21




講義を終えると、まだ雛美の仕事が終わるまでには十分すぎるほどの時間があった。
初めて行く場所ではあったが、近くなら通ったことがある。
道もだいたい頭に入っていることもあって、少し寄り道をした。
街のあちこちに赤と緑の装飾が施され、クリスマスが近いのだと気づかされた。
去年までは特別なことと言えば”チキンが食える”くらいしかなかったのが笑えてくる。
今年は雛美と一緒に、そう思っているとふと嫌な予感がしてスマホでスケジュールを確認した。

「……マジかよ……。」

嫌がらせともとれるような部活のスケジュールについ声が出た。
24日も25日も、一日中練習が入っている。
そういえば屋内練習場が空いてるとか言っていた気がする。
そりゃクリスマスに屋内借りてまで練習するやついねェだろ。
自分の間抜けさに凹んだ。
雛美になんて説明すればいいんだろう。
せめて、雛美がクリスマスにまだ気づいてなければ。
そんな意味のない期待をしながら、またペダルを回し始めた。





会社のビルの前につくと、時間がまだ早いこともあって誰かが出てくることもない。
真ん前で待つのは何だか気が引けて端に避けた。
今日は何をしようか。
雛美のことだ、きっと優衣サンの話をしてくれるだろう。
雛美の顔が頭に浮かび、つい頬が緩む。
ぼーっとビルを眺めていると、ちらほら人が出てきはじめた。
時刻を確認すると、定時を少し回ったところだ。
もうそろそろだろうか。
しかしいくら待っても雛美は出てこない。
連絡をしようかとも思ったが、仕事に差し支えるんじゃないかと思うと手が止まった。
20分を過ぎたあたりで、いても経ってもいられなくなりビルの真ん前まで移動した。
見逃した、なんてことはないはずだ。
睨みつけるようにビルを見ていると、見覚えのある姿が目に入った。
雛美だ。
ふにゃりと笑うその顔に、つられて俺も笑った。

「靖友くん!ごめんね、お待たせ。」
「待ってねェよ。」

そっと手を握ると、自分の手があまりに冷たくて思わず引っ込めようとした。
でも雛美はその手を、しっかりと握ってくれる。
雛美の手からじんわりと暖かさが伝わって、それがとても心地いい。
ふと俺の後ろに目線を移した雛美は、俺を見上げた。

「自転車できたの?寒かったでしょ、ほんとごめんね。」
「チャリ乗ってたら体暖まるし。」

一瞬眉毛を下げたかと思えば、またふにゃりと溶けるような顔で笑う。
その顔に胸がぐっと締め付けられた。
思わず人前であることを忘れそうだった。
力いっぱい抱きしめたい。
早く帰ろう、そう言う前に雛美が後ろを振り返った。
そこには知らない女がいて、こちらを見て笑っている。

「あれー、ソレが彼氏ぃ?」

どうやら雛美の知り合いらしい女は、やけに癇に障る笑い方をする。
どこかで嗅いだことのある、嫌なニオイがした。

「そうですけど。」
「彼氏が自転車乗ってるとか、菜々には耐えらんないけどなぁ。」

雛美の声がやけに冷たく響いて少し驚いた。
こんな声は聞いたことがない。
自転車をバカにされたことよりも、心配が勝る。
俺が自転車でこなけりゃ雛美がバカにされたりしなかっただろう。
繋いでいた手に力が入るのを感じて、申し訳なくなった。
”悪ィ”と小さな声で謝ると、雛美は俺を見上げて悲しそうな目をしている。
その顔に、胸が痛んだ。
雛美は俺から目線を外すと、女の方へ向き直った。

「笹谷さんには関係ないです。私のことを貶すのは構いませんけど、彼のこと悪く言うのやめてもらえません?」
「いきなり何なの?気分悪いんだけどぉ。」
「それはこっちのセリフです。何も知らないのにバカにするようなこと言わないで。」

雛美の口から出た言葉に驚いた。
庇われたことに情けなくなると同時に、不思議と嬉しさが込み上げてくる。
俺は思わず雛美を抱きしめた。
今度は俺が守ってやる番だろ?

