男性Aの独白


きっとあなたが赤の他人で、もう二度とこうして話すこともないだろうから、私はあなたに何もかもを吐露することが出来るんでしょうね。


長い話になりますが聞いてくれますか。次の電車までしばらく時間があるんです。


私には愛娘がいます。仕事しか能のない、全然家に帰らない私のことを今でも変わらずお父さんと呼んでくれる、そんな優しい子です。


先ほど、日本に着くと同時に娘の彼氏から電話がかかってきました。直接会ってお話したいと言われました。私はまた娘が何かやらかしたのではと心配になりました。ストッパがあるようでない子ですから、一度沸騰すると周りが見えなくなってしまうのです。何かあったのか、と聞きました。彼は私の声色からその心配を読み取ったらしく、笑いながら、違いますよと否定してくれました。ホッとしました。


しかし彼と会う時間を用意することは出来そうにありませんでした。先ほども言いましたが、私は仕事人間だからです。


その旨を伝えると彼は、電話ですみませんが、と用件を話し出してくれました。


彼のお話は、私の予想を遥かに上回るものでした。京都の学校に娘と通いたいと言ってきたのです。だから私の許可が欲しい、と。とても驚きました。


確かに電話越しでする話ではないと思いました。


顔を直接見なくとも、彼がどんなに真摯な態度で私に訴えかけているかなんて一目瞭然でした。それこそ電話越しでしたが、はっきりと伝わってきました。仕事柄、今まで多くのサラリーマンと接してきましたが、彼のその態度は大人のそれと何ら遜色なく、彼が紡ぐ言葉一つにしても、彼自身の誠実な人柄が溢れていました。とても中学生だとは思えませんでした。あの子はなんて立派な人を手に入れたのだろう、と感心せずにはいられませんでした。


しかし、もちろん許すわけにはいきません。当然です。


京都、だなんて。


第一、私は娘から志望校は秀徳だと聞いていましたし、幼なじみの男の子と同じところに通うものだと思っていましたから。その幼なじみの男の子がいたからこそ、私はこうして娘一人残して世界を飛び回れていたのです。その幼なじみの存在なくして、あの子は大丈夫なんでしょうか。


それにあの子たちはまだ中学生です。簡単に、京都に行きます。はいそうですか。と許すわけにはいかないでしょう。


私は彼に言いました。そんなに一緒にいることに固執することはないだろう、と。


まだ人生の四分の一も生きていない彼らです。お互いが最高のパートナーだとでも思っているのでしょうが、愛する相手なんてすぐに変わってしまうのが人間です。まだ14、15の彼ら。お互いがお互いに拘る必要などありません。そう思っての発言でした。


随分酷なことを言うのですね、と彼は私に言いました。


赤司君は、…ああごめんなさい口が滑ってしまいました、娘の彼氏の名前です。ああ青い髪のお兄さん。どうして吹き出したのですか。あなたの吹き出したコーラは全て私にかかってしまいましたよ。


…いいですか、お話を続けさせてもらっても。


兎にも角にも、赤司君はそれから人が変わったように…いえ、何でもありません。


赤司君はまなのことを、…ああすみません。まなとは私の娘の名前です。ああどうして突然転んだのですか、お兄さん。大丈夫ですか、浅黒い肌のお兄さん。


あの、お話を戻してもいいですか。それで赤司君は、大人の私に対して、礼儀を忘れずに、それでも明らかに刃向かってきました。


そこで初めて、彼の中学生らしさを見たように思います。


恐れを知らない、真っ直ぐな姿勢でした。私は失礼にも、彼のそれを子供っぽいと思ってしまいました。ああごめんなさい、大人とはこういうものなんです。言うことを聞かない人間を子供っぽいと一蹴することで自分を優位に持っていってしまう。大人とはこういうものなんです。少なくとも私はそうです。


私は赤司君に、君は生き急いでいるような気がしてならない、そう伝えました。


ああでも、


本当は分かっているんです。まなは何があっても赤司君に付いていくだろうことは。あの子は私の言うことなんて何も聞かないから。泣き嘔吐という妙な特技に今まで何度も負かされてきました。


ああそれでも、


確かに私はなかなか家に帰れません。こうやってたまに帰った時、家には娘がいて、それで私を出迎えてほしいというのは父親としての我が儘でしょうか。京都に行ってしまえば、今よりもっと会えなくなってしまう。成長する娘の顔が見れなくなってしまう。散々ほったらかしにしておいて、これはさすがにないですよね。充分、分かっております。でも、それらを超えたところで、私はまなを愛しているんです。家族とはそういうものです。それに私たちは、今や二人だけの家族なんです。


赤司君はちゃんと分かっているのでしょう。まなは何があっても赤司君に付いていくことくらい。それでも、責任を持って、きちんと私に話してくれた。全て僕の我が儘です、とまなを庇ってくれたんです。ただの中学生にそこまで出来ますか。


本当に、まなはすごい人を手に入れたものです。


ああ、背の高いお兄さん、どうしてそんなに暗く沈んでいるのですか。私は何か気に障ることでも言ってしまったでしょうか。


お兄さん。青い髪で浅黒い肌で背の高いお兄さん。つまらない私の話を聞いて下さりありがとうございました。どうやら電車の時間になってしまったようです。願わくは、もうこうして顔を合わせることがないことを。ついぺらぺらと喋りすぎてしまいました。後に再び会うのは、どうも気恥ずかしいのです。



あの、図々しいですが最後のお願いです。


電車賃、貸して下さい。財布をどこかに落としたようです。
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