29




朝目が覚めて時計を見ると、予定より少しだけ早い時間だった。
ふと隣をみると靖友くんはまだ夢の中で、気持ちよさそうな寝息がスース―と聞こえている。
その寝顔に、胸がきゅっと締め付けられた。
愛しくて、幸せで……そのサラサラとした黒髪に指を通せば、くすぐったいのか少し顔を歪めた。
そっとその頬にキスをして、私はベッドを出た。
軽い朝食を作りながら顔を洗い、出かける準備をする。
パタパタと部屋を移動していると、いつもより少し低い声で呼び止められた。

「雛美。」
「あ、ごめん。起こしちゃった?」
「それはいいンだけどォ……。」

そう言って伸ばされた手に近づくと、ぐっと引き寄せられる。
私の胸元に顔を埋めるようにすりすりとされて、何だかくすぐったい。

「どっか行っちまったかと思った。」
「どこも行かないよ?」

頭を撫でながら諭すようにそう言うと、拗ねてしまったのか口を尖らせた。
そんな姿が可愛くて、私は髪をかき分けておでこにキスした。

「おはよう。」
「ん、はよォ。」

靖友くんは少し驚いてから、口角を上げてニッと笑う。
起き上がった靖友くんは伸びをして、私の頭をわしゃわしゃと撫でた。

「うし、準備すっかァ。」
「うんっ。」

嬉しそう笑う靖友くんにつられて、私も笑う。
靖友くんの友達に会うなんてすごく緊張する、だけど……。
靖友くんが一緒に居てくれるから、大丈夫。




電車をいくつか乗り継いで、私たちは箱根に向かった。
朝早かったのもあって靖友くんは途中うとうとしていて、それがとても可愛い。
駅に着くたびに眠りが浅くなるのかふにゃふにゃ言い始める靖友くんに”まだ大丈夫”と言うとまたスース―と寝息が聞こえてきた。
そうしてなんとかたどり着いた箱根は思っていたより寒くて、ぶるりと体が震えた。
靖友くんの案内で旅館に向かうと、その大きさに驚いた。
いかにも”老舗旅館”と言った風合いのその大きな旅館は、今日会う人の実家だというからさらに驚かされる。

「こんなところに泊まるとか、気が引ける……。」
「気にすることねェって。俺が払うんだしィ。」
「えっ、何言ってるの。私が出すよ、仕事してるもん。」
「カッコつけさせろっての、バァカ。」

靖友くんはまた私の頭をくしゃくしゃと撫でた。
申し訳なさと嬉しさで良くわからない表情になってしまった私をケラケラと笑う。
それでも頑なに断るのも悪い気がして、私は靖友くんに甘えることにした。

「代わりに、私何でもするから!」
「何でもォ?」
「うん、なんでも!」

それを聞いてニッと笑った靖友くんに、体がビクリと震えた。
何だか嫌な予感がする。
怯える私を見て靖友くんは嬉しそうに笑う。
それでも反抗することなんて許されないし、そうするつもりもない。
靖友くんは無理強いはしないってわかってるから、大丈夫。
……たぶん、きっと。





玄関の広さや仲居さんにもびっくりしたけど、通された部屋をみて私はさらに驚いた。
その部屋は窓際の小さな間を合わせれば3部屋もある豪華な造りだった。
余りの広さに、少し居心地が悪いくらいだ。

「や、靖友くん……これって……。」
「アー……多分他のやつらも交えてここでメシ食うことになっかも。」

靖友くんは”やられた”と言いながら舌打ちをする。
どうやら靖友くん自身もこんなに広い部屋だとは思っていなかったらしい。
お友達の計らいだろうか?
部屋をあちこち見て回っていると、靖友くんがハッと笑った。

「何してんのォ?」
「いや、なんか落ち着かなくてっ……。」
「あいつら来るまで時間あるし、ちょっと歩くか?」
「あ、うんっ。」

靖友くんに手を引かれて、私は部屋を出た。
旅館は本当に広くて、温泉もいくつかあるらしい。
靖友くんは家族風呂がないとブツブツ言っていたけど、私はなくて良かったかも……。
一緒にお風呂は、まだ恥ずかしい。
でもそんなこと言うとアパートに帰ってから一緒に入ろうと言われそうで、私は話を適当に合わせた。
あちこち歩いて玄関まで戻ってきたとき、靖友くんが急に立ち止まった。

