独り言、どこへゆく


(喧嘩だって今まで何度もしてきた。今回もいつものように、まなの頭が冷えるのを待てばいい。意地っ張りで頑固なところもあるが、まなも馬鹿じゃない。謝らなければならないところ、引かなければならないところ、きちんと分かる子だ。自分の非を素直に認められる子だ。さらに、僕が非常識なやつは嫌いだと分かっているので、礼儀やマナーに関してもきちんとしているし、無鉄砲なところがあることは確かに否定出来ないが、それでもしなければならないことは分かる子だから。それに、)




赤司はそこまで考えたとき、ふいに気付いた。まなはもう既に、赤司に何度も謝っていたことに。青峰の胸を借りたことを、許せなかったのは自分の方だった。まなはもう何度も謝ったのだった。ごめんなさい、ごめんなさい、とあの放課後の教室で。

許せなかったのは自分の方だった。

教室の外には青峰がいて、自分達二人の会話を盗み聞きしているだろうことも分かっていた。赤司が青峰の立場でもそうするだろうからだ。だからだろうか。だから許せなかったのだろうか。

それはつまり、

まなが必死に謝っている声を聞かせたかったのかもしれない。もちろん、青峰に。

まなはお前の胸で泣いたことを、こんなにも後悔して、こんなにも罪なことと考えていると伝えたかったのかもしれない。



赤司はあの日のことを思い返していた。青峰の不自然なシャツ、それからまなのお気に入りの野良猫が死んだと聞いて、嫌な予感はすぐに確信に変わった。しかしそれを青峰に悟られるのは癪なので、平然を装うと同時にすかさず次の思考へと入ったのだ。まなに対して自分は怒らずにいられるだろうか、など考えていた。よほどの理由が無い限り、まなは赤司を裏切らない。今回がそのよほどの理由に相当したのだろうが、まあ野良猫くらいで、とは思わずにはいられなかったのだ。

教室に入りまなの姿を見たとき、赤司は自分でも驚くことに、沸き上がる怒りを抑えきれなかった。それでつい、威圧しながら問い詰めてしまった。謝らせてしまった。そして最後には、吐いてしまったのだ。所詮野良猫如き、という意味の言の葉たちを。もっと言葉を選んだ気もするが、何せ頭がカッとしていたので記憶が曖昧だ。

(…それに…。…それに、まなは、正義感が強い)

つまり、その言の葉たちは、まなを簡単に怒らせてしまったわけで。「…ぶーちゃんをそんな風に言わないで」と静かに怒りを称えたまなを、お前は反論出来る立場かと冷たく見下ろしたのだが、そこは譲れないと言った強い目で見返してきた。野良猫とまなの間の信頼関係を否定するつもりはなかったのだが(妊娠中の気性の荒いメス猫が素直に人の膝上で寝たと言うのだから驚きだ)、気がついたら、そうしていた。人間、カッとなったら相手を負かすまで満足出来ないものである。それでつい、余計なことまでも。赤司もその点では、充分人間らしかった。

「……ひどい、」

赤司の口から出る言葉たちに、まなが対抗出来るはずもなく。尤もに聞こえて実は中身のないそれを全て受け止めた後、まなは赤司に一言だけそう告げて、キュッと口を閉じてしまった。が、しかし、その真っ赤な目には相変わらず反抗心が宿っていた、ので。

「…ひどいのはどっちだ」

まなは正義感が強い。というより、優しすぎて騙されやすいと言った方が良いのかもしれない。悪く言えば、単純。扱い易い。つまり、自分によくしてもらった相手を貶めることが出来ないのだ。この場合は、野良猫のみならず青峰までも当てはまってしまう。赤司が青峰を否定する言葉を吐き始めたとき、またもやまなは反論しようとして、赤司に負かされ、最終的に「……ひどい」と同じ言葉を繰り返したのだった。赤司をさらに怒らせるのには充分過ぎた。

「それはつまり、お前は青峰を肯定したいと言うことか」
「なっ!違うよ!」
「何が違う」
「全然違う!」
「だから何が」
「それはっ…!」
「ほら。言えないんだろう」

いくら青峰に優しくしてもらったからと言って、それはないだろう。お前は馬鹿か。と強く叱り飛ばさずにはいられなかった。これにまなは悔しそうに顔を歪めたが、小さく「…ごめんなさい」と呟き返した。赤司はそれを不自然としなかった。(やっと気付いてくれたか)と少し穏やかな気持ちにまでなったものだ。しかし、まなのその行為は、

青峰との隠し事
赤司に次はないと言われた事

これら二つを思い出したからという何とも後ろめたい理由から来るのだが、当然赤司はそれを知らない。

そう、赤司は知らないのだ。

野良猫の死からトラウマを思い出したこと
それでもちゃんと赤司の助けを待つつもりだったこと

これらも、赤司は知らないのだ。





バスケ部のメンバーが図らずもまなの家に泊まった日、青峰とまなは、あの赤司が涙という弱さを見せたと思っているようだが、それは少し意味合いが違った。声が震えたのは、孤高の人となることへの寂しさからだけではなかった。もちろん、強く在らなければならない未来に不安を覚えたのも否定出来ない。しかし、それ以上に、自分の拠り所を手に入れた安心と、そしてその代わりに、まなの過去も未来もを背負っていくことへの武者震い。(そう表現するのは些か気取りすぎているかもしれないが)兎に角、赤司はあの夜の時点でようやく、まなだけでなく、自分もまたまなに依存していることを認めたのだ。これからもそうして、二人で生きていくことをよしとしたのだ。


青峰とまなが思う以上に、赤司は人間として先にいた。





そして今、赤司は焦っている。

(いくら僕がお前のことを考えていても、お前にこうフラフラされてたら適わない)

こういうちょっとしたすれ違いから、まなが遠く離れて行く気がしてならなかった。

(喧嘩だって何度もしてきた。でも今回は、)

しつけが必要だ、と思った。
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