喧嘩中(ゲザラー)


プライドなんてあってないようなもんだからさ、土下座なんて軽々出来たね。全然嫌じゃなかった。むしろさせて下さい喜んでやります、みたいな。うん。たとえそれが真昼間の教室であっても。うん。沢山の注目を浴びながらも地べたに頭をこすりつける私を見る赤司の目は、"何やってんだこいつ"だった。いいもん。私を見てくれるだけでいいもん。最近は目さえ合わせてくれなかったし、嬉しいよ、私は。たとえそれがゴミを見る目と一緒だったとしても、うん、私は嬉しい、あれなんでかな。前が霞んで見えないや。

「恥ずかしいからやめろ」
「やっと話してくれたね」

嬉しい、と今度は本当に涙が出た。私に向けられた赤司の声を聞くのは何日ぶりだろう。話しかけても、最近は無視しかしてくれなかったから。「…ごめんなさい、赤司。本当に、本当に反省してるの」私は制服の内ポケットから、昨夜一生懸命にしたためた反省文を引っ張り出した。受け取ってくれるかな、と不安で胸がどきどきする。赤司はそれを一瞥した後、少しの間を保たせて、「…読んでやってもいい」と手にしてくれたのだった。ああ良かった。安心してホッと息を着いた。嬉しさから涙が止まらない。寝不足でガンガンする頭が、くっそ涙出しやがって分泌する身にもなってみろ、とでも言うようにさらにガンガンした。でもそれ以上に、赤司が受け取ってくれたのが嬉しい。ああごめんね私の頭、また涙を分泌させてしまった。反省文を一読した後、「…まあ合格かな」なんて赤司は言ってくれる。ああ、寝ずに書いた甲斐がありました。痛みはもうガンガンを超えてギチギチしてきたけど、でも私はそれさえも嬉しいよ。ああ、またさらに涙が出た。ごめんね、頭。ちなみにクラスメートはそんな私にどん引きしているけども。うん、別にいいもん。「…仕方ない」赤司はそう笑った後、真昼間の教室で、たくさんの人の目があるのに、激しい激しい許しのキスを私に施してくれたのだった。








「…くっそ全部夢かよ。ふざけんな期待させやがって」

起きた瞬間の第一声がそれだった。幸せな夢からの急落。現実に引き戻されて自分の置かれている状況を再び理解して、ああ今日も無視されまくりの寂しい1日が始まるわ、と仕方なくベッドから起き上がった。

「…はあ、」

一体いつになったら赤司は私を許してくれるのだろう、と思う。ここまで終わりの見えない喧嘩は初めてだった。

確かに喧嘩の原因は百パーセント私だし私が悪いのだろう。しかし、私はもう何度も謝ったしそれに譲れない主張もある。

私は青峰のおかげでお兄ちゃんの有り得ない方向に曲がった四肢、飛び出した内臓、血の海、私を見つめる目、それら全てを再び心の奥底にしまうことが出来たのだった。確かに私が悪かったのかもしれないが、ぶーちゃんをただの野良猫と言ったり、青峰の純粋な優しさを全て否定しようとした赤司に「はいそうですね」と頷くことは出来なかったのだ。反論せずにはいられなかったのだ。

「……辛い、」

しかしこの状況が何時までも続くのは、私には耐えられそうにもなく。こんなんじゃ、そろそろ此方が限界だとも思う。こう何時までも無視されていて何も思わないほど私は立派に人間が出来ていない。大体、無視ってお前小学生か。

「…赤司の馬鹿、」

こんなんじゃ嫌いになるよ。……嘘。すきすきすきすき。

「でもむかつく」

いっそのこと私もキレてしまおうかと思うが、それをやってしまうほど私は勇気があるわけじゃない。怒った赤司君は怖い。非常に怖い。こう見えて私は毎日ビクビクしている。私の逆ギレにより、さらに赤司を怒らしてどうする。

ここ数日は、苛々している赤司君の前で楽しく他人となれ合うわけには行かず、かと言って赤司君が私と話してくれるわけではないので私はまともに人と触れ合ってないのだ。

「ねえ、赤司、聞いて。もう三ヶ月も生理がきてないの。私たち、喧嘩してる場合じゃないのよ」

なんて昨日のドッロドロの昼ドラみたく言ってみたら赤司君はどう思うだろう。何か言ってくれるだろうか。流石に私と会話を試みようとしてくれるだろうか。(ああ馬鹿か私は)無言で精神科に連れて行かれるに決まってる。私と赤司はキス止まりカップルじゃないの。

「…子供っぽい」

怒ったから無視をする。そんならしくもない安直な行動に出た赤司に少しだけ失望した。なんて、全部私が悪いのに一体私は何を言ってるんだ。



―――ああ、寂しいなあ。

―――独りって寂しいなあ。

―――あ、

―――あ、ああ



「………?」

どうやら私は、この寂しさを以前にも経験したことがあるようだった。(……?)よくわからないが、脳が(嫌だ思い出したくない)と叫んでいるあたり、思い出してはいけないものらしい。(…ああ、そっか)と、何とも簡単に思い出してしまったわけなのだけれども。

私はこれを知っている。

忘れようとしてなかなか忘れることの出来なかったこの寂しさ。それこそ赤司と付き合う前、ぶーちゃんと出会う前、いやもっともっと昔。お兄ちゃんがまだ生きていた頃。そんなはるか昔の私がこの寂しさによって何を感じ最終的に何を引き起こしたのか、私は完璧に忘れたわけじゃなかったらしい。記憶の片隅にちょこっと引っかかっていたそれに、今までずっと顔を背けて生きてきただけで、振り返れば何時でも鮮明に蘇る。

(…嫌だ、嫌だ。あんな思い、もう二度としたくない)

頭をぶんぶんと振り払ったのは、嫌なもの全てを追い払うため。無意識のうちに携帯から一つの番号を選び出していたのは、失った何かを埋めるため。

プルルルルル……

――出て、出て。お願い。

数コールの後、ものすごく不機嫌な声で相手は出た。「何時だと思っている!」と大いに憤慨しているようだが、その怒声さえも、私の胸にあたたかさを広げるには充分だった。(やっぱり、やっぱりあんたは出てくれるね)怒っている相手の声も、穏やかになっていく自らの呼吸も、それら全て無視して。いつもの私で、相手に要件を伝える。



「あんた今日親いないんでしょ。ご飯作ってあげるから白菜と大根買ってきてね。あ、ついでにみりんもよろしく。で、いつ来れんの?え、五時?夕方の?えーあと十三時間も先じゃんー。もっと早く来てー。…あー、はいはい、わかったわかった。…起こしてごめんってもう。あー、はいはい…チッうるせーな。いや何でもないです。うん、うん。分かったって。うん、反省してます。はい、すいませんすいません。…うん、ばいばい」

…プッ…。

何とも呆気なくプッと切れてしまった携帯電話。思わず苦笑いが。まるで繋がりみたいだなあ、と。

「………」

寂しい。寂しい。

忘れたい。忘れたい。

―――じゃあその忘れ方は?
- ナノ -