私たちは崩れ際に存在している
「…変な人だったのだよ。栄坂、お前の知り合いなのだろう?」
「……ああ嫌だ嫌だ」
「は?」
「嫌だ嫌だ嫌だ」
嵐が過ぎ去った後もヒンヤリと冷え続ける頬がどうしようもなくて、嫌だ、嫌だ、と何が嫌なのか説明も出来ないけれど一人勝手に喚いていた。緑間に向かって。赤司がいない今、まるで、あんたが代わりに何とかしてほしいと縋っているみたいだ。いや実際縋っているのだ。大した事情も話さず、只一言、嫌だとのみ自分の主張を繰り返すばかりの私に、この緑間が何か出来るわけでもないのに。でも仕方ないだろう、私は自己中で我が儘な人間なのだ。
「嫌だと言うだけじゃ何も分からないのだが、お前らの先程の様子からして、あの人は…お前の兄の彼女…そういうことか?」
「………」
「………」
「……彼女じゃなくて、……彼女だった、ね」
もうお兄ちゃんいないから彼女も何もないし、とぶっきらぼうに付け加えたが、訂正する必要なんかないくらい強力な事実であることに変わりはない。でも、私の声に強い拒絶の色があるのもまた事実なのだ。
あの人、激変していたから最後まで気が付かなかったけど、ちゃんと私の知り合いだったらしい。認めたくないけれど、お兄ちゃんの彼女、だった人らしい。あっちも私が気付くその最後まで名乗るつもりが無さそうだったので、やっぱりそういう性格はあの頃からちっとも変わってはいないと思う。あれからアメリカに行ったと聞いていたのにいつの間に帰ってきていたのか。もしかして私に復讐しに来たのか。あの人ならやりかねないかなあ、とも思う。
「どうしようどうしよう…。こんなときはやっぱり赤司に相談するのが一番賢いんだろうけど」
そう言った途端、ちょっとだけ緑間の機嫌が悪くなった。勝手にしろ、という言葉に棘が含まれている。
「ああ、それがいい。俺はお前のただ嫌だという単語から全てを悟ってやるほど頭が良くもないしお前に興味もないし」
「何急に怒ってんだよ」
「別に」
…赤司に相談…、
「……なんて出来ませんよ」
「はは。お前の土下座は報われず、と」
「…違う、そうじゃなくて」
確かに夢とは違って土下座の結果は報われなかったけど、そうじゃなくて。未だに喧嘩中とか、そうじゃなくて。
だって、何故なら、だって、
「…赤司は知らないんだもん」
「は?何を?」
私の汚い過去。
「…だってちゃんと話してないし。成実さんのこととか。赤司は知らないんだよ。ただの事実の断片しか話してないんだもん、…本当は何があったのか、まだちゃんと話してないもん」
難しい顔をしながらも緑間は何も言わなくなった。
「…私は赤司の中の私を、まだ崩したくない」
赤司の私のイメージがどんなものかは知らないけど、少なくとも嫉妬に捕らわれて道路に飛び出すような女じゃないだろうとは思う。図らずとは言えど、少なくとも肉親を殺してしまった女じゃないだろう。そしてそれを隠して自分の境遇を嘆くような狡い女でもないだろう。
私は赤司に嫌われたくない。
「…緑間、あんたしか知らないんだ」
そう呟いた途端、緑間がフイと顔を逸らしたので「…ごめん」とりあえず謝っておいた。別に緑間に嫌われようと私の人生には何の影響も及ぼさないのだろうけど。「緑間、本当ごめん、何かごめん。何で謝ってるかは分からないけど雰囲気的に謝る」「…別に」ごめんね。本当、いつも中途半端に縋っちゃう。
「…ああそっか。成実さんだったのか。お兄ちゃんの彼女、だった人か」
そうか、なるほど。そこで全てが繋がったような気がした。それならばあの人の表情も行動も、全て合点一致、だ。
だってそれなら、全て説明がつく。
まず、成実さんは、私を愛しながらも憎んでいる。愛しい男の妹である私と、愛しい男を亡くした原因である私。あの事故の直後、成実さんは私の扱いに大変苦しんでいた。次に私は、そんな成実さんがとてつもなく嫌いだ。それこそ無理やり忘れていたくらいに。今更どうしようもない引け目が大き過ぎるのだ。
「…ああ嫌だ、嫌だ、」
「出来る事ならもう一生関わりたくないんだ」
それが真実。
私を横目で見下ろしながら、「…嫌なら連絡を取らなければいいだけの話、」と緑間は言ってくれる。ねえ、あんたはこれが逃げだと気付いててそう言うの。逃げてもいいよってそれでも甘やかしてくれるの。
本当、いつも中途半端に優しいよなあ。
あんたのそーゆーところちょっとだけお兄ちゃんに似てるね。そう苦笑まじりに呟いた私に、緑間はとてもショックを受けた顔をした。え?と、本日二度目、私は首を傾げたのだった。