09



荒北くんは私を抱えたまま運んでくれた。
申し訳ないことに、気分の悪さはなかなか良くならない。

「雛美チャン、鍵どこォ?」
「ん……。」

声を出すと色々上がってきてしまいそうになり、鍵だけ手渡した。
謝罪もお礼もきちんとしたいのに、このままでは何もできずに終わってしまう。
荒北くんが帰ってしまうのが怖くて服をずっと握りしめていると、靴を脱がしてくれた。
荒北くんは、やっぱり優しい。

「靴、脱げたよォ。」
「あり、がとぉ。」

何とか声を絞り出して、お礼を言うと荒北くんは少し笑った。
その笑顔が可愛くて、胸がきゅっと締め付けられたみたいになる。
それと同時に、今日の事を思い出してしまった。
もし、荒北くんがきてくれなかったらどうなっていたんだろう。
背筋がぞくりとする。
その先は、考えたくない。
不安を消し去りたくて、荒北くんに抱きついた。
大丈夫、荒北くんが来てくれたからもう大丈夫。
そう思うと、安心したせいか涙が溢れてきた。
頭をこすりつけると、荒北くんにぎゅっと抱きしめられた。

「雛美っ……。」

抱きしめられる心地よさと、安心感で涙が止まらない。
子どものように泣きじゃくる私を、荒北くんは優しく宥めてくれる。
それでも色々な感情がとめどなく頭を駆け巡って、涙は止まらない。
ふっと荒北くんが立ち上がろうとした。
慌てて首を横に振って、しがみついた。
そんな私の背中を優しくさすりながら、荒北くんが囁くように声をかけてくれた。

「雛美チャン、中入んねェのォ?」
「……あ、らきた、くんも……?」
「入っていーのォ?」

声は上手く出ないけど、ダメなわけがない。
こくんと一度だけ頷いて荒北くんを見るとまた少し笑ってた。
少しでも離れがたくて、服を掴んだままでいると荒北くんは抱き上げてくれた。
そのまま部屋の中に連れて行ってくれる。
荒北くんは部屋を少し見渡してからソファにゆっくりと降ろしてくれた。
手で涙を拭っていると、ティッシュを渡してくれた。
荒北くんは変わらずそこにいてくれて、じっと私を見ていた。
それが少し照れくさいけど、きちんと言わなくちゃ。

「あの、今日はその……ありがとう、とごめんなさ……。」

みっともない所ばかり見られて、情けなくて涙が出る。
泣いてばかりの私を荒北くんはまた優しく抱きしめてくれた。
背中と頭を撫でられて、少しずつ落ち着いてきた。
荒北くんの匂いはとても心地よくて、私を安心させてくれる。
ずっとこのままでいたいけど、私には話さなければいけないことがたくさんある。
深呼吸して、荒北くんから少し離れた。

「あ、あらきた、くんっ。」
「ンだよ。」

不機嫌そうにそう返されて、体がビクリと動いた。
それでも今を逃したらもう会えないかもしれない。
そんなの絶対嫌だ。

「一緒に、きて。」

私は荒北くんの服を掴んで立ち上がった。
荒北くんは何も言わずについてきてくれた。
冷蔵庫から2本水を出して、タオルを取りに寝室に入った。
リビングに戻ろうかとも思ったけど、そのままベッドに座ってもらった。
私もすぐそばに腰かける。
電気をつければよかったかな。
でもこの方が顔を見られなくて良かったかも、なんて私はどこまでもずるいと思う。
水を一口飲んで深呼吸する。
荒北くんが隣にいるのを確認するように、そっと肩に頭を乗せた。

