冷静と情熱のあいだ「シャ、レに……なんない、でしょ……ッ」
顔を隠すように手を交差させながら、呻くように彼が云うのを、僕はじっと見ていた。
「洒落じゃないですから」
努めて冷静に云ったつもりだったが、心なしか声が上擦ってしまったように思う。
気づかれただろうか、と彼の様子を窺うものの、相変わらず彼は表情を隠すのに必死で、ともすれば僕のことなど意識にないのかも知れない。
――いや、意識せずにはいられないはずだ。
「ちょ……っ」
試しに腰を引くと、彼は慌てたように僕の両腕を掴んだ。
お陰で隠されていた表情がようやく現れた。
浅黒い肌、無精髭――手入れをしているのかも知れないが――歳相応の皺、付け加えるならタレ目で。
――まったくもって好みじゃない。ナンセンスだ。
だけど、焦ったような表情や、あちこち引き締まった身体や、忙しない息遣いは、嫌いじゃない。
「ぅあ……!」
一気に奥まで突き進むと、面白いくらいに身体が跳ねた。
折角晒された表情が、また手の下に隠される。
「落ち着きのない人ですね」
「……っおま、えが……云うな!」
「僕はいつでも冷静です」
「ッだ、ったら……動くんじゃ、ねえよ!」
嘘だ。
冷静じゃない。
冷静だったら、こんなオジサンに欲情なんてしないだろう。
そう、僕は冷静を欠いているに違いない。
「動かずにどうやって、セックスするって云うんですか。……ああ、オジサンが動いてくれるんですか?」
「……なワケ、あるかッ」
冷静だったら、もっと的確に問い詰めることも出来ただろう。
どうして、抵抗しないのか。
――本気で抵抗してきたのは最初だけだった。
どうして、男同士のセックスに慣れているのか。
――苦しくないように自然に力を抜いて。
どうして、俺を咎めないのか。
――口先の文句ばかりで。
ああ、腹が立つ。
――僕は、冷静なんかじゃない。
「ほら、動いて下さいよ」
「ぐ……ぁっ」
未だ顔を覆い隠そうとする両手を掴んで、無理矢理引き上げた。
途端にアナルの締め付けが強まって、喰い千切られそうな痛みが走る。
それでも声を上げなかったのは、彼の表情を見逃すまいと全神経を尖らせていたからだ。
ベッドヘッドに凭れ、腰の両脇に彼の両手を固定する。
前屈みになって衝撃を耐える彼の表情が、丸見えだった。
怒りではないもので肌を赤く染めた彼が、恨みがましい目で俺を睨めつける。
膜の張った目でそんなことをされても逆効果だと思った。
「テメ……おぼえてろよ……ッ」
「覚えてますよ。僕は頭が良いので」
「クソ……ッ」
彼は忌々しげにそう呟くと、腰をもぞもぞと揺らし始めた。
躊躇した素振りを見せたのは始めの内だけで、その動きはすぐにリズミカルなものに変わった。
「ア、はっ……は、あ、ああッ……ハッ……」
「本当に、誰に仕込まれたんだか……」
「んん……っ、ア、い、ぃい……ッ」
声は届いていないようだった。
だらしなく涎を垂らしながら、耐え難いというようにぎゅっと目を閉じて、それでも腰を振りたくっている。
彼の頭の中で、僕のペニスは誰か別の物になっているのかも知れない。
そう思うと、途端に下腹が熱くなった。
「ぅあッ……ひ、あああぁ!」
「腹の立つ人だ」
放り出すように彼の上体を突き飛ばし、身体を折り畳んだ。
腰を高く上げさせ、垂直に振り下ろすようにペニスを叩きつける。
「ぅあああ……!」
怒りをそのままぶつけるように抽挿を繰り返すと、彼は息も絶え絶えに拒絶の声を上げ始めた。
「ぃやだ、もうッ、やめ……ヤメロ! もう無理……う、ああっ!」
「何が無理なもんですか、こんなに美味しそうに、銜え込んでいる癖に」