「人の女苛めてんじゃねーよ。」
「なっ……。」

人の関係に首突っ込んでギャンギャン吠えてんじゃねェよ。
そう思いながら睨みつけると、女は黙ってしまった。
俯いた雛美の手が俺の腕に触れる。
少し震えたそれは、雛美が頑張った何よりの証に思えた。
俺の為にしてくれたんだと、嬉しさが募る。
礼を言うと振り返った雛美の目は少し潤んでいる。
泣かせてばかりな気がして少し申し訳なく思いながらも、そっとその頭を撫でた。
目を細める姿が猫のそれに似ていて、クスリと笑いが漏れる。
ふと聞き覚えのある声に顔を上げると、ここにいるはずのない人間がそこにいた。

「あれ?菜々ち、何かモメてるぅ?」
「もー、お姉ちゃん遅いよぅ!合コン始まるよ!」
「ごめんってー。それよりもういい……え?」

こちらに気づいたそいつは紛れもない、あの女だ。
”笹谷”と呼ばれた女とニオイが似ていて気付かなかった。
名前は確か……ユカだったか。
ユカは俺と雛美を見比べて、顔をしかめた。

「何、お姉ちゃん知り合い?」
「別に……。」

あんなことを言い捨てたくせに、気まずさとか感じるのかよ。
そう思うとつい、笑いが漏れた。
そんな俺を雛美が不思議そうに見上げてくる。
ちょっと困ったようなその顔が、たまらなく可愛くてさらに強く抱き寄せた。

「靖友くん?」
「靖友?もしかして、荒北靖友?」
「だったら何だよ。」

フルネームで呼ばれたことに驚いた。
笹谷は俺をまじまじと眺めて、眉間に皺を寄せる。
ウゼェ。

「お姉ちゃん!ほんとにアレなの?どこがいいの!?自転車だよ?ねぇ、ほんとにアレに振られたの?」
「うっさいな!ちょっと黙ってよ!靖友くんのこと何も知らないくせに!」

2人の対照的な行動に、雛美と二人で顔を見合わせた。
”お姉ちゃん”と呼んでいるあたり、笹谷はユカの妹なんだろうか。
自転車を馬鹿にされた苛立ちよりも、その壮絶な罵り合いに言葉を失った。
着飾った女の口から出ているとは思えない単語に耳を疑う。
ぎゃんぎゃんと吠え続ける2人には、どうせ俺らのことなんてもう見えてない。
俺は雛美の手を引いて、その場を後にした。





自転車できていることもあり、雛美を最寄駅まで送った。
”一緒に歩いて帰る”と駄々をこねる雛美に、少しきつく断ってしまった。
こんな寒い中歩いて帰ればいつ家につくかわからない。
寒くても我慢しそうな雛美なら風邪をひきかねない。
家の最寄駅で待ってるからと言い聞かせて、改札の奥へ見送った。
スマホで軽く地図を調べて道を頭に叩き込むと、ビアンキに跨った。
寒いはずの空気は、雛美のことを考えれば一瞬で感じなくなる。
俺はペダルを踏む力を強めた。





駅についてすぐ、雛美と目が合った。
ちょうど降りてきたところらしく、定期もしまわずに歩いてくるところが子供のようだ。
その姿に思わず頬が緩む。
手を差し出せばぎゅっと握って、はーっと息を吹きかけてくれた。

「おまたせ、寒かったでしょ。ごめんね?」
「後で暖めてもらうからァ。」

ニヤリと笑いかけた俺に、暖めるのは家電じゃないのかなんて色気のない答えが返ってきた。
一緒に居たら暖かくなんだろーが。
そう思いつつも得意げになっている雛美に軽くデコピンした。
何もわかってねェなぁ。
俺の気持ちはちゃんと伝わってるのかと少し疑ってしまう。
もっと言葉にした方がいいんだろうか。
そう思っていると、聞きたくない単語が雛美の口から放たれた。

「もうすぐクリスマスだね。」
「……アー、ウン。ソウダネ。」
「どうかした?」
「ん……悪ィ。」

まさか今日言われるとは思わず、口ごもってしまう。
今言えばまだ傷は浅いだろう。
そう思うのに、どう謝っていいかわからず立ち止まった。
覗き込んできた雛美と目を合わせることができない。
雛美は不思議そうな顔をして、違う質問を重ねた。

「ね、今夜は何食べようか。」
「何でもいいよォ。」

俺の頭には、メシのことよりもクリスマスのことでいっぱいだった。
どうにか傷つけずに話したいのに、絶対に悲しませるのがわかっていて口に出来ない。
泣かせてばかりいる気がした。
小さくため息をついて歩き始めた雛美に引っ張られるようにして、俺も歩き出した。
何も言わないこの空気がやたら重たい。
ちらりと振り返った雛美は、眉を下げたまま笑った。
その顔を自分がさせているんだと思うと、どんな顔をしていいかわからない。
俺たちは無言のまま、マンションに入った。


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