19




いつもより時間をかけて、二人で家に帰った。
普段自分以外誰も入らない部屋は、相変わらず散らかっている。
雛美を部屋に入れる前に片付けるべきだったと思っていると、隣から笑い声が聞こえてくる。
笑ってんじゃねェよ。
それが妙に恥ずかしくて、少し投げやりな言い方になってしまった。

「汚くて悪ィな。」
「全然気にしてないよ。」
「じゃァなんで笑ったんだよ。」

それでも雛美はにこにこしながら、俺を真っ直ぐ見つめてくる。
口調が悪くてもビビらせてないことにホッとした。

「安心した、のかな。」
「何にィ？」
「出会った時から変わらない、靖友くんに。」

ふにゃりと笑いながら少し首をかしげる雛美は無防備すぎて、手を出してしまいたくなる。
それでも今はただ、大切にしたくてそっと抱きしめた。

「変わってねェわけねェだろ。」
「そう？」
「あん時よりもっと好きだっつの。」

出会った時よりも、ずっと。
手に入った時から、失うことなんて考えられないくらいに。
腕の中の体が少し揺れて、胸元が湿る。
また泣いてんのかよ。

「わた、私もっ……好きぃ……」
「ん、今日は泣き虫だネ。」

しょうがねぇなぁ、そう思いながらも髪を撫でてやると体を預けてきた。
こんなにも全身で好きだと伝えてくれるヤツなんて、一生かかっても雛美だけだと思う。
壊さないように、傷つけないように大事にしまっておきたいくらいだ。
俺から離れられないように、ドロドロに甘やかして縛り付けておきたくなる。
何でもしてやるよ。
そんな自分の考えがやたらガキっぽくて、ため息が出た。
雛美に釣り合うようになりたいのに、俺は大人になりきれない。
そんなことを考えていると、雛美の手が髪に触れた。

「どーしたァ？」
「私も、靖友くんに何かしてあげたいなと思って。」
「ア？」
「いつも靖友くんにしてもらってばかりだから、何か出来ないかなって。」

してもらってばかりなのは、俺の方だろ。
休みの日は俺のこと全部してくれてるじゃねェか。
メシも洗濯も、風呂や掃除だって全部。
俺がしてやれることなんて、殆どねェよ。
それでも眉を下げて考えている雛美が可愛くて、少し苛めたくなる。
ワンピースの裾から覗く白い足を、付け根に向かって撫で上げた。

「それってこういうことォ？」
「え！？いや、うん……？」

びっくりしたように体を跳ねさせた雛美は、相変わらず眉を下げている。
ナニ考えてんだよ。
じっと見ていると、ひとりで百面相を始めてしまった。
それがおかしくて笑うのをこらえていると、雛美が俺を見上げた。
その顔が少しアキチャンと重なって、耐えられなくなって笑ってしまう。

「本気にすんなよ。今日はしねぇからァ。」
「え、あ、ごめん。したくないとかじゃないの、そうじゃなくって」
「落ち着けって。」

慌てた雛美は、前置きの言葉ばかりで話が進まない。
そんなに焦んなくても、俺はどこにもいかねぇよ。
怒ってねェから泣きそうになってんじゃねェよ。
そう思うのに口にするのは何だか気恥ずかしくて、代わりにぎゅっと抱きしめた。
この熱が伝わるように、想いも伝わればどんなに楽だろう。
意地悪して、ごめんな。

「心配しなくても雛美チャンが俺のこと好きなのも、俺とすんの好きなのも知ってっからァ。今日はそういうんじゃねェの。」
「え？あ、うん。……ん？」
「だからァ、今日はゴムがねーの。」

あー恥ず。
顔を見られたくなくて、雛美の肩に額を押し付けた。
鼻をくすぐる柔らかい匂いが心地よくて、胸いっぱいに吸い込む。
ゴムがなくて良かった。
あったら雛美を、めちゃくちゃにしてしまいそうだ。
それでも雛美なら笑って”いいよ”なんて言いそうで、何だか笑ってしまう。
ふと黙ってしまった雛美を見ると、また眉を下げて考え事をしているようだ。
その困った顔可愛すぎるからァ。
こんなこと思ってんの知らねェんだろうな、そう思うと頬が緩む。
雛美が何考えてんだかわかんねェけど、どうせこの顔ろくなことじゃない。

「ナニ、面白い顔して。」
「へ？いや……ううん。」
「言えよ。言わなきゃわかんねェこともあんだろ。」
「うーん。」
「気になっからァ。」

口を閉ざそうとする雛美のわき腹を、爪で軽くこすった。
指の腹で撫でるようにくすぐれば、雛美は身じろいで逃げようとした。

「やっあははっ、だめだって！あははははっ。」
「さっさと言えよ。」
「わ、わかった、言うから！言うからやめてぇっ。」

降参した雛美を、自分の上に座らせた。
ワンピースの裾からちらりと覗く白い足を見て、思わずドキリとさせられる。
今日はそんなつもりじゃねェのに、体は正直だ。
胸元が開いたワンピースのせいで、目のやり場に困る。
それを誤魔化すように、少し視線を上げた。

「で、ナニ？」
「ゴム、ないって言ってたから……。その、最初の日はどうしてたのかなって。」
「アー、大学のツレが置いてったヤツ。1個だけ置いてってどーすんだって思ってたんだけどォ。」

あの時なかったらヤバかったな。
あの夜のことを思い出して、体が熱くなる。
しまった、と思ったころにはもう遅い。
下半身は十分に反応していて、痛いくらいだ。
それを知らずに雛美は、嬉しそうな顔をして抱き着いてきた。
柔らかい胸が当たり、雛美の匂いが濃くなって頭の中がふわりとした。
スーッと吸い込むと、匂いが少し遠のいた。
雛美の視線を辿ると、自分のそこに向いている。
まじまじと見つめられていることに恥ずかしくなりながらも、頭を軽くはたいた。

「ナニ見てんのォ。」
「あ、えっと……。何か、ごめん……？」
「雛美チャンと居たら反応しちまうモンなんだよ。」
「あの、する……？」
「ゴムねェって。」
「買いに、いく？」

そんなとろんとした顔で甘い誘惑をする雛美はずるいと思う。
思わず頷いてしまいそうになりながらも、必死に自分に言い聞かせた。
明日は平日だ。
一緒にいられる時間なんて精々3時間が限度だろう。
今日はそれよりも、たくさん話を聞きたい。
ふと、そう思っているのは自分だけなんじゃないかと思った。

「雛美チャンしてェの？」
「したくないわけじゃないけど、靖友くん辛いんじゃないかと思って。買いに行くの面倒なら私行くよ？」
「いいんだよ、今日はァ。」
「え？」

ヤリたいだけじゃねェんだよ。
そう露骨に言葉にするのを躊躇って、”イチャイチャしてェ”なんて俺らしくない言葉を口にした。
何も言わない雛美が気になって顔を上げると、目が合う。
普段もっと恥ずかしいことをしているはずなのに、こんな小さなことを恥ずかしく感じるのがおかしくて。
プッとお互い笑い出してしまった。
泣いて、笑って、困って。
いろんな雛美を見て、改めて実感する。
愛しくて堪らない。
頭を撫でると目を細めてにっこりと笑う。
つられて目を細めた俺に、擦り寄ってくる姿が猫のようだ。
”雛美以上の存在”なんて有り得ない。
今はただこの幸せを手放さないために、雛美を抱きしめた。



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