「荒北くん。」

小さな声で呼びかけたけど、ぴくりと肩が動いた。
大丈夫、声はちゃんと出る。
あとは、話す勇気を出すだけだ。

「今日はその、迷惑かけて、ごめんなさい。それと、ありがとう。」
「…っ別に迷惑なんかじゃねェよ。」

優しい声色に少し安心する。
話し漏れがないように、ゆっくり言葉を紡ぐ。
私の気持ちがきちんと伝わりますように。
誤解がきちんと解けますように。

「言い訳になるかも、なんだけど。聞いてくれる?」

荒北くんの顔を見て話そうと思い、立ち上がった。
冷蔵庫から出した水を差しだして座ろうとしたら、そのまま手を引かれて抱きしめられてしまった。

「俺暗ぇとこ嫌ェだから、雛美チャンがこうしててくれんならいいけどォ。」

甘えたように口を尖らせる荒北くんが可愛くて、笑ってしまった。
さっきまであんなに緊張してたのにな。
荒北くんの膝に座らせてもらって、今日の事を少しずつ話した。

「お店、出てからも追いかけられるとは思わなくて……。怖くて。荒北くんがきてくれて、本当に良かった。」
「ハッ。雛美チャン俺のしたこと忘れたのォ?」

”俺のしたこと”と言われ、あの日の夜を思い出した。
体がビクリと反応してしまったのが恥ずかしくて、一瞬動けなくなってしまった。
あの事を思い出すといつも、体の奥がムズムズしてしまう。
バレてないことを祈りつつ、荒北くんを見つめた。

「お、覚えてるよ!それでも……荒北くんなら、いいと思った、から……。」

恥ずかしくて声は尻すぼみになるし、顔も上げられない。
だけど、この距離ならきっと聞こえてるはず。
気持ちが、伝わりますように。

「それって、俺のこと好きってことォ?」
「う……うん。」

再確認されて、顔が熱くなる。
言葉にしたわけでもないのに、相手に気持ちが伝わるというのはこんなにも恥ずかしい。
どうしていいかわからずに俯いていると、荒北くんがハッと乾いた笑いを漏らした。

「俺のことからかってんのォ?」
「えっ?」
「リビングとか、雛美チャンの趣味じゃないんじゃナァイ?他に男いンじゃねぇの。」

慌てて顔を上げると、冷たい目が私を突き刺すようだった。
また、誤解させてしまった。
そのことに軽くパニックになる。
何て説明しようか、そう考えている間にも荒北くんは私を軽蔑しているんだと思うと血の気が引く思いだった。

「ち、違うの!キッチンとこの部屋以外は、私のじゃなくて……。」
「ハッ、意味わかんねェ。」

頭がうまく動かない。
何て話したらわかってもらえるんだろう、なんて言えば傷つけずに済むんだろう。
浮かんでは消える言葉がもどかしい。
それでも離れたくなくて離したくなくて、必死にしがみついた。

「お願い、聞いて。」
「俺の言うこと聞いてくれンならいいけどォ。」
「聞く!何でも聞くから……。」
「じゃぁ聞いてやンよ。」

その言葉にホッとして顔を上げると、荒北くんの目は少し優しくなっていた。
荒北くんは私の手をほどいて、もう一度座りなおすように促した。
ゆっくりと腰を下ろすと、手が回されてぐっと引き寄せられる。

「そんで、雛美チャンのじゃないって何ィ?」
「この部屋、お兄ちゃんと奥さんのなの。海外赴任が決まって、色々あって借りてて。」
「色々って何ィ?」

私の顔を覗き込む荒北くんの目は、頭の中を覗き込んでいるのかと思うほど私をじっと見ている。
そのまま話すとまた泣いてしまいそうで、私は少し目を伏せた。
そして少しずつ、この家の事情を話した。
兄夫婦がマンションを買ってすぐ、実家で飼っていた猫に病気が見つかったこと。
世話が出来るのが義姉しかいなかったためこのマンションに引き取られたこと。
そのあと兄夫婦が海外赴任になり、私が猫の世話含めて住むことになったこと。
キッチンとこの部屋以外は、猫と兄夫婦仕様のままにしていること。
そしてその猫が、もうすでにこの世にいないこと。
大好きだった猫を思い出すと、涙が溢れてしまった。
嗚咽が隠せないほど口から洩れて、恥ずかしい。
せっかく目を伏せた意味がなかったなぁ、そう思っているとそっと抱きしめられた。
誤解が解けていますように、ただそう祈りながら顔を上げて、荒北くんを見る。