先走りが溢れて、結合部からはジュブジュブと粘液質な音が聞こえてくる。
それを聞きたくないと云うように、彼は頭を打ち振るった。
普段は奔放に跳ねている手入れの行き届いていない髪が、水分を伴って力なくシーツに貼りつく。
「ィキたい……もう、イキてえんだよ!」
「ええ、ご自由にどうぞ」
泣きそうな目が、僕を縋るように見上げる。
ああ、そういうコトか――。
彼のペニスは確かに快感を感じて勃起してはいるが、前立腺への刺激だけでは達することが出来ないのだ。
彼はそれを知っている。
その事実がまた僕の推測を裏付けるようで腹が立った。
「これで、イケますか?」
彼の右手を解放し、次いで彼自身のペニスを握らせた。
その手を包み込むようにホールドしながらスライドさせると、彼の身体がびくびくと断続的に跳ねる。
その都度閉まるアナルを掻き分けるように、僕はペニスを捩じ込んだ。
喩えようもない快感だった。
「ぅ、ぁあ、あ、動くな、よぉ……っ」
「動かないと、僕が、イケないじゃ、ないですか」
「知る、かっ、っひ……ッぅあ、ああ、あ、ま、待、て……待っ……!」
「待ちません、オジサンも、イキなさい」
「ひぃ、あああああああ――ッ」
ぎゅうっと掌で握りこまれるようにアナルが締まった。
彼のペニスから精液が飛び散る。
眼前にあったペニスから射出された精液を、彼は自身の顔で受け止めることになった。
必死に眼を閉じて、射精の快感をやり過ごそうとする彼に、どうしようもなく興奮した。
引き込むように蠕動する直腸に、僕も快楽を得ようと最後のスパートを掛ける。
「なっ、まだ、俺、イッて……っや……!」
「オジサンだけ、なんて、ズルイ、でしょう……っ」
「ぁ、あ、ああああッ」
「出しますよっ」
「あ……、やめッ、中は、ヤメロ……!」
「もう、遅いです……!」
「ひぃ……!」
そうして僕は、彼の中に精液を、諸々の感情ごと流し込んだ。
「まったく、若者には着いて行けないわ。元気ありすぎでしょ」
シャワールームから出てきた彼が云ったのは、そんな一言だった。
「云うことは、それだけですか……」
酷いことをした、という自覚はある。
けれども、今の僕が感じているのは憤りだった。
「他にどう云えっていうのよ」
呆れたように溜め息を吐きながら、彼はベッドの周囲に撒き散らされていた服を掻き集めては着て行った。
「ちょ、ボタンねぇし……」
シャツを纏い、一番上のボタンがないことに気づいた彼が悲しげに千切れた糸の断片をなぞる。
そんな彼の様子を、僕はベッドに腰掛けたまま、見るともなしに見ていた。
不意に思う。
嗚呼、僕は彼に何の変化も与えられないのだ――胸の裡を冷たい風が撫でて、消えた。
「バニーちゃん、さ」
掛けられた声に、知らず俯いていた顔を上げた。
彼は手のかかる子供を見守るような目をして云った。
「なんでバニーちゃんがそんな顔してんの。バニーちゃんにそんな顔されたらさ、俺が泣けないでしょ?」
彼は笑っていたが、泣き笑いの表情だった。
「……すみ、ません」
漸く、罪悪感が込み上げてきた。
違うと分かっているのに、僕は泣きたくなった。
「すみません、でした」
あれ程見逃すまいと必死だったはずの彼の表情が見れなくて、彼がそうしていたように、手の下に表情を隠した。
「そこで謝るのは、狡いと思うよ。バニーちゃん」
もう一度呆れたように呟いた彼は、それ以上何も云わず、ただ静かに部屋から立ち去った。
「……すみませんでした」
誰もいなくなった、彼の匂いのする部屋の中で、僕は未だ顔を上げられずにいた。
そう、僕は冷静を欠いていたのだろう。
「愛している」の一言さえ、貴方に告げられずにいたのだから。
END