喧嘩中(これが僕らの)


「…嫌いになった?」

こくんと頷くと血の気がサアッと引いて、まるで絶望したようなまなの顔。

「………別れたい?」

こくん、

「……本当に?」

こくん、

「……そっか」

絞り出すような声だった。

「…私は赤司のことずっと好きだからね!もしも赤司が寂しくなったら、いつでも電話メールちょうだいね。待ってるよ!」

空元気、という表現がぴったりな笑顔を残して、まなは走り去っていった。可愛いなあ、もう。今から泣くんだろうな、きっと。いつまで持つかな。絶望して自殺なんて馬鹿なこと考えなければいいけど。なんて考えていると「…いやだいやだやっぱりいやだ赤司の隣にいたい下僕でもセフレでもいいから隣にいさせて」うわああんと泣きながら戻ってきた。早すぎる。

「いやです別れたくないですやっぱり考え直してほしい」
「やだ」
「…ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「やだ」
「…っ…どうしたらゆるしてくれるの」
「何されてもやだね」
「う、」
「早くどっか行け」

嫌だごめんなさいごめんなさいと、ぎゅ。腕を掴んできたので、僕に触るなと言わんばかりに振り払った。それにショックを受けたらしいまなは「…赤司ぃ、」もう一度腕を掴もうとしてきたので今度は距離をとる。

「………」

急に現れた僕たち二人の間の空間を見つめ、まなは何も言えなくなってしまったようだ。絶望を写した目が、可愛いなあ、もう。まなの存在自体を無視するように、その横を通り過ぎてやると、「ひ、…う、」耐えきれなくてその場に座りこんでしまった。本当に弱い子。ぐすん、ぐすん、と鼻をすする音が無人の廊下にこだまする。

一時間が経った。まなはへたり込んだまま動こうとしなかった。あれからずっと泣いている。よくもまあ、こんなにも涙が出るもんだと感心せずにはいられない。それと同時に、そんなに悲しいなら最初から僕を裏切るなと冷たい気持ちも溢れ出す。僕の方はと言うと、こうやって柱の影に隠れて立ちっぱなしだからそろそろ辛くなってきた。

ぐすん、ぐすん、鼻を啜った後、ようやくまなが立ち上がった。廊下の窓を開けて足をかけて、そして気がついたように上履きをそろえ始めたので。ここは四階だ。下はもちろんコンクリート。言うまでもなく飛び降りるつもりなのだろう。はあ、と溜め息をついて、(ここらへんでいいかな)と僕はようやく動いたのであった。



「…すきすきすきすき」

僕の腕の中でまなはとろんと幸せそうにしている。最初はすきとありがとうとごめんなさいを繰り返していたけど、僕がごめんなさいとありがとうを禁止したらもうすきしか言わなくなった。可愛いし嬉しいけど、そろそろすきも禁止してみようと思う。

「…あいしてる、あいしてるよ」
「それも禁止」
「あ、う…」

困ったように次の言葉を探すまなが愛おしくて堪らない。ぎゅ、と腕の力を強めると、嬉しくて堪らないのだろう、きゅううんとまるでとろけるような顔をして、首を寄せて僕にキスを強請ってきた。本当に可愛い。ちゅ、と施してやったのが軽めのキスだったにも関わらず、まなの目はうるうる艶やかになった。あ、とまなが気がついたように声を出した。

「…何かしてほしいことある?」

何でもしてあげる。赤司のためなら何でも出来るよ。とまなが言ってきたので。ああ、これを待っていたんだ。ごめんなさいとありがとうとすきとあいしてるの後にようやく出てきた。時間がかかったが、思い通りに進んだことに口角があがった。ご褒美にまなの首元に顔をうずめてあげると、くすぐったい刺激に「きゃ」と声をあげたが「…んふふー」すぐに頭を傾けてきた。何を頼もうか。僕が万が一、青峰を刺してくれとお前に頼んだら、お前は本当に青峰を刺してくれるの?

「…僕以外の人間と話すな」

触るなんて以ての外。目を合わすことさえ禁止。老若男女問わず、接触行為を許さない。と言えばまなは、「うん。簡単」と言うので。「だろ?」まな、僕が優しくて良かったね。そりゃあ青峰のことは殺してやりたいくらいに憎いが、僕はまだまなを犯罪者にするつもりはないんでね。

「不便がないように親と先生は許してあげよう」

耳元で囁けば、もっと簡単になっちゃった、とまなは笑った。「期待してるよ」「うん」まなは幸せそうに、そして緩みきった顔で、「…他には?」他にはないの?だって簡単過ぎるもの、と。可愛いなあ、もう。

「今日、泊まっていけ」
「うん」
「まながほしい」
「うん。全部あげる」

まならしいといえばまならしい。だが、こちらが不安になる程あまりにも簡単に頷いたので。
お前、意味わかってるの?

「わかるよ。幸せ」
「そう」
「赤司も幸せ?」
「さあ」
「……あ、」

緊張してるね、鼓動速い。何時の間にか僕の腕をとって、ごく自然に脈を計っていた悪戯っ子。(この状況で人の脈計るか、普通)何はともあれ動揺を悟られるのは気に入らないので引き剥がそうとすると、いやあと悲鳴をあげる。

「や、離さないで」
「………」
「…赤司?」
「………」
「お、怒らないで。ほら私だって緊張してるんだから!」

赤司だけじゃないよ私だってドキドキしてる、と必死に体裁を繕おうとして、今度は僕の手を自分の胸にあてた。制服の上からじゃ何も分からないことに気がつくと、どうしようどうしようと服を脱ぎ始めた。「…いいからじっとしてろ、」と低い声で言うとすぐに大人しくなった。「…だいすきだいすき赤司だいすき」「それ禁止」「う、……」難しいなあ、と悩みだしたまな。僕の彼女。僕の世界。

「………ふふふ。幸せ、」

一日中赤司といたい何をするにも一緒がいい朝から晩まで触れていたい赤司の髪の毛になりたい赤司の睫毛になりたい赤司の、

僕の腕の中で、僕が黙っているのを良いことにいつまでも譫言を繰り返している。可愛いなあ、もう。白い首筋に噛みついて、所有者の証を付けて、「…私もつけたい」とろとろした目で見つめられれば、どうぞ、と僕も自分の首を差し出した。

…ちゅう、

こそばゆい刺激に宙を仰いで、天井を見上げた。世界に二人だけだったらいいのに、なんて。調子にのるだろうからまなには教えてやらない。








「………」

という夢を見たのだが、今回ばかりは流石に自分自身に驚かずにはいられなかった。時計を見ると午前四時だった。寝床についたのはざっと一時間前だ。ということは、さっき見ていた夢の内容は全て自分の脳細胞たちが作り出した妄想ということか。あんなにもリアルな夢を、ストーリーを、それも違和感を与えない質で一瞬で構築したのがこの自分の脳だった。まなの柔らかい感触まで本物そっくりだった。体温さえも感じられていた。全て無意識下で、何時の間にか都合の良い景色を思い描いていた自分。

「…馬鹿馬鹿しい」

自殺、刺殺なんて現実味もないことを口走る頭の弱い自分がいた気がする。吐き気がする。

しかし、

―――きっと僕は夢の続きを渇望している、

愚かなことに肉体的にもそうだと顕著に反応しているので。本格的に馬鹿らしくなってきて、いつかまなと一緒に寝ていたこのベッドから荒々しく起き上がった。
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