「だ、だから、他の人とかいなくて、私、には荒北くんだけで、それで……。」
「ン、もういーよ。」
「えっ?」
「言い辛ぇこと言わせて悪かった。もーわかったから泣きやんで。」

そう優しく告げて、背中を優しく叩いてくれる。
そのリズムが心地よくて、涙は引いていった。
荒北くんの作るこの空気は、私を包み込んで癒してくれる。
とても気持ちが良かった。
落ち着いた私は立ち上がって、そばにあった写真たてを手に取った。
猫のトモくんと私が写っている、少し昔の写真だった。
私は荒北くんの隣に座り、それを差し出した。

「これ……トモくん。」

荒北くんは写真を受け取ると、黙ってそれを見つめてた。
暗い所で黒い猫の写真なんて見づらかったかな、なんて思いながらもトモくんとの思い出話をする。

「私虫がダメなんだけどね。虫が出た時はいつも退治して守ってくれて、泣いてる時はいつもそばに居てくれて、とっても優しくて賢い子だったの。」
「雛美チャンのヒーローみたいな感じィ?」
「うん、本当にそんな感じ。大好きだった。」

”猫がわかってそんなことするわけない”って散々笑われてきた。
だから荒北くんが”ヒーロー”と言ってくれたことに少し嬉しくなる。
荒北くんに会わせたかったな、そう思ったら目頭が熱くなった。
誤魔化すために少しだけ笑ってみせると、おでこに軽くキスされた。

「あ、荒北くんも私のヒーローだよ!二回も助けてくれて、今もそばに居てくれて……。」
「ハッ、名前も似てるしィ?」

そういえば、と思って自然と笑みがこぼれた。
頭を撫でてくれる手が気持ちいい。
トモくんも同じことを思っていたのかな。
心地よくて目を細めると、荒北くんの顔が近づいてきた。
そのまま目を閉じてキスされる。
優しく触れるその唇は、少し開いた私の口に悪戯に息を吹き込んだ。

「うあっ」

いきなりの事に驚いて変な声が出る。
意地悪そうに笑いながら、私のうなじに手を回して押さえつけた。
少し上向きに固定された首のおかげで、視界には天井しか映らない。
荒北くん、いったいどんな顔してるの……?
そう思っていると首に生暖かいものが触れて、ピリリと痛みが走る。

「んあっ」

漏れた声を抑えようとした手は荒北くんに掴まれてしまう。
ふーっと首に吹きかけられた息がくすぐったい。

「雛美チャン、酒くせぇ。」
「あ、ご、ごめっ……。」

クスリと笑いながら鎖骨に口づけされて身を捩った。
逃げようにも首と手を押さえつけられていて、膝から降りることすら叶わない。
荒北くんは足で器用に、私を引き寄せた。

「俺の言うこと、何でも聞くンだろ?」

首に舌を這わせながら話すせいで、首から熱を持ってムズムズしてしまう。
唇を噛んで声を我慢するせいで、小さく頷くことしかできない。
それを見て満足したのか、拘束されていた手も首も自由にされた。
代わりに、腰を支えるように手が添えられる。

「いい加減、名前で呼んでくんねェ?」
「やすとも、くん?」
「そォ。」
「それだけでいいの?」
「今はそンだけでイーヨ。」
「靖友くん。」
「おう。」

名前を呼ぶと嬉しそうに二カッと笑った。
それがまるで犬のようで、少し可愛いなんて思った。
きっと言ったら怒るだろうから、それは私だけの秘密。






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