09




「雛美チャン、鍵どこォ?」
「ん……。」

そう聞くと、鞄からキーケースを取り出して渡された。
どうやら俺から降りる気も、自分で開ける気もないらしい。
鍵を開け、玄関に雛美を座らせて靴を脱がせた。
その間ですら離れがたいのか、ずっと俺の服を掴んでいる。

「靴、脱げたよォ。」
「あり、がとぉ。」

そう言って手を差し出すと、雛美は両手を広げてしがみついてきた。
その姿が可愛くて、我慢できずに抱きしめた。

「雛美っ……。」

雛美はしがみついたまま、俺の肩に顔を埋めて嗚咽を漏らした。
ゆっくり背中をさすってやっても、泣き続けるばかりだった。
俺が抱きしめてるから泣いてんのかと思って離れようとしたら、首を横に振ってさらに強く抱きつかれた。

「雛美チャン、中入んねェのォ?」
「……あ、らきた、くんも……?」
「入っていーのォ?」

ゆっくりと頷いて、やっとこっちを見た。
目も鼻も真っ赤で、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになってて。
それでも愛しくて仕方がなかった。
立ち上がろうとしても手を離さない雛美を抱き上げて、部屋の中に入る。
まず部屋の広さに驚いた。どちらかといえばファミリー向けの部屋は、とてもシンプルだ。
対面キッチンに、リビングには大きなテレビにソファ、シンプルなラグ。
全体的にモノトーンでそろえられたその部屋は、雛美のイメージとは少し違う気がした。
誰の趣味だよ、少しイラ立ちながらもソファに雛美を座らせた。
置いてあったティッシュを手渡すと、雛美は顔を一通り拭いて俺を見た。

「あの、今日はその……ありがとう、とごめんなさ……。」

そう言いかけて、また泣き始めた。
抱きしめて背中と頭を撫でてやると、スンスンと鼻をすする音が聞こえる。
押しのけられないのをいいことに、俺も雛美の匂いを嗅いでいた。
どれくらいそうしていただろう。
鼻をすする音がしなくなったと思ったら、ぐいっと体を離された。

「あ、あらきた、くんっ。」
「ンだよ。」

拒まれたことに少しイラついて、つい口調がきつくなった。
雛美は一瞬怯えるように体を震わせて、また俺の服の裾を掴んだ。

「一緒に、きて。」

消え入りそうな声でそういうと、雛美は立ち上がった。
俺もそれについて立ち上がる。
俺がいるのを確認してから、雛美は歩き出した。
冷蔵庫から水を取り出して、寝室に連れて行かれる。
ただでさえ部屋中雛美の匂いがするのに、この部屋は一層濃く感じられる。
促されるままにベッドに腰掛けると、雛美がピッタリとくっつくように座る。
手ェ出していいのかどうかわかんねェ…。
どういう意図があるのか全くわからずに、動けずにいた。
雛美の頭が当たる肩がやけに熱く感じる。

「荒北くん。」

薄暗い部屋で、顔もわからない。
ただ肩に乗る頭の重さと温かさだけが、拒絶ではないと感じさせてくれる。

「今日はその、迷惑かけて、ごめんなさい。それと、ありがとう。」
「…っ別に迷惑なんかじゃねェよ。」

ゆっくり言葉を選びながら話す雛美が、もどかしかった。
またビビらせてんじゃねェか、そう思った。
何もかもが裏目に出ている気がする。

「言い訳になるかも、なんだけど。聞いてくれる?」

ふっと肩が軽くなって、雛美が離れた。
立ち上がったかと思えば、さっき出したばかりの水を差し出される。
俺はその手をそのまま引っ張って抱きしめた。

「俺暗ぇとこ嫌ェだから、雛美チャンがこうしててくれんならいいけどォ。」

雛美はクスクス笑って、俺に体を預けてきた。
そのまま膝の上に座らせて、腰に手を回す。。
ビビってんだか懐いてんだかわかんねェな、そう思っていると
ポツリポツリと、今日あったことを話し始めた。

「お店、出てからも追いかけられるとは思わなくて……。怖くて。荒北くんがきてくれて、本当に良かった。」
「ハッ。雛美チャン俺のしたこと忘れたのォ?」

雛美が今腕の中にいる、そのことが俺を慢心させた。
びくっと一瞬震えて、固まったのがわかる。
またやっちまった……。
雛美は少し俺を押しのけて、俺を見た。

「お、覚えてるよ!それでも……荒北くんなら、いいと思った、から……。」

だんだん小さくなる声。うつむいていく顔。
だけど今度ははっきり聞こえた。
それでも不安は拭えずに、はっきり聞きたくて。

「それって、俺のこと好きってことォ?」
「う……うん。」

ヤバい。酒の勢いがあったとしてもこれは多分嘘じゃない。
押し倒したい衝動に駆られる。
そしてふと思い出す、あの部屋の違和感。
気になった時にはもう、口に出ていた。

「俺のことからかってんのォ?」
「えっ?」
「リビングとか、雛美チャンの趣味じゃないんじゃナァイ?他に男いンじゃねぇの。」

びっくりして顔を上げる雛美に、俺は追い打ちをかけていた。
言ってはいけない一言を発していたのは自分でもわかった。
でも雛美が何を考えているのかわからなくて、俺は自分が傷つかないために雛美を傷つけていた。