「やべェ、スマホ忘れた……。」
「取りに戻ろうか?」
「アー、俺一人で行くから。そこの土産屋でも見てろよ。」

靖友くんが指さしたところは、旅館内にある小さな土産物屋さんだった。
すぐ戻るという靖友くんを見送って、私はそのお店を見て回った。
ご当地キャラのキーホルダーだったり、温泉まんじゅうだったり色々置いている。
地酒も色々置いてある。
どれかお父さんへのお土産にしようかな?
そう思いながらあれこれ手に取って見ていると、誰かに名前を呼ばれた。

「雛美姉……?」

振り返るとそこには、懐かしい幼馴染の姿がある。

「雪ちゃん!」

暫く見ないうちに大きくなった雪ちゃんは、もうすっかり男の子だった。
隣に並んでいるのは、確か泉田くんだった気がする。

「久しぶりだね。元気してた?」
「ん、雛美姉は?」
「元気だよー。奇遇だね、こんなところで会うなんて。」
「俺は学校が箱根だから……まぁ今日は先輩に呼ばれて来たんだけど。」
「そっか、雪ちゃんはこっちの学校だったんだ!寮生活とは聞いてたけど、まさか箱根だったとはねー。」

暫く昔話に花を咲かせていると、泉田くんハッと振り返った。
どうしたのかと思っていると、知っている名前が出てきた。

「新開さん!お久しぶりです!」

その声につられるように雪ちゃんも振り返ると、2人そろって頭を下げた。
新開、さん。
靖友くんの友達もそんな名前だったような?

「おう、久しぶりだな。東堂はどこだ?」
「僕たちもまだお会いしてないんです。」
「そうか。もうすぐ寿一も来るし、ここでちょっと待つか。」

東堂くんに、寿一くん。
もしかしなくても、そんな気がしてきた。
私は雪ちゃんの袖を引っ張って、耳元でそっと囁いた。

「雪ちゃん、もしかしてその先輩って」
「雛美?」

言いかけた途端、後ろから靖友くんの声がする。
慌てて振り返ると眉間に皺を寄せた靖友くんが怖い顔でこちらを見ている。

「え、今荒北さん雛美って……。」
「おい黒田ァ。テメー人の女に何してンだァ!」
「ちょ、靖友くん待って!誤解だから!」

混乱する雪ちゃんに、誤解している靖友くん、完全に蚊帳の外の泉田くんたち。
何と言うかもう、どうしよう……。
私はとりあえず靖友くんを少し離して、雪ちゃんのことを話した。

「雪ちゃんは、幼馴染なの!義姉ちゃんの弟で……。」
「ハァ?……ナンパされたとかじゃねェんだな?」
「違うよ!ホントそういうのじゃないから。」

説明すると納得したのか、靖友くんの目は少し優しくなって私は胸をなでおろした。
さて、雪ちゃんには何と言おうか。
そう考えていると靖友くんに手を引かれて、みんなと合流させられた。
まだ何も決めてないのに!
焦る私をよそに、靖友くんはニッと笑う。

「新開は知ってんだろうけど。俺の彼女。」
「「「えっ!?」」」
「新開まで何驚いてンだよ。」
「いや、まさかこんなに可愛い子だとは思わなくて。」
「テメー、後で覚えとけよ。」

何も考えていなかったせいで、上手く言葉が出てこない。
それでもみんなの視線は私に集まっていて、恥ずかしさで余計声が出なくなる。
そんな私の背中を靖友くんが優しく叩いた。

「ホラ、誰も取って食やしねェから。」
「あ、うん。新開さん初めまして、小鳥遊雛美です。」
「初めまして雛美ちゃん。俺は新開隼人、よろしくな。」

優しそうな顔立ちの新開くんはにっこりと笑ってくれる。
それにつられるように、私も笑った。

「何だ、泉田とも知り合いかよ。」
「うん、雪ちゃん繋がりでね。」

そんな話をしていると、金髪の人やカチューシャをした人が現れた。
それもどうやら靖友くんの友達で福富くんと東堂くんらしい。
とりあえず全員そろったということで、私たちは部屋に戻った。

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