アマデウス症候群


「アンタには分かんないだろ、兄弟子たちの残飯を釜から爪を立てて毟り取って食う惨めさも、口減らしのために消されるのを恐れて毎日血みどろで技を身につける必死さも、いざ一人前になったところで人として扱われない虚しさも、毎日毎日人を殺すか欺くことでしか必要とされない痛みも、アンタになんかひとつも、欠片も分からない!」
 男は静かな目で俺を見た。
 底のない湖の水面が月を照り返しているようだった。
 男はただ「分からねえよ」とだけ云った。
 その目は同時に「お前にも俺のことなど何ひとつ分かりはしない」と云い、そうして男は穏やかに微笑んで俺を腕の中に閉じ込めた。
 静謐さと、諦念。
 その密やかな空間には、人を蹴落とすことでしか生きられない俺よりも、自分自身を殺すことでしか生きる場所を与えられなかった男の闇が澱んでいた。
 俺よりも深い闇を持った人間が居たのだと、感じたのは確かに安堵だった。

END
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