかったのだろうか、あれだけよく笑っていた人だったのに。
 だが、違和感の正体はそれではない。
 合掌の間も、焼香をしている間も、違和感の正体について考えていた。
 けれど結局分からなくて、遺族に一礼をして、式場を後にした。




 気が付いたのは、屋敷を出てぼんやりと空を見上げた時だった。
 満月だった。
 真っ白な月が、ぽっかりと闇に浮かんでいる。
「あ、」
 爺さんの目だ、と思った。
 爺さんは、片目が真っ白だったのだ。
 今思えば、爺さんが偏屈で頑固だったのも、そんな片目をしている引け目みたいなものがあったせいなのかも知れない。健康そうなのに、外を出歩く姿は見たことがなかった。
 遺影に両目があったのも、爺さんの遺言だったのだろうか。
 だとしたら。
(うん、爺さんらしいや)
 なんとなく、家までのわずかな道のりを、爺さんのことを考えながら歩いた。
 おぼえてもいないあの日の歌を、口ずさみながら。


あの人の声が
好きだった


END
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