※椿が先天的に女の子です。 ※「空色フェノール」様の「彼の理由」という作品の続きです。 |
彼らの理由 |
「賭けようぜ、椿」 ニヤリと笑うその顔に、胸が嫌な音をたてて軋んだ。 彼らの理由 パチン、という音を立てて、縦横九マスの盤上に駒が整列した。 夕日が射し込む生徒会室にその音が響くのはいつぶりだろうかと椿は考える。目の前に座る男がまだ生徒会長だった頃は、放課後のちょっとした時間によくこうやって相手をしてもらった。囲碁でも将棋でも一度も勝ったことはないが、勝負をしているというよりむしろ指導に近かった安形との一局一局が椿は楽しかった。年齢の近い相手との試合は、父親や親戚の叔父達としか打ったことのない椿にとって新鮮だった。 そしてそれは目の前の男も一緒だったはずだ。年下と打つのって楽しいなという安形の言葉は決して社交辞令ではなかったと思っている。だからどれだけ実力差がありながらも、ハンデをつけながら安形は椿と打つのをやめなかった。勝敗は二の次に、ただ放課後の一時をボードゲームに向かうことを楽しみにしていたはずだ。 『賭けようぜ、椿。一枚駒をとるごとに、いっこ質問に答えること』 だから椿には、何故安形があんなことを言ったのかがわからない。勝敗ですら気にしなかった彼が、いきなり賭け事なんて言い出した理由が、椿には見えなかった。 「…あの、会長」 「んー」 「別に駒をとったらなんて言わなくても、僕に答えられることなら答えますよ?」 盤上から視線を上げない安形に言うと、並べた駒の中から玉を持ち上げて手で転がしながら感情の見えない声が返ってくる。 「いや、まあ久々にお前と将棋打ちてぇなとは思ってたし」 「はぁ…」 「先手やるよ」 「…では」 考えすぎかと思い直して、椿は一手目を打った。 木と木がぶつかる心地よい音が響くと共に、玩んでいた玉を元の位置に置いて、安形が駒を動かす。いつもの手だと思い出して、椿は懐かしくなった。 二手三手と勝負が進む。言葉はなく、ただパチンという音が間を持たせる空気が、けれど椿には心地よかった。どうにも話すことが得意ではない椿にとって、安形との時間はゆったりとしていて居心地がいい。 自分にばかり仕事をさせるいい加減な前生徒会長が初めは好きになれなかった。けれど彼と仕事をするうちにその大きさとカリスマ性に気づき、いつの間にか誰よりも尊敬する人物になっていた。偉大な先輩へ向ける敬愛。それ以外の感情を椿は知らない。 ――可愛いな 「…っ」 不意に頭をよぎったのは、さらりとした低い声。それは椿に向けられたものであり、そして違う女子にかけられた言葉でもあった。 「あ…」 「ほい、歩いただき」 ニヤリと笑って、安形が椿の歩兵を盤から取り出す。 一番弱い駒だから特にダメージはないが、それでもこんなに早い段階で駒を取られたことなんてなかった。 目の前の男が本気なのだと、椿はようやく気づいた。 「じゃ、とりあえずいっこ答えてもらおうか」 「…答えられる質問なら」 「お前さっき俺のこと嫌いって言ったの、あれどういう意味?」 「え…」 予想外の質問に、椿はすこし驚いた。生徒会室まで連れてこられたことから、生徒会業務に関することだと勝手に思っていたのだ。 「意味って、そう深い意味はありませんよ。ただ、誰彼構わずあのようなことを言うのはよくないです、と言いたかっただけで」 「…誰彼構わず、ね」 言いながら、今度は前線に出てきていた椿の桂馬を、あっさりと取る。 「…ミチルか」 「え?」 「相談したろ、お前。あいつから声かけてきたのかもしんねぇけど。何言われたんだ?」 「何って…」 「俺が誰彼構わず可愛いって言ってるって言われたのか?」 顔は盤上に向けたまま、下からすくい上げるように視線だけが椿をとらえる。 言われたもなにも実際そうじゃないですか。言葉は声にならず、椿は息を飲んだ。 最初に可愛いと言われたときは、その意味が分からなかった。一緒に生徒会として活動しているときには一度だって言われたことのないその形容詞は、そもそもほとんど椿には向けられることのないものだ。何度か言われるようになっても全く慣れないその言葉を、けれど彼は他の女子にも当たり前のようにささやいていた。 ざわついた心の苦しいような感覚を椿は知らない。だから榛葉に言われた、誰彼構わずそんな軽い言葉を言う態度に起こったのだという助言を、椿はそのまま受け入れた。そしてその助言の通りにしたのだった。自分に可愛いと言う安形に、嫌いだと返す。榛葉に言われたまま。 瞬間表情を消した安形を、そのとき初めて怖いと感じた。 「…ま、だいたい予想はつくからいいけどさ」 「……」 「俺はお前のこと可愛いと思ってるぜ」 ビクリと椿の体が震えるのを、安形はまたニヤリと笑って見る。 「お前はさ、俺に可愛いって言われてどう思う?」 「…そう言われる理由が、よく分かりません」 「理由?簡単じゃねぇか。可愛いと思ってるからだよ。真面目なとこも、堅物で融通がきかないとこも、メンタル弱いとこも、あぁあと顔も」 「そっ…!」 スラスラと言いながら、安形の手は止まらない。混乱している椿にはもはやまともな将棋は打てていないのに、それでも安形は追い詰める手を休めない。 パチリ。椿の飛車が盤上から消える。 「お前さ、俺が他の子に可愛いって言ってるの見て、どう思った?」 「誰彼構わずそんなことを言うのはよくないと」 「ミチルに言われたことじゃねぇよ。お前の本心はどうだったんだよ」 「…分かりません」 ただそんなこと言ってほしくないと思った。自分も言われているのに。誰彼構わずじゃなくても、たった一人だったとしても、自分以外の誰にもそんなこと言ってほしくないと。 (ほんとは分かってた) 安形が好きだから。可愛いと言われたら嬉しくて、なのにそれが他の誰かにも簡単に与えられるものだと知って悲しかった。 分かっていた。分からないふりをしていた。そんなこと、目の前にいる天才と呼ばれるこの人はとっくに気づいているのだろうけど。 椿の王を守る金将に安形の手がかかる。ここで王を逃がさないと王手をかけられるということには、さすがに椿も気づいた。 盤上から顔をあげると、おそらく王を追い詰める手を考えているのであろう安形の、強い光の宿った目が真っ直ぐに自分の手元に落ちていた。 椿が香車を動かして安形の歩兵を取ると、その目はハッとして椿をとらえる。 「椿…?」 「…ひとつ、聞かせて下さい」 顔を伏せたまま、震える声で椿は言った。 「会長は、僕のことが好きなんですか…?」 「…気づくのおせぇよ」 笑って、安形は王の前に駒を進める。 これで王手だ。 「椿、俺と付き合って下さい」 「…はい」 end |
「空色フェノール」様の10000hit企画でリクエストさせて頂きました! こちらのサイト様の安椿(♀)小説で「彼の理由」と言う作品がございまして。 そのお話しが物凄い可愛くて大興奮だったので、是非続きを…!と勢い余ってお願いしました。 そしたらば、こんなにも可愛くて素敵な小説を書いて下さいました!! これはヤバスです…椿ちゃん本当に可愛いし、策士な安形カッコイイです(*´p`*)hshs 情景が目に浮かぶ文章で、しかもその景色の綺麗なこと!! 夕日のあたる生徒会室で将棋…… 砂斗さんのセンスに脱帽です、拝読しててリアルに涎垂れそうでした。 最後の安形の告白が丁寧語なところがまた萌えて…! 大変萌えさせて頂きましたvv 砂斗さん、素敵な作品を有難うございました!! |