「ち、違うの!キッチンとこの部屋以外は、私のじゃなくて……。」
「ハッ、意味わかんねェ。」

やたら広い部屋、趣味じゃない家具。
誰かと一緒に住んでいたっておかしくない。
その見えない”誰か”に嫉妬する。
他の誰かにとられるくらいなら、壊してしまいたい衝動にかられる。
それでも小さく震える雛美は、俺にしがみついて離れない。

「お願い、聞いて。」
「俺の言うこと聞いてくれンならいいけどォ。」
「聞く!何でも聞くから……。」
「じゃぁ聞いてやンよ。」

雛美を向い合せに抱きなおして、腰に手をまわした。
ちょこんと遠慮がちに座る雛美をぐっと引き寄せる。

「そんで、雛美チャンのじゃないって何ィ?」
「この部屋、お兄ちゃんと奥さんのなの。海外赴任が決まって、色々あって借りてて。」
「色々って何ィ?」

雛美の顔を覗き込むと、少し目を伏せて話し始めた。
兄夫婦がマンションを買ってすぐ、実家で飼っていた猫に病気が見つかったこと。
世話が出来るのが義姉しかいなかったためこのマンションに引き取られたこと。
その兄夫婦が海外赴任になり、自分が猫の世話含めて住むことになったこと。
そしてその猫が、もうすでにこの世にいないこと。
やたら広い部屋、モノトーンの家具、小物の少ない部屋。
それらが全て、兄夫婦と猫の為のものだった。
雛美はポロポロと涙をこぼしながら、小さく震えている。
そっと抱きしめると、雛美は嗚咽しながら顔を上げてまっすぐ見据えられた。

「だ、だから、他の人とかいなくて、私、には荒北くんだけで、それで……。」
「ン、もういーよ。」
「えっ?」
「言い辛ぇこと言わせて悪かった。もーわかったから泣きやんで。」

背中をトントンたたいてやると、少し落ち着いたようで嗚咽は消えた。
ちょっと待ってて、と言って立ち上がった雛美は写真たてを一つ持って戻ってきた。
俺の横にちょこんと座ると、それを俺に手渡した。

「これ……トモくん。」

写真には、少し幼い雛美と凛々しい黒猫が写っていた。
とても幸せそうなその写真から、どれほど大切な存在だったかが伝わってきた。

「私虫がダメなんだけど、虫が出た時はいつも退治して守ってくれて、泣いてる時はいつもそばに居てくれて、とっても優しくて賢い子だったの。」
「雛美チャンのヒーローみたいな感じィ?」
「うん、本当にそんな感じ。大好きだった。」

雛美はそう言って少し悲しそうに笑う。
おでこに軽く口づけると、パッと顔をあげた。

「あ、荒北くんも私のヒーローだよ!二回も助けてくれて、今もそばに居てくれて……。」
「ハッ、名前も似てるしィ?」

頭をくしゃっと撫でてやると、嬉しそうにしてクスクス笑い始めた。
写真とは違うその笑みに、”トモくん”に少し嫉妬する。
俺もいつかあんな顔をさせてやれるだろうか。
会うたびに酷いことばかりしている。
そんな俺でも、いつかあんな顔をさせてやれるだろうか。
目を細めて幸せそうな顔をする雛美に、そっと顔を寄せる。
閉じた目が拒絶じゃないことに安堵して、そのままキスをした。
うっすらと口を開いた雛美に、このまま襲ってしまいそうになる。
ぐっと噛みしめて、口の中に息を吹き込んでやった。

「うあっ」

色気のない声を出して、目を見開いている雛美が可愛い。
首と後頭部を手で固定して、無理やり少し上を向かせる。
暗闇に白く浮かび上がる首が誘っているようにしか見えない。
唇を寄せて、強く吸い付いた。

「んあっ」

可愛い声を出して抵抗しようとするから、手を掴んで固定してやった。
ヒクヒクと動く喉元が妙に色っぽくて、喉がゴクリと鳴った。
さっきの我慢が無駄になるかもなぁ、そう思いながら首に息を吹きかけた。
首を横に振って逃げようとする雛美からは、微かにアルコールの匂いがする。

「雛美チャン、酒くせぇ。」
「あ、ご、ごめっ……。」

からかっただけのつもりだったのになァ。
申し訳なさそうに謝る声が可愛くて、そのまま鎖骨に口づけた。
押さえている首も手も折れそうに細くて、めちゃくちゃにしたい衝動に駆られる。

「俺の言うこと、何でも聞くンだろ?」

ペロリと首筋を舐めると、コクコクと小刻みに動く必死さがたまらない。
切れんじゃねェかってくらい唇噛みしめやがって。
傷作んじゃねェぞ、もったいねェから。
そっと手を放して、ふらついた腰を支えた。

「いい加減、名前で呼んでくんねェ?」
「やすとも、くん?」
「そォ。」
「それだけでいいの?」
「今はそンだけでイーヨ。」
「靖友くん。」
「おう。」

控え目に呼ぶ声が俺をゾクゾクさせる。
今日は”イイヒト”で居てェから。
そう呼ばれるだけで満足してやるよ。
腕の中に笑ってる雛美がいる、今日はそれだけで満足だ